一章:人と悪魔と精霊と
〜幼き精霊〜

 セレネは、迫り来る真っ黒い手から視線を逸らし、きつく目を瞑る。
 もはや、恐怖で身体が動かなかった。
(……いや……怖いよ……!)
「せ、セレネくん!」
「――っ! ヴァン先生!」
 想い人の声に少女が瞳を開いたその時、黒き魔が大きな腕を振り上げた。
 惨劇が繰り広げられようという、その刹那――
 カッ!
 光が瞬いた。
 希望の光は人を照らし、闇の存在をも照らし出す。
「ったく。下級悪魔の分際で好き勝手やってくれやがりましたね」
(え? この子……)
 光を放っていたのは、先ほど人垣に阻まれて半べそをかいていた女児だった。
 女児は薄く笑みを浮かべて、悪魔を睨み付けている。
 一方で、悪魔は顔を引きつらせて固まっている。
『ま、まさか……精霊……だと……?』
「正解ぴんぽーんでいやがります」
 過剰に機嫌よく、女児が小首を傾げる。
 しかし直ぐに、にぃっと邪悪に笑む。
「さあ、ご褒美をその身に刻んでやるですよ!」
 叫んで手を振り上げた。
 ヴン!
 辺りに拡散していた光が、女児へと集う。
 曙を圧倒するように黄金色の輝きが地表を満たした。
 光の輪が一定の間隔で広がっていく。
 眩さが人を癒して闇を駆逐する。
「第五精霊術『聖槍(せいそう)』ッッ!」
 一切の輝きが手の内に収まり、瞬時に力と成る。
 女児が金色(こんじき)の槍を、重量という概念が消え去ったかのように軽やかに、くるりと回した。
 そして、ヒュンッと突き出す。
 ざしゅ。
 光は何の抵抗もなく闇に吸い込まれた。
『ぐ…… ぎがああああああああああぁあ!!』
 断末魔が響いた。
 闇の者は灰塵と消え、ざああぁあと音を立てて風に攫われていった。
 静寂がシンと朝を満たす。
 ヴン……
 静かな音を立てて、輝きが四散した。光の槍もまた消え去った。
 場には、黒き髪の女児と、金の髪の少女と、物見高い町民の姿だけが残っている。
 さわさわ。
 小気味のいい葉擦れの音がどこかから聞こえてくる。
 精霊は真剣な表情を崩して、ふぅ、と息を吐く。
「いっちょあがり、でいやがるですね」
 嘲りの表情を浮かべた女児は、腰に左手を当てて、右手で肩にかかる長い黒髪をはらう。
 塵となった魔も呆然とする人も皆、彼女にとっては愚か者でしかない。
「第一級トリニテイル術士ともなれば精霊術も完璧でないといけねーのです。覚えておきやがれです」
 胸を張り、闇を滅した者は笑みを浮かべて誰にでもなくそう言った。
 光と共に、神々しくそこに在った。