八章:予定調和
〜エグリグルの悪魔〜

「ふむ。そう来るか」
 そこで、何故か攻撃を加えた当人であるシスター・マリア=アスビィルが、感心したように呟いた。
 暫くすると、視界を遮る爆煙が消え去った。
 天上には、白翼を携えた精霊さまを守るように、黒翼を背に負った少女が居た。
「アリスちゃん、ご無事ですか?」
「……セレネ?」
 ティアリスの眼前には華奢な背中があった。黒翼を有したその背中ごしに振り返った顔には表情が有り、瞳には健全な光が宿り、言葉には慈しみが含まれていた。先頃のように、少女が悪魔に魅入られてしまっている可能性は低かった。
 それでも、精霊さまは万が一に備えて身構えた。小さな身体には緊張が走り、手にビリリと電流を帯びさせた。
「あ、アリスちゃん! ボクはきちんと正気ですので精霊術はご勘弁ください!」
 慌てた様子でセレネが待ったをかけた。
 ティアリスは疑念を消し去った様子だったが、意地の悪い笑みを浮かべて身体に帯びた電流を強くした。
「悪魔にそう言わされていやがる可能性もあるですよね」
「ソレ、意地悪で言ってるでしょ!」
 正鵠を射た指摘に、精霊さまが舌を出した。しかし、巫山戯てばかりいられる状況ではないと、直ぐに表情を引き締めた。
「てめーに助けられるとは予想外です。あの紅いクソ以上に強力な悪魔と契約したっつーことですか?」
 セレネが気まずげに視線を逸らした。力の大小や現状については、彼女の認識の埒外に在った。少女は、想い人が心配だという感情の果てに駆けつけたに過ぎなかった。
「……えっと、どうなのでしょう? アルマースさん」
 人の子の疑問を受け、魔が言の葉を人界へと送った。
『否だ。現状の私はアスビィルと比して脆弱であり、お前と約したわけでも無い。精霊の認識は全て誤りだ』
「だそうです」
「何がです?」
 ティアリスが眉を潜めた。
 セレネもまた小首を傾げて訝った。
「何がって…… アルマースさんの話、聞いてました?」
「魔の言葉は悪魔(ウチら)と約す資質の有る者にしか聞こえぬぞ、人よ 。精霊も例外では無い」
 可笑しそうに口元を歪めて、シスター・マリア=アスビィルが言った。
 人界に降り立った紅色の魔は、攻撃の手を一旦止め、泰然自若と佇んでいた。紅き瞳はセレネを見据え、しかし、その向こうに居る旧友(アルマース)を幻視(み)ていた。
「ウチはお主に協力を仰いだ心積もりじゃったが、何故敵対するのかのう。アルマースよ」
『血六芒星(ブラッディ・ヘキサグラム)完成の為、精霊の足止めをするようにとの依頼は受けた。が、それ以上を頼まれた記憶は無い』
「冷たいのう」
 残念そうに呟いてから、紅魔はくつくつと笑った。
「まあ、それでこそ悪魔(ウチら)よな。そう在ることが貴様の本懐なのじゃろう?」
『そういうことだ。私は人を好いている。しかし、アスビィル。お前の本懐は人界の崩壊。こうして相対することは必然であり、幾度となく迎えた予定調和。畢竟、お前が私に精霊の足止めを託し、わざわざ私を巻き込んだのも、この刻の為であろう?』
 シスター・マリア=アスビィルが肩を竦めて見せた。アルマースの言っていることが分からないとでも言うように、頭を振った。しかし、彼女の紅き瞳は旧友の問を肯っていた。
「時に、アルマースよ」
 呼びかけてから、紅き魔は右手を上げて突如、黒き光を放った。
 黒光は瞬時に空を翔け――
 すぅ。
 セレネの腕が、彼女自身の意思と関係無く持ち上がり、黒き光を迎えた。光は右腕に吸い込まれて消え、伴って、セレネの中に多少の力が満ちた。
「防護では無く吸収、か。技巧に富みおって。ウチが本気を出せば吸収など能わぬぞ」
『知っている。だが、今はこうするより外に無い』
 魔界から齎される言の葉を解し、シスター・マリア=アスビィルがすぅっと紅玉を細めた。
「やはりお主、その人間と約しておらぬというのは真(まこと)のようじゃな。只の干渉のみでウチと相対するとは――ウチを舐めておるのか?」
 ざわり。
 悪魔たちの会話に耳を傾けていた人の子や精霊に、おぞ気が走った。
 大地に佇む紅魔からは、目視できる程に殺気が迸っていた。
 しかし、もう一方の魔は飄々とした様子で言葉を連ねた。
『お前と違い、備える刻が微少だったのだ。我侭を言うな。しかし、不満だと言うのならば、提案だ』
「何じゃ?」
 先ほどから一転、楽しむように口の端を上げ、シスター・マリア=アスビィルは尋ねた。
『時間をよこせ』