低級とはいえ悪魔。当然ながら、ゾンビやグールなどとは格が違うらしい。先程はあっさりと死者を昇天させたルーエン殿の剣技も、悪魔にはおいそれと効きはしないようだ。
とはいえ、それでもさすがは神聖騎士といったところか、ルーエン殿の実力の方が悪魔のそれよりも勝っているらしい。当初は均衡していた戦いの行方も、時間が経つごとに変わっていった。ルーエン殿の一太刀、二太刀が悪魔の黒き体を傷つけていく。
神聖なる力を宿した騎士の剣は、悪魔には毒のようで、悪魔の動きはどんどんと鈍くなっていく。一方で、ルーエン殿の動きは鈍る様子がない。普段の訓練の賜物だろう。
「はあぁあ!」
気合いの一閃が暗闇に煌めき、悪魔の背にある羽が切り取られた。魔の者は苦しそうに叫んで、滅茶苦茶に腕を振り回す。しかし、手練れであるルーエン殿にそのような攻撃が通じるわけがない。ルーエン殿は冷静に悪魔の爪を避けて更にロングソードを振るった。
悪魔の体が真っ二つに裂けて、断末魔を上げる間もなく消え去った。
「……凄い!」
「いえ。知能の低い相手で助かりました。中級悪魔になってくると知能も高く、騎士団長でも手こずると聞きます。僕などでは太刀打ちできなかったでしょう」
私の賞賛を受けて、ルーエン殿は苦笑と共に首を振った。何とも新鮮な反応だ。これがジュネスであれば、このくらいは当然だとでも言うように小馬鹿にした視線をこちらへ向け、憎まれ口の一つや二つや三つを叩く。それに比べて彼の謙虚な姿勢たるや、感動ものである。
「とにかく移動しましょう。早くリオ――囚われた娘を探さなければ。ジュネス殿にも探して頂いているとはいえ、任せっぱなしにもしておけません」
確かにその通りだ。ジュネスであれば、この洞穴を見つけることなどたやすいだろうが、中々に規模が大きいと思われるこの空間。いくら彼でもたった一人でそうそう簡単には探り当てられぬだろう。
我々は頷きあい、深き闇に包まれた通路を歩み始めた。
ハァハァ。
ルーエン殿が息を切らせて壁にもたれている。
あれから三十匹近くのゾンビやグール、そして、五匹の低級悪魔が私たちの前に立ちはだかったのだ。狭い洞穴の中ゆえ、さすがに一度に襲い来るのは数匹のみであったが、それでも何度も何度も襲撃されては堪らない。
特に、戦えるのがルーエン殿だけというのが痛い。自分の無力さがうらめしい。
「ルーエン殿。少し休みましょう」
「……いえ。のんびりしている暇はありません。それに、こうして邪の者が数多いるのも、リオがこの先に居るためのように思えます」
何度も深呼吸をしたあと、彼は真剣な表情で言った。呼吸は整ったようだが、顔に疲労の色が濃い。当たり前だが、万全の体調とは言えないらしい。
リオというのは行方不明の貴族の娘だろう。所々で名を呼び捨てにしているが、個人的に付き合いのある相手なのだろうか。ひょっとすれば恋人という可能性もある。そうであれば、リオさんを助け出すのみでは大団円とはいえない。是が非でもルーエン殿には無事でいて貰わなければなるまい。
「しかし、貴方が倒れてしまっては元も子もない」
「まだ大丈夫ですよ」
ルーエン殿がにこりと微笑んでみせる。しかし、その表情を目にしても安心など出来なかった。明らかに無理が見える。
更に説得を試みようと口を開きかけた――その時のことだった。
ひゅッ!
視界の端で何かが動いた。それと同時に、ルーエン殿の顔がこわばり、彼は私を突き飛ばした。
「っ」
地面に尻餅をついて、声にならない声を上げる。手にしていたカンテラも取り落としてしまった。地面に明かりがカラカラと転がる。その下からの光が、ルーエン殿の足と、もう一人の足を照らし出した。
いや、もう一人というのは語弊がある。正確にはもう一匹と呼ぶべき相手だった。
がしゃんッッ!!
派手な音と共に、地面に転がっていたカンテラが踏みつぶされた。踏みつけたのは漆黒の大きな足だった。私の――いや、どちらかといえば、ルーエン殿の視界を奪うのが目的だろう。
「ルーエン殿ッ!」
「避難してください、カリム殿! 攻撃にこれまでの単調さがないッ! 中級悪魔だッ!」
キィン! キィン!
暗闇の中においても、ルーエン殿は悪魔の爪による攻勢を防いでいるよう。心許ない視界のなか、ロングソードと爪のかち合う音が響き渡る。
「Ortsg!」
ピカァっ。
ルーエン殿の言葉に伴って、地下の空間を光が照らした。彼も魔法が使えるらしい。しかし、攻撃のためではなく、ただ単に光を生み出すものだったようだ。天井近くに薄暗い明かりを生み出したのみで、悪魔にダメージを与えた様子はない。
とは言っても、その有用性は疑うべくもないだろう。視界が安定したというのは、騎士たるルーエン殿にとって最大の利である。
「はあ!」
大きな剣が連続で鋭く突き出される。そして、時には横薙ぎ、時には袈裟懸けと、目覚ましいバリエーションで攻撃を繰り返す。
しかし、ルーエン殿の攻撃は全て悪魔にいなされていた。
悪魔の動きは、これまでの低級悪魔とは全く異なっているようだ。低級悪魔たちはその場その場で苦し紛れに、本能の赴くままに攻撃を避けていた風があった。
一方で、ルーエン殿が中級悪魔だと評した今の相手からは、ルーエン殿の攻撃の二手、三手先を読んで、自分が不利にならない未来を取捨択一しているような印象を受ける。心持ち表情すらも違うように見え、どこか知性的だ。
更に、悪魔は防戦一方というわけでなく、随所随所でルーエン殿の体に爪で傷をつけていた。ひとつひとつは小さな傷であるが、その傷からは当然血が流れ出ている。血液は体の隅々まで活力を運ぶ、いわば生命線のようなものだ。その活力の供給が少しずつとはいえ絶たれているとなると……
「ルーエン殿!」
「逃げて下さい! リオを……頼みます!」
未来を照らす光が、陰り始めた。