九章:紅闇と白光の輪舞
〜潰えぬ紅夢〜

 土煙が漸う消え去った戦場で、ルーヴァンスもティアリスも、術を放った姿勢のままで居た。彼らは共に、紅魔が予想した通りの位置に居た。紅魔の前方だった所にルーヴァンスが、後方だった所にティアリスが、そして、紅魔とルーヴァンスの間だった所と、紅魔の真上だった所に光の扉が開いていた。
 神の力は、シスター・マリア=アスビィルが生成した闇の楯にぶつかる直前、精霊術で生み出された光の扉を通って、彼女の頭上へと降り注いだ。光刃は紅魔の血を、肉を、存在全てを、跡形も無く消し去り、それでとどまらずに、大地を抉った。
 新たに出来上がった窪地を見渡して、まずティアリスが、構えていた腕を下ろした。
「終わった……ですか?」
 彼女の呟きを耳に入れ、ルーヴァンスもまた、両の腕を下ろした。
「……ええ。終わった筈です」
 人の子は顔を顰め、眉根を寄せ、人界に齎された此度の悲しみを、苦々しく噛み締めていた。想いの果てが希望とは成り得ないことなど、彼は百も承知だった。何時だって人界はそう在った。同じことが繰り返されただけ、只それだけだった。
 しかし、例えそうだったとしても、胸には哀しみが満ち、全身を脱力感が襲った。
 それ故に、ルーヴァンス=グレイは、深く、本当に深く、吐息した。
「マリアさんには気の毒なことをしました。けれど、あの威力を防護(ガード)無しで受けたなら、いくら『エグリグル』の悪魔であるアスビィルとはいえど――」
『確かに危なかったのぅ』
「なッ!」
 突如、頭の中に響いた魔の声音を受けて、人の子が驚愕の声を上げた。忙しく、周辺を見渡した。
 一方で、悪魔の声を聞くことの能わない精霊は、訝しげに空色の瞳を細めた。
「どうしたですか、ヴァン?」
『ああ、精霊はウチの声が聞こえぬのじゃったな。まったく、面倒臭い』
 魔言が紡がれてのち、小さな球が窪地から顕れた。白の中に紅を携えたソレは、ふわふわと浮かんでいた。
 屍体(シスター・マリア)の眼球だった。
 紅玉からは、漸う、数筋の白き糸が生じた。糸は細かく絡み合い、繊維を形成していった。伴って、血肉が生じた。身体とは呼べない何かが、人の子と精霊の見ている先で出来上がっていった。口と喉と肺と、そこに付随する筋肉、そして、一つの目玉だけが、人の世の中空に漂った。
「これは……何です?」
「ナニとハごアイサつじゃナ」
 肉片(アスビィル)が、不満げな声らしき音を、口のようなものから発した。彼女は、自身の声音に戸惑ったように、寸の間黙り込み、それから、口だけで器用に嗤って見せた。
「ふフふッ。オウチャくすルものデはナイのゥ」
 眼球と口と喉と肺(アスビィル)がくつくつと笑った。そして、機嫌良さそうに、くりくりと目の玉を回した。
「やハリ、オマえタちはオモシろイ。しかシ、ざンネんじャ。そろソろしマイにせネバ、こタビのたワムレがおわッテしマウ」
 露出した二対の肺から、喉らしき管へと空気を送り込む。鮮やかな紅色の肉が付随した気道の動きで、空気の流れを音へと変換する。その結果として、聞き取り辛い言葉のようなものを吐き出すに至る。そうしてから、魔(アスビィル)は紅き力を集めた。
 彼女の異様な姿に呆けていた、ルーヴァンスとティアリスは、血肉(アスビィル)へと力が集い行くのを感じ取り、身構えた。人の子は神の刃と楯を生み出して構え、精霊は背に白翼を生じさせて飛び上がった。
 肉片(アスビィル)は精霊の動きを追って、ぐりんッと紅玉を天上へと向け、集めた力を操った。
 そのような悪魔の動向に対して、いち早く反応を示したのは、ルーヴァンスだった。彼は咄嗟に、背へと黒翼を生み出した。
「ティア!」
 ばさっ!
 ルーヴァンスは、急速度で天上へと向かい、そこに居たティアリスを庇うように、紅玉との間に飛び出た。
 同時に、紅き瞳(アスビィル)からは、漸う、紅黒き光が放たれた。
「シね」
 ずんッ!
 特に技巧を凝らしたわけでもない只の力が――紅と闇で染まった閃光が、人の世の空へと放たれた。