悪魔 wvnlm 01

 ディズドア山脈は、グラディアス王国の東方に広がる険しい山々から成る。人類では太刀打ちできない強靱なモンスターや動植物が生息している。火山帯には炎竜が、深い湖には水竜をはじめ巨大な水棲生物が、空には翼竜やグリフィン、巨大鳥などがはびこっている。当然ながら、人の住まう地ではない。
 しかし、イーヴェラ・パスクライムさんが居を構えているのは、まさにこのディズドア山脈だという。私、カリム・ログタイムと、ジュネス・ガリオンは、首都グラドーからはるばる彼女を訪ねて、魔境の地へとやってきた。
 ぐああああああああぁあああああぁあ!
 咆吼が山々の間を駆け抜ける。突如、私たちの目の前に降り立ったのは、炎竜だった。獣は鋭い牙が生え揃った口を大きく開き、いっきに焔を吐き出す――はずだった。
「Uilavm Hmldhglin」
 我が友ジュネスの小さな呟きに伴って、地熱により暑苦しくなっている空間に猛吹雪が生じた。冷えた空気は炎竜を襲う。
 炎竜は敵意をそがれたようで、口を閉じて大地に降り立つ。尻尾を振ってジュネスの前にかしずいた。少し可愛くも見える。
『やっほ、ジュネス。久しぶりね。相変わらず強いじゃない』
「よお。ミッシェル。ババアはいるか?」
 ……喋った。竜とは話の出来る種族だったのか。
 衝撃の事実に固まっていると、ミッシェルと呼ばれた炎竜はこちらへ敵意のこもった瞳を向けた。
『なに、この女。ジュネスとどういう関係?』
 女と呼ばれるのは心外だが、心はともかく体は女性のそれだ。鼻の利く動物からすれば見た目をいかに男のようにしても、なるほど私は女なのだろう。
「別に。ただの知り合いだ」
 ジュネスはあっさりそう言って、歩みを進める。その後を追う私とミッシェルさん。
『知り合い、ねぇ。あ、そうそう。ヴェラちゃんに用だっけ? 今なら湖の方でわんちゃんと釣りしてるとこだよ』
「サンキュ。じゃあそっち行ってみるわ」
 ひらひらと手を振り、ジュネスは迷いない足取りで右に折れた。そちらへ湖があるのだろう。
 私も方向転換して彼を追う。
 バッサバッサ。
『で。あんた何なの? あたしのジュネスにちょっかい出すの止めてくんない?』
 ミッシェルさんが言った。
「……別にそんなつもりは。そもそも私は、肉体はともかく精神は男です。ジュネスと貴女の仲を応援こそすれば、裂く気など全くありませんよ」
 そう宣言しても、ミッシェルさんは不満そうに口を尖らしていた。
『ふーん。ならいいけど。ていうか、あんたジュネスのこと怒らした?』
 うっ。痛いところをつく竜だ。
 この間のレウニオン邸での一件にて、悪魔の王とその従者は、私たちを襲うこともなく見逃した。彼ら――いや、彼女たちと呼ぶべきか。彼女たちは私たちになど目もくれずに地上へ飛び出し、首都グラドー中に響き渡る声で宣言した。彼女たち悪魔がこの地を支配する、と。そして、事実そうなった。
 悪魔の王が低級悪魔や中級悪魔、上級悪魔を数十・数百と召喚して、グラドーは悪魔の住まう地となった。軍はそうそうに白旗を上げ、神聖騎士団もまた圧倒されたと聞く。国王陛下以下、その親族については騎士たちの手引きで逃げおおせたらしいが、グラディアス王国は闇に堕ちたのだ。
 そして、かの地には黒い噂が流れた。頼るべき英雄ジュネス・ガリオンは悪魔の味方である。彼の身に宿る力は悪魔に与えられた闇の力である、と。
 ジュネスの強大さは非常識なものである。常日頃から人間離れしていると評判であった。そのような前提があるためか、人々は悪魔の流した噂を否定することができなかった。寧ろ、積極的に納得した。ジュネス・ガリオンは悪魔に魂を売ったがために、力を得たのだ、と。
 グラドーにジュネスの居場所など無くなった。ジュネスは人知れず街を去り、この地を目指した。
 私は彼の数少ない友として、当然ながら同行した。彼が悪魔の手先などではないことを、私がよく知っている。私だけでなく、グラドーの住人の中には、彼の潔白を信じる者も多い。その事実を、私は旅の中で彼に伝えた。
 結果、なぜなのか彼は機嫌を損ねた。常であれば私に対して皮肉や雑言を浴びせるのだが、ここ数日はそれもない。相づちがあれば良い方だ。
『ま、いいけど。あ、ジュネス! まったねー!』
 バッサバッサバッサ!
 大きな翼を羽ばたかせて、ミッシェルさんは去って行った。
 ジュネスは彼女に小さく手を振って、そのまま不機嫌丸出しの顔で歩みを進める。
 私は小走りで後を追った。

PREV TOP NEXT