二章:光と闇
〜自宅デート〜

 国営塾はしばらく休業することに決まった。構内で殺人事件が発生し、講師が一人亡くなってしまったのだから当然だろう。無期限の休暇が塾長の口から告げられた。当然ながら、講師陣も生徒たちも休みとなる。
 それゆえに、いち講師のルーヴァンス=グレイは、やって来たその足でそのまま帰宅するしかなくなってしまった。
 帰路についた彼の右隣では、やはり帰宅を強いられた十四歳の女生徒セレネ=アントニウスが、左隣では見た目が十歳前後の女児精霊ティアリスが歩みを進めている。
 彼女たちを瞳に入れて、ルーヴァンスが口を開いた。
「ところで、ティアリスさまは僕にお話があるそうですが、セレネくんはなぜうちに?」
「な、なぜって…… それは、その……」
 ルーヴァンスの疑問に、セレネがどもりながら顔を赤らめた。
 彼女は二つの理由で同行している。一つは勿論、自他ともに認めるロリコンの師を女児と二人きりにしないため。そしてもう一つは――
「はっ。セレネはけなげでいやがるですね。気持ちわりーです」
 少女がお医者様でも治せない病に罹っていることを察した精霊さまが、嘲るように肩をすくめた。
「あ、アリスちゃん!」
 真っ赤な顔で睨みを利かせて、セレネが声を荒げた。
 頬を上気させた少女を鼻で笑ってから、ティアリスはルーヴァンスへと視線を向ける。
「うっぜー思春期はほっとくとして…… 銀髪クソ虫。ワタシのことはティアとかアリスと呼びやがれです。様付けとかうっとうしいのでやめるですよ」
「わかりました、ティア。では、僕のこともルーやヴァンとお呼び下さい」
 人の子の願いに精霊さまが嗤う。
「ふん。人間なんて『クソ虫』でじゅーぶんでいやがりますけど…… まあいいでしょう。ヴァン」
 改めて呼ばれると、ルーヴァンスは銀の髪をさらりと揺らして爽やかに微笑んだ。
 今のところ、完璧に性癖を隠して猫をかぶっている。どうしようもない変態も一応ながら、幼女趣味は秘匿すべき、という自覚はあるようだ。
 いまだ真実を知らぬ幼女は、小首を傾げて言葉を続ける。
「で、ヴァンの家にはまだつかねーのですか?」
「もう少しですよ」
 ルーヴァンス宅は町の南東で、中央寄りの地域に在る。
 現在地は、町の中央の大聖堂前をすぎて南部地区にさしかかったところである。あと十分ほども歩けば、変態の住居へ到着するだろう。
 かの地を以前から切望していた愚者は、ぐっと拳を握って精霊さまへと迫る。
「いやいや、とゆーかですね、アリスちゃん! お話をするだけでなにゆえにヴァン先生のお宅へお邪魔する必要があるんですか! そこら辺のお店で紅茶でも飲みながら済ませばいいではないですか!」
 並んで歩くルーヴァンスとティアリスの間にバッと割って入って、セレネが大きな声を上げた。そこに内在するのは怒りではなく、寧ろ妬みのようだ。
 彼女の提案を耳にした二者が辺りを見渡す。
「お店は閉まっていやがるですが……」
「まあ、このところ物騒ですからね。客が入らず営業していられないのでしょう」
 適切な分析が為された。
 平素であれば町の中央にある噴水広場を囲んで、飲食店が数軒つらなっている。その全てが営業を停止していた。
 そして、飲食店のみではなくあらゆる店舗が活気を失っている。
「ははは。いやぁ、これでは喫茶デートは無理ですね」
「ふんっ。初対面でワタシと自宅デートでいやがりますか。光栄に思えですよ、ヴァン」
 軽口が飛び交った。
 精霊と師を交互に見て、セレネがぷくっと頬を膨らませる。
「あー、もお! 何なんですかそのやり取り! 羨ましいですっ!」
 本音が人のまばらな道に響いた。
 少女は涙目でキッと目つきを鋭くする。
「ボクなんてヴァン先生のおうちに行きたいって言ってもいっつも断られるのにぃ!」
 塾の講義で質問事項がある場合、塾での教授となるか、アントニウス家の客間での教授となるかの二択であった。
 生徒の不満を耳にして、先生が柔らかく笑む。
「まあまあ。うちに来たところで何も楽しいことなどありませんよ、セレネくん」
 ルーヴァンスの言葉に、セレネが唇を突き出してブツブツと何やら呟く。
「別に楽しくなくったっていいですもん。特に不都合がないなら連れていってくれたっていいじゃないですか。なんでアリスちゃんだけ……」
 ごもっともな意見ではあるが、そこはそれ、ルーヴァンスの嗜好ゆえだろう。
 ストライクゾーンが九歳から十三歳である彼にとってみれば、十四歳のセレネよりも十歳にしか見えないティアリスの誘いに乗るのが自然というもの。
 とてつもなく犯罪の臭いがする。
「とにかく! 今日はボクも伺いますから!」
 頑として譲らない姿勢を見せるセレネ。
 ルーヴァンスが苦笑しつつ頷く。
「それは構いませんが…… ティアもいいですか?」
 問いかけに対して、ティアリスは肩を竦めて首肯する。
「ワタシは別に構わねーですよ。セレネはセレネで利用できそーですし」
 何気ない精霊さまの呟きに、怒り心頭だった少女が冷静さを取り戻して頬を引きつらせる。
「えっ。ちょ、ちょっと待ってください。ボク、何に利用されちゃうの?」
「こっちの話ですから気にすんじゃねーです。適当に聞き流しやがってください」
 非常に受け入れ難い要求だった。
 しかし、セレネはしぶしぶながら頷く。このまま、ティアリスだけでルーヴァンス宅へ向かわせるわけにはいかない以上、多少の危険を感じても引き返せはしない。
「うー。なんか分かりたくないけど、分かりました……」
「はい。良い子でいやがるです。じゃあ、行くですよ」
 話がまとまりをみせ、三人はそのまま雑談をお供に路地を行く。
 路はいまだに人がまばらではあるが、それでも多少の人影を見せている。彼らの表情はほんの少しながら明るい。
 精霊という名の光が人界へと齎されたゆえか、相変わらず沈んでいる町にも微かな灯りがともったようだった。