紅蓮の魔女

 全てを灼く紅は護る為の炎。

 紅蓮の魔女の噂は帝都中を駆け抜けていた。
 曰く、地方領主の館を焼失させた。
 曰く、村をひとつ滅ぼした。
 曰く、とある国で起きた災害は彼女が為した。
 どれも確たる証拠はない。
 しかし、不安に駆られた者たちの取る道はひとつである。
 各々の領主に仕える騎士が数十名ほど集う。合計で数百名にも上っていた。皆が結束し、ひとりの女性を討とうとしていた。
「あ、貴女が……紅蓮の魔女か?」
 問われると、焔の如き紅き髪をすらりと下した女性は、こじんまりとした小屋の中でゆっくりと頷いた。そして、両の手を頭の上に乗せた。
「――投降する、ということか?」
 こくり。
 小さくうなずく女性。
 そこで集った英雄たちは、彼女が口を利けないことを識った。
 彼らはゆっくりと彼女に近づき、やはりゆっくりと慎重に、縄で縛る。加えて、猿ぐつわをかませた。
「……はっ。紅蓮の魔女というのもこの程度か。噂だけがひとり歩きしたようですな」
「そう、だな。では早々に領主様のもとへ連れて行くか」
 ひとりの騎士が、忠実に任務をこなそうとする。
 その一方で、ある不良騎士が下卑た笑みを浮かべる。
「まあまあ待ちましょうや、アイゼンヴァウル様。この魔女さん。ごらんの通り、なかなかの別嬪さんだ」
「……何が言いたい?」
「我らが領主様は好きもんだ。相手が紅蓮の魔女とはいえ、これほどの器量良しなら…… その前に、俺らもさ」
「お前――っ! 恥を――」
「天罰さぁ。この女は神に楯突いた魔女だ。天罰あたえて何が悪いってんです? そうそう。アイゼンヴァウル様のご実家、破産寸前とか。ご参加なさいませ、とは申しませんよ。ただ、見て見ぬふりしておればよい。そうして頂ければ、俺のうちから援助をいたしましょう」
 いやらしい笑みを浮かべた騎士の言葉に、アイゼンヴァウルと呼ばれた騎士は言葉につまる。彼の実家は困窮していた。過去の栄光のみを糧とし、辛うじてまだ騎士でいられているような現状である。しかし、それも時間の問題だろう。
 ここで援助を得られるのであれば、それは紛れもない僥倖だった。特に、不良騎士の実家は、裕福さでいえば他の追随を許さない家だ。
「……私は――小1時間ほど見回りしてこよう。……すまない」
 ひひひ、と下品な笑い声が響いた。

 それから数分。
 ばっっ!
 アイゼンヴァウルが先ほどの小屋から3百メートルほど西へ離れた川辺にいると、東の空が突然紅く染まった。
「……あ、あれは!」
 だっ!
 彼は駆けだした。かちゃかちゃと、甲冑が鳴る。

「姉さん、分かったろ? 人はくだらない生き物さ。だからね。僕の代わりに捕まろうとするの止めよう? 僕の罪を姉さんが償おうとしても、結局は姉さんを捕まえようとする奴らに神を敬う気持ちがない。敬虔さのかけらもない。神への許しを請うことにはならない。それよりも、こうして全てを燃やした方が、よっぽど神への貢献だ。人はゴミ。死んだ方がいいやつが大多数。特に、階級が上の人間ほどね」
 ざっ。
 アイゼンヴァウルが小屋に戻ると、小屋は既に燃え尽きていた。
 そしてそこには、紅蓮の魔女と見覚えのない少年。そして、黒こげになった騎士たちがいた。
「あー。まだいたんだ。蛆虫」
 冷たい視線を、少年はアイゼンヴァウルへ向け――
 すっ。
 紅蓮の魔女が、彼らの間に立った。
「姉さん。そいつは殺すなって?」
 こくり。
「でも、そいつも結局は姉さんを見捨てようとした」
 こくり。
「それでも殺すなって?」
 こくり。
 再三、深くうなずく紅蓮の魔女。
 少年は深くため息をつく。
「……おーけー。じゃあ脅すだけ」
 そう呟くと、彼は右手のひとさし指と親指をはじいてパチンと鳴らす。
 すると――
 ぼおおぉおぉおおおぉおおぉお!
 紅蓮の炎が逆巻き、天を焦がす。そして、騎士の肌をちりちりと刺激した。
 人には為せられざる所業。神を脅かす、悪魔の如き業。
「……君が――紅蓮の魔女、か?」
「そういうこと。知ってた? 男でも魔女なんだ。確かに、魔男って変だもんな」
 冷たく笑い、少年が――紅蓮の魔女が言った。
 くい。
 紅蓮の魔女の袖を、女性が引く。
「そうだね。もう行こう、姉さん。じゃあな、世界に巣食う蛆虫。神を貶めるのは僕らじゃなく――貴様らだ」
 ぱちん。
 再び、少年が指を鳴らす。それに伴い、紅い紅い炎が魔女らを包み、天へと向けて上がっていった。
 紅き煌めきが消えた時、そこにあったのは地面の焦げ跡だけだった。

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