五章:人の世の罪
〜罪ある人々〜

 ブルタス=ゴムズは事件を顧みる。悪魔による被害と、そこに隠れた悲劇の符合を順々に追って行った。
「第一の被害者である漁師は例のシスター殺しの容疑者でしたが、証拠不十分で拘束にまでは至っておりません。しかし、警邏隊員としての勘ですが、彼は恐らく本星でした。態度や目つき、そういった全体の雰囲気が犯罪者のそれだったと、俺は考えています」
 大聖堂で奉仕していたシスターが殺されたのは、半月ほど前のことだった。南地区の裏路地で、無残に殴殺された遺体が発見された。遺体には強姦のあともあった。
 漁師は彼女に言い寄っていたが相手にされていなかったという。その上、シスター殺害時のアリバイもなかったのだが、その他の証拠も目撃証言も一切でてこず、結局のところ、証拠不十分で無罪と判断されてしまった。
「第二の被害者である女学生は、国営塾の同級生が不審死――毒の実を口にして死亡しており、その時に疑いをかけられていました。結局のところ、同級生の死を事故として処理しましたので、彼女を捕まえることもありませんでしたが……」
 かの女学生は国営塾でルーヴァンスの授業も受けていた。彼女の同級生が亡くなった折には、ルーヴァンスを始め塾講師一同、葬列に参加した。その時、学生の間で、誰々が彼女を殺したに違いない、という口さがない噂が流れていた。
 その噂が真実であれ、虚構であれ、『誰々』というのが、リストール猟奇悪魔事件の被害者なのだろうと予想された。
「第三の被害者である貴族は、事実、使用人を一人殺していました。使用人仲間が、主人が亡くなったことで心に留めていた不満を吐露し、発覚しました。使用人の少女の首を絞めて殺し、屋敷の地下に埋めたそうです……」
 少女の亡骸は現在、警邏隊員二名で掘り返している最中だ。屋敷の地下には、少女の遺体のみならず、歴代の当主が殺害した使用人たちの白骨がわんさと埋められているようで、掘れば掘るほどに憐れな魂が溢れ出で、屋敷は暗い雰囲気に包まれていた。
 悪魔の制裁を受けた貴族の罪は、掘り進めるほどに増えていくようだった。
「第四の被害者の主婦はおそらく、彼女自身の子供を殺しています。近所の人々の話では、この頃、幼い息子の姿を見ていなかったとのことでして…… 息子の姿を見なくなる少し前には、大きな泣き声と狂おしい笑い声が聞こえていた、と……」
 少なくとも、被害者宅に居るはずの幼子は、警邏隊員が訪問してみても町民の証言通りに姿が見えなかった。独り残された夫が何か知っているものと踏んで、現在、取り調べているところだという。
 別の警邏隊員が並行して庭先を掘り返しているため、彼の労が功を奏して子殺しの被害が発覚する可能性もある。
「最後に、塾講師は――」
「第五の被害者であるエクマン先生は、戦時中に大けがを負って動けなくなったご両親を殺害しています」
 ブルタスの言葉を遮って、ルーヴァンスが事実を開示した。
「放って置いても数日で亡くなっていたに違いないほどの重体だったと、楽にしてあげたかったと、酔って泣きながらお話してましたよ」
「……ああ。塾長もそう話していたよ」
 表情を暗くしたブルタスが、ため息をつきながら頷いた。
 全ての人殺しが罰を課されるべきとは、彼は考えていなかった。もちろん立場上、そのようなことは口が裂けても言えない。しかし、ブルタス=ゴムズ個人としては、そう考えていた。少なくとも、悪魔による惨殺という厳罰を与えられるべきではないと、そう信じて黙とうした。
 話を聞いたセレネは、ぎゅっと胸を押さえて言葉を失った。
 どのような罪であっても、罪は罪である。しかし、事情によってはきっと、そこに同情の余地はある。とりわけ、海洋学講師アルバート=エクマンの犯罪はその色が濃かった。彼以外の犯罪についても、ひょっとすればのっぴきならない事情がそれぞれにあったのかもしれない。そうでないのかもしれない。いずれにしても、少なくとも犯罪者だからといって無残に殺されることを是とはできない。やはりブルタスと同様に黙とうを捧げた。
 アントニウス家の娘が義憤にかられる中、父マルクァス=アントニウスは少しの沈黙の後に、冷静に言葉を紡いだ。
「では、犯人は悪魔の力を借りて罪人を粛正している、ということか?」
「恐らくは、そうなのでないかと推理しております」
 ブルタス=ゴムズ隊長が慎重な意見を口にした。調査の結果は結果として、実際のところは彼ら警邏隊に断言できることではなかった。
