紅涙の魔女

 その雫に騙されてはいけない。弱き証ではないのだから。

 ぎいぃい。ばたん。
 地方領主アルツマイセンの屋敷の地下には、いわゆる、拷問部屋と呼ばれる一室があった。絶えず鉄の臭いが漂う、おぞましき部屋。
 そこに、1人の女性が連れてこられた。
「な、何を…… 何をなさるのですか……?」
 弱弱しく呟いた黒髪紅眼の女性に、領主ゲオグルグ=アルツマイセンとその部下2名は下卑た笑みを向けた。
「何をしおらしい振りなどしおって。貴様が魔女だということは先刻承知なのだぞ、んん?」
 そう口にすると、ゲオグルグは鞭を手に取る。
 部下2名は、女性が逃げ出さないように両側からがっしりと押さえつけた。
 びしぃ!
「ひぃっ」
 鋭い音を立て、壁に黒ずんだ軌跡が生まれた。乾いた血のように見えた。
「さあ。良い声で啼いておくれ」
 びしいぃいっ!
 紅玉のような瞳から、藍玉のような雫がこぼれた。

 ゲオグルグ=アルツマイセンは混乱していた。
 それというのも、彼の目の前で部下2名が怪死したためであった。唐突に、真っ二つに裂けて。
 彼らの死体の周りには、血液と別に透明な雫があった。
「な、何が……」
 慄くゲオグルグ=アルツマイセンの視線の先で、女性が無表情で佇んでいる。
 そこには痛みも苦しみも、何もない。
「ま、魔女があぁあ! 何をしたあぁあ!!」
 びしぃいぃい!
 再び、鞭が女性の肌を傷つける。白い肌に赤い筋がくっきりと刻まれた。
 それを契機に、女性の瞳には涙が浮かぶ。
 そして――
「………が……ぐぅ……ごぼっ………」
 ゲオグルグ=アルツマイセンの体全体を、水が覆い尽くす。
 その様を瞳に映し、女性は初めて笑みを浮かべる。
「……あーあ。痛かった。ワタシの魔法って不便でイヤよねー。なぁんで涙流さないと使えないのよ。そのくせ涙腺きつめだしさぁ」
 女性が、鞭の痕をさすりながら言った。自身の涙をこすり付けているようで、傷はようよう癒えた。
「さて。これでバカな魔女狩り領主の退治は完了、と。じゃあね、クソジジィ。これに懲りたら次の世では徳を積むんだね、って――」
「…………………………………………」
「もう聞こえてないかー。あははははっ!」
 水の檻に閉じ込められ、ぴくりとも動かない肉塊を瞳に映し、女性は楽しそうに――本当に楽しそうに笑った。
 1638年。紅涙の魔女が史実にその名を見せた、最初の出来事であった。

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