なるの満ち満ちて

 ここは王都ガイアシス。
 400年の歴史を持つガイアシス家が治める王国の首都だ。
 ガイアシス国は、20年前の封魔大戦でお抱えの騎士を多数失う結果を招いた。それゆえ、一時期は魔物の攻勢に押され気味だった。しかし、今では新たに発足された組織が騎士達の代わりを務めており、情勢は安定し始めている。
 その組織は魔法学園と呼ばれている。この組織、学園と名がついてはいるが、その実、学ぶ場所というわけではなく、魔法の実践、研究を行う機関だ。
 かつての大戦で魔神を打ち倒した者が持ち帰った封魔石。それを今の魔法学園の学園長シンが解析し、確立した技術が魔法だ。
 その技術の基本は5つに分けられる。即ち、火、水、風、雷、そして闇を司る力。
 封魔石にその力が封じられているのか、この世界全体にその力が満ちているのか、それは分かっていない。しかし、資質のある者ならば簡単な言葉を口にし、実現させたい現象を頭に思い描くだけで、強力な術を行使することが可能となる。
 騎士制度が廃れ、魔法学園が発展した理由はその点にある。つまり、資質のあるものならば即戦力として登用することができるのだ。
 騎士というのは長年の修練で戦いの技術を身につける。そのため、大戦でそのほとんどを亡くしてしまった当時の騎士団は、戦力としては期待ができなかった。一方、公募をして資質のある者を探し出しさえすれば、魔法は戦力として非常に有用となり得た。
 しかし、そんな魔法も少なからず不都合な点が存在する。それは、戦いを行えるほどの資質を持つ者が極端に少ないということだ。
 発足当時――いや、それどころか、大々的な公募を行った後の構成人員でさえも両手で数え切れるような状態だったから、資質を持つ者がどれだけ希少かも容易にわかってもらえるのではないだろうか。
 ただし、それでも術の強力さと戦後事情の戦力不足もあって、王家は魔法学園を登用した。そうして、しばらくは生き残りの騎士たちと共に国防に当たらせていたのだ。
 しかし、魔法学園の評判が上がってくると、王都の人間のみならず地方の人間もまた、その門戸を叩くようになってきた。その結果、二十年を経た今では百名ほどの構成人数となり、充分とは言えないまでも、その力は騎士たちを遥かに凌駕するようになっている。
 いや、寧ろ、先にも述べた通り騎士制度は完全に廃れている。魔法の有用性に魅せられた王族は騎士を見限ったのだ。
 そういった事情から、今現在では魔法学園が王家直属の軍事力となっている。
 その魔法学園は王城のすぐ近くにその居を構えている。
 建築家の洒落なのか、その形状はまさに学校のそれとなっていて、関係者でなければ研究機関という意識を持っていない者の方が多い。
 また、その建物の様子だけでなく、若い人員が多いのも人々に学び舎のような印象を与える一因となっているだろう。若い人間が資質を持っている確率が高いというわけではないのだが、こういったパフォーマンス性の高い組織は若者が志願する場合が多い。平均年齢が二十三というから、その前後五年を誤差と考えても、上も下も確かに若い。
 特に今年は十六歳の少女が二名選出されたため、平均年齢はさらに下がる可能性がある。
 一人はコリンという名の地方出身者。桃色のくせっ毛を肩の辺りまで伸ばしていて、頭頂部には特にクセのある数本の髪の毛がくるりと飛び出している。その容姿は十六歳というには少し子供っぽく、黒い瞳には幼子特有の無邪気さが残っている。
 彼女は火の魔法の素質しか有していない辺り、選出対象にはならない公算の方が高かった。しかし、その火の資質の高さが半端ではなかったらしい。
 実際、火の術に関してだけ言えば、彼女は既に学園において特出した使い手となっている。普通の(とはいっても一般の者と比べれば充分な素質の)使い手が行使する場合、数発打ち込まねば魔物を葬るに能わない程度の術がある。その術も、彼女が使うと鉄ですら溶かすという。そのような事実を鑑みるに、彼女の才能の高さには舌を巻くしかない。
