裏通りを駆けながら、ルーヴァンスが首だけで振り返る。銀の髪が揺れた。
「ヘリオスくん。急いでください」
「はぁ、はぁ。べ、別に急がなくていいじゃん、ルーせんせえ」
「何を仰っているのですか? 他の方がティアと合体したらどうするんです!? そんなことになったら……僕は死にます!」
「何で!? たぶんルーせんせえが考えてるようなことはしないよ! あと合体じゃなくて一体!」
騒がしい二人に対して、飲食店の勝手口や民家の窓から、迷惑そうな視線が集まる。
ざわっ。
彼らの視線が一斉に上へと向いた。
昼間にもかかわらず闇が一帯を満たしていた。陽が消え去ったかの如くであった。
「……へ? 何か暗くなった?」
「……これは!」
かっ。
驚愕に表情を歪め、ルーヴァンスが足を止めて辺りを見回す。
すると、勝手口に立つコックや窓辺に寄る市民から、黒い何かが流れ出でていた。
それらの黒は天を――天に浮かぶ黒翼の者を目指して逝く。
「なに、あれ? 人? 悪魔?」
(魔化術(まかじゅつ)か。戦場ならともかく、町中でとは穏やかでないな……)
「ルーせんせえ?」
黒天を睨み付けて舌打ちするルーヴァンスを、ヘリオスが訝しげに見る。
その間にも、天に浮かぶ者は黒を町中から集めている。
ソレはルーヴァンスやヘリオスの身からも溢れ出でた。
「うわっ! こ、この、人から出てる黒いの何なの!?」
「悪気(あっき)というモノですよ。まあ、僕は単に力と呼ぶべきと思いますがね」
神代の説話より、悪魔は現代悪魔学において、人に宿る悪い気――悪気が元となって生じたという。
しかし、古代悪魔学において悪気は、必ずしも悪いモノと考えられない。善悪にかかわらず、広義での『力』を示す。
それゆえに、悪魔は現代悪魔学で完全悪とされ、古代悪魔学では単なる力有る者とされる。力有る存在という意味では、悪魔は神と同視される場合もある。
「じゃ、じゃあ、悪気を集めるアレは――」
「悪魔――正確には魔人(まじん)ですね」
耳慣れない単語に、ヘリオスが首を傾げる。
「魔人って?」
「無理やりに悪気を注入された人間が魔人です。方々から悪気を集めているのは魔化術と呼ばれる、サタニテイル術ですね」
ヘリオスは回答中にまたもや不明な単語を見出す。
「魔化術って? それと、サタニテイル術って?」
再度の質問に、師は沈黙で応える。ここでこれ以上の講義をしている場合ではない。
彼は黙したまま駆け出した。
「る、ルーせんせえ!?」
ちなみに、魔化術というのは、ルーヴァンスの言葉にもある通り、悪気を集結させる術のことを言う。或いは魔界に居る悪魔の悪気――力を人間へと注入し、或いは人界に居る人間たちから力を吸い取り注入する。そうして、魔化術を行使する対象の者へと悪気を集中させて、あたかも悪魔のような力を与えることが可能となる。
今回の場合、虚ろな眼つきから判断するに、魔化術を施された人間の意識は儚く消え去り、主導権は完全に悪魔のものとなってしまっているようだ。
当然ながら、リストールの町を襲うことにためらいなどあるわけもなく、このままでは魔人による大虐殺が始まってしまう。
対抗するにはティアリスの精霊術か、ティアリスと協力してトリニテイル術とやらを行使するか、もしくは――
(ヘリオスくんだけならばともかく、ここでは不特定多数の目が多い。もっと人目のないところへ行かないと……)
元サタニテイル術士であるルーヴァンスが、十年ぶりにその力を発揮するかしかないだろう。
しかし、黒き天で魔人が脅威を放つなか、対抗するためとはいえルーヴァンスが術を扱えば、彼もまた魔の仲間と見なされても文句は言えない。
ルーヴァンスは衆目に晒されぬ地を目指す。
(アレは下級悪魔を元にした魔化術か。なら、下級悪魔との同化術(どうかじゅつ)で対抗できるはず…… 少量の血で簡易契約を――)
元サタニテイル術士が、走りながら懐からナイフを取り出す。
彼が裏通りを駆けている間も、黒天に力が集っていく。
「ちょ、せんせえ! どこに、はぁはぁ、行くのさ!」
ヘリオスが懸命に追いかけながら声をかけたその時――
ぱぁんッ!
破裂音が町中に響いた。
『っ!』
駆けていた二名が驚いて天を仰ぐ。
魔人が南の港へと堕ちていった。
そして、その後を追って、光の軌跡が天を翔る。
光の正体は――
「ティア!」
「セリィもいる!」
ばしゃあんッッ!!
リストール港にて、水しぶきが上がった。