九章:紅闇と白光の輪舞
〜神と精霊と子と〜

「神閃(イルハーズ・スパーク)ッッ!!」
 人の子は、迫りくる悪夢を金の瞳に入れ、咄嗟に、現状で放つことが可能な最も強き力である、神の術を選択した。
 神から精霊へと与えられ、精霊から人へと与えられる光は、漸う力と成りて、紅闇の悪夢へと迫りゆく。
 ギイイィン!!
 紅き光と白き光がぶつかり、ルーヴァンスと血と肉の集合(アスビィル)との間で拮抗した。
「ほォ。うチのチカらデつばサを、いるハードノちかラでやイバをナすカエ。きヨウよなァ」
 アスビィルが可笑しそうに、おかしな響きの言葉を紡いだ。魔の上に立つ者(ドミナトゥル)に微量な力を横取りされたところで、彼女の態度にはまだまだ余裕があった。器が惨めな肉片に成ろうとも、人間が魔の力を奪おうとも、紅魔(アスビィル)の絶対的優位性は揺らがない。
 ぐぐぐ……ッ!
 地から放たれている紅黒き光が、少しずつ少しずつ、白き光を押し戻していった。
「ッち!」
 ティアリスが舌打ちし、目前に有る背中と黒翼を見つめた。そして、一度大きく頷いて決断した。
 彼女は、ルーヴァンスの腰に抱きついて、力を込めた。接触を密にすることで、多少はトリニテイル術の威力が増すことを見込んだが故だった。
 その甲斐あってか、押されていた白が黒を押し返し、再び、両の力が拮抗した。
 しかし――
「てぃてぃてぃ、ティアの無乳があたあたあた、当たって! ふおおぉおおッッ!!」
「て、てめーッ! こんなときにアホ言ってんじゃねーですッ!」
 ずんッ!
 紅玉から放たれた紅闇が、一瞬で、人の子と精霊より放たれた白光を、圧倒した。
 慌てて、愚者(ルーヴァンス)が闘いに集中し直した。
 ティアリスもまた、首を左右に振って、嫌悪感を吹き飛ばそうと試みた。
 ぐぐ……
 人の子と精霊の尽力の結果、黒の進撃はみたび止まった。しかし、白が押し返す様相は見せなかった。
 閃光の威力が減じたばかりではなく、紅闇の濃さが増していた。
(判ってはいたが、余力を残していたか……)
 ルーヴァンスが眉を潜めつつ、光刃を放つことに集中した。
 紅魔から生じる闇の力が、少しずつ少しずつ、強化されているようであった。人の子らの生み出す光をとどめるのみならず、ややともすると、ゆっくりとゆっくりと、押し返していた。
(このままだと――)
「……ヴァン。背中のソレ、消せです」
 焦燥を伴ったルーヴァンスの思考を、ティアリスの言葉が消し去った。
 のみならず、彼女は、人の背の黒翼をも消し去れと、そう言った。
「神閃(イルハーズ・スパーク)に集中しやがるですよ。ワタシの天翼があれば充分なんですから」
「……ですが、ティアの負担が」
 ルーヴァンスの言葉を耳にして、ティアリスは口の端を持ち上げて嗤った。
「はっ。てめーに心配される程、落ちぶれちゃいねーです。もっと光の存在を信じたらどうです? まあ、イルハードのクソ神を信じろなんて言わねーです。奴が信じるに値するかっつーと微妙ですし。だから――」
 精霊さまは人の子の背後に居た。故に、ルーヴァンスにティアリスの表情は、うかがえなかった。けれど、彼の黄金色の瞳には、彼女の笑顔が、大きく円らな空色の瞳が、華奢な背を流れるぬばたまの髪が、余すところなく映じていた。
「だから、ワタシを信じるです」
 ティアリスの言葉を耳に入れて、ルーヴァンスは小さく笑んだ。女児に好意的な言葉をかけられたが為では無かった。白魔(アルマース)の言葉通り、光と共に先へ進もう、そういう気持ちが生じている、そんな自分自身が何だか奇妙に感じたが為だった。
 かつて彼は、出身の村で、イルハード神を奉じて生きていた。しかし、その村が滅び、彼は救済を与えぬ神を、捨てた。
 ルーヴァンス=グレイは、今でも、神を信じるまでには至っていない。それでも、神の使いである精霊と共に歩む気は、起きた。その心境の変化は、散々説教を垂れて魔界へと戻った悪魔によるものか、彼の背に抱き着いて神の力を雪(そそ)ぐ精霊自身によるものか、はたまた、平和な時を刻んだ十年間と、その時間の中でかかわった者たち――国営塾の仕事仲間や、町の人々、セレネや、ヘリオスたちによるものか。
 国営塾の仲間――アルバート=エクマンは、魔の手にかかってこの世を去った。他にも、知人や友人が、此度の大々的な魔災で亡くなっている可能性は高い。ルーヴァンスは、皆の為に動くのが遅すぎた。けれど、今ここで全てを終わらせることができれば、少なくとも、今現在生きている人々を、救うことは出来る。
 神(ひかり)は救いにならないことがある。救いになることもある。アルマースの言う通り、只それだけのことで、今は――人界の救いと成り得るのだ。
 すぅ。
 人の子の背から、漸う、黒き翼が消え去った。
 光の全てを信じることは出来ない。それでも彼は、闇への依存心を消し去り、少なくとも、共にある精霊(ひかり)を信じた。
「ティア。僕には――光(きみ)が必要です」
「……ワタシは、てめーでも構わないってだけですけどね。出来れば他の奴がいいです、マジで」
 つれない言葉が、精霊の口から吐き出された。しかし、人の想いが消えることはなかった。
 その証左であるかのように、彼らから放たれる光がより一層輝きを増し、人界を照らした。