焔を喰む世界

 深淵の闇を焔が染める。赤々とした光で照らされた夜天は人の心を恐怖で縛り付ける。
 紅色の光で溢れた夜に包まれ、少年と女性は佇んでいた。
 紅蓮の魔女がその名を轟かせる世界は、焔の生み出す輝きで満たされ、幻想的でさえあった。紅蓮の世界で佇む二者は黙したまま見つめ合っていた。
「紅蓮。わざわざ貴方の世界まで呼び出して、何か御用ですか?」
 尋ねたイライザの表情は柔らかく、敵意など微塵もなかった。
 しかし、彼女に相対する少年――紅蓮の魔女の顔は険しく、その瞳にはギラギラとした光が乱反射して鋭さが際立っていた。
「アンタ。血肉の魔女をどうかしただろ」
 それは質問では無かった。断定だった。
「どうかしたとは、また曖昧ですね。はっきりと、滅ぼしたと仰ってはどうですか?」
 一陣の風が世界を駆け抜け、微笑むイライザの頬を撫ぜた。
 それは、滅びを迎えた魔女の悲鳴であるかのようだった。
「ふん。悪びれもなく。女狐め」
「あらあら。言霊にはよく懐いているというのに、わたくしには辛辣ですね」
 くすくすと笑みを零し、イライザは腕を組んだ。彼女は漸う、眼つきを鋭くした。
「何故気付いたのかしら?」
「血肉の魔女とは定期的に連絡を取り合っていたんだ。あいつとは案外気が合ってね。それが先日途絶えた。奴の世界の気配も感じない。血肉の魔女が消えただけなら人間共に殺られた可能性もあるが、世界自体が消えたというのなら――」
 魔女の世界は、魔女が魔女を殺した場合にのみ消え去る。それが彼らの理だった。
「そして、自由に世界を渡ってあいつを殺れるのは言霊の魔女と――貴様だけだ」
「では、言霊かもしれないでしょう?」
「言霊の魔女はそんなことをしない……などという信頼から貴様を糾弾しているわけではないぞ。このところ、言霊の魔女はレズ女か信仰の魔女と共にいた。血肉を滅ぼす暇が有ったとは思えん」
 つまりは消去法であった。真実というものへは、至って単純な方法で辿り着き得るものだと、イライザは寧ろ感心して苦笑した。
 ようよう、紅蓮の魔女が、その腕に光を生み出した。
「あら。好戦的ですね、紅蓮」
「戦闘狂と評して遜色のない血肉の魔女を滅ぼすほどの力を持っている奴に、どうして手加減してやらないといけない。覚悟しろ。全力で――殺してやる」
 はっきりとした殺意を向けられても、イライザはまだ余裕の表情で佇んでいた。紅色の隻眼は細められていたが、それでもまだ楽しんでいる風に口元が笑っていた。
「どうしてですか? 貴方と血肉にそこまでの仲間意識があったとは思えませんが」
「はっ! 仲間意識なぞはねえよ。けどなぁ……」
 紅蓮の魔女が右手の中指を立てて勢いよく振り上げた。伴って、紅蓮の炎柱が轟音を立てながら夜天に昇って行った。
 世界がより一層、紅で染められた。
「貴様が俺らを――世界を消す気があるっつーんなら、いつ俺に……いや、姉さんが生きるこの世界に矛先が向かないとも限らない。看過など出来ない!」
「成る程。残念です。貴方には――いえ、貴方がたには多少なりとも期待していたのですよ? 貴方自身は血肉と似たところがあるとはいえ、貴方の姉君は人間に理解を示す傾向にあります。蔑む者も蔑まれる者も存在しない世界へ至るのは貴方がたかも知れないと、そう思っていたのですが……」
「知るか。そんなもんが見たいなら、貴様自身が目指せ。いや、それよりも、絶望の満ちる世界に倦んだのなら、潔く死ね!」
 焔が踊った。天を衝く炎柱が八ツ又に分かれ、八方からイライザへと迫った。
 迫り来る熱気に、しかし、イライザは微笑みを浮かべて佇んでいた。彼女の表情には、嘲りの感情が窺えた。
「血肉に負けず劣らず愚かですね。紅蓮。その力を与えたのが誰か忘れたのですか?」
 八ツ又の炎龍がイライザを呑み込んだが、彼女は表情を歪めることすらなく、変わらずに佇んでいた。
「っち!」
 紅蓮の魔女は舌打ちをして、左腕を天へ向けた。天上に巨大な炎弾が生じた。あたかも、昼間に大空を支配する熱の塊かの如きであった。
 恒星のような炎は、紅蓮の魔女の腕が振り下ろされたことでイライザへ向けて降り注いだ。
「炎は破壊に直結します。故に、貴方の力は最も強いものと成り得ました。それでも、ここまでに育つとは想定外でしたよ、紅蓮」
 迫り来る紅き弾丸を、同じく紅き片眼に映して、イライザは呟いた。
 彼女の呟きは、紅蓮の魔女の力がイライザを凌駕していることの証左とも考えられた。
 好機とみた紅蓮の魔女は、追って巨大な炎弾を二つ、三つと、流星群のように生み出した。
 しかし、魔女が与えるモノが絶望ばかりであるように、与えられるモノもまた絶望だけだった。
「もう一度問いましょう。その力を与えたのが誰か忘れましたか?」
 イライザが問いかけたのと同時に、一帯を熱していた炎弾群は一瞬で消え去った。
「なっ!?」
「何を驚いているのですか。三度も同じ質問はしませんよ。貴方はあくまでも――いえ、貴方だけではなく、この世界が、皆が、わたくしの所有物なのだというのに、どうして貴方如きがわたくしに抗えましょう。ねえ、紅蓮の魔女」
 隻眼が紅く輝き、掲げられた腕に焔が集った。
 紅蓮の魔女はあらゆる火を操ることが出来る。しかし、イライザに集う紅色の破壊は、彼の制御下には置くことが出来なかった。
「これまでどうもありがとう、紅蓮」
 イライザの笑みは、暖かみと同時に冷たさを多分に含んでいた。
 紅蓮の魔女の背をゾッとするような寒気が駆け抜けた、その時――
「ね、姉さん!」
 物陰に隠れていた魔女の姉が飛び出してきて、弟を庇うように腕をいっぱいに広げて立ちふさがった。
「おやおや。どうせ紅蓮を滅ぼせば貴女の世界――ひいては、貴女もまた滅びます。わざわざ死に急ぐ必要もないのではありませんか?」
 ふるふる。
「それでも弟を守る楯となりますか。ふふ。貴女の善良さはとても好ましかったですよ」
 微笑みを浮かべたイライザは、心の底から紅蓮の魔女の姉を愛しく思っているようだった。しかし、だからといって、彼女の腕に纏い付く焔が消え去ることはなかった。
「それでは、姉弟揃って消えなさい。お疲れ様でした。さようなら」
 いよいよ、イライザの腕から破壊の焔が放たれた。紅蓮の魔女を庇うように立ちはだかっていた彼の姉君の目前に、その焔が迫ってきた。
 ぐいっ!
「――ッ!」
 瞬間、姉の声にならない声が場を満たした。
 破壊が姉を呑み込む直前、紅蓮の魔女が彼女の腕を引き、背後に庇ったのだ。紅蓮の魔女は、彼を象徴する力に呑まれ、消滅した。同時に、彼の姉も、世界も消えて無くなった。
「……無駄な想いを果たそうとしたものです。紅蓮も。その姉も」
 ただただ闇色の果てしなく広い空間で、イライザは独白し、嘆息した。
 またひとり魔女が消え、世界が消えた。

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