六章:罪と罰の星
〜空ろな奇跡〜

「ていっ! やあっ!」
 ヘリオスがへっぴり腰で光の刃を振るったが、その斬撃がセレネへと届くことはなかった。
 弱冠十四歳の彼の剣の腕が未熟なのは元より、敵対している相手が双子の姉であるという点も、刃を思い切り振り抜けない一因であった。
 ひゅんっ。ひゅんっ。
 ヘリオスが当たらない斬撃を二度、三度とくりだし、頼りなさにて満ち満ちた光の軌跡を生み出した。横薙ぎの一撃も、袈裟懸けの一撃も、セレネが足捌きのみで避けきったため、彼女に届くことは無かった。
 魔に憑かれた者は、防衛から転じて攻撃に出た。腕に生み出した闇の剣を振るって牽制し、続けて、光の者が逃れた先の足元に魔弾を放った。
 双子の弟はしゃにむに跳んで闇の光弾を躱した。そのまま駆け出して、鈍重な動きで部屋の外へ逃げ出した。セレネとの間に壁を挟んでひと息ついてから、彼はぐいっと額の汗を拭った。
「さ、さすがセリィだ。手強いよ」
「うっせーです、ガキ。てめーが弱いんですよ、ガキ。役に立たねークソカス野郎ですね、ガキ。とっとと死んでわびやがれなのです、ガキ」
 精霊さまよりもたらされた悪口のオンパレードに、ヘリオスが肩を落とした。
「……い、言い過ぎじゃない?」
「気のせいですよ、クソガキ」
 どぉんッ!
 益のない口げんか――というよりも、一方的な言葉の暴力を遮って、爆音が響いた。
 セレネの部屋の壁が吹き飛んで、土煙が上がった。
 飛び交う木片から顔をかばいつつ、ティアが横に跳んだ。そのまま、ヘリオスの横っ面に跳び蹴りを食らわした。
 ひゅっ!
 床に口づけをする人の子の直ぐ隣を、鋭い音の波を伴って魔の風が吹き抜けた。
 魔風が廊下を駆け抜けて行った。
 ばぁんッ!
 鎧戸が粉砕し、破片が内外へと散乱した。
「うわっ! ……ちょ、ちょっとは手加減しろ、セリィ! 自分んちだろ!」
 光り輝く立派な武具を手にしながら逃げ惑いつつ、ヘリオスが叫んだ。
 折角手にしている神の楯を有効活用しないヘリオスに冷たい視線を向けてから、ティアリスは精霊の力を解放した。煌々壁(こうこうへき)という光の壁を生み出して、次々と襲い来る闇の弾丸や魔風を防いだ。
 そうしながら、精霊さまは人の子の不満に応えた。
「たぶん、手加減はしていやがりますよ。中途半端とはいえサタニテイル術の同化術ですから、その気になりゃーこの屋敷の一つや二つ、楽に吹っ飛ばせるに違いねーです。にもかかわらず、ワタシの煌々壁(こうこうへき)で防げるレベルの攻撃しかしやがらないんですからね」
 セレネは今、自分の欲に忠実になっている。逆に言えば、彼女の望まぬことは決して為さない。
 なれば、自宅や自室をなるべく壊したくないと願うのは道理だった。
(……ふん。これなら、トリニテイル術なしでもどうにかなりやがるですね)
 ティアリスが口の端を持ち上げて不敵に笑った。
 セレネは、埃や土塊が盛大に散乱する自宅の惨状を瞳に映し、肩を竦めた。面倒そうにため息をついて、右頬を右の手で包む。そして、悩ましげに独白した。
「嫌だなぁ。これじゃあ、お掃除が大変です。早くアリスちゃんを殺さないと……」
「こっちはこっちで大変なんですよ、セレネ。てめーのアホな恋愛脳に付き合ってる場合じゃねーんです。この変態好きの阿呆クソ虫」
 挑発するように言い放ってから、ティアリスが腕を壁へと向けた。
「第七精霊術『聖霊弾』!」
 どおおぉんッ!
 数発の光弾が放たれ、激しい爆発が起きた。廊下の壁、天井、床が大きく穿たれ、ちょっとした衝撃でヘリオスがいる辺りもまた倒壊しかねない状況へと陥った。
 魔に囚われたというセレネよりも、精霊たるティアリスの方がよっぽど破壊活動に勤しんでいた。彼女は破壊の結果の穴からぴょんっと飛び出した。
「第二精霊術『天翼』!」
 ばさっ。
 白翼を羽ばたかせて、黒髪の女児が天空へと一気にかけ昇った。遥か天上にて視線を下げて、大地へと円らな瞳を向けた。
 所々壊れてしまっている屋敷から、双子の視線が天を仰いでいた。一人は何やら言いたげにし、一人は憎しみのこもった瞳を携え、黒髪白翼の女児を見上げていた。
「はっ。糞ガキ共がうっぜー目で見ていやがるです。まったく…… 何だかめんどーになってきやがりましたし、手っ取り早くあいつらをまとめて精霊術でぶっ飛ばすのもいいですかねー」
 精霊さまはまるで悪魔のような言葉を吐き、それから、地を這う人間たちを嘲笑った。そして、ゆっくりと首を振った。白翼を羽ばたかせるのみで、それ以上に精霊の力を発現する様子は無かった。
 どうやら、言葉のままに力を放つ気はないようだった。
「魔翼(デヴィル・ウィング)!」
 セレネがティアリスを追って大空へと飛び出した。背に生える真っ黒な翼をはためかせて、中空を駆け上がった。
 ばさっ! ひゅっ!
