八章:予定調和
〜魔の上に立つモノ〜

 どおおぉんッッ!!
 荒れ地と化した町の中央に、シスター・マリア=アスビィルの生み出した紅黒い光が突き刺さった。幾度目になるか知れぬ破壊だった。建物は瓦礫と化し、瓦礫は粉塵と化し、粉塵は風に攫われて無と帰した。一帯には激しい土煙が立ち昇った。
 びゅッ!
 その土煙の中から、白き翼を携えた女児が飛び出して来た。向かう先は天空。人の子を大地に残したまま、彼女は紅き魔を睨め付けていた。
「む? 『魔の上に立つモノ(ドミナトゥル)』はどうした? 早々に戦いを投げ出すつもりかえ? トリニテイル術は人間と接触した状態の方が威力が上がるのではなかったかのぉ」
 いっそ残念そうに、悪魔が言の葉を吐き出した。
 精霊さまは翼をはためかせて空中で一回転してから、大きく舌打ちをした。
「てめー相手に全力なんて必要ねーっつー意思表示ですよ! わざわざ言わせんなです!」
 ティアリスが叫びつつ、輝く腕を悪魔に向けて突き出した。
「第七精霊術『聖霊弾(しょうれいだん)』!」
 光の弾丸が数百程放たれ、悪魔へと迫った。
 しかし、シスター・マリア=アスビィルがすぅっと腕を振ると、伴って黒い壁が形成され、その壁が光をあっさりと退けた。
「未熟とはいえ神の力が通じんというに、なぜ精霊如きの力が通じるなどと信じたのじゃ? あまりつまらぬことをせんでくれんかのぅ」
 悪魔が冷めた表情を浮かべた。その細き瞳が紅々とした光を放った。
「興ざめじゃ」
 ずんッ!
 紅黒い光が生じてティアリスを襲った。
「くっ」
 女児が呻いて白翼を操った。旋回して魔光を回避した。
 しかし、悪魔は二撃、三撃と紅光を生み出し、執拗に責め立てた。
「ははっ。すばっしこいのぅ。まるで羽虫のようじゃ」
「うっせーですっ! 覚えとけですよ、このクソ悪魔!」
 金切り声で暴言を飛ばしながら、ティアリスは悪魔の攻撃を危なげに避け続けた。
 その一方で――
 ごおおぉお!
 空気を焼きながら、炎弾が悪魔へと向かった。
 シスター・マリア=アスビィルは片手をティアリスへと向けたままで攻撃を継続し、もう片方の手を轟炎を迎え撃つために突き出した。
 ヴンっ!
 再び、黒き壁が出来上がった。
 どんッ!
 神の炎は魔へ至ることなく弾けた。伴い、爆発の煙が視界を覆った。
 そこに――
「神刀(イルハーズ・ブレイド)ッッ!!」
 光の刃を携えて、ルーヴァンスが突っ込んでいった。
 人の子の生み出した刃は、精霊さまとの接触無く為した術ゆえ、威力は弱かった。しかし、シスター・マリア=アスビィルが防ぐ暇(いとま)なく斬りつけることが出来れば、如何に力強き魔である『エグリグル』の悪魔とてダメージは避けられない。
 タタッッ!!
 ルーヴァンスは瞬く間すら与えずに紅へと至った。
 粉塵を抜けた光刃が闇の喉元を襲い――
「詰まらぬのぉ」
 キィン!
 しかし、即座に生じた黒き壁があっさりと光を止めた。
 シスター・マリア=アスビィルは紅き瞳を細めて嘆息し、言葉通り詰まらなそうに眉を潜めた。魔は地上のルーヴァンスと天上のティアリスに紅玉を向け、彼らを哀れむように見下していた。
「先程コソコソと話をしていたのはこの程度の策を弄するが為かえ? なれば、お主たちとこれ以上遊ぶ価値は――ぬっ!」
 がッッ!!
