第4話『命を狙われる者』06

 クロードのことをただのアホと断定するのはまだ危険かもしれないが、あんな真顔で『ジャポネスケバン』とか口にする外国人が星選者を狙う刺客だと判断するのは中々に難しい。やはりアホと言われた方がしっくり来る。
 アホはあの後、天満舘先輩の元へ殴り込みに向かったらしい。この学校にジャポネスケバンがいるのだとすれば、なるほど、あの人ほど相応しい人物はいないだろう。
 天満舘先輩は既に星選者ではないと判断されたはずだ。ならば、その先輩にも喧嘩を売ろうとしているクロードは、昨日の襲撃者ではないと言えるのではないか。
「でも、それがブラフの可能性もあるわけでしょ? この学校のドン……っていうか、番長か。番長になるって宣言しておけば、運動神経が良かったり、喧嘩に強かったりする相手を調べていても違和感がなくなるし、やっぱり怪しいんじゃない?」
 まだ後輩の岬が来ていないのをいいことに、俺達は文芸部の部室でクロードが例の襲撃者か否かについて論争を続けていた。
 俺は今のところ、クロードはただのアホ説に一票を投じている。
 尚子はクロードは襲撃者で嫌な奴説に一票だそうだ。鵬塚がなじられた件をまだ許していないらしい。
 最後に鵬塚自身は、クロードとは親友になれる説に一票を入れている。こいつもアホだ。もう、アホしかいない。
「そもそも、昨日の今日でフランス人でしょ? 無関係と思うのは無理よ。金田一耕助が登場するまでもなく、あいつが真犯人よ」
「待て。襲撃者がフランス語を話したからフランス人の転校生が犯人、というのは、あまりにも安直すぎる。寧ろ、ミスリードを疑うべきだ。もっと意外な奴が真犯人なんじゃないか?」
「……み……すく……! ……い……り……!」
 鵬塚が尊敬のまなざしで俺の名推理を賞賛した。さもありなん。
 一方で、尚子は冷めた視線をこちらへ向けた。
「刑事ドラマの見過ぎでしょ。物語と現実の区別がつかなくなった若者とはあんたのことね」
「おい。正直、お前には言われたくねえ」
 本ばっか読んで、ゲームばっかして、脳みそがファンタジーになっているのは寧ろこいつだろう。
「ああ!? なんですって!?」
「んだぁ!? やるか!?」
「……んか……め……!」
 俺と尚子が睨み合うのを、鵬塚がマゴマゴとしながら止める光景は、文芸部室の日常となっている。ゆえに、部室に遅れてはせ参じた一年生の後輩、岬俊哉は、特に慌てた様子もなく、いつも通りに軽い挨拶を口にした。
「どもっス。ミステリの話スか。珍しいスね」
 先程の会話を少し聞かれていたらしい。星選者などのクリティカルな単語は口にしていなかったし、特に問題はないはずだ。
 実際、岬は不審がるでもなく、席に腰を下ろして瞳を輝かせた。
 普段の部室であれば、鵬塚と尚子がファンタジー話を交わしていることが多い。ゆえに、ミステリ好きの岬は大人しく本を読むだけの毎日だ。それが珍しく、俺達がミステリ話に花を咲かせていたとなれば、話に加わりたくて心を躍らせるのも分からなくはない。
「横溝正史、読んでるんスか? 渋いスね」
 ああ。そういえばさっき、金田一耕助の名前を出していたな。
「いや、そういうわけじゃない。古本屋で百円で売っていたミステリの話だ。家に忘れてきた上に、タイトルも作者も覚えてないんだが、話が佳境だっつーのに犯人がさっぱり分からない。それで、話の筋として一番怪しい奴が犯人かどうかってとこで、尚子と言い合っていたところだ」
 ということにしておけば、不自然さはなくなるだろう。
「うーん。話の筋で犯人を予想するのは、個人的には如何なものかと思うっすけど…… 富安先輩って、ドラマの残り時間が少ないかどうかで、その時に追い詰めている人が真犯人かどうか判断しちゃうタイプっスか? 駄目スよ、そんなの」
 ミステリ好きとしては、論理立てて推理して欲しいのだろう。気持ちは分かるが、正直、面倒臭い。まあ、ファンタジー話が絡んだ時の尚子の方がよっぽど面倒なので、岬の反応程度であれば可愛いものだ。
「泰司。何かムカつく顔してるから、後でジュースおごりなさい。真依とあたしに一本ずつ」
「ざけんな」
 鵬塚が再びマゴマゴし出したが、一方で、岬はやはり慣れたもので、機嫌良く持論を展開した。俺たちの推理の仕方に思うところがあるにしても、ミステリ話を誰かと出来ることが楽しいようだった。
「まあ、その状況なら、怪しい人物は十中八九シロかとは思うスけど、特に工夫もなくそのまま犯人ってこともなくはないスね。裏の裏をかくっていうパターンっス。そういう時は精緻なロジックで犯人を特定できるように書かれていてくれないと、流石に興ざめスよね」
 あまり気持ちは分からんが、楽しそうに話しているのだから水は差さずにおこう。
「あとは、別の犯人がいるかと思いきや、その後、二転三転して、最後にはやっぱり最初に怪しんだのが犯人っていうパターンもなくはないスよ。どんでん返しって程の驚きはないんスけど、騙された感は強いので読後が悔しいんスよね。ただ、まったく騙されなかったら騙されなかったで、他の人物を怪しんでいる間の話が退屈になっちゃうんで、上手く読者を誘導できないと駄作になってしまいがちなパターンっスね」
