五章:人の世の罪
〜女王と騎士〜

 ヘリオスを除くアントニウス家の面々とルーヴァンス、皆が朝食を終えた頃合い、警邏隊隊長ブルタス=ゴムズがアントニウス家を訪れた。よれよれの制服や無精ひげから、色濃い疲労の影が見受けられた。
 それでも隊長どのは、きびきびした動作で最敬礼をして話し出した。
「朝早くから失礼いたします、卿。ご報告がございます」
「うむ。では、私の部屋で聞こう」
 マルクァスがそう言って席を立った。
 かたっ。
 続けて、セレネもまた紅茶の淹れられたカップをテーブルに置き、腰を浮かせた。
「パ――お父さま。ボクも一緒にお話を伺ってもいいですか?」
「まあいいだろう。来るなと言ってもどうせ聞かぬだろう?」
「はい!」
 元気よく返事をして、彼女は隣に座っているルーヴァンスへと瞳を向けた。
「さあ、ヴァン先生もご一緒しましょう」
 期待に満ち満ちた瞳がそそがれた。
 ブルタスの報告にさほど興味を持っていなかったルーヴァンスだったが、そのように熱心な視線を向けられると無下にするのもはばかられた。
 ルーヴァンスは小さくため息をついてから、残っていた紅茶を一気に飲み干した。キラキラと輝く瞳を見返して、苦笑と共に重い腰を上げた。
「ルーちゃん」
 その時、セレネの母ミッシェルが、一人だけ腰を落ち着けて紅茶を口に運びつつ、おっとりとした口調でルーヴァンスを呼んだ。
 ルーちゃんことルーヴァンスは、少々の沈黙のあと、視線をミッシェルへと向けた。
「何でしょうか?」
「やんちゃしちゃダメよ。ね?」
 ミッシェルはティーカップを置き、ニコリと微笑んだ。
 笑顔が他者へと与える印象は柔らかい。しかし、その視線からは言葉以上の何かが、圧力のようなものが感じられた。
 二者間にほのかな緊張のかおりが漂った。
(……ママとヴァン先生って仲良かったっけ?)
 セレネはルーヴァンスとミッシェルが見つめ合う様子だけに注目し、不満げな表情を浮かべて考え込んだ。
 考えに考えて、一つの結論に至る。
(……ま、まさか……)
 少女は驚愕に瞳を見開いた。
(不倫!?)
 不穏な単語を思い浮かべ、青ざめた表情で立ち尽くした。
 想い人と母親が不道徳な関係にあるとなれば、なるほど思春期の少女としては絶望に顔色を悪くするのが道理というものだ。しかし、当然ながら彼女の妄想は事実ではなく、ミッシェルもルーヴァンスも睦言などささやかない。
 まったくもって無駄な心労を抱えていた。
 そのような娘には特に何も言わずに、ミッシェルはあっさりと紅茶を飲み下す作業に戻った。
 話は終わりのようだ。
 ルーヴァンスは嘆息してからスッと一礼した。仰せのままに、といったところだろう。
 セレネはやはり、あたかも女王と騎士のようなその様を不満げに見つめていたが、マルクァスがブルタスを伴って食堂を辞したことに気付き、頭をブンブンと振った。
 私事に頓着して重要な情報を取りこぼすわけにはいかない。
「では、ママ。失礼いたします」
 セレネは深く一礼してから、マルクァスの後を追った。
 ルーヴァンスもまた彼女に続いた。
 食堂には数名の使用人と、紅茶を優雅に口に運ぶミッシェル=アントニウスのみが残された。