 突如、光の刃が闇の壁を突き抜けた。
 シスター・マリア=アスビィルは身体をひねって、想定外の一撃を何とか避けた。その為に、精霊への攻撃の手が止まった。
 ティアリスはその隙を見逃さず、光弾を放った。此度はたったの一発だった。ルーヴァンスがシスター・マリア=アスビィルの直ぐ側に居ることを考慮した上だろう。
 ばさァ!
 闇色の翼をその背に生み出して、シスター・マリア=アスビィルが上空に飛び上がった。そうして光弾の放射上から逃れた。
 ひゅッ!
 しかし、光は地面を穿つことなく、闇の跡を追って方向転換した。
「ちっ。面倒じゃな」
 シスター・マリア=アスビィルが独白しつつ、紅黒く彩られた防壁を生み出した。しかし、悪魔は急遽防壁を消して、数発の黒弾を放った。
 どんッ!
 唯一つの白光と数発の黒光がぶつかり合い、互いに爆散した。
 悪魔は黒翼を消して大地へと降り立った。
「……先程から力が足りぬ。人界へと雪(そそ)ぐ力の量は変えておらぬが、何故じゃ」
 あっさりと消え去った黒と自身の腕を交互に瞳へ映し、紅魔が眉を潜めた。深紅だった彼女の瞳は淡紅(とき)に変化していた。
 悪魔が先ほど防から攻へ転じたのは、形成した防壁の強度が想定外に弱く、光を相殺しきれないと判断した為だった。その黒き弾丸さえも、単一の光弾を相殺する為に数発を要した。
(術だけでは無い。此の人形(からだ)を動かす事すら覚束ぬ)
 訝る紅魔に息を吐かせる間を与えず、人の子が攻めた。両の手に神の刃を構えて駆け寄った。
 ルーヴァンスは袈裟懸けに右の刃を振り抜き、その勢いを殺さずに回転しつつ左の刃を突き出した。
 シスター・マリア=アスビィルは漆黒の衣服をはしたなくはためかせて、後退することで第一刃を、右に身体を沈めることで第二刃を避けた。
 紅魔のそういった回避行動は苦し紛れの果てにあった。彼女の重心は崩れ、次の行動へと移る余裕を残していなかった。
 人の子はそこへ追撃をかけた。右の手の刃を下方から掬い上げた。
「くッ!」
 小さな呻きと共に黒翼を背に抱き、シスター・マリア=アスビィルは天上へ逃れた。
 しかしそこには、白翼を有した精霊が居た。
「第十五精霊術『蓬雷電(ほうらいでん)』!!」
「ぐあッ!」
 ビリいぃイ!!
 白き雷が紅魔を襲った。
 平生であればどうということも無い一撃に、魔は痛みと屈辱を覚えて息を詰まらせた。脱力感に襲われていた。
 しかし、彼女に休んでいる暇など無かった。
 ティアリスは背の翼を消して、重力に逆らわずに大地へと落ちた。瞬間にルーヴァンスの背後へと降り立ち、彼の背に触れた。
 神界より御力が産まれ出で、人界に満ちた。
 力を得た人はソレを術と成した。
「神炎(イルハーズ・フレア)っっ!!」
 ごおおぉお!!
 轟炎が魔を呑み込まんと欲した。
「ちぃ!」
 余裕無き様子でシスター・マリア=アスビィルが両腕を突き出した。伴って、黒き障壁が生じた。
 しかし、闇の帳はあっさりと弾け、炎に呑まれた。
「がああああぁあ!!」
 紅魔が叫んだ。熱さに、痛みに、声を嗄らした。
 闇の住人は仰け反って苦しみに呻いた。白い喉を押さえて必死に耐えていた。
 そこで手を緩める程、精霊も人も慈悲深くは無かった。
 再び、神の加護が彼らを包んだ。光が力と成った。
「神刀(イルハーズ・ブレイド)っっっっっ!!!!!」
 力強き言葉に続いて、巨大な光刃が振り下ろされた。
 ずッ!
 光がすんなりと紅魔の左半身を引き裂いた。