信仰の魔女

 神に愛され奇跡を生むも、其の力は異端と罵られた。

 神聖ヴァスカラ王国――絶対なる神ヴァスカラを崇める者たちが暮らす聖都である。その一角には、ヴァスカラ教の聖殿が堂々と佇んでいる。
 そして、その聖殿に一人の娘がいた。幼い時分に親に捨てられ、ヴァスカラ教の教徒に拾われ育てられたのだ。柔らかな金の髪。輝く青い瞳。ヴァスカラを信愛し、身も心も信仰に捧げる美しい娘だった。
 ある日彼女は、その信仰心ゆえか不思議な力を授かった。あらゆる傷を癒す力。
 最初は転んだ子供の擦り傷を治した。それが噂となり、王国中から奇跡を求める群衆が集った。すぐさま噂は千里を駆け抜け、遠くカスティーリャ連合国でも彼女の名は知れ渡っていた。
 いつしか彼女は、信仰の聖女と呼ばれるようになる。

 ヴァスカラ王は病の床に臥せっていた。聖女と名高い少女が即座に呼ばれるが、少女には病を癒す力はなかった。
 しかし、王は落胆することもなく、微笑んだ。
 やつれた王を目にして涙を流した少女。無理だと判った後でも、疲労を苦にせず力を使い続けた少女。聖女と呼ぶにふさわしい少女。
「信仰の聖女よ。我が死し折は、そなたがヴァスカラの王となっておくれ」

 明くる日、王が死んだ。病ではなく、剣により貫かれて。
 王には息子がいた。神聖王国の王子とは思えぬ、粗暴で性悪な男だった。されども剣の腕はたち、人心を掌握する術にも長けていた。
「父が――王が死んだ! 無残にも悪しき剣に貫かれ! ヴァスカラを愛し、皆を愛した善良なる王が、なぜそのような非業の死を遂げねばならぬのか! 私は――私は悲しい!」
 涙する様子を見せ、それから王子はキッと目つきを鋭くした。
「悪しき者の正体は判っている! 信仰の聖女――神に愛された聖なる娘とは偽りの姿! かの者が生み出す奇跡は偽り! 美しき姿も、まばゆい微笑みも偽り! 全ては悪魔の生み出す幻! 彼女が――王を殺した!」
 ざわざわざわざわざわ!
「信仰の魔女を捕えよ!!」

 聖殿には人が押しかけていた。教徒は扉を必死で抑え、人の波を押しとどめようとする。しかし、扉が破られるのは時間の問題だった。
 神父は十字を切り、娘の肩に手をかける。
「ヴァスカラは君を決して見捨てはしない。わたしたちが戦う間に、君は逃げるのだ」
「けれど神父様! このようなことになったのはわたくしのせいで――」
「誰も君のせいなどと思ってはいない。皆、君を幼い頃から知っている。君が魔女などではないことを知っている」
 ぽたぽた。
 ステンドグラスから差し込む光が落ちる床を、涙が濡らした。
「さあ、地下堂から南の森へ抜けることが出来る。逃げ――」
 ばあん!
 その時、扉が破られた。民衆が聖堂内に雪崩れこみ、彼らに混じり、剣を持った男たちが駆けてくる。その中には王子自らの姿もあった。
「信仰の魔女よ。よくも今まで、我が愛する信徒を謀ってくれたな。その穢れ多き身を、我が聖なる刃で浄化してくれよう!」
「畏れながら王子殿下」
 剣を構えた王子と娘の間に、神父が立ちはだかった。
 王子は醜く顔をゆがめる。
「何だ、貴様。魔女をかばうとは、貴様も悪魔に魅入られたか」
「いいえ。私どもが信ずるは神ヴァスカラのみ。ここな娘も魔女などではありませぬ。王子殿下。ヴァスカラ王のお言葉をお受けするつもりは、この娘にはございませぬ。何卒、何卒ご容赦を――」
 ざしゅっ!
「きゃあぁああ! 神父さまぁ!」
 王子はつまらなそうに、切り伏せた相手を睥睨する。
「悪魔の使いにこれ以上さえずらせておけば、皆の心を惑わすばかり。さあ、次は貴様の番だ。魔女よ」
 娘は王子の言葉など解さず、ただただ祈り続ける。崩れ落ちた神父を抱き寄せ。
 しかし、奇跡が起きることはない。いかなる奇跡も、死まで退けることはないのだから。
 そして、彼女はようよう立ち上がる。
 ゆらり。
「ふん。魔女よ。覚悟が出来たか。最期の祈りを邪魔せずにいたこと、感謝しながら――」
「……煩い」
 呟き、娘は王子を睨みつけた。
(憎い。ヴァスカラに見捨てられてもいい。憎くて憎くてたまらないこの悪魔を、殺すための力が――欲しい!)
「ふん。身の程をわきまえぬ魔女め。よい。もう堕ちよ。悪魔の園へな」
 すちゃ。
 王子が剣を構えた。そこここから怒号が響く。聖殿の教徒たちが、民衆を押しのけながら、城の兵士に組み伏せられながら、叫ぶ。
 しかし、奇跡は起こらない。神は彼らの願いに応えない。
 神は――ただ一人の願いに応える。
「死ねえっ!」
 びゅっ!
 勢いよく剣が振り下ろされた。

 血が飛び散る。天は雲で陰ったのだろう。光届かぬ聖堂の床を、悪しき血が染めた。
「な……なに……?」
 全身から血を噴き出し、王子が呟く。
 からん。
 剣は力なき音を立てて、床を転がった。
 そこここから悲鳴が上がる。
「……これは……何だ? ……何が起きた……」
 その疑問は、その場にいた全ての者が抱いていた。
 事を成した当人以外は。
「くすくす」
 ふいに、娘が笑った。
「……貴様……まさか本当に……」
「神よ。感謝いたします。愛のみでなく、醜き憎しみの心にも応えて下さって」
「……な、くぁ……があぁああぁあぁぁあ!!」
 ばんっ!
 王子の体がはじけ飛んだ。かつて、娘の奇跡が癒した痛みを、その身で受け。

 娘はゆっくりとした足取りで、扉へ向かう。
 民衆は、兵は、競って道をあけた。
「……神父様のこと、頼みます」
 哀しみを瞳に携え、娘は教徒の一人に言った。そして、扉を抜けて去っていく。

 世には、信仰の魔女の噂が駆け抜ける。

PREV TOP NEXT