冬の足音が聞こえ始めたある日の宵、私は自室にて原稿をまとめていた。古代竜を退治してから二日しか経っていないが、貧乏暇無しとはよく言ったもので、仕事をしなければ住まいも食事もままならない。いま書いているのは、近年に台頭し始めた宗教団体についての記事である。
その宗教団体は、いわゆる淫祠邪教と呼ばれるものであり、正当修道会が定める五つの戒めを全て破るよう推奨している。当然ながら、正当修道会を真実の神の教えとしている現王制において、光の下を歩める団体ではない。名をウヴルム教団。古代語の『Wvnlm』が元になっているという。『Wvnlm』は現在の言葉では、悪魔。ウヴルム教団は悪魔を崇拝して、欲望のままに生きることを推奨する宗教団体なのだ。
私が普段ジュネスの活躍などをまとめ上げて掲載している雑誌にて、次の号でウヴルム教団の特集を組むことになったらしい。世話になっている身としては、執筆の依頼を断れるはずもない。
しかしながらこの教団、あまりに情報が少ない。本部の場所が秘匿されているのは元より、噂レベルの話でさえも中々集まらない。私もツテを頼りに頼って、ようやく二頁程度の情報が集まったくらいだ。
「……ふぅ。情報が足りないにも程がある」
私が担当させて貰うのは十頁である。題材が題材だけに、多少は真実から逸れていたとしても構わない、と言われてはいるが、このままでは八割を想像という名の嘘で埋めることになってしまう。現状の情報を十頁に膨らませるにしても、あまりに内容の薄い原稿が出来上がることとなってしまう。それは、曲がりなりにも文章で糊口をしのいでいる身としての誇りが許さない。
「どうしたものか」
思わず零してしまう。先程からため息しか出てこない。
まあ、こうして悩んでいても仕方が無い。そろそろ夕食の時間だ。自炊をするようなスキルも道具もない身となれば、当然、近所の食堂の世話になるのが常だ。懐に余裕があれば酒に興じるのもたまにはいい。懐を探る。
じゃら。
……酒はまた今度だな。ふぅ。
「いらっしゃいませー!」
戸を押し開けると、銀皿亭の看板娘ルーゼ・ラクシャの明るい声が響いた。常に違わず元気の良い子である。
「あら、カリムさん。三日ぶり。ちゃんと食べてるの?」
「心配ありがとう、ルーゼ。死なない程度には食べているよ」
情けないかな、それが事実だ。給金が定期的に貰える立場でない私のような人間は、一日二日飲まず食わずで過ごすことも多い。
「もぉ。うちならちょっとはツケもオッケーだからさ。ご飯は毎日食べなよ」
嘆息して忠告してくれるルーゼ嬢。彼女はこのあいだ十五歳になったばかりである。そのような年若い少女にこのように言われるとは、我ながら情けない。
メニューから定食を適当に頼んで、私は端の席に腰を下ろす。銀皿亭は近隣の食堂の中では値段が安いことで有名なのだ。勿論、味もそれなりではあるが、客層は私と似通った低賃金層ばかりゆえ、舌が肥えているわけもなし。不満が漏れることなど皆無である。そもそも、大抵は酒があれば文句はでない。
「ルーゼちゃあん! こっちにも葡萄酒ぅ!」
「はいはーい!」
「ルーゼ、結婚してくれぇ!」
「また今度ね」
あとはルーゼが居ればいい、という奴も多いな。まあ、相手は十五歳。本気で口説いている奴は居ないだろうが……
っと、銀皿亭の客層に関して考察している場合ではなかった。私がここに来たのは、まず腹ごしらえのためというが一つ。そして二つ目に、情報収集という目的がある。
「はい、カリムさん。サーケ魚のムニエル定食。お酒はいらないの?」
「ああ、今日は結構。ところでルーゼ。私が来ていない三日のうちで、何か変わったことはなかったかな?」
尋ねると、ルーゼは可愛らしく小首を傾げて考え込んだ。
「変わったこと、ねぇ…… あ、そうだ!」
ぽん、と手を打ち、ルーゼが明るい声を出した。彼女自身から有益な情報を得られることは少ないが、彼女は変わった客の動向にめざとい。そのような客を捕まえて話を聞くと、しばしば面白い話にぶち当たるものだ。
そして、例に漏れず本日も、ルーゼは風変わりな客の話を私に教えてくれた。
「昨日だったと思うけど、珍しく品の良いお客さんが来てたよ。カリムさんもここの客の中では異色の小綺麗さだけど、あの人は何て言うか、そもそも身分から違いそうだったなぁ。しかも若くて金髪碧眼。流石に声が1オクターブ上がっちゃった」
舌を小さく出してはにかんでみせるルーゼ。年の割にしっかりしている彼女だが、こういうときは年相応に見える。
ふむ。しかし、その人物はいったい何なのだろうな。この場末の食堂には、無精ひげを生やした中年男性やら、私のような本当の貧乏人しかやってこないのが常だ。そこへやってきた身分の高そうな人物。そのような人種は、目的もなく貧乏食堂になど来ないだろう。
からんからん。
「いらっしゃいませー! ……あ、すっごいタイミング」
軽く頬を染めたルーゼの言葉を耳にして、私は戸口に瞳を向ける。そこには、先程ルーゼが話していた人相の者が佇んでいた。その者はこちらへ瞳を向け――なんだ?
かつかつかつ。
純白の鎧に身を包んだ金髪碧眼の男が、迷いなく歩を進めて私の目の前までやって来た。
「カリム・ログタイム殿ですね?」
「……そうですが?」
訝しげに応えると、男はかしずいた。
「僕の名はルーエン・ミッドガルド。グラディアス国王陛下に仕える神聖騎士団の一員です。どうか僕に貴方のお力、そして、偉大なる魔法使いジュネス・ガリオン殿のお力をお貸し頂きたい」