清水寺の各所でクラスごとに一度集まった後、八沢高2年生は思い思いに散っていった。基本的には班行動をするように言われたが、毎年、仲の良いグループでまとまるのが慣例になっていた。運動部の奴らが先輩から伝授されていたし、キムティーなどは教師自ら暴露していた。また学年主任に叱られんぞ、あんた。
それはともかく、慣例として黙認されるのならば、心おきなく予定通りに文芸部で固まるとしよう。尚子はうざいが、鵬塚を放っておくのは心配だ。
「11時か。少し早いが飯にすっか」
天橋立駅に17時30分に着くには、15時過ぎに卿都駅を発車する特急に乗れば、乗り換えなく向かえるらしい。もしくは、13時過ぎに卿都駅を出れば、16時に天橋立駅に到着するため、1時間ほど向こうで観光することも出来る。いずれにせよ、とっとと飯を食って余裕ある行動を心掛けるのがいいだろう。
「まあ、そうね。真依は何が食べたい?」
「……バ……グ……」
「却下だ」
言下に拒絶してやると、鵬塚は悲しそうに瞳をうるませ、ぷるぷる震え出した。
お前な。昨日の昼から今日の朝まで、3食ハンバーグが出てきたというのに、まだ食いたいのか。正気か。
「ちょっとぉ!」
尚子がいきり立って胸ぐらを掴んできた。こいつも鵬塚兄ばりに甘いな。少しは親友殿の栄養の偏りを憂えてやれ。
「おめえら。何を騒いでやがる。そもそも、マイは何て言ってんだ?」
クロードはいまだに鵬塚の言葉に慣れないようで、聴き取れないことが多い。まあ、聴き取れる方がおかしいという意見もある。
「ハンバーグが食いたいんだとよ」
「は? まだ食い足りねえのか? オレは嫌だぞ。いい加減、飽きた。エイジが甘やかしすぎなんじゃねえのか?」
まともな感性の奴がいてくれて、俺は嬉しい。
「ハンバーグを食べる権利は誰にでもあるでしょ!」
否定はしないが、力いっぱい主張するようなことではあるまい。
「そもそも、あんま金使ってらんねえだろ。ファミレスでよくね? 頼みてえなら、鵬塚だけハンバーグ頼めばいいし」
「卿都まで来てファミレスってのもどうかと思うけど、あんまり無駄遣い出来ないのも確かね」
尚子が何やら悔しそうにしている。俺の意見が通るのが気に入らないのだろう。その生き方は疲れないか?
人生に倦みそうな女が、しかめっ面でスマホを操作し、数十秒で目的の店を発見したらしい。
「ちょっと歩くとサイジェリヤがあるみたい。真依、いい?」
「……ミ……ス……じ……て……!」
サイジェで興奮できるとは、何でも感動出来て、人生が楽しそうだな。こいつ。
まあ、これまで大変だったんだ。それくらいの楽しみがないと気の毒か。
「んじゃ、行くか。どっちだ?」
「えっと……まずは真っすぐがいいかな。川を渡ったら右よ」
分かりやすそうな道順で助かる。勝手知ったる八沢市ではないわけだからして、迷ったら目も当てられん。
流石は卿都と言うべきか、人通りが激しい。いつも通りにボケっと歩いていると、ぶつかってしまいそうだ。気をつけんとな。
「……め……さ……」
早速、鵬塚がサラリーマンにぶつかりそうになって、慌てて頭を下げている。サラリーマンは特に反応することもなく、足早に去っていった。
ふむ。都会らしい光景だな。
何やらまた、尚子が腹を立てているが、もう少し落ち着いて生きないと、胃に穴が空くぞ。まったく。まあ、多少気持ちは分かるが。
そうこうしていると、川が見えてきた。ん。ああ、これが鴨川か。そういや、内女さんが北の方に飛び石があるって言ってたな。
「なあ、尚子。飛び石までどんくらいだ?」
「は? 自分で検索したら?」
こいつ、マジで腹立つな。鵬塚に対する程じゃないにしても、もう少し俺にも優しさを示せんものか。ガラケーだと検索し辛いんだっつーの。
