雷光の魔女

 白銀の七つの真円が闇を微かに照らす宵闇の刻。血と肉を操る理を携えた魔女が、魔女集会所を訪れた。
 そこには、けなげに掃除、洗濯をこなす少女がいた。信仰の魔女と呼ばれる存在だ。少女は微笑み、魔女を迎えた。
 しかし、血肉の魔女はその少女をひと睨みし、それからゆっくりとした歩調で奥へ消えた。
「……紅涙様、あの方は?」
 信仰の魔女は戸惑った様子で尋ねた。
 問われた紅涙の魔女は、卓に突っ伏したままで面倒臭そうに口を開く。
「えー? あー、あれは血肉の魔女。鬱陶しくて気にくわないウザ魔女よ」
 そう口にしながら、果汁100%のパインジュースが入ったカップを手繰り寄せた。ストローに口をつけ、ずずっと甘酸っぱい液体で喉を潤す。
 彼女のカップの中身が少なくなったのを見て取ると、信仰の魔女はジュースの満ちたポットを傾ける。
 こぽこぽこぽ。
 カップが再びなみなみと満たされた。
「血肉の魔女様ですか。……何だかわたくし、睨まれたような気がするのですが」
 こく。ぷはっ。
 パインジュースで喉を鳴らし、紅涙の魔女はへっと意地悪く笑う。
「そりゃあれよ。あいつ、神様とか大嫌いだから。あんたみたいなのは嫌いなんじゃない。まー、それ言ったらワタシだって神様は好きじゃないけどさ」
「そ、そんなぁ。紅涙様……」
 涙を瞳に浮かべ、信仰の魔女は口をへの字にした。
 紅涙の魔女はじとりと汗を浮かべる。うるうると瞳を揺らす少女を目の前にし、頭をぽりぽり掻いた。
「あーその、取りあえず神様はともかく、シンコのことは嫌いじゃないってことで、おーけー?」
「……神ヴァスカラのことも愛して頂きたいですけど、無理は申せません」
 信仰の魔女は涙を払い、小さく笑った。
 そんな中、血肉の魔女とイライザが連れだってやって来た。イライザの足元には、猫のジャンヌもいる。
「まったく。血肉、あなたは加減というものを覚えるべきです。何十万人も殺して…… 世界にはバランスがあるのです。むやみにそれを崩されては困ります」
「妾は世を正さねばならぬ。人という醜き獣が蔓延る悪しき世を、な」
「その考えを否定はしません。けれど、何事にも限度というものはあります。戦争には敗者と勝者がおらねば。全てが土と還ってしまっては何も生まれず、世界は停滞するでしょう。それではいけません」
「知らぬ。妾は醜き者を許さぬ。それだけのこと」
 がたっ。
 椅子のひとつに、血肉の魔女は姿勢正しく座った。
 その向かいにイライザもまた座る。
 ふぅ。
「やっぱウザ…… あーあ、言霊ねーさまもおられないし、適当に出かけよっかな」
「紅涙様は血肉様がお嫌いなのですか?」
 気だるそうに呟いた紅涙の魔女を瞳に写し、信仰の魔女が尋ねた。
 紅涙の魔女はストローを咥えつつ、頷いた。
「喋り方も考え方もウザいからねー。ワタシだって人間はあんま好きじゃないけどさ。アイツほど鬱屈は出来ないって。アイツと気が合うやつなんてたぶんいないんじゃん?」
「そんな…… 誰しも話し合えば分かり合える……はずです」
 複雑な表情で言った信仰の魔女。
 言葉に詰まったのは、話し合っても分かり合えない現実を体験したがゆえだろうか。
「……あんたもウザいよね、基本。まあ、あんたはそれでも可愛げがあるからいいんだけど」
「喜んでいいのでしょうか?」
 紅涙の魔女の言葉に、信仰の魔女は微妙な表情を浮かべて呟いた。

