歌が聞こえる。
とても綺麗で、優しくて、透き通るような声の音。
誰が歌っているのか。それは解らない。
周りを歩く誰に聞いても解りはしない。
その声は、ずっとずっと昔から俺の耳元で歌っているんだ。
あれは六歳の時だった。
友達と遊んでいると聞こえてきた旋律。
しかしその頃それは、騒音と呼ぶ方がふさわしい程度のものでしかなかった。
きちんと記憶しているわけではないのだが、六歳の子供にそう思わせるほどなのだから相当なものだったのだろう。
その騒音は、しばらく経つと歌となり、そして今では心を打つ力となった。
俺はその力が齎されることをいつの頃からか、楽しみに待つようになった。
「なんで俺がお前の失恋傷心旅行に付き合わなきゃいけないんだよ……」
「そういうなよ。一人じゃ寂しくて自殺しちまうかもしれないだろ?」
今更ながらな俺の呟きに言葉を返す悪友。
たくっ、自殺なんてタマじゃないだろうに。
ここは遠く沖縄の一地方。
傷心旅行で寒いところに行くのはベタ過ぎるという彼の偏見によって選び出された国内の南国だ。
俺はどちらかといえば涼しい方が好みなので、少し暑すぎる感もあるが……
その時、歌が聞こえてきた。
暑さでイラついていたところだったから、大いに癒される。
それにしても、いつもより声が遠くで聞こえるような気が――
「へぇ、綺麗な声だな。どこで歌ってんだろうな?」
隣の友人の言葉は、俺にとんでもない驚きを齎した。
「聞こえんのか!」
「は? 歌のことか? そりゃ、聞こえるさ。別に耳悪くねぇし」
その言葉の後半は聞かずに声の元を探す。
わき道の先にある学校のような建物の方から聞こえてくるようだ。
我慢できなくなって、懸命に足を動かしそこを目指す。
止める大きな声が背中に向けられたが気にしてはいられない。
声の主に会えるかもしれない。
会ってどうするのか。それはわからない。
わからないけれど……
建物の前まで来た。声は直ぐのところで発せられているようだ。
視線を巡らすと――
白衣を着た女性――看護士だろうか――が押す車椅子に腰掛けた少女がいた。
年の頃は俺と同じくらいか、少し下か。
そこで歌が終わり、看護士が少女に声をかける。
「いい歌よね。私、すっかりあなたのファンだわ」
「わたし、目が見えないし、小さい頃から歌って過ごすくらいしかできなかったから…… そう言って貰えるとうれしいです」
「どうせなら、病院の皆の前で歌ったりしない? 喜ばれるわよ、きっと」
「そんな、恥ずかしいわ。それに観客なら一人、ずっと前からいるから」
そう言って優しく微笑み、再び歌いだす少女。
「あら、貴方は?」
そこで看護士が俺に気づいた。
今のご時世、仕方がないのか。少し警戒の色が見える。
「えぇと、その……」
突然のことで少し戸惑っていると、少女が驚いた顔をして声を発する。
「玲子さんにも『見える』んですか?」
「え?」
少女の問いかけに、今度は看護士が戸惑った声をあげた。
というか『見える』って? 少女は目が見えないという話じゃなかったか。
取り敢えず、ずっと黙っているのも何なので声をかける。
「えっと、勝手に入ってきてすいません。歌が聞こえてきたから、気になったもので…… あの、綺麗な声だね」
最初に言い訳っぽいことを口にして、続いて正直な感想を述べる。
もう少し気の利いた言い方をしたいのだけれど、自分の語彙力ではこのくらいが最上級だ。
そんな俺に対して、少女が悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「くすっ。ありがとう。直接会うのは初めてですね、観客さん」