まあ、尚子に優しくされたらされたで、鳥肌もんだがな。
「……しゃ……け……し……な……と……く……よ……」
「お。そうか。んじゃ、行ってみね?」
コクコク。
ご賛同いただけたようで何よりだ。鵬塚が頷いたことで、尚子も異論はないようだ。残るはクロードだが……
「なら、ついでにヤサカジンジャにも行くとしよう。トビイシは卿阪鴨東線のデマチヤナギで降りれば直ぐだ。トビイシを見つつ一駅南下し、ジングウマルタチョウからヤサカジンジャの最寄り駅であるギオンシジョウまで電車で移動すればいい。どうだ?」
フランス人がスマホで検索するまでもなく、そらんじた。
「何というか、まあいいけどよ……」
「異様に詳しいわね」
「……ご……ね……ロ……く……!」
鴨川を通り過ぎて、予定通り右に曲がりつつ、金髪碧眼のフランス人をそれぞれ見つめる。ある者は呆れた様子で。ある者は賞賛の瞳で。
当然、俺は前者だ。尚子も例外ではない。鵬塚が唯一の後者で、感動したように瞳を輝かせている。
「ふん。この程度、常識だ。知らねえ方がおかしい」
んなことはないと思うが、まあ、何だ。楽しそうで何よりだ。
サイジェリヤを出たのは13時だった。まさか2時間も居座ることになるとは思わなかった。そう。俺たちは忘れていたのだ。鵬塚の食事速度を。
「お前、昨日の昼も夜も、よく食えたな」
「……つ……の……し……の……」
サイジェから出て祇園四条駅へ向かいながら、食事速度も残念なことになっている社会府適合者は、申し訳なさそうに項垂れつつ懺悔した。
まあ、それはそうか。今のような速度で食べていて、1時間もかけていなかった昨日の食事を乗り越えられたはずがない。当然、残していない道理はない。
前日に食事を残してしまった後ろめたさからか、鵬塚はすっかり気落ちしてしまった。多少気の毒ではあるが、まあ、好都合だ。初ファミレスでテンションが上がり気味だったからな。般若心経を流さずにローテンションになってくれるのならば、それに越したことはない。
「って!」
頭をはたかれた。犯人は馬鹿な幼馴染だった。
「何すんだ!」
「真依をいじめない!」
人聞きの悪いことをほざくアホだ。
「おい。飯で無駄に時間をかけたんだ。とっとと行くぞ」
アホとにらみ合っていると、苛ついた様子の金髪少年が苦情を上げた。ごもっともな意見に反駁するような余地はなかった。
鵬塚や尚子と共に、大人しくコクコクと頷き、歩を進める。
「そういや、クロード。八坂神社の最寄り駅って祇園四条なんだったか?」
「ああ。そうだ」
これから向かう駅こそが、祇園四条駅である。これすなわち、直ぐ近くに八坂神社があるということに他ならない。
「だったらまずは八坂神社でよくね? お前、飛び石より神社の方がいいだろ」
「……別に。オレは近くにあるからついでに行けばいいと思っただけだ」
明らかに嘘だろ。予習ばっちりだったじゃねえか。
クロードは建造物の細工に興味を覚えているだけのように見えるし、飛び石に細工も何もあったものではない気がする。なれば、当然の如く、川に敷かれている石なんかよりも、八坂神社に心惹かれているに違いない。
そのような当然の推理を、素直さをお母さんのお腹の中に置いてきたような男と議論していても時間の無駄なのは明白だ。
「そうなん? まあでも、近いとこから行った方がいいだろ。どっち行けばいいんだ?」
それらしい理屈で話を打っ遣った。
飛び石こそ、内女さんが話題に上げていたから行ってみるか、という思い付きに近い気持ちで口に出したに過ぎないのだ。万が一、飛び石で時間を使い過ぎてしまい、八坂神社を観て回る時間が無くなってしまっては、予習までしてきた仏人に申し訳ない。奴が八坂神社で興奮を抑えられず、想定外の時間がかかるようであれば、その時は飛び石は行かないという選択もできる。
