二章:光と闇
〜闇の集結〜

 裏通りを駆けながら、ルーヴァンスが首だけで振り返る。銀の髪が揺れた。
「ヘリオスくん。急いでください」
「はぁ、はぁ。べ、別に急がなくていいじゃん、ルーせんせえ」
「何を仰っているのですか? 他の方がティアと合体したらどうするんです!? そんなことになったら……僕は死にます!」
「何で!? たぶんルーせんせえが考えてるようなことはしないよ! あと合体じゃなくて一体!」
 騒がしい二人に対して、飲食店の勝手口や民家の窓から、迷惑そうな視線が集まる。
 ざわっ。
 彼らの視線が一斉に上へと向いた。
 昼間にもかかわらず闇が一帯を満たしていた。陽が消え去ったかの如くであった。
「……へ? 何か暗くなった?」
「……これは!」
 かっ。
 驚愕に表情を歪め、ルーヴァンスが足を止めて辺りを見回す。
 すると、勝手口に立つコックや窓辺に寄る市民から、黒い何かが流れ出でていた。
 それらの黒は天を――天に浮かぶ黒翼の者を目指して逝く。
「なに、あれ? 人? 悪魔?」
(魔化術(まかじゅつ)か。戦場ならともかく、町中でとは穏やかでないな……)
「ルーせんせえ?」
 黒天を睨み付けて舌打ちするルーヴァンスを、ヘリオスが訝しげに見る。
 その間にも、天に浮かぶ者は黒を町中から集めている。
 ソレはルーヴァンスやヘリオスの身からも溢れ出でた。
「うわっ! こ、この、人から出てる黒いの何なの!?」
「悪気(あっき)というモノですよ。まあ、僕は単に力と呼ぶべきと思いますがね」
 神代の説話より、悪魔は現代悪魔学において、人に宿る悪い気――悪気が元となって生じたという。
 しかし、古代悪魔学において悪気は、必ずしも悪いモノと考えられない。善悪にかかわらず、広義での『力』を示す。
 それゆえに、悪魔は現代悪魔学で完全悪とされ、古代悪魔学では単なる力有る者とされる。力有る存在という意味では、悪魔は神と同視される場合もある。
「じゃ、じゃあ、悪気を集めるアレは――」
「悪魔――正確には魔人(まじん)ですね」
 耳慣れない単語に、ヘリオスが首を傾げる。
「魔人って?」
「無理やりに悪気を注入された人間が魔人です。方々から悪気を集めているのは魔化術と呼ばれる、サタニテイル術ですね」
 ヘリオスは回答中にまたもや不明な単語を見出す。
「魔化術って? それと、サタニテイル術って?」
 再度の質問に、師は沈黙で応える。ここでこれ以上の講義をしている場合ではない。
 彼は黙したまま駆け出した。
「る、ルーせんせえ!?」
 ちなみに、魔化術というのは、ルーヴァンスの言葉にもある通り、悪気を集結させる術のことを言う。或いは魔界に居る悪魔の悪気――力を人間へと注入し、或いは人界に居る人間たちから力を吸い取り注入する。そうして、魔化術を行使する対象の者へと悪気を集中させて、あたかも悪魔のような力を与えることが可能となる。
 今回の場合、虚ろな眼つきから判断するに、魔化術を施された人間の意識は儚く消え去り、主導権は完全に悪魔のものとなってしまっているようだ。
 当然ながら、リストールの町を襲うことにためらいなどあるわけもなく、このままでは魔人による大虐殺が始まってしまう。
 対抗するにはティアリスの精霊術か、ティアリスと協力してトリニテイル術とやらを行使するか、もしくは――
(ヘリオスくんだけならばともかく、ここでは不特定多数の目が多い。もっと人目のないところへ行かないと……)
 元サタニテイル術士であるルーヴァンスが、十年ぶりにその力を発揮するかしかないだろう。
 しかし、黒き天で魔人が脅威を放つなか、対抗するためとはいえルーヴァンスが術を扱えば、彼もまた魔の仲間と見なされても文句は言えない。
 ルーヴァンスは衆目に晒されぬ地を目指す。
(アレは下級悪魔を元にした魔化術か。なら、下級悪魔との同化術(どうかじゅつ)で対抗できるはず…… 少量の血で簡易契約を――)
 元サタニテイル術士が、走りながら懐からナイフを取り出す。
 彼が裏通りを駆けている間も、黒天に力が集っていく。
「ちょ、せんせえ! どこに、はぁはぁ、行くのさ!」
 ヘリオスが懸命に追いかけながら声をかけたその時――
 ぱぁんッ!
 破裂音が町中に響いた。
『っ!』
 駆けていた二名が驚いて天を仰ぐ。
 魔人が南の港へと堕ちていった。
 そして、その後を追って、光の軌跡が天を翔る。
 光の正体は――
「ティア!」
「セリィもいる!」
 ばしゃあんッッ!!
 リストール港にて、水しぶきが上がった。