 そしてもう一人は、リーンという名前の孤児だ。赤い髪を首にかからない程度の長さに切り揃えている。空色の瞳はややつり目気味で睨んでいるように見えるのが気になるところだが、性格は明るいので人に与える印象は悪くない。
 彼女は学園全体で見ても珍しい全ての魔法の資質を持つ者である。しかし、火、水、風、雷の四つの資質は選出の規定に達しないほど低い。彼女が選ばれた理由は、残りの闇の資質だった。
 勿論、闇の資質が高かったというのもあるが、そもそも闇の資質を持つ者自体がそうそういないのである。闇の資質を持つ者が彼女を含めても未だ五名に満たないのだから、その希少さは推して知るべしであろう。
 そんな二名が、学園の廊下を共に歩いていた。
 彼女たちは歳が同じで、かつ、同時期に選出されたということもあり、親交が深い。今も、仲良くお喋りに興じつつ、魔法学園備え付けの食堂に向っているところである。
「あぁ、楽しみだよねぇ、リーンちゃん! 今日の学食、何を頼んでもデザートにアイスが付くらしいよ! バニラかな? チョコかな?」
 浮かれた声でリーンに話しかけるコリン。
 そんなコリンに、リーンは呆れた瞳を向けている。
「アイスでそんなにわくわくできるのはコリンくらいだろうね…… ていうかさ、ガーランド先生に『学食』って呼ぶなって言われてるでしょ?」
「それを言ったら『先生』っていうのも使っちゃダメ、だよね」
 学園の関係者はここが学校であるかのような呼称を使う者も少なくない。使い勝手がいいという理由もあるが、その方がしっくり来るからという理由もある。
 しかし、その傾向を嫌うものもやはりいて、新人に対してそういう指導を行うことがあるのだ。それを為す代表ともいえるのが、リーンが口にしているガーランドだ。ガーランドは発足当時から学園にいる古株で、珍しく四十代という高齢(この組織内ではだが……)の男性。新人の指導や基本的な術の伝授を行っている。前述したように学校気質を嫌うのだが、やっていることは……
「でもさぁ、ガーランド先生って授業っぽいこともやるし、細かいことをいちいち注意してくるからすっごい『先生』っぽいよね」
「アハハ、言えてる〜」
 リーンが言った通りなのである。
 学校に限らず指導する者は必要なのだから、ガーランドのような役回りの者はいなければならない。ならないのだが、そのために学校気質を嫌う彼自身が『先生』のような存在になってしまっているというのは実に皮肉だ。
「ていうか呼び方くらい好きにさせて欲しいよね。いちいち注意されてたら疲れちゃう」
「そうだねぇ、ただでさえリーンちゃんは生活不規則になりがちだし、変なところでストレスとか、なるべく溜めたくないよねぇ」
「うっ! そ、そうね」
 軽く文句を言っていたリーンは、コリンの言葉を受けて表情を曇らす。そして、渋い声を漏らした。
 そこには闇の術使い特有の悩みがある。
 基本的に闇の術というのは闇の濃さでその強さが変わる。早い話、夜が本領場なのだ。そうすると自然に仕事を夜に回されることが多く、連日夜勤、昼夜逆転は日常茶飯事なのである。
 ちなみに今現在は真昼間であり、リーンにとっては数週間ぶりの昼の勤務の日だった。
「普通にお日様の光を浴びて廊下を歩くのも久し振りよね、ホント……」
「大変だよねぇ、闇使いは」
 労うようなことを言いながらも、コリンは心ここにあらずといった様子。所詮は他人事な上に、アイスが気になってそれどころではないのだろう。
 コリンのそんな様子は珍しくもないので、リーンも特に言及したりはしない。
 その後も日常の愚痴や、店で見た小物の話題などを展開させつつ、廊下を進む二名。
 そして、食堂が近づいてくるとコリンの瞳がキラキラと光り出した。彼女がアイスをかなり楽しみにしているだろうことの証左であろう。しかし、彼女は楽しみにしていたものを――アイスを口にできなくなる。