 犯人の想いは――事実は、犯人自身にしか断じられない。
「仮定の上で動くのは危険ですが、この仮定が正しいのであれば、卿のお屋敷で起こるだろう事件の被害者を特定できます。以上を踏まえた上で失礼なことをお伺いしますが……」
 アントニウス邸に人殺しが居るのか否か。ブルタスはそう訊ねていた。
 セレネは、流石に該当する人物は居ないだろうと、そのような考えを抱いた。しかし、人界がそのように甘く在る筈が無かった。
「まずは、私が該当する」
 まっさきに、アントニウス家当主のマルクァス=アントニウスが手を上げた。
「ぱ、パパ?」
 目を瞠って掠れた声を出したセレネへと向けて、マルクァスは感情を見せない無表情を徹底して言葉を返した。
「私は人を殺したことがある。それがただの事実だ」
「なるほど。では、卿に警護をつけましょう。他の方は?」
 娘が言葉を失っているなか、ブルタスはあっさりと受け入れた。
 父もまた娘の様子に頓着せず、問われたことに関して考え込んだ。
「セレネとヘリオスは除外してくれていい。ミッシェルは――念のため警護をして欲しい」
 妻ミッシェルについては何かしら思うところがあるらしい。寸の間考え込んでブルタスへと依頼した。
 一方、使用人ひとりひとりに関しては把握できていないようで、首を傾げた。
「だが、使用人の皆については断言できないな…… 任せてよいか?」
 マルクァスが素直に申し出て協力を仰いだ。
「承知いたしました。では、彼らにはこちらで聞き込みをしておきましょう」
 卿の発言は予想のうちだったようで、ブルタスはしたり顔で頷き胸を叩いた。
「すまないが、頼む。皆には全面的に協力するよう伝えておこう」
「助かります」
 そこで、淡々と進む確認作業に、セレネがようやく口を挟んだ。衝撃のあまり働かなくなっていた頭がやっと回り始めた。
「パパ! その、人を……って!?」
 その問いに、やはりマルクァスは感情をあらわにすることもなく冷静に応えた。
「そのままの意味だよ、セレネ。望んだ結果ではなかったが――いや、やめよう。これ以上の言葉を重ねても仕方が無い。事実だけを受け止めてくれ」
「受け止めてって……」
「受け止められなければそれでもいい。今は――ルーヴァンスくん」
 セレネからルーヴァンスへと、マルクァスの視線が遷移する。
「君も該当するね?」
「ええ」
「そ、そんな……!」
 師もまた人を殺めたことがあるという事実に、セレネがよろりとふらつく。
 しかし、マルクァスはともかくとして、ルーヴァンスが人を殺しているというのは、もっと早くに勘づいてもいい事実だろう。彼は先にも、サタニテイル術士の力で戦争を終わらせようとした、と口にしている。
「サタニテイル術士はそのために戦場にいましたから」
「……………」
「では、グレイくんもか。しかし君は自分でどうにか出来るかな? 警邏隊も人手が足りなくてね」
 昨日の夕刻に、彼とティアリスこそが町を危機から救ったのだから、護られずとも問題ないはずだ。
 事実その通りで、ルーヴァンスは微少と共に首肯した。
「そうですね。僕を警護するよりも町を警邏してください。パドルさんも見つかっていないのでしょう?」
「そうだな。悪いが、そうさせて貰おう。それでは卿。これで失礼。貴方と奥様の警護の件は、直ぐに手配いたします」
 丁寧に頭を下げてから、ブルタスは踵を返す。そして、最後にひと言だけ残していった。
「場合によっては、事件が落ち着いてから身柄を拘束させてもらうやもしれません。お覚悟を」
「ああ。承知した」
 ばたん。
 穏やかな様子で、マルクァスがブルタスを見送った。
「パパ……」
「ふむ。ブルタス隊長は、いざというときにあのように権力に屈さない姿勢が頼もしいな」
「パパ!」
 柳眉をつり上げ、セレネが怒鳴った。
 マルクァスはただ微笑んでいた。
「言葉を重ねる気はない、と私は言ったよ。セレネ」
「っ! パパの馬鹿!」
 たたたたたっ! ばたんっ!
 部屋からセレネが飛び出していった。
 彼女を見送って、親子の様子を見守っていたルーヴァンスが、嘆息した。
「事情があるのなら、それをお教えしてさしあげればよいでしょうに」
「どのような事情があろうと、正当化されるべき罪ではない。そうではないか?」
 マルクァスの問いかけに、ルーヴァンスは肩を竦めた。
「仰る通りですよ、指令――いえ、卿。ああ、まったく。耳が痛いですね」
 罪深き人の子たちは共に嘆息し、狭い天井を仰いだ。