「このでけえ道を真っすぐ行けば着く」
「ああ。確かに、遠目に鳥居みたいなんがあるな」
「ある? 見えないわよ」
微かに見えるだけだしな。読書ばかりで目の老化が進行している女には見えんかもしれん。
「むかつく顔してるけど、殴っていい?」
「いいわけがあるか」
むかつくだけで殴っていいなら警察はいらん。卿都府警本部が割と近くにあるらしいし、駆け込んでやろうか。
「……で……え……ら……る……?」
「やめろ」
マジでやめろ。飛んで上から見る程の事ではない。どうせ歩いていけばそのうち見える。天津照に怒られる案件をこれ以上増やすな。
再び、頭をはたかれた。確認するまでもない。犯人は1人しかいない。
「何すんだ、尚子!」
「だから、言い方!」
何かとテンションが上がりがちな修学旅行中は、ぞんざいな態度で軽いショックを敢えて与えてテンションを上げ過ぎないようにするという、対鵬塚の高度な作戦を何故に理解せぬのか。
今テキトーに考えただけだが。
「おい。行くと決めたなら、とっとと行くぞ。喧嘩すんのは構わねえが、歩け」
至極ごもっともだ。
先ほど同様、他2名と共に、大人しくコクコクと頷き、歩き始めた。
ああ、そうだ。鵬塚兄を忘れていた。そろそろ電話がつながるだろうか。
歩きながら電話帳の中のシスコン総理を選択し、通話ボタンを押してからケータイを耳に当てる。コール音が2度、3度と続き、応答がないまま、やはり10度、20度と鳴り続けた。
「出ねえな。なあ、鵬塚」
妹が不思議そうにこちらを見た。
「永治さんに連絡取れるか?」
鵬塚は小首を傾げ、上着のポケットからスマホを取り出した。画面を数度タップし、やはり耳に当てた。コール音が続くが、やはり、通話がつながることはなかった。
あのシスコンが妹からの電話にも出ないとなると、本気で忙しい状況下にあるのかもしれんな。
「RINE、送っといてくれ」
コクコク。
ガラケーの俺には縁遠いが、RINEというやつなら、既読かどうかが分かるという。仮に既読にならないなら、相当忙しいのだろう。いつもの様子からは、どんな時でも暇な奴という印象しかないが、鵬塚兄も一応総理大臣らしいからな。多忙な時もあるのかもしれない。たぶん、もしかしたら、万が一、な。
お。あれが八坂神社か。クロードがソワソワし始めたな。ついでに鵬塚もテンション高めになった。
般若心経の出番がないよう、親友殿に適度なショックを与える作戦を継続するとしよう。
約1時間後、八坂神社を観終えた俺らは、祇園四条駅から神宮丸太町駅へ電車で移動し、飛び石を渡っていた。やはり似たり寄ったりな考え方になるようで、八沢高生の姿をちらほら見かけた。他の学校の修学旅行生らしき奴らもいた。よほどマイナーな場所でも訪れないことには、こうなるのは当然ではあるか。
「規則的に並んだ石を飛んで、何が楽しいんだ? ジャポネはよく分からねえな」
フランス人がのたまった。安心してくれ。俺もよく分からん。少なくとも、特に楽しくはない。
まあ、楽しいか楽しくないか、という類のものではないのだろう。
「そんなこと言ったら、八坂神社だって別に楽しいわけではないでしょ」
「各所の凝った細工を眺めるのは楽しいじゃねえか。何言ってやがる、ショーコ」
なるほど、よく分からん。
「神社ってそんな博物館みたいな楽しみ方をするとこじゃないと思うわよ。そもそも神様にお祈りしたりとか……」
「神なぞいねえよ」
金髪碧眼少年が、にべもなく言い切った。
バテレン教徒かと思いきや、そうでもないらしい。現代っ子らしく無神論者のようだ。
