その手を見つめて

 世界には人と魔物がいた。
 人は魔物を厭い、魔物も人を蔑んでいた。

 ある昼下がり。一人の青年が魔物の村を滅ぼした。
 理由は――そういう依頼があったから――だった。

 ある昼下がり。子供が暮らす村は滅びた。その子だけが生き残った。
 子供は――魔物は旅立った。

 青年は街に帰り、数多の者から賛辞を受けた。しかし、なぜか心は淀んでいた。天を覆う青空と白雲のような、晴れやかな心は齎されない。
 彼が殺したのは魔物。
 しかし、本当の魔物は――

 子供は街に辿り着く。人目を避け、裏通りを慎重に慎重に進む。
 そして、その子の視線の先に広場が現れる。
 何かを祝福するように、騒がしい広場。彼の村にも在った日常という名の脆き日々。
 子供は――駆け出した。

「きゃああぁああっ! 魔物よぉっ!」
 誰かの悲鳴。そして、魔物討伐成功の祝賀会は、悲鳴と怒号に包まれる。
「あの子は……っ!」
 青年の視線の先には小さな魔物。死した魔物に縋り付いて彼を睨んでいた小さな、小さな子供。
 遂に絶つことができなかった――命。

 子供は見つけた。仇を……
 脚に力を入れる。駆ける。他の者などに目もくれず、ただ、全てを終わらせた魔物の元へ。

 青年は素早く言の葉を繰る。魔法と呼ばれる不可思議な術式を構築する。
 騒ぎを見つめていた者達は安堵のため息を吐く。
 ああ、これで終わるのだ。醜き魔物は、また彼が滅ぼしてくれるのだ。
 そう認知し、緊張を解く。
 しかし――

 どすっっ!!

 子供の腕は、容易く人の腹に穴を穿つ。血が吹き出し、鉄の臭いが鼻を刺激する。
 彼は歓喜した。
 仇を取った。そう確信し、視線を上げた。
 そこにあるはずの絶望の瞳を見る、そのために……

 青年は微笑んだ。
 自分の腹に腕を埋める命に向けて、微笑んだ。
 そして、短い言葉を発す。
 ――逃げて

 子供は駆けた。

「大変だっ! 追えっ!」
 皆が武器を手に取り駆け出そうとした、そのとき――その体を止める風が吹いた。風は強く、強く吹き、誰もその歩を進めることはできない。
「……魔風塵(まふうじん)」
 風が……吹く。
 青年の腕は、最期の刻まで下ろされない。

 魔物は独り、森の深奥で穢れた手を見つめる。

 青年は独り、反逆の徒として野に捨てられる。

 さあ、考えてみよう。誰が幸せ?

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