失明したかと錯覚するような闇の中、空には暗闇をさ迷う者を導く真円が在る。
私はその救いの輝きを見つめ、それから腕でからだを抱いた。夜風が冷たかった。
「ふう」
満月が輝く夜に幽霊退治とは…… 風情があるのかないのか。
「なに溜め息ついてやがる。辛気くせぇ」
闇の中から低音の声が響いた。ジュネスである。
「私は君と違ってまともなものでね。殺人鬼が徘徊しているともなれば恐怖のひとつも覚えるわけなのだよ」
声を震わしつつ応えると、ジュネスのやつは馬鹿にしたように鼻で笑った。文句のひとつも言いたいところだが、あまり騒いでもまずいか……
私は声を潜め、文句の代わりに最後の抵抗を試みる。
「時にジュネス。なぜ私がこのような格好をせねばならないのだ。寒くて仕方がないのだが」
特に足元が。
「デルタをおびき寄せるには、お前がその格好をするのがてっとり早いんだよ。誰かが襲われるまで張り込むなんざ面倒だろ」
「そ、それはそうだが……」
屈辱の極みだぞ。スカートを履くだなんて。
「そうふくれるな。なかなか似合ってるぜ」
「それが誉め言葉になると思っているのなら、君は一度病院へ行くべきだ」
言い切ってやると、ジュネスは肩をすくめ、意地悪く笑った。そうしてから、こちらに対して目配せをした。
作戦開始の合図だ。このあとの作戦は作戦で拒否したいのだが、それでは事件が解決しない。なぜそうしなければいけないのかは分からない。しかし、ジュネスがそうしろと言うのなら正しいプロセスなのだろう。
彼の判断が間違ったことなど、私が知る限りない。
私達は一旦わかれ、別々に歩き始めた。月明かりの中をゆっくり進む。先にあるT字路をジュネスは左に曲がり、私は右に曲がった。
この左右の道はしばらく進むと合流している。つまり必然的に――
「やあ、お兄さん」
私は道の合流地点で佇んでいたジュネスに声をかけた。そして、彼の腕に軽く触れる。
「こんなところでどうしたんだ? 暇なら私の家にでも来ないか?」
笑顔で言葉を紡ぐように努めたが、流石に耐え難いものがあり眉をしかめる。
ジュネスもまた、苦虫を噛み潰したような顔をしているが、こちらは予定通りである。とはいえあの表情には、女言葉を使えよとか、嫌そうな顔してんじゃねぇといったような不満も込められていそうだがね。
「おや。行くのか? つれないな」
私に背を向け去っていくジュネスを目にしながら、私は肩をすくめた。そして、彼が少し先の十字路を左に曲がるのを確認してから、深く息を吐いた。
このあと私に課されているのは、ゆっくりと辺りをうろつくことである。所謂、囮だろう。
さて……
かっ。かっ。かっ。
私の足音だけが辺りにこだまする。
正直なところ、かなり怖い。ジュネスがいるのだから滅多なことなど起きないのはわかっている。しかし、だからといって恐怖心を完全に抑えられるかといえば、そんなことはあるまい。
とはいっても、怖がって立ち止まっているわけにはいかない。まずは、ジュネスが左に曲がった十字路をまっすぐ進む。この先には、以前女給がデルタに殺された現場がある。
犯人は現場に舞い戻るというし、今回もそういうことがあるかも知れ……な……
奥の空間に何かがいる。周りの闇に紛れ、より深く暗い闇がいる。
私はデルタが処刑される前に一度彼を見ている。筋肉質で長身。頭髪はボサボサで髭も伸ばし放題。野性動物のような身なりをし、加えて目付きも野生の肉食獣を思わせた。
あのような恐ろしい男、そうそう忘れられるものではない。ゆえに間違いない。私の目の前にいるのは――幽霊。
かちゃ。
デルタがシミターを構えた。彼は愛用のそれで、かつてあった戦ではなかなかの手柄を立てていたという。
武勲も得たらしいが、それがなんになる。今や殺人鬼だ。私を……殺す……