「……つ……り……は……?」
「おい、タイジ。マイは何て言っていやがる」
長い脚で大股に進みながら、クロードが尋ねた。
「天津照はどうなんだっつってる」
「ああ。天津か。国津もだが、あくまで奴らは、力を得ただけの人間だ。神じゃねえ。神なんつーのは、何もない中で突然生じ、大地や人――世界を創造したような野郎を指すだろう。天津や国津、力を有する奴らは皆、創造したわけじゃねえ。まず世界があって、それから奴らが生まれる。寧ろ、創造される側だ。だから、神じゃねえさ。勿論、神をどう定義するかにも依るだろうがな」
そういうもんかね。
鵬塚が感心したようにコクコクと頷き、ぺちぺちと数度、手を叩いた。話がファンタジーめいていたためか、尚子も感嘆していた。
「タイジ。そういや、エイジとは連絡が取れたのか?」
くだらない話はこれまでだと言わんばかりに、クロードはしかめ面で全く違う話をし始めた。
神について語るなぞ、周りの視線が痛いので、その判断には強く賛同する。
「かけてみる。鵬塚もRINE確認してくれ」
コクコク。
飛び石を渡り終えて川べりを歩みつつ、俺らはガラケーとスマホを取り出した。
さて……
「やっぱ出ねえな。そっちは?」
フルフル。
RINEすら既読にならないらしい。
まあ、出ないものは仕方がない。
「履歴見たらかけなおしてくるだろ。それより、後はどうする? 天橋立行きの電車に乗るにしても、あと1時間くらいあるだろ」
「本屋さんへ行きましょう」
勢いよく挙手し、尚子が提案した。
「そんなん、青林に帰ってから行けよ」
当然の意見を口にしたら、勢いよく頭をはたかれた。
「卿都よ! 都会よ! 地元じゃ置いていないような本があるに違いないわ! 文芸部としては外せない観光スポットよ!」
またもや、鵬塚がコクコク頷き、拍手した。しかし、俺やクロードは、感嘆したりはしなかった。
「あほか」
「ショーコは変な奴だな」
二人仲良くはたかれた。
天橋立行きの特急はしだて7号に乗って、もうすぐ2時間になる。自由席が混んでいたため、俺とクロードは1人で座り、鵬塚と尚子が2人掛けの席に座っている。2時間もだべるような気はなかったので、好都合ではある。
移動の間、何度かケータイの着信欄を見たが、鵬塚兄からの着信は終ぞなかった。試しにショートメールを送ってみても、連絡はなしのつぶてであった。RINEが既読になったらメールで教えてくれ、と頼んでおいた鵬塚からのメールも来なかった。
いくらなんでも連絡が取れなさすぎじゃないか? 若干、心配になってきた。
車内にメロディーが流れ、続いて、男性乗務員の声で案内放送が流れる。
「次は、天橋立。天橋立。お降りになりますお客様は、お忘れ物のないようお気をつけ下さい」
ようやく着いたか。普段の生活で電車なぞ乗らんから、少し疲れた。ある意味、学んだな。
とにかく、鵬塚兄の心配は後にしよう。相手はあれでも成人男性だ。過剰な心配は不要だろう、と思いたい。
少なくとも、鵬塚に悟られると、今度はあいつのテンションが下がりすぎて困る事態に陥りかねない。あれでブラコン気味でもあるからな。あいつが今の状況を心配しだしたら、何か言い訳を考えて安心させてやる必要もあろう。めんどくさいが、めんどくさがってもいられない。せっかくの修学旅行に影を落とすのは、シスコン兄貴も避けたいところだろう。
何があったかしらんが早めに連絡をよこせ、とショートメールを送信し、ケータイを閉じた。
ちらほらと席を立ち始めた乗客に倣って、立ち上がり、網棚の上のカバンを下ろす。ふと窓の外を見やると、住宅と住宅の間からたゆたう水が目に入った。暗くなり始めた空を映じた海は、不安感をあおるような漆黒色に染まっていた。