 セレネは急激に速度を上げて目標を目指した。一瞬のうちにティアリスの元へと至った。
「漆黒の槍(ランス・オブ・ダークネス)!」
 力強い言葉に伴って、少女の腕に夜よりも深い闇が集い、鋭い突起と成った。その闇はどんどんと肥大化し、精霊を飲み込まんばかりに大きく変じた。
 その闇と共にセレネが空を昇った。そして、そのまま彼女自身が巨大な黒き槍と成った。
「はああぁあ! アリスちゃん、死んでくださいっ!」
 深き闇を纏ったセレネがティアリスへと迫った。黒刃が大気を切り裂いて侵攻し光を滅さんとした。
 白翼を背負った女児は、迫り来る魔槍を冷静に見つめた。
(ふぅん…… セレネはトリニテイル術士よりもサタニテイル術士の方が向いているようですね)
 精霊さまが軽く感心してみせてから妖しく笑った。そして、パチンと指を鳴らした。
「第十九精霊術『天扉(ゲート)』」
 ぴかッ!
 天上に眩い光が満ち満ちた。大きな扉が生じてゆっくりと開き始めた。
「今さら何をしようと――」
 ティアリスの動向には構わず、セレネが空を駆け上がった。闇が光を貫こうと迫った。
「アリスちゃんが消えれば、ヴァン先生はきっとボクを!」
「ったく」
 人の子の大音声を耳に入れて、精霊さまが嘆息した。闇と共に翔る少女を嘲笑った。
「馬鹿なクソ虫ですね。人界がそんな単純かっつー話ですよ」
 人界の想いは御しがたい。策を弄したとして、どれだけの気持ちが思いのままに動くか、精霊にも悪魔にも、それどころか神にも判ぜられるものではない。
 年若いながらも、人の身でそれを知らぬセレネではなかった。
 それでも、もしかしたらと、奇跡というものがあるならばと、彼女は力を与えてくれる闇と共に邁進し、光の御子を目指した。
「……ふぅ。世話のかかるガキですね」
 精霊さまがそう呟いた、その時――
『なっ!』
 双子が揃って声を上げた。
 姉の生み出した闇の刃が、天上の光の扉から出でた弟の喉元に突きつけられていた。
 家族を想う気持ちに、大切な者に生きていて欲しいという願いのままに、黒き槍の進撃が寸の間、止まった。セレネが身に纏う闇の気配すら希薄になった。
 その隙をついて――
「第十五精霊術『蓬雷電(ほうらいでん)』!」
「きゃああああああぁああ!」
 精霊さまの生み出した聖なる雷撃がセレネの身体を駆け抜けた。少女はふっと意識を失い、そのまま地上へと落ちていった。
「セリィ!」
「心配すんなです、クソガキ」
 びゅッ!
 ティアリスが白き翼をはためかせ、墜ちていく人の子を急速度で追った。
 そして、地にぶつかる直前でパシッと人の子の手を取った。
「まったく……」
 肩を竦めて息をつき、精霊さまが人の子を嘲った。
「本当に、世話のかかるクソ虫ですよ」
 ティアリスは、地上すれすれの高さに浮かび、左手でセレネを支え、右手でヘリオスという名の楯を、いわゆる人質を引き連れていた。しかし、右手のそれは、最早必要なものではない。重くて邪魔なだけの粗大ゴミだった。
 ぽいっ。
「ぐへ」
 人の子が地に落ちて、うめき声を上げた。
 精霊さまの御手が振り払われて、そのまま、重力に従順に、ヘリオスは顔から墜ちた。
 死を迎えるわけでも傷を負うわけでもなかったけれど、だからといって、闇を退けるための楯にされ、用済みとばかりに放り出され、不当な扱いを何度も受けるのは気持ちのいいものではなかった。一般的には正しき存在のはずの精霊さま――神の代行者にそのような扱いを受けたのならば尚更だった。
「オレ、正しいことって何なのか、もうわかんないや……」
 顔面を押さえて呻いているヘリオスを、ティアリスが存分に見下した。
「ワタシの役に立てて光栄でしょう? ガキ」
 精霊さまがにっこりと微笑むさまは、ヘリオスにとって悪魔の如きであった。