第2話『友を欲する者』01

 山頂に風が吹き荒れる。風は逆巻き、集い、一匹の竜と成った。
 竜はいななき、山道を登ってきた者達に鋭い眼光を向ける。その圧力のみで、討伐隊に参加していた幾名かの戦士は全身の血を凍りつかせ、永遠の眠りについた。
『愚かなる人の子よ。大人しく引き返すのであれば許そう。しかし、あくまでも我に向かってくるというのなら――』
 竜が人語を紡ぎ出し、警告を発した。
 それを受け、そして、既に言葉なき骸と化している者達を瞳に入れ、自称勇者達があとすさる。竜に背を向け、来た道を足早に下っていった。
 しかし、それでもその場に残る者がいた。彼の者の黒髪は逆立ち、天を突き刺さんばかりである。鋭い瞳、真一文字に引かれた唇は強い意志の証左であり、全身を覆う引き締まった肉体は嫌が応にも力強さを感じさせる。
『……おぬし、人にしておくには惜しいな』
「それでも、私は人だ。そしてそれゆえ、生きるためとはいえ人を食らう貴様を許すわけにはいかん」
 低い落ち着いた声で勇者が語った。
 竜は勇者に瞳を向け、笑う。高く高く、天を貫かんばかりに笑う。
『なるほど、それはそうであろう。我ら竜は家族を持たん。仲間を持たん。それでも識っている。それらがどのようなものであるか。貴様ら人が、それらをどれだけ大切にしているか』
 その言葉を耳にしながら、勇者は腰の大剣を抜き放つ。
『来るがよい、人よ。貴様の同胞を護りたいならば。その刃を我が血で汚すがよい。ただし――』
 そこまで口にし、竜は沈黙する。そして、力いっぱい息を吸い込む。
 一方で、勇者は剣を抜いたのとは逆の腕――右手に力を込める。大気を漂う精霊の気を集め、自然に逆らう因果律を生み出す。
 そして、光が山頂を照らした。
 竜の生み出す炎の息、勇者の生み出す魔法の光。双方が天を照らし、赤く染める。
『我も……易々と殉じる気などありはせぬがな』

 ほう……
 書物にしおりを挟んで、ぱたん、と閉じ、少女はため息をついた。黒髪を短く整え、白のシャツに身を包む少女。襟元には赤いリボンが結ばれている。その少女は窓の外に視線を向け、口を開く。
「あそこの山にも風竜が住んでいるのかしら……」
 彼女の視線の先には、とくべつ標高が高いわけでもない、近在の者ですら名を判じていない、日本のそこら中に溢れているありふれた山が在った。当然ながら、竜などいるはずがない。というよりも、そもそも竜など現実に存在し得ないわけだが……それを言ってしまったならばおしまいか。
 それはともかく、当の少女は夢見がちな瞳で山を見つめ、そこに竜の雄雄しき姿を妄想(み)ているようだ。
 その様子を、彼女同様に読書に精を出していた男子生徒が瞳に映す。彼は呆れたように息をつき、苦笑した。
 このような光景は常なるもの。青林府立八沢高等学校文芸部の部室でならば、毎日でもお目にかかれるものである。
「ねえ岬」
「何度も言いますけど、僕にファンタジー話ふられても判らないスからね、部長」
 少女に声をかけられると、男子生徒――岬俊耶が素早く言葉を返した。その視線は手元の文庫本に向かっている。背表紙に書かれている題名は『キリストの墓殺人事件』となっている。ミステリー小説のようだ。
 岬はここ、青林府立八沢高等学校の一年五組に所属している。少し長めの髪は茶に染められ、青の縁が目立つ眼鏡をかけている。夏の制服である白のシャツも襟元が大きく開けられており、文芸部の部員にしては派手な装いだ。
 一方で、話題を振る前に出鼻をくじかれた文芸部部長――速水尚子は、蒸し暑い気候の中においてもシャツを第一ボタンまできっちりととめており、真面目さが窺える。きちんと整えられた前髪をいじりながら――どうやら癖のようである――岬に鋭い視線を送る。
「それでも義理でちょっとくらいつきあってくれてもいいじゃないの! 君には先輩を敬う心というものはないの?」
 尚子は二年三組に在籍しているため、確かに岬の一年先輩である。
「部長のことは間違いなく敬ってますけど、だからこそ、お義理で話を聞く訳にはいきませんよ。部長だって、ファンタジーを熱く語り合える同志が相手の方がいいでしょう?」
 尋ねられると、尚子は、それはそうだけど、と呟いてから目つきを鋭くする。
「でも、うちはあたしと君だけなんだから仕方ないでしょ? というわけだから観念して――」
「映画のハリーポッターの話なら付き合えますけどね。そもそも、読んだことのない分野について語るなんて無理っス。悪いスけど」
 言い切られると、尚子も無理を言えない。元来、それほど強引な性格ではないのだ。特に、先輩風を吹かせるような行動は性に合わないのである。それゆえ、彼女としてはそこらが潮時であった。
 それでも、最後の悪あがきとばかりに岬に鋭い視線を送る。そうしてから、大きく伸びをした。
「んー! まったくもお! 可愛くない後輩と部員の増えない現状。新学期に入ったのにつまんない!」
 そのように声を荒げてから、尚子は視線を外へと向ける。
 先ほど彼女が目にしていた山の他に、街中であることを示す電線や電柱、そして近代家屋が軒を連ねている。また、当然学校らしくグラウンドも目に入る。下校する生徒は門へ向かうためにそこの脇を通る。それゆえ、帰宅部の生徒達が談笑しつつ帰っていく様も窺うことができた。
 それらの日常を瞳に入れつつ、尚子は立ち上がる。座っていた椅子とコンクリートの床が擦れ、それによりけたたましい騒音が響く。
「……久しぶりに部員勧誘してくる」
 そう口にして部室をあとにする文芸部部長。
 唯一の部員である岬俊耶はその様子を見送り、それから苦笑した。
「二学期に入ってから初、か。ご愁傷様です、富安先輩」

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