 ふむ。そうなると、クロードが例の襲撃者である可能性というのは、ミステリ観点ではそれなりにあり得る、と。
 勿論、ミステリ観点でどれだけ高確率であっても、何の意味もないのだが。
「でもやっぱり、物語の筋だけがしっかりしていて、解決への論理が無視されている作品はよくないス。娯楽小説であって論文ではないのだからストーリーラインありきが正道っていう意見は分からなくもないスけど、僕はあまり好きじゃないス。富安先輩が読んでいるのがそういうのなのかは分かんないスけど、もし、ロジックがテキトーなんっしたら言って下さい。次は僕のオススメをお貸しするス」
 おっと。後輩が一気に面倒な奴になった。文芸部室で尚子と同じ空気を吸って過ごした人間は、おしなべて面倒臭くなるらしい。
「泰司。ジュース追加」
 こいつは本当に心が読めるのではあるまいかと肝を冷やしつつ、これ以上の読心を防ぐために無表情を装う。
 コンコン。
 その時、部室の扉が軽くノックされた。この時期に入部希望でもないだろうが、どこの誰だろうか。
 岬が立ち上がって扉へと向かった。
「はいはーい。どなたっスかぁ?」
 がらりと音を立てて開けられた扉の向こうには、我が校の生徒会長がにこやかに佇んでいた。
「こんにちは。貴方は一年の岬俊耶くんだったわね?」
「は、はい。覚えていて頂けて光栄っス」
 無駄に大げさな返答を受け、天満舘先輩をおかしそうに笑った。鈴を転がしたような笑い声だった。
 彼女の後ろには常の如く諏訪先輩が控えており、やはり常の如く無表情だった。
「……に……は……」
 姿勢良く起立し、鵬塚が丁寧に頭を下げた。
 俺は軽く頭を下げるにとどめる。生徒会役員とはいっても、同じ生徒だ。最低限の礼儀で問題あるまい。
「どうかなさったんですか、会長」
 尚子は部長らしく来訪者を歓待している。本当に珍しく部長らしい。
 おっと。気をつけないとまた、顔に出ているといちゃもんをつけられてしまう。諏訪先輩を見習って、無表情を心がけよう。
「ちょっと部活参加型の企画が立ち上がってね。各部の部長さんにお知らせに回っているのよ」
 これまた急だな。そもそも、この人はいつ受験に専念するのだろうか。まあ、専念せずとも余裕で第一志望に合格しそうな気はするが。
 いや、そんなことはいい。襲撃者の件もあって、嫌でも面倒に巻き込まれそうなんだ。その上、妙な企画に参加する必要もあるまい。
 遠慮なく断れよ、尚子。
「あ、あの。会長。うちはちょっと、その、今いろいろと立て込んでいて……」
 部長殿も俺と認識を同じくしているようで、意味ありげな視線を天満舘会長へと向けている。
 先輩達もクロード――かは分からんが、フランス人の襲撃を受けた当人だ。こちらの意図を察してくれるだろうと期待したい。
 しかし、生徒会長は微笑みを絶やさずに、企画とやらへのお誘いも諦めなかった。
「まあまあ、そう言わないで。私と隼人が関わる最後の企画になるの。一緒に楽しみましょう。ね。お願い」
 天満舘先輩は両の手を合わせて、おねだりするように尚子にすり寄った。
 ふむ。是非とも、すり寄られる立ち位置にいたかった。
 いやいや、そんなことはいい。それよりも、一気に断りづらくなったのが悩ましい。ああ言われては、参加しないのはあまりにも不人情である。
 尚子もそのように考えたようで、あわあわと二の句を告げずにいる。やがて、諦めたように肩を落とした。
「わかりました。文芸部、参加します」
「ふふ。ありがとう。詳細はプリントを見てね。隼人」
「ああ」
 諏訪先輩がA4用紙を一枚、こちらへ差し出した。
 企画内容の把握は他の奴に任せよう。というか、企画への参加自体も丸投げしよう。どうせ、鵬塚などは頼まれずとも張り切るにきまっているしな。
「富安くん」
「へ?」
 天満舘会長から直々のお声がかかった。待ってくれ。俺はあまり関わりたくない。
「……なんすか?」
「今回の企画、二年の転入生クロード=ミシェル=ドラノエくん発信なの。同じ二年生として協力してあげてね。フランスから留学してきて不安も大きいでしょうし。お願いね」
 なるほど。昨日襲われたばかりというのに随分のんきだと感じたが、そういうことか。含みのあるお願いを受け、納得した。
「……ま。善処しますよ。それで、どんな企画なんすか?」
 直々に頼まれては無関心でいるわけにもいかない。概要くらいは聞いておこう。先程、諏訪先輩が渡したプリントを見ればいいのだろうが、どうせ目の前に情報を持っている人間がいるのだ。聞いた方が早い。天満舘先輩なら、ググれカスとは言わないだろう。
 事実、笑顔で答えてくれた。
「八沢高天下一武道大会よ」
『……は?』

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