六章:罪と罰の星
〜パドル=マイクロトフ〜

 シュッ! がッ! ビシっ! ビシっ!
 所々が瓦解したアントニウス邸の大広間にて、魔の者より黒き弾丸が数発放たれたが、その全てが神の力を借り受けた者の手に納まっている光の刃によって弾かれ消えた。
 魔の波は直ぐさま狙いを変えて、命を奪うべき罪人を飲み込もうとするが――
「神楯(イルハーズ・ガード)!」
 イルハード神の力が、人界に降臨した精霊さまを経由して人へともたらされた。光の楯が術士の視線の先に出現した。光は意思を持つように肥大化して魔を退けた。
 光が闇に勝っていた。
 闇は侵攻を潜めた。
 ルーヴァンス=グレイは両手に光の剣を構えて、パドル=マイクロトフを牽制していた。
 対して、パドル神父は手中の闇をすぅと消し、小さく苦笑した。
「……やはり敵いませんか。私は祈ることしか知らぬものでして、力有る貴方にこうして阻まれてしまえば、目的を達するのはとても難しいでしょう」
「ご冗談を。より強力なサタニテイル術を使えばよいでしょう? 出来ぬわけではないはずです」
 そうすることで彼は昨夕、海上の精霊と人の子を襲った。
 パドルは悪魔と寸時同化し、強力な魔の一撃を放っていた。その時の闇色の光線の威力は、昨日の夕刻に町の上空を飛び回ったモノの力を優に超えていた
 それも当然だった。
 ルーヴァンスとティアリスのトリニテイル術にやぶれたモノは、サタニテイル術の魔化術を施されていた。魔化術は、喚び出した悪魔の力を人間に無理やり注ぎ込むためか、悪魔の意思こそが前面に出る。しかし、悪魔が持つ本来の力を全て引き出せないという欠点があった。
 一方で、サタニテイル術士自身が悪魔の力を取り込む場合、それは同化術と呼ばれる。同化術は人の意思をもって為されており、主が人で従が悪魔という、四界の理に即した本来あるべき主従関係を踏襲している。悪魔の持つ力を人が完全に引き出すことができるのだった。人間への負担が大きく、命が削られることも多々あるが、か弱き人が大きな力を得られる唯一といってもいい方法だった。
 そのような強き力を放てるに違いないパドルは、しかし、ふるふると首を振って、苦笑した。
「勝機はないでしょう」
 肩を竦めて、パドル神父は無信心者ルーヴァンスへと視線を向けた。
「貴方の噂は、私を利用している方――エグリグルの悪魔から聞き及んでいます。史上稀に見る最上のサタニテイル術士であった、と。その才覚は、精霊と――イルハード神と共に在っても発揮されているご様子。私は屹度、道半ばで捕らえられることでしょう」
 先の戦闘でもルーヴァンスは、充分すぎるほどの力を魅せていた。ティアリスが近くに居ないゆえにその力が大きく損なわれるのではないか、などという甘い期待は命取りとなるに違いなかった。
 魔を纏う神父パドル=マイクロトフは、戦うことを諦めて楽になったのか、微笑みすら浮かべていた。
「グレイさん」
「何ですか?」
 イルハード正教会の神父は、寂しそうに微笑んだ。
 その様子はまるで、見捨てられた子犬のようであった。
「彼女は私などよりも、そしてきっと、この世の誰よりも――我らが父を信じていた。イルハード神を愛していた。そしてそれはきっと、悲劇だった」
 彼の言葉を正確に理解できる者など、この場には居ない。それどころかきっと、この世のどこにも居はしない。それは彼だけのものであり、生まれた想いは彼らだけのものであり、彼らの間に紡がれた絆もまた、彼らにしか感じ得ないものであったのだから。
 そしてそれゆえに、彼は願った。
 願いは彼らに――悪魔に聞き入れられてしまった。パドルが、そして、彼の大切な者が信じ敬ったイルハードではなく、闇の存在に魅入られてしまった。
「信頼を、愛を、我らが父は裏切られた」
 きっと、それだけであれば、人は絶望しながらもすっぱりと諦められたのだ。神など居ないのだと諦めつつも、折り合いを付けて生きられたのだ。魔に魅入られようと、罪を犯そうと、何時の日か人界という悲劇を許すことが出来たのだ。
「なのになぜ今になって…… どうして貴方は今頃……」
 絶望の中で限定的にもたらされた救いは、彼にとって決して救いとはなり得ず、更なる闇を容赦なく与えた。人は闇に侵蝕され尽くした。
 パドルは肩を震わせて、佇んでいた。
 大聖堂では孤児や捨て子を何人も預かって育てていた。パドルが八歳の時に一人の赤子がその中に加わった。赤子はマリアと名付けられ、長じてからはシスターとして神に仕えるようになった。
 マリアはパドルを兄のように慕い、パドルはマリアを妹のように慈しんだ。
 けれど、マリアは殺された。無残な最期を迎えた。
 だからこそ、兄は哀しみを怒りへと転じた。闇を迎えた。そして願った。罪人よ滅べ、と。
 その結果、彼自身もまた幾つもの罪を重ねた。
 滅ぶべき罪人と成った。
「あははははははははははははははははッッ!!」
 罪人が高く高く嗤った。
 彼にはもう一つの願いが有った。罪人の滅亡などは副次的な願いでしか無かった。
 怒りゆえに滅びを願い、悲哀ゆえに救いを願った。
 人の求むる滅びも救いも、魔が請け負った。
 神はいずれにも応えなかった。
 そうであったのに――
「なぜなのです! イルハードよっ!」
 人の子は大音声で叫び、すぅと持ち上げた右腕に力を込めた。腕に濃い闇が収束し――
 ぶしゅっ!
 血煙が大広間を染めた。
 パドル=マイクロトフの四肢が千切れた。
 そして、最後に――
「……むっつ……め……」
 ぽとり。
 掠れた言葉を最期に残して赤毛の首が墜ちた。傷口からは罪深き血が止め処なく流れ出でた。六つ目の紅き頂点がリストールの町に刻まれた。
 遂に、愚かな願いを叶える紅き血の六芒星が完成した。