 というのも……
「王都に魔物の群れが向っているという情報が入った! 出られる者は全て出ろ!」
『え〜〜〜〜!』
 青年が、廊下を走りながら辺りに声をかけて回っていた。
 それを聞いて不満の声を上げたのはリーン、コリンである。
 もっとも、二名が声を上げた理由はそれぞれ違う。
 コリンは当然ながらアイスのため、リーンは久し振りののんびり昼間勤務を侵されたためだ。思わず青年に詰め寄る二名。
「ランド先輩! 本当なんですか、それ!」
「わたしのアイスはどうなっちゃうのぉ!」
 ランドと呼ばれた人物は、リーンの問いかけはともかくとして、コリンのアイス云々の話題に首をひねった。
 ランドは二十一歳の青年。選出されてから今年で三年目になる。短く刈った髪は橙色をしていて、その一風変わった色はひと目を引く。普通にしていても睨んでいるように見えると評される黒い瞳と、ほぼ変わることのない表情から機嫌が悪そうだというのが第一印象となることが多い。
 彼はコリンのように一つの資質が特化しているタイプの術者だ。その系統は水。水の術は主に戦闘補助を行うのだが、彼の場合は発展系として氷を操るまでに昇華されていて殺傷力のある術も多い。そんな中、彼が特に好んで使うのは氷でできた剣を生み出す術である。
「アイス?」
「そうだよ、ラン先輩。今日の学食は全員にアイスがつくの!」
 コリンはランドをランと呼ぶ。理由は短い方が呼び易いためだということなのだが、ランドとランではそう変わりがないだろうというのが周りの反応である。
「そんなことかよ…… アイスくらい仕事の後に喫茶店で食えばいいだろ! とにかく直ぐに討伐に向ってくれよ。もう王都内に侵入している可能性もあるから、大至急だ」
「学食でおまけにつくっていうのがいいのに〜」
 コリンはランドの真面目な言葉を受けても文句を続けている。
 一方、リーンはというと、状況を考えると出ないわけにはいかないことが判明して、やや落ち込み気味だ。とはいえ、コリンよりは冷静に考えているようで、ランドに質問をする。
「ランド先輩、正確には魔物はどの辺りに?」
「わからないというのが正直なところだな。風の術で探査すればいいかもしれないが……リーンは使えたか?」
「いえ、知っての通り闇の術以外は本当に簡単な術しか……」
「そうだったな……コリンは火の術だけだから、えーと」
 そう呟いてからランドは辺りに瞳を向ける。
 既に大多数は彼の報告を受けて出て行ったため、人影はまばらだ。
 そんな中、廊下をゆっくりとした足どりでこちらに向かってくる者にランドの視線が止まる。その者はランドがよく見知った相手であり、それでいて、今求めている能力を確かに有している。
「あぁ、シャロン。ちょうどよかった。君は風の探査術が使えただろう? リーンたちと一緒に出てくれ」
「嫌」
「……………」
 問答無用で断られたランドはついつい沈黙してしまった。
 その相手たるシャロンは、ランドよりも三つ若い十八歳だ。しかし、彼と同じく三年目の魔法学園生であるから、十五歳の時に選出された計算になる。青い髪を長く伸ばしていて、目つきが非常に鋭いのが印象的だ。また性格もその目つき同様尖がっており、他人を寄せ付けない節がある。
 彼女は闇の術以外は全て高い資質を有しているため、単純に強さだけを見れば学園内でも五本の指に入ると言われている実力者だ。火、水の術単体で考えればコリン、ランドに劣るが、四つの資質が高いというのはやはり驚異的である。
 当然風の術も得意で、魔物が存在する位置を探査する術も習得している。
 しかし……
「嫌、じゃないだろ! 魔物が王都に侵入しているかもしれないんだぞ!」
「知ったことじゃないわよ。今、研究が忙しいんだから下らないことで呼び止めないで」
 我に返り言い返すランドに、かなり自分勝手なことを言ってのけるシャロン。
 こういう性格だから扱いはかなり難しいのだ。
