エピローグ
〜魔を統べる華〜

 半壊したアントニウス邸の執務室にて、マルクァス=アントニウス卿が認可の印を押す作業に追われていた。町を復旧させるための資材購入や人材確保など、色々と忙しくしなければいけないのが町を代表する貴族アントニウス卿のお仕事であった。
「ふぅ」
 彼は羽ペンを置いて一段落(いちだんらく)し、小さくため息をついた。
「おつかれさまですわぁ。マルクァス」
 ゆったりとした口調でねぎらわれ、マルクァスは小さく笑った。
「ミッシェルか」
「安心しましたわぁ。無罪放免のようでぇ」
 突然の言葉に、しかし、マルクァスは戸惑わない。
 彼女の言葉は、午前中の訪問者たちとの会談にかかるに違いない。
「ブルタス隊長も、思ったよりも甘いな。戦時中の罪ならば捕らえんと断ぜられてしまったよ。セレネも簡単に受け入れてくれたことだしな」
 ブルタス=ゴムズ警邏隊長は、マルクァス自身の口から戦時中の殺人の状況を聞き、あっさり無罪と断じた。軍の上官を手にかけたという負の側面よりも、罪のない村民を護ろうと体を張った正の側面に価値を見出した。
 セレネ=アントニウスは、突然、マルクァスの部屋を訪問し、事情を一切聞くこと無く、彼の罪を認めた。しかし、彼女は殺人という罪自体には、未だ抵抗があるようだった。それでも、マルクァスが罪を犯さなければどうなっていたかを想像し、散々考えた末に、マルクァスが当時に想ったことは正しかったのだと認めた。
 マルクァスとしては、捕らえられ罪に問われたり、執拗に責められたりした方が心の平静を保つ上でよいのだが、人界とはどうにもままならないものだった。
「セレネはあれでショックを受けているでしょうけれど、恐らくアルマースがフォローしてくださっていたのかとぉ。それに罪というなら、ルーちゃんもわたくしも――それどころか、きっと誰だってそうなのだものぉ。それでマルクァスだけ裁かれるなんて、わたくしが許しませんわよぉ」
 ミッシェル=アントニウスがにっこりと微笑むさまは、女神のそれのようであった。
 しかし、マルクァスは彼女が神の側でないことを――少なくとも、魔の力を扱う者だということを、よく知っていた。苦笑とともに、妻へと碧き瞳を向けた。
「許さない、か。今後、私が罪に問われたとして、あまり無茶はしてくれるなよ。術士隊第一隊長『魔を統べる華(ブラッディ・ローズ)』くん」
 ミッシェルが小首を傾げ、紅の瞳で夫を見返した。
「その呼び方は可愛くないので止めてくださいな、指揮官どの」
「おっと、失礼」
 かつて、ロディール国に勝利を与えた英雄と持て囃された者たちが、微笑みあった。