四章:闇の先へ
〜かみさま〜

 十二年前、ロディール国の北方には貧しさばかりが目立つ寒村が在った。しかし、今は存在していない。
 北方のボルネア国が肥沃な大地を求めて軍を南下させた結果、国境近辺の小さな村々は人も物も搾取され、地獄と化していた。
「……ヴァ……にい……ちゃ……」
 火の手が上がる村の一画で、女児が血を流して倒れていた。虚ろな金の瞳は見知った銀髪の少年を見つめていた。
 鈴の音を想起させる可愛らしかった声音は掠れ、死の色に染まっていた。
「メイ……」
 少年が妹の名を呼んだ。
 しかし、彼の声は彼女の耳に届かない。既に視覚も聴覚も機能していなかった。
 割けた腹からは血が止め処なく流れ出し、大地を染めていた。
「……………かみ……………さま…………………………」
 村ではイルハード信仰が盛んだった。村の中心に在った小さな教会で、村民は皆熱心に礼拝していた。
 妹――メイファ=グレイもまた、幼いながらも父母や兄に連れられて、熱心に、あるいは、愚直に、祈っていた。
 それゆえに彼女は、最期の段にも彼の者に祈りを捧げた。救いを求めた。
 しかし、聞き届けられることは決して無かった。
 だらり。
 腕が下がった。無機物のように、只の物のように、落ちた。
 人が死んだ。
 悲鳴が聞こえた。怒声が聞こえた。油の匂いがした。血の匂いがした。
 抵抗因子となる男は殺された。
 慰み者として女は奪われた。
 役に立たない子供は殺された。
 家畜と食糧を奪われた。
 ボルネア軍はロディール国の首都アルデストリアへと向かい、ロアー大陸統一を目指していた。北の大地は豊かさに欠けるゆえ、南の大地を求めていた。
 ここはその通過点に過ぎない。侵略の第一歩。只の補給点だった。
 村にとっての最大の悲劇は、国の大願の第一歩でしかなかった。
 人界はいつもそうだった。
 神の創った世界って奴は何時でも何処でも糞ッタレだった。
 焔が白雲を、血が大地を、紅く紅く染めていた。
「……何が……神さまだよ……クソッ……!」
 唾棄すべき絶対者を呪い、崩れ落ちた。
『私が力を与えてやってもよいぞ、憐れな人よ』
 声が聞こえた。幼い声だった。
 それは恰も、死した妹が語っているかのようだった。
「メイ?」
『違う』
 否定。
「……なら、誰だ?」
『アルマース。悪魔だ』
 響く声の主は周りに居ない。頭の中に声が直接響いていた。
 その言を信じるのなら、彼、あるいは、彼女は、悪魔だという。
「……神は居ねぇのに……悪魔は居るのかよ……」
 少年が嗤った。
『神も居るぞ。しかし、奴は横着者だ』
 横着して悲劇を看過されては堪ったものではない。
 しかし、人界は過去も現在も未来もそう在る。
 なれば――
「……そうか。なら、お前でいい」
 少年は魔の手を取った。

 ロアー南北戦争の初期、ボルネア軍の第五小隊がとある寒村で消息を絶ったと記録にはあるが、その真相は定かになっていない。