ごく普通の昼下がり。千葉県某田舎の海辺にある断崖には人垣ができていた。
町からも近いその場所には無責任な野次馬が集まっていたのだ。
その騒ぎの中心には……
「早まったことは止めんか! 生きていればきっといいことが――」
「そんなベタなこと言われても止めないわよ!」
拡声器を使って説得を試みた老警官の言葉を遮って、自殺をしようとしている少女は声を張り上げた。
近寄ったら飛び降りるわよという、よくテレビドラマで見かける光景だ。
僕はある大事なことをつっこむために彼女に近づく。
「お姉さん」
「きゃっ! こ、子供? いつの間に近寄ってきたのよ?」
崖の突端にいた少女に近づくためには彼女の視界に入ることが必須となる。少女が戸惑いの声を上げるのも当然だった。
随分驚いたのだろう、飛び降りることをすっかり忘れてこちらを見つめている。
「そんなことはどうでもいいよ。それより、自分はこーんなベタな自殺方法を選んだくせに、警察のおじいさんにあの言い草はないんじゃない?」
「なっ! どうでもいいでしょ、そんなこと! ていうか飛び降りるわよ!」
まるで飛び降りるということがついでであるかのような言い草に思わず笑う。
「くすくす。勝手にしなよ。僕は別に構わないよ」
「ほ、本気よ!」
本気ねぇ。
「本気ならとっくの昔に実行してるでしょ? 結局、誰かに助けてもらいたいんじゃないの? これもまたベタだねぇ」
「そ、そんなこと……ないわ」
どう考えても図星であるような反応を見せる少女。
それでも否定的な言葉を口にするんだから不思議だよ、まったく。
「じゃあ、僕が手伝ってあげる。お姉さんは目をつむってて。僕が押して落としてあげるよ」
「え?」
「ほらそっち向いて」
少女を急かして、彼女の自殺の準備をする。
「あ、あの……」
「ほら、目をつむってた方がいいよ。見えてると踏ん切りがつかないって」
すっかり準備ができて押そうとしたその時――
「いや!」
僕を押しのけて崖とは反対側に倒れこむ少女。
まったく…… 面倒くさいんだから。人間は。
「大丈夫かね?」
倒れこんだ少女を覗き込んだのは、説得を試みていた老警官だった。
少女が倒れこんだ隙に一気に近寄ったようだ。
少女はただ小さく頷く。
自殺しようとしていた手前、反応に困るのだろう。
「しかし…… 君は誰と話していたのだね?」
「え?」
自殺防止のため少女の腕をしっかりつかんだ老警官が発した言葉に、驚いて辺りを見回す少女。
そうして視界に入ってくるのは集まってきていた野次馬のみ。近寄ってきた子供は見当たらない。
「あの子は? さっき私の近くに子供がいましたよね?」
「子供? いや、君が独りで色々話しとるのは見えとったが?」
老人の言葉にみるみる色を無くしていく少女。
もしものことに備えて用意しておいた救急車が妙なところで役に立ちそうだ。
騒ぎの場所を離れて、目に入った公園に入る。
桜を見上げている三十くらいの男がいるけど僕のことは見えないはずだ。
そうそう見える人間に会ってたまるかってーの。
「随分と親切なのですね」
男が突然声を上げた。
僕に向けたものだとは思わなかったので無視したら、
「無視とは感心しませんよ。礼儀は大事なことなのですから」
注意された。
「僕に言ってるの? ごめんね、気がつかなかったんだ」
また見える人かぁ。
どうも最近僕を見える奴が多いなぁ。
「で、何? おじさんはその桜の木で首でも吊ろうっての?」
僕を見ることができるのは死を望むもの、死の世界へ足を踏み入れようとしているもの。
「いえいえ、とんでもない。まあ、そうしてもいいのですが…… 結局は無駄になってしまいますからねぇ」
「……あぁお前、死を目指す者か」
「そういうことです」
そう言って笑みを浮かべる男。
死を得ることが難しい者たち。その寿命は数千年とも数万年とも言われる。
「あなたは死を齎す者でしょう? あの少女に死を与えなくてもよかったのですか?」
さっきの親切発言はそのことか……
「最近は自分から死ぬ奴が多すぎて、上からできるだけ止めるように言われてるんだよ。僕が見えるってことはあんたも死を望んでるんだろう? まあ、あんたの事情を考えると酷なことだとは思うけど、そんなわけだから死を与えることはできないよ」
大事なことはちゃんと言わないとね。
彼らは自分で死のうとしても、他人から死を与えられても土に還ることがない。中にはそれによって生じる長命を楽しむものもいるが、どうやらこの男はその対角に位置するタイプらしい。
彼らに死を与えられるものは僕たちだけだから、男がそれを望んでいるのは明らかなのだが…… こちらにも事情があるし。
「そういう事情でしたら仕方がないですねぇ。残念です。再び死を得られる時期が来るまで気長に待つとしましょうか」
言って公園を出て行く男。
珍しい奴に会っちゃったなぁ。友達に自慢しよう。