五章:人の世の罪
〜アナベル=エイミス〜

 哀しいのか、辛いのか、はたまた、ただ構って欲しいだけなのか。幼い息子ボビー=エイミスは朝も昼も晩も泣いていた。母アナベルを頼って、いつでも泣いていた。
 アナベルは懸命にボビーをあやした。あやして、あやして、あやして、あやした。
 やはりボビーは絶え間なく泣いていた。泣いて、泣いて、泣いて、泣いていた。
 アナベルは何時でも家にいた。夫クリフォードが仕事で家を空けている時も、友が集まって遊んでいる時も、どんな時も家でボビーにかかりきりになっていた。自分を殺して、献身的に育児を続けた。
 けれど、ふと思った。
(ボビーが居なければ出来ることがどれだけあるんだろう。疎遠になっている友達と遊び歩くことが出来る。マルシャン国まで旅行に出掛けて観光や買い物にも興じられる。仕事に出てお金を稼ぐのもいいな)
 やりたいことが沢山あった。
(そういえば今月は家計が苦しい。ううん、今月だけじゃない。先月も先々月もだわ。クリフォードと二人だけだった時にはもう少し余裕があったのに…… そうか。ボビーが産まれたからだ。当然だわ。人が一人増えているんだから、かかるお金が増えるのも当たり前。ボビーの将来を見越して貯金額を増やしたから、その分も家計が圧迫されるんだ)
 毎月毎月、育児用品や食料品にお金がかかるようになった。そして、お金がなくなれば、その分できないことも増えてきた。
(お金だけじゃない。時間も足りなくなってる。誰のせいだろう。いったい誰のせいなんだろう)
「おぎゃああぁあっ! おぎゃああぁあっ!」
 ボビーが泣きだした。アナベルを頼って泣いた。悪意などなく母が恋しくて泣いた。
 感情を理解することは難しい。言葉を伴わないならばなおさらだった。ただ泣き叫ぶ相手の想いをどうやったら知ることが出来るというのか。
 ゆえに、アナベルは――
「そんなに私が嫌なの?」
「おぎゃあああぁあっ!」
 誤解を解く言葉を紡げなかった。
「そんなに私を困らせたいの?」
「おぎゃあああぁああぁあっ!」
 違うと伝えられなかった。
「そんなに…… そんなにも……!」
「おぎゃ――」
 泣き声が止んで、静かな時が流れた。
 一秒、二秒と過ぎて、一分、二分と過ぎて、ひょっとすれば一時間、二時間と過ぎて、ようやく小さな影と大きな影が離れた。
 泣き声が響くことはもうない。決してない。
 ボビーはもう泣くことができない。笑うこともできない。何もできない。
 そう成ってしまった。ただの物体に成ってしまった。
「あはっ。まずは何をしようかなぁ…… あはははははははははははははははっ!」
 ぽたり。
 嗤う人の頬を雫が伝った。