「リーンが闇の術で探査すればいいでしょ」
 確かに、闇の術にも魔物を探査する術はある。しかし――
「でも、シャロン。今昼だからたぶん無理……」
「夜まで待てば。それじゃ」
 言って、さっさと去ろうとするシャロン。
「待てるかぁ! お前はもう少し、世のため人のために働こうとは思わんのか!」
 ランドが彼女の腕を掴み、大きな声を出す。
「正義の押し売りはやめてよね。暑苦しいわよ、ランド」
「正義というか、一般常識だっ!」
「一般常識の押し売りはやめてよね。暑苦しいわ――」
「律儀に言い直さなくてもいい!」
 もはや漫才のような様相を見せ始めた二名の言い合い。
 その後もしばらく言い合いが続き、そして、最終的に折れたのは、意外にもシャロンだった。
「こうして言い合いをしているのも時間の無駄ね…… いいわ。ならこれが最大限の譲歩よ、ランド」
「何だ?」
 ランドの問いには答えず、窓へ近寄るシャロン。
 彼女は窓を開け放つと、少しの間、何かを口の中で呟く。
 それに伴って、しばらくすると空に暗雲が立ち込め始めた。
 水、雷の術双方を用いた複合魔法、オーバーキャスティングだ。簡単に言うと天気を悪くする術である。
 複合魔法は、その名の通り二つ以上の術を合わせて新しい効果を生む魔法。火と水の相性が悪いなどという実験的事実もあるが、それも理論上は可能とされている。
「リーン。これだけ暗ければ闇の術での探査もできるわね?」
「あっ、それで……」
 シャロンが何をしているのか理解ができなかったリーンは、彼女の言葉を受けてようやく納得した。
「できるかどうか訊いているのよ。どうなの?」
「う、うん。大まかにならわかるわ」
 リーンの答えを聞くと、次はランドの方を向くシャロン。
「ランド、あなたはどうせ二人とは別行動を取るつもりだろうから教えとくわ。魔物の大半は西門からやってきているようだから、そっち方面に行きなさい。かなりの数がいるみたいだから適当に歩いていても必ずどれかに出くわすわ。ランドも歩けば魔物に当たる、ね」
「勝手に変な諺を作るな! ……結局、一緒に来る気はないんだな」
「ざっと探査したけど、単純に戦力状況を見ればあなたとコリンの二人でもどうにかできるような奴らだわ。私が出る必要なんてないでしょう?」
 その言葉を聞いてもなお食い下がるのはやはりランド。
「問題なのは戦力状況ではなくて、相手がどこにいるかわからないという――」
「探査術は風の術の基礎よ。今出ている人間でも使える者は多いだろうから、そこら辺の細かい処理は彼らに任せなさい。あなたは出会った奴を問答無用で切り捨てていけばいいわ。じゃ、私はこれで」
 シャロンはランドの言葉を遮り、早口で言った。そして、未だランドに掴まれていた腕を振り解き、廊下を進んでいく。
 今度はランドも止めなかった。
「相変わらずだね〜、シャロンちゃん」
 コリンが食堂の扉から顔だけを出して言葉を発す。
「ちょっ、コリン。いつの間に学食に……その手に持っている物はなに?」
「アイス〜。ストロベリー味だったよ、リーンちゃん。おいし〜」
「直ぐに出るんだから食事なんてしてる時間は――」
「ラン先輩とシャロンちゃんの言い合い長かったから、もう食べ終わっちゃったよ。後はアイスだけ〜。これなら移動しながらでも食べられるし、オッケーっしょ?」
 ランドとシャロンの話は確かに十分ほどの長さになっていたが、その話の初めの頃はコリンもいたはずだ。そうなると、多めに見積もっても彼女が食事をすることができたのは五分といったところだろう。いや、食堂職員が料理を作る時間も考えると更に短いか……? どうやら、随分と早食いのようだ。
 色々と言及したい点があるのだろう。リーンもランドもすっきりしない顔をしていた。しかし、出立するのが遅れた分だけ急がなくてはいけない、と思い、直ぐに建物の入り口に向う。
 そんな中、ランドは軽く駆けながら、コリンに声をかける。
 もