二章:光と闇
〜魔化術〜

 セレネがすぅと息を吸い込み、キッと前方を見据える。
「皆さん! お集まりいただき感謝します! 今しばらく、そのままでお待ち下さい!」
 警邏隊員やイルハード正教会の信徒たち、その他、戦争経験者たちが大神殿前に集まっていた。
 その場で、ティアリスが腰に手を当てて立っている。つまらなそうな表情で、集った面々を値踏みするように睨み付けていた。
 リストールの町の精鋭たちを前にして、トリニテイル術の相棒を誰にするか選びかねているようにも見受けられたが……
(驚くほど、よさそうなのがいやがらねーですね。訓練次第で第三級術士との術を操れそうなのはいやがるですが、ワタシと組むには一億年ほどはえーですし……)
 瞑目して、小さく息をつく。
 隣に佇んでいたセレネが表情を曇らせる。
「……どうですか? アリスちゃん」
「……はずればっかでいやがります。他にはいねーのですか?」
 潜めた声で会話する少女と女児。
 彼女たちの隣には、ブルタス警邏隊長が引き締めた表情を浮かべて立っている。
「……隊の一部は町の中を警邏中だ。だが、剣だけ握って生きてきた奴らばかりだ。期待はできんだろうな」
「……剣士だろうと術士だろうと、素質さえありゃーいいのですけどね」
「……パドル神父と正教会信徒の数名も用事で席を外されてます」
 神に仕える者たちこそ、此度の役目には適任にも思えるが……
「……クソ神への信仰心がありゃーいいってもんでもねーです。っつーより、そーいう奴らはうっぜーので願い下げでいやがるですよ」
 吐いて捨てるように、精霊さまが言った。
 そして、深いため息をつく。
(っつーか、何よりも見た目がヴァン以上に好みの奴がいねーですよ。例え術士の素質がありやがったところで、これじゃーワタシのやる気が上がらねーじゃねーですか。つっまんねーですねー)
 本当に俗っぽい精霊さまである。
(まあ、いくら好みでも、あんな性犯罪者はゴメンでいやがるのです。仕方ねーですから、適当な奴を見繕うですかね……)
 最善でなくても、最良の選択は出来る。
 女児の視線が直ぐ隣に遷移した。
「んじゃ、セレネ。頼むです」
「……へ?」
 突然の依頼を受けてセレネは、何を言い出すのかと不得要領な表情を浮かべている。
 精霊さまがそのような人の子を嗤う。
「『へ』じゃねーですよ。てめーが今のとこ、トリニテイル術を扱う素質がヴァンの次にありやがるのです。利用するっつったじゃねーですか」
「えええぇえー!」
 確かに、ルーヴァンス宅へ向かう折にそのようなことを精霊さまがのたまっていた。
 しかし、それでもやはり、セレネにとってみれば青天の霹靂という感覚が強かった。混乱する頭を抱えて、うーんうーんとうなっている。
「……ったく、クソ虫どもがゴミみてーに集まっといて、結局、最初に見つけたクソガキが一番マシとかくだらねーですね」
 嘲笑を浮かべて精霊さまが呟いた。
 彼女の言葉を耳にして、ブルタス隊長が動揺を顔に浮かべてティアリスに詰め寄る。
「お、お待ちを、ティアリス様! セレネお嬢さんはアントニウス家のご息女。危ないことをさせるわけには――」
「クソ虫どものくだらねー事情なんて知らねーんですよ。黙ってろです」
 ビシッとブルタスを指さして、ティアリスが睨みを利かせる。
 見た目が女児の割に、不思議と凄みがある。
 そうしてから、彼女は正面を見据える。機嫌よさそうに、集った人間たちを見回す。
「では、てめーらは解散しやがってくださいです。無駄足ご苦労様ですよ。このクソ虫」
 ざわざわ。
 楽しげに紡がれた唐突な暴言を受けて、人々の間に不満の声が伝播する。
 市井のそのような声にはっと反応して、セレネがようやく苦悶地獄から帰還する。
 慌ててティアリスの腕を引き、ひそめた声で注意を促す。
「……ちょ、ちょっとアリスちゃん。もう少しお手柔らかにお願いします」
「めんどくせーです。役立たずは切って捨てるのがワタシの主義ですよ」
 いさぎよい態度だった。
「そんな、あえて敵を作らなくても……」
「敵になったところで、精霊術で瞬殺できる奴しかいねーから気にすんなです」
 精霊さまが肩を竦めて、世間話をするように虐殺の予告をした。
 冗談めかしてはいるが、極めて物騒である。
「……せめて『殺』はしないでくださいね」
 肩を落としてため息をつき、セレネが呟いた。
 すっ。
 ブルタスが一歩前に出た。顔には諦観の念が浮かんでいた。その表情を引き締める。集っている者たちを見回して、大きく息を吸う。
「皆、ご苦労だった! あとは精霊さまと我らに任せてくれ! 事件の早期解決を約束しよう!」
「ま。そこはワタシも確約してやりますよ」
 ティアリスが腕を組んで語る。
 そうしながら、上目遣いに町の空を見上げた。にやりと笑う。
「さっそく、鴨が葱しょってやって来やがったよーですし」
「きゃあああああぁあ!」
 ティアリスにつられて視線を上げたイルハード正教会信徒の女性が、悲鳴を上げた。
 つられて皆が天を見上げる。
「あ、悪魔……? いや、人……?」
 人々の視線の先で、男が漆黒の翼を大きく広げて羽ばたいていた。かの者の身体や表情は人のそれだったが、背に負うのはまさに悪魔の翼であった。
 バサッバサッ。
 羽音を立てて空を漂うモノは、どこか頼りなさげで虚ろな目をしている。
「……下級クソ悪魔の力を注入されたクソ虫みてーですね。今度は魔化術ですか」
 独白ののちに、精霊さまが舌打ちをする。
「ちっ。精霊術だけだとキビしいですね」
「な、何だ!? 黒い光が!」
 キィーン!
 鋭い音が町を駆け抜ける。呼応して、方々から闇が集った。闇は有翼の男へと吸い込まれていき、天にはあたかも太陽の如き黒の塊が生じた。
 絶望を強いる黒々とした光がリストールの町を照らした。