八章:予定調和
〜四界の在り方〜

『時間をよこせ』
 アルマースが、落ち着いた口調で案を提示した。
 それは馬鹿げた提案だった。敵対している相手に貴重な刻を与える者など、居るはずが無かった。
 しかし、アルマースには敵(とも)が肯うという確信が有った。
 アスビィルは、自身から魔を切り離して放逐した神を憎み、悪魔を生み出して魔界へ隔離した人を憎んでいた。人を斬り裂き、人界を壊し、四界を終焉へ迎えることこそが彼女の希みだった。そして、それと共に彼女は闘いを好んだ。血を渇望し、焔に見惚れ、強き者との逢瀬(ころしあい)に心を躍らせた。不利になろうとも、敗れる可能性があろうとも、彼女は強者を望んで生きてきたのだ。
 そのような彼女にとって、今のアルマースは、そして、ティアリスやルーヴァンスやセレネは、興味を惹かない圧倒的弱者(たいしょうがい)でしか無かった。
 故に、このまま楽に終わらせるよりは、幾ばくかの時を待って、愉しい殺し合いを望むに違いなかった。
「まあ、良かろう。手早くな」
 果たして、予想の通りに紅魔は敵(とも)の頼みを聞きいれた。墓標の一つに腰を下ろして、脚を組んだ。紅色のレースが編み込まれている裾から、白い肌が覗いた。
 バサっ。
 シスター・マリア=アスビィルが敵意を消すと直ぐに、白翼の女児と黒翼の少女は大地へと降り立った。
 ルーヴァンスが紅魔の動向に注意を払いつつ、彼女たちの元へと駆け寄った。
「ティア! セレネくん! アルマースも久しぶりですね!」
「ヴァン先生!」
 少女のみが嬉しそうに笑顔で変態を迎えた。
 一方、他二名は反応を示さず、それぞれ未来(さき)のことを考えていた。
 ティアリスは腕を組んで、不機嫌そうに言の葉を繰った。
「時間を稼いでどうしやがるです? セレネが正式にクソ悪魔その二と契約するですか?」
 アルマースはその問いにゆっくりと頭(かぶり)を振った。
『今のアスビィルを相手取るには、この町の人間を殺し尽くして血六芒星(ブラッディ・ヘキサグラム)を描くぐらいのことをしなければならない。それは私の望むところでは無い』
「――だそうですよ。アリスちゃん」
 悪魔の言にやや遅れて、人の子がまったく同じ内容を口にしていた。精霊さまには聞くことの出来ない声を、セレネが一々代弁した。そうして、精霊と悪魔の会話は成立していた。
 ティアリスは、寛いでいるシスター・マリア=アスビィルを瞳に映して眉を潜めた。
「ならどうするです? ヴァンがアンタと組めば――」
『それも駄目だ。ルーヴァンスとは約さん』
 魔が言い切った。
 話題の中心である人もまた、苦笑と共に首を横に振った。
「まあ確かに、こんなクソ野郎と組みたくはないでしょうが…… ワタシも勘弁して欲しいですし……」
『そういった理由では無い。確かに、十年前と比べて全く可愛げが無いのはアレだが、約さぬ理由とはなら無い』
 かつて共に歩んだ悪魔の言葉に次いで、人の子が肩を竦めて自嘲した。
「アルマースが言うには、僕は魔と歩まぬ方が良いそうです。唾棄すべき神の道を行けと、十年前に別れた時に忠告されました。何もせぬ役立たずのイルハードと共に在れとね」
『……ふぅ。相変わらずのようだな、ルーヴァンスよ。甲斐無き小僧だ』
 声だけでもアルマースの失望が窺えた。幼き声音は冷静さを帯び、未だ幼き心根の青年を説いた。
『貴様も精霊と共に在ることを選択した以上、神の奴は横着で怠惰なだけだと、絶望を愛しているわけでは無いのだということを理解した筈だ。何時までも捻くれたことばかり口にせず――』
「……相変わらず口煩いな」
 思わずといった調子でルーヴァンスが憎まれ口を叩いた。
 それを受け、魔より出でた声音に苛立たしげな気配が漂った。
『……いい加減にしろよ、小僧……!』
 びくッ!
 ルーヴァンスとセレネ。人の子二人が肩を震わせた。低く抑えた声が彼らの頭に冷たく響いた。
『人の世の悲劇は大概人のものだ。神に罪など無い。全てお前達がお前達自身で招いたことだ。しかし、お前達は何時だって勝手に絶望し、神を呪い、魔に縋る。神に甘えるな! 魔に甘えるな!』
 叱咤を耳に入れて人の子は眉を潜めた。
「……な、んだよ。何だよ、突然! 第一、イルハードに罪が無いわけあるかよ! あいつは何時だって俺たちを見捨ててのうのうとしているじゃないか!」
『神の奴が何故お前らの尻拭いをしなければならん! 本来、私達でさえもお前らに力を与える義務は無い! 人が始めた戦を終わらせるのならば、人は人の力でその全てを片付けるべきではないか! しかし、お前らは神の救済を望み、叶わなければ呪いを口にし、果ては私達を望む! そのような考えこそが甘えていると言っているのだ!』
「ぐっ!」
 魔の正論を受けて、人の子は言葉を詰まらせた。
 ルーヴァンスが家族を失った戦も、歴史の上で幾度となく繰り返された争いも、事の発端は人間だった。悪魔が人を惑わしたことが無いわけではなかった。それでも、その割合は極めて低かった。
 人界で、人間が、彼ら自身の意志で悲劇を生むのなら、何故に神や魔が力を与える必要が有るというのか。
「――というようなことをお話しされています」
 セレネの通訳を耳にし、精霊さまが詰まらなそうな表情を浮かべ、鼻で嗤った。
「ふん。クソ悪魔の言葉は正しいです。イルハードのクソ神は、クソ悪魔が事の端を発した場合だけ私達を人界へ送るです。人の力では御せぬ場合に限って、精霊は人界に神の力を雪ぐのです。そして、そうで無い場合、人界のことはクソ人間共に任せるですよ」
 精霊界における一般常識を口にしつつ、ティアリスは嘆息と共に肩を竦めた。下らない話に飽き飽きしたとでも言うように、ゆっくりと頭を振った。
 実際、下らない議論だった。神に罪が有るかなど、魔に罪が有るかなど、人に罪が有るかなど、まったくもってどうでも良いことだった。どのような場合であっても、絶望などというモノは存在し得ず、希望すらも存在し得ず、そこに在るのは只々事実のみだった。
 罪が生じたから如何ということも無く、罰が加えられたから如何ということも無い。或いは人が死んだという事実が有り、或いは人が産まれたという事実が有り、或いは国が滅びたという事実が有り、或いは国が栄えたという事実が有る。何時如何なる時であっても、四界は事実の積み重ねでしか無かった。
 誰が良い悪いなどと拘るのは何時だって愚かな人間だけだった。
 ゆえに、精霊だけでなく悪魔もまた、呆れた様子で人と魔の言い合いを眺めていたが、終には深い深いため息までをも吐いた。
「まったく…… いい加減にせぬか、お主ら。ウチは口喧嘩の為に時を与えた積もりは無いぞえ」
 紅魔(てき)が冷静な言の葉を投げかけた。
 人と魔は気まずげに舌打ちした。