 紅涙の魔女は口にした通り、しばらくすると出かけた。特に目的などはないようで、気が向いたら戻るとだけ言い残して去った。
 魔女集会所にはイライザとジャンヌ、信仰の魔女、そして、血肉の魔女が残された。
 血肉の魔女は独り卓についており、イライザはジャンヌと共に奥へひっこんでいる。信仰の魔女は床掃除を続けていた。
 そんな中、血肉の魔女は鋭い瞳をひらすらに信仰の魔女へ向けている。
(うぅ。睨まれておりますわ。もの凄く睨まれておりますわ。わたくしのことをお嫌いなのは確かのようですわね。わたくしは出来得る限り仲良くさせて頂きたいのですけれど……)
 さっさっ。
 埃を掃きながら、信仰の魔女はお人好しな思考を巡らしていた。
 しかし――
「信仰の魔女、か。そのような2つ名、妾には耐えられぬ。よくもまぁ恥ずかしげもなく存在しておれるものよ」
 相手たる血肉の魔女からは容赦のない言葉が浴びせられた。
 信仰の魔女は面食らいながらも、おどおどと言葉を発す。
「あ、あの。血肉様。よろしければお話いたしませんか?」
「話す必要などあろうか? 妾には無駄にしか思えぬ。神を信ずる者は皆愚かよ。決して分かりあえぬ愚者。死すべき者どもよ」
 静かに語られた無神論者の言葉。
 ぱりん。
 そして、鋭い音が静謐を切り裂いた。
 血肉の魔女の目の前に置かれたいたカップが砂塵と帰したのだ。なみなみと注がれていた水が卓を濡らす。
「……ふん。生物の治癒能力を逆転するのみと聞いておったが、その魔力、無生物までも朽つるか」
「取り消して頂けますか?」
 涼やかな目元の血肉の魔女に対し、信仰の魔女は、普段穏やかな瞳を鋭く細めている。
 それを見て取ると、血と肉を司る魔女は意地悪く口元を歪めた。
「ふふふ。何も取り消すべきことなぞなきよ。愚かな魔女よ。信仰を持つは愚か。愚者は――死ね」
 びっ。
 血肉の魔女は呪いの言葉を吐きながら、隠し持っていた凶刃で自身の左手を傷つけた。指先には血が浮かび、そして、紅は波打ち大きく変化した。
 ほんの僅かな紅き液体は大きな獣の形を成し、いななく。
「血の――狼!?」
「くく。今宵のローウェルは血と肉に飢えておる。覚悟するのだな」
 すっ。
 獣が駆けだす前に、信仰の魔女は両の手を組む。そして――
「おっと」
 ぴっ。
 血肉の魔女が指先を勢いよく突き出した。すると、紅き弾丸が空間を翔けぬける。
「きゃっ」
「治癒力の逆転。危険な力よ。暇を与えてはいかんな。ふふふ。さあ、ローウェル」
 ぐるるるる。
「喰らえ」

 かっ! ぱあぁあんっ!
 強い光により色彩が失われ、轟音が響く。
 雷鳴の轟きを受け、血が弾けた。紅き獣は消え去り、集会所には平穏が戻る。
 しかし、大気には未だ刺々しい魔力が満ちていた。
「……血肉。いい加減になさい」
 にゃーお。
 とっ。
 低く抑えたイライザの声に伴い、ジャンヌが軽やかに信仰の魔女の真ん前に着地した。あたかも、彼女を護るかのように。
「イライザ様…… ジャンヌさん……」
 ぺたんと床に尻餅をつき、信仰の魔女は呟いた。
 イライザは小さく微笑み、彼女の手を取る。そうして立ち上がらせ、血肉の魔女に瞳を向けた。その瞳は冷たい。
「先ほどの忠告、聞こえませんでしたか?」
「……世界の均衡を崩すなとは言われた。が、この女を殺すなとは――」
 すっ。
 静かに、ただ静かに血肉の魔女の腰掛けていた椅子が消え去った。まるで、はじめから存在していなかったかのように、消えた。
 ぺたん。
「聞こえ――ませんでしたか?」
 尻餅をついた血肉の魔女に、イライザはたたみかけるように質問を投げる。
 長い、長い沈黙が落ちた。
 そうして数刻経ち、ゆっくりと血肉の魔女が口を開く。
「……すまぬ。……承知……した……」
 小さな声。怯えの色が多分に含まれていた。
 一方で、イライザはにこりと満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
 そう口にし、踵を返す。
「仲良くして下さいね、血肉、信仰」
 すたすた。
 にゃー。
 とことこ。
 足音と鳴き声を残し、1人と1匹は姿を消した。
 魔女2人の間に落ちる沈黙。
 その間隙を縫い、集会所の奥からは――
 にゃーん。
 可愛らしい鳴き声が微かに聞こえた。

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