二章:光と闇
〜決裂〜

 ティアリスの言葉を耳に入れ、師弟が揃って首を傾げた。今度ばかりは国営塾の講師でさえも知識が不足しているようだ。
 精霊さまはぴっと右手の人差し指を立てて、口を開く。無い胸を張って自慢げにしている。
「人界で強力なクソ悪魔どもをぶっ飛ばすために有効な術の一つが、トリニテイル術です。そして、術の源となる力を人界に引き込むのが、ワタシのようなトリニテイル術士なのですよ。ヴァン、茶もってこいです」
 唐突に、ティアリスが非日常的な話の合間に日常を織り交ぜ、更なる紅茶を所望した。
 ルーヴァンスは苦笑と共にキッチンへ向かう。
「はい。少々お待ちください」
 師の背中を見送りつつ、生徒が首を傾げる。話が突然大きくなりすぎたため、実感が沸かないようだ。
「えっと、アリスちゃんがそのトリニテイル術士なの?」
 本人がそのように自己を紹介していようとも、そして、つい数時間前に実際に魔を屠っていようとも、精霊さまの見た目はあどけない女児のそれだ。悪魔を倒すための力を呼び起こすなどと、そのまま信じることは難しかった。
 ティアリスが顔を顰める。
「そう言ってやがるじゃねーですか。セレネは頭がわりーですね」
 やれやれ、と嘆息しつつ、言った。
 今度はセレネが眉を潜める。
「なっ! ……あ、あのね。ボクはこれでも、国営塾で一、二を争う成績なんですからね」
 人の子の主張を受けて、精霊さまが肩を竦める。
 彼女の顔に浮かぶのは嘲笑だ。感じ悪く口の端を歪める。
「そういうのは頭が良いとはいわねーのですよ。どーしょーもねー馬鹿ですね、まったく。これだからガキは……」
「な、何ですってぇ!」
 ティアリスの暴言に、セレネが顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。普段からもてはやされる立場に身を置いているためか、批判に免疫がないようだ。
 少女が頬を膨らませて女児を軽く睨み付けていた時、ルーヴァンスがキッチンから戻って来る。
「まあまあ。落ち着いてください、セレネくん。君は授業態度もいいですし、とても熱心ですから、講師陣の間でも評判がよいですよ。自信を持ってください」
「ヴァ、ヴァン先生……!」
 セレネがキラキラと瞳を輝かせて、給仕係に身をやつしている師を見つめる。染まった頬と熱っぽい視線に込められているのは、どう考えたところで敬愛の念ではない。
 しかし、当のルーヴァンスはあまり気にとめず、女児精霊に視線を移す。
「さあ、お茶をどうぞ。ティア」
「ご苦労でいやがるですよ」
 尊大な精霊さまの態度に気を悪くするでもなく、人の子が微笑む。
「いえ。それで、続きをお聞かせ願いたいのですが、まず気になる点として、僕に協力を請うということは、ここリストールを襲う悪魔はまだいるということですか?」
 ティアリスは紅茶をひとくち飲み下してから、頷いた。
「その通りでいやがるです。さっき滅ぼしたのは下級悪魔にすぎねーですし、この町の状況は、魔界で特別な地位にある『エグリグル』という一団に属する上級悪魔が絡んでいると見て間違いねーです。そのクラスの悪魔ともなりやがれば、大規模な儀式でもないと人界に顕現できねーですからね」
 悪魔は本来、人界に存在し得ない。それゆえに、顕現するためには相応の手順を要する。
 そして、決まってそこには多大なる犠牲が伴うものだ。
「つまり、リストールで発生している猟奇悪魔事件は、事件それ自体がエグリグルの悪魔を喚び出すための儀式だということですね?」
 ルーヴァンスの言葉に、ティアリスがひゅぅと口笛を吹く。
「クソ虫にしては比較的まともな頭をしていやがるですね、ヴァン。その通りです」
「元とはいえ、サタニテイル術士ですからね。悪魔のことや、彼らにとって血や命が捧げ物となることなどは、充分に承知しています」
 戦争当時、エグリグルの悪魔が召喚されることもままあった。戦時中ならば血も命も、望まずとも多くが流れ、多くが失われた。聞こえは悪いが、儀式の手間が省けていたのだ。
 エグリグル級の悪魔の数名と既に知己となっている人の子は、十年ほど前のことを思い起こして苦々しく笑んだ。
「懐かしい――などと口にするのは問題でしょうね」
「んなことはどーでもいいです」
 ルーヴァンスが自嘲するのを尻目に、ティアリスは彼の言葉をぶった切り、話を続ける。
「まず、どっかのクソ悪魔が人界を手中に収めようとか、人界で思う存分あばれようとか、そんなうざってー野望を抱きやがったんだと思うです。悪魔王は人界への不干渉を決めやがったですが、クソ悪魔どもの大多数はその決定に反感をもちまくってやがるですからね」
 精霊さまの御言葉に人の子が疑問を覚えた。
 セレネは行儀良く手を上げてから質問をする。
「悪魔王って人は人間の味方なの?」
 仮にも悪魔の王が人を気遣うかのような話に、易々と納得は出来ないのは当然だろう。
 彼女の疑問はもっともだった。
 ティアリスが黒髪を指先でいじりつつ、眉を潜める。話が横道に逸れることを嫌がっているようだ。面倒そうに口を開く。
「んなことはねーと思うですが…… ワタシが知る限りでは、好戦的な指示を悪魔王が出したことはねーです。悪魔どもが従わねーから意味ねーですけどね」
 実際、悪魔王が好戦的でないからといって人間が安心できるわけでないことは、今回の事態が生じたことからも間違いない。悪魔というのは大人しく王の命令に従うわけではないらしい。
 即ち、問題とすべきは悪魔王の思惑ではなく、人界を狙っているというエグリグルの悪魔自身なのだ。
「悪魔はその性質上、人界に顕現して人間の悪の心と共に在ることを強く望みやがるですから、定期的にこういうクソめんどくせー危機的な事件は起きやがるです。まあ、エグリグル級の悪魔が積極的に関わる規模の火急な事態は、数百年ぶりでいやがりますが…… マジでクソ勘弁して欲しいですよ、ったく」
 うっとうしそうに精霊さまが呟いた。
 言葉の端々や態度から、彼女が人界に赴かねばならなくなったことを是と感じていないのは明らかだ。何かにつけてかったるそうである。
 人間がどうなろうが知ったことではない、というのが基本的な考え方なのだろう。
 精霊さまの態度に苦笑しつつも、セレネが疑問を覚えて再び首を傾げる。
「あれ? でも、事件はこの町だけですよね? 『火急な事態』って程じゃあないんじゃ?」
 対立の構図が人界と魔界という図式で成り立っているというのならば、一つの町で完結している現状はさほど規模が大きいと思えない。
 勿論、リストールの町としては困りすぎる程に困っているのだが、人界の危機とまで言うのは大げさだろう。
 そのように考えて、セレネは先のように尋ねたのだ。
 しかし、事実は違う。
「別にこの町が特別なわけじゃねーです。悪魔がちょっかいをかけている町や村は世界中に同時多発していやがるです。全世界のいたるところにクソ悪魔どもが出現しているんですよ」
 ロアー大陸のみならず、遥か西方のファルピリア諸島、南方のアルトムス大陸でも悪魔が暗躍しているという。程度の差こそあれ、世には魔の気がはびこっている。
「その中でも、クソ悪魔の気配が濃いのがここリストールであり、他の場所での事件は陽動に違いねーっつーのがワタシら精霊の見解なわけですよ。んで、エグリグル級の悪魔が相手ともなれば、他の追随を許さない超一流の第一級トリニテイル術士、つまり――」
 女児が流し目を人の子二人に向ける。そして、胸を張る。
 彼女は、細くしなやかな腕ですっと自分自身を示した。
「ワタシの出番っつーことです。感謝して敬えですよ」
 ふんっと得意げに宣言した。
 何だか期待されている気がしたので、ルーヴァンスとセレネはぱちぱちと賛辞の拍手に勤めた。
 ティアリスは満足したようで、話を続ける。
「さて。てめーらみたいなクソ虫どもが気にするのは、偉大なワタシが修めているトリニテイル術という技が如何なるものかっつーことだと思うですが……」
 ティアリスの言葉に、セレネがうんうんと頷く。
 ルーヴァンスもまた静かに首肯した。
 コホンと可愛らしく咳払いをして、精霊さまが歌い上げるように言葉を連ねる。
「トリニテイル術っつーのはですね。クソ神――イルハードの力を人界に顕現させやがる術のことをいうです」
「え? イルハードさま?」
 少女が驚きの声をあげた。
 対して、精霊さまはあっさりと頷く。
「そうです。イルハードのクソ神野郎です」
 神に敬意を払う気は全くないらしい。
 セレネが眉を潜める。
 しかし、当のティアリスは気にしない。
「奴は自分の力を神界でしか振るえねーらしいのですが、トリニテイル術士はそのクソ野郎の力を人界へと喚び出せるです。これは、ワタシのようなスペシャルでエクセレントな精霊にしか務まらねーミラクルな役目なのです。人界に危機が訪れたとき、総じてワタシのような英雄が求められるわけですよ」
 悦に入った自画自賛ののち、ティアリスがニコリと微笑む。
「ヴァン。てめーにも手伝わせてやるです。サタニテイル術士としての経験があるのなら、力の扱い方は心得てやがるでしょーし。さあ、地べたに這いつくばって感謝しやがれなのですよ」
 精霊さまの言葉は乱暴だが相貌は愛らしい。
 変態――ルーヴァンスが、女児の笑顔を瞳に映して性的興奮を覚える。しかし、そのような事実はおくびにも出さずに、極力冷静さを装って尋ねる。
「手伝う、というと? 今のお話からすると、神の力はティアだけで喚び出せるのでしょう? 僕が術士として手伝うことがないように思いますが……」
 確かにその通りである。力を喚び出す者――精霊さえいれば事足りるのではないか。
 しかし、精霊さまはゆっくりと首を振る。
「残念ながら、トリニテイル術っつーのは、神と精霊のみで扱えるもんじゃねーです。人界にクソ神の力を顕現せしめるには、人間の協力が不可欠なのですよ」
 神は神界に住まうのが理であり、そこでしか本来の力を扱えない、というのが基本原則だ。
 しかし、人が願いさえすれば、精霊が呼び起こした神の力を人界で振るうことも出来る。
「クソ神はワタシを媒介として力を送り込むです。けど、ワタシは力を受け取れても、術として行使することができねーです。元サタニテイル術士のヴァンに理解しやすい話をするなら、クソ悪魔どもが人界で本来の力を扱えねーのと一緒です」
 悪魔はサタニテイル術士――人間の協力をもって、本来の力を異界たる人界で振るうことが出来る。
 神もまた同様だ。彼は精霊の協力で力を人界へと送る。そうして生じた力を人界の住人が扱うことで、神の力が破壊や癒やしという具体性をもって顕現せしめる。
「トリニテイル術士たる精霊はクソ神と一体になり、その力を人界へ引き込むです。そして、精霊と一体になった人間は、引き込まれた力をトリニテイル術という形でぶっ放すのです」
 神と精霊と人の子が一体となり、奇跡を生む。
 その奇跡こそがトリニテイル術なのである。
「トリニテイル術は、神と精霊と人、つまり、イルハードとワタシと、そして、ヴァンが一体――三位一体となる必要がありやがる……で……す……?」
 なぜか精霊さまが眉をひそめて黙り込む。
 彼女の視線の先で俯いている人間の様子が変だった。具合が悪そうにも見えるが、顔色は悪くない。頬が上気していて、いっそ元気そうでさえある。
「はあっはあっ…… が、がが、が、合体!?」
 荒い息づかいと上ずった声。
 ルーヴァンスが胸を押さえて苦しそうに呼吸していた。明らかに様子がおかしい。
「な、なんです? どうかしたですか?」
 ぞくぞく。
 精霊さまの背を怖気が駆け抜けた。
 グレイ氏の様子は先ほどまでと全く違った。金の瞳は血走っており、女児の身体をなめ回すように見つめている。息づかいは運動後のように荒い。中腰で身構えており、今にも襲いかかってきそうだ。更には、ぼそぼそと何やら呟き続けており、内容を聞き取ることは能わないが、まとも独白でないだろうことは容易に想像できる。
 ロリコン趣味が全く隠れていない。興奮のあまり、装うこと能わぬ心地に陥ってしまった様だ。
 どうしようもなく極端に気色が悪い。
 その耐え難いさまを空色の瞳に映して、ティアリスがソファから腰を上げる。
 彼女が逃げ腰になった時――
「ふおおおおおおぉおおぉお!!」
 びくぅ!
 銀髪を振り回しつつ、ルーヴァンスが唐突にさけびだした。
 ティアリスは本能的に危険を察知して、居間から出て行こうとする。しかし、変態のあまりの気持ち悪さに足が震えて真っ直ぐ歩けない。
 彼女の円らな瞳には大粒の涙が浮かんでいる。
「ななな、なんでいやがるです? なんなのです?」
 弱々しい声が発せられた。
 ティアリスの視線の先にいる人の子は、鼻息を荒くしてじりじりと迫って来る。時々、びくびくっと身体を震わせているのがとてつもなく気持ちが悪い。
 ティアリスはがくがくと震える足にむち打って、何とか三歩さがる。
 しかし、その間に変態は四歩前に出る。
 そのように少しずつ少しずつ間が詰まっていき――
 どん。
 遂には女児が壁際に追い詰められた。
「てぃ、ティア! でででではさっそく、ががが合体を! ぼぼぼ僕とひとつに……! ひとつになりましょうっっ!!」
 迫りくる銀髪の悪魔の顔。金色の瞳は見開かれ、口元からは涎が垂れている。
 凄まじいまでの不快感だった。
 ゆえに、ティアリスの精神はついに限界を迎えた。
 平素から白く透き通っている頬は、血の気が抜けていよいよ青白くなってしまっていた。その生気の抜けた頬を大粒の涙がこぼれ落ち、床を濡らす。
 彼女は防衛本能に忠実に従い、精霊自身が有する力を集結させて反撃するに至る。
「だ、だだ、第十五精霊術『蓬雷電(ほうらいでん)』!」
 がんッッ!!
 轟音がグレイ邸に満ちた。
 突き出されたティアリスの右腕からの放電により、ルーヴァンスの身体が軽く爆発した。衣服や頭髪が燻っている。
 変態の意識は遠のき、ばたん、とえびぞりに倒れ伏した。
 つかの間の平和がもたらされたのだ。
 一部始終を嘆息と共に頭を抱えて見ていたセレネは、放電の際、とっさに耳を押さえて目をきつく瞑っていた。
 しばらくしてゆっくりと瞳を開いた彼女は、ほどよく焦げて倒れ伏している師と、壁際でぺたりと座ってぐずぐずとしゃくり上げている女児を紅い瞳に映した。
「ひっく、ひっく。きもちわりーですぅ…… こんなだから。クソ虫人間はうぜーのですよぉ…… ううぅうぅぅう……」
 とても心を痛める光景だった。
「あ、あのね。なんというか、その…… ご、ごめんなさい」
 彼女自身に責任など皆無であろうに、セレネが丁寧に頭を下げた。
 この町の代表貴族であるアントニウス卿の娘として、そして何より、ひとりの人間として、心を込めて謝った。
「……っぐし。あんな野郎がいいなんて、セレネは趣味がわりーです」
 正鵠を射た意見だった。
「余計なお世話ですっ!」
 ばあんッ!
 その時、玄関口から騒々しい物音が聞こえてきた。
 続いて、ドシドシと慌ただしげな足音が響く。
「セリィ! 無事か!?」
 姿をあらわしたのは、セレネの弟、ヘリオス=アントニウスだった。
 彼は、国営塾から目撃証言を追って、ようやくルーヴァンスの家までやって来たのだ。
 すると、突然の轟音が宅内から聞こえてきたため、焦燥感を覚えて飛び込んだというわけだった。
「あれ、ヘリィ? どうかした? 今日は早起きね」
 姉の言葉を耳にして、弟が肩を落とす。これまで心配していたのが馬鹿らしく思えるような、ごく日常的な語り口だった。
「……あのな。どうかした、じゃないって。昼間っから悪魔が出たって話じゃんか。そりゃ心配にもなる――って! ルーせんせえ、どうしたの!? 焦げてる!? 悪魔!?」
 師の変わり果てた姿――非日常を瞳に映して、生徒が心配そうに駆け寄る。
 ルーヴァンスはその呼びかけを受けて意識を取り戻し、かすれた視界の中にヘリオスを視認した。いまだ上手く動かない口元を振るわせ、言の葉を繰る。
「何? どうしたの、ルーせんせえ!」
「……よ……幼女……の……一撃……きも……ちい……い……」
 彼の声はか細く、苦労して聞き取らなければならなかった。しかし、聞き取らなければよかったと思わせる、そんな残念な内容だった。
「……は? 悪魔は幼女なの?」
 ヘリオスが辺りを見回す。
 彼の瞳には、壁際でぺたんと座る涙目の女児の姿が映った。
「……えっと、君が悪魔?」
「……ぐし。ちげーですよ。誰が、えっぐ、あ、悪魔ですか、このガキ」
 まだロリコンに襲われた恐怖から脱していないのか、ティアリスがしゃくりあげながら暴言を吐いた。
 そんな彼女と弟の間に立って、セレネが女児の頭を撫でる。そうしてから、各々を紹介する。
「ま、まあまあ。抑えてね。あのね、アリスちゃん。この子はボクの弟でヘリオスと言います。ちょっと不真面目で失礼なとこもあるけど、悪い子ではないので仲良くしてください」
 紹介されたヘリオスが、戸惑った様子ながらも軽く礼をする。金の髪がさらりと揺れる。
「で、ヘリィ。この子はティアリスちゃん。精霊さまなんだって。リストールを救いに来てくださったの」
 当のティアリスは、ルーヴァンスを大きく避けつつ壁際から移動してソファに座り直した。床でぴくぴくと痙攣している変質者を警戒して、いまだにその表情は硬い。
 それでも、多少の余裕は取り戻したようだ。ふんぞり返って居丈高な態度をとっている。
「……ふんっ」
 尊大な態度の精霊さまをジロジロと見つめるヘリオスは疑わしげだ。
 そうそう信じられる話ではないので当然だろう。
「……精霊、ねぇ」
「ジロジロ見るんじゃねーです、ガキ。腐り落ちて朽ち果てろです、ガキ。てめーは何となく嫌いなのでとっとと死んでワタシの前から消え失せるべきです、ガキ」
 多少なりともルーヴァンスから距離を取れたことで安心したのだろう。ティアリスが平素の如く調子よく暴言を吐いた。
 元気を取り戻されたようで何よりである。
 尊大な態度を見慣れてきたセレネはそのような感想を抱いて、いっそ安心した。
 しかし、今はじめて精霊さまと出逢ったヘリオスにしてみれば、疑心しか抱けない。
「……なあ、セリィ。本っ当に精霊なの?」
「んー、悪魔を倒してたし、本物だと思うけど……」
 改めて問われると、精霊さまの御力を実際に目にした姉でも、不安げに首を傾げた。
 しかし、人の子の訝りなど一切気にせずに、ティアリスはセレネへと視線を投げかける。
「てめーらが信じるかどうかなんてどーでもいいんですよ。それよりもセレネ。もうヴァン――この変態には用がねーです。てめーはこの町でそれなりの権力を持っていやがるよーですし、他の術士候補の選出に力を貸しやがれです」
 ぴくぴくッ!
 ティアリスの依頼にセレネが反応を示すよりも先に、焦げて倒れ伏していた変態が大きく痙攣した。
 びくぅ!
 ティアリスを始め、アントニウス家の子供たちもまた身構えた。
「る、ルーせんせえ?」
 プルプルと震える足でルーヴァンスが立ち上がる。
「……ほ、他の者など認めません。僕こそがティアには相応しい。これはこの世界が始まった時から決まっていた運命といっても過言ではないっ!」
 彼の金の瞳が血走っている。
 欲望に忠実に、未だ動きがぎこちない身体に鞭打って、震える足で雄々しく立つルーヴァンスは、不確かな体幹で懸命に見得を切る。
 その様子はいっそ立派にも思えた。
 しかし当然ながら、欲望の対象たる精霊さまは決してそんなことを思いはしない。身を引いて、再び空色の瞳に涙を浮かべる。
「か、過言ですっ! 精霊術くらって何で直ぐに起き上がれるですかっ! 来んなですっきめーですっ死ねなのですっっ!!」
「ふふふ…… ティア…… 合体しましょう……!」
(……う、うわぁ……)
 双子の弟がドン引きした。
 彼の師は近年まれにみる気色悪さを誇っていた。普段から変態的な行動に慣れている者であっても後退りしてしまう程だった。
 一方で、姉は暗い顔でスッと立ち上がる。その表情は気持ち悪がっているというわけではなく、何かを我慢しているように見える。
 彼女は一歩を踏み出して、壁際に飾られている樫の木製の杖に手をかける。握り心地がよくて何かを殴るのにちょうどいい。
 ごと。
 そろりそろりと壁に沿って移動するセレネ。一歩、二歩と進み、ルーヴァンスの背後へと回り込んだ。
 そして――
「……ヴァン先生、ごめんなさいっ!」
 杖という名の鈍器がぶんっと勢いよく振り下ろされた。
 がんっ!
「はうっ」
 首筋に衝撃を受けて、ルーヴァンスが白目をむく。結構な強さの一撃だったようで、彼はあっさりと意識を手放した。
 セレネが凶器をごとりと床に置いて一息つき、額の汗を拭う。
「ふぅ。これでよし!」
 少女はとても満足そうだった。
 場の視線が加害者に集まる。
(意外と無茶をしやがるですね、このガキ。まあ助かったですけど……)
(んーと、いわゆる嫉妬かな……?)
 それぞれの感想を抱いて、精霊と人間が苦笑した。