私は乗っている電車が他の電車とすれ違う時に向こうの電車の中を見るのが好きだ。
どちらもすごい速さで走っているのだから大抵は何も見えない。だけどそれでいい。どうしてかと言われると困るけど、そこに惹かれているのだから。
そんなわけだから、今日も私は電車の入り口の脇に陣取って発車を待っていた。まあ、そう珍しい光景でもない。座席が空いてなければ、多くの人間は寄りかかれる隅に集まるものだ。少なくとも私はそう考えている。
しばらくすると車内アナウンスが流れ、出発する旨が伝えられた。空気が漏れるような音が鳴り、ゆっくりと、しかし力強く扉が閉まっていく。愈々出発だ。
がたん、ごとん。がたん、ごとん。
私的には耳障りのいい、人によっては鬱陶しい音を響かせながら巨大な鉄の箱は人々を運ぶ。窓の外には流れていく風景。見慣れた沿線の軒並み。
外を眺めるのも嫌いなわけではないが、やはり早く他の電車とすれ違って欲しいものだ。悪くはないが、それでももどかしい時間が過ぎていく。
そうやってしばらくすると、扉に寄りかかっていた私の体に爽快な衝撃が襲った。
来た!
今までとは比べ物にならない速度で流れていく窓の外。別にこちらの速度が上がったわけでもないのに、視覚が正確な像を刻むことすら叶わない奔流。
私は心地よさに満たされていった。しかし――
……………?
おかしい。明らかにおかしな、いつもと違うものが瞳に写る。
瞳には、はっきりとした像が刻まれていた。しかも極々局所的に。たった一人の老婆を。
老婆は私と同じく、向こうの電車の扉付近に陣取りこちらをはっきりと見ていた。その顔はどこかで見たことがあるような、そんなこともないような……
そこでさらにおかしな、いや、もはや怪奇現象と言ってもいいような事象が起こる。
老婆からは皺が消えていった。さらに真っ白だった髪には段々と黒が混じり、ついには完全に艶やかな黒髪になる。曲がっていた腰も今ではピンとなり、すっかり若返っている。
その様子に呆気に取られていた私だが、さらに驚くべき事実に直面し頭が真っ白になった。
若返った老婆の顔を見てみると――私に似ていた。いや、向こうの方が十は年上に見える。しかしそれでも面影は私と瓜二つだった。私が成長すればあんな風になるだろうと強く思えるほどに。
そして老婆はさらに若返っていき、その姿はやはり今の私に近づいていく。
私は恐怖を感じていた。なんなのだろう、これは。
そもそも、一瞬で過ぎてしまうはずの電車のすれ違いにおいて、なぜこのように鮮明に『若返っていく』様をゆっくりと見ることができるのだ。私の大好きな時間は、わけのわからない恐怖に犯されてしまっている。そう考えると、恐怖とともに怒りまでもが湧きあがってきた。
それにより興奮が頂点に達したのか、私は糸が切れたように意識が希薄になった。
扉に寄りかかり、視界が黒く塗り潰されていく中でそんなはずはないのに、もう何も見えるはずがないのに、私には完全に私と瓜二つになった老婆が微笑んだ様子を鮮明に見ることができた。
「お客様! 大丈夫ですか、お客様!」
終着駅に着いた電車内で、駅員の一人が扉付近でぐったりとしている女性を見つけた。大きな声で話しかけ肩を叩くと、女性はゆっくりと目を開ける。
「? 私は……」
「大丈夫ですか? どこか具合の悪いところは?」
女性は駅員の方にゆっくりと向きなおり、しわがれた声で話し出す。
「特にはありませんが…… ここはどこなんでしょう?」
「終点の東京駅ですよ。……念のため病院に行かれた方がよろしいですよ。タクシーを呼びましょう」
そう言って、女性を連れ立って歩き出そうとする駅員。しかし女性は慌てて断る。
「いえ、大丈夫です! 用事があるのでこれで失礼します。ありがとうございました」
そして一人でさっさと歩き出す女性。
「ですが、随分とお年を召されているようですし、用心に越したことは――」
「失礼ね! 十代の乙女に向って!」
心配そうに言った駅員に女性は表情を険しくして怒鳴りつけ、先程よりも早足でずんずんと進んでいく。
残された駅員は呆気にとられて佇み、呟いた。
「あれだけ元気なら問題ないかな? それにしても十代って…… 最近のお婆さんは気持ちが若いってのは本当だなぁ」
彼の視線の先には、白髪を綺麗に纏め上げ、腰の曲がった体で、それでも元気に歩を進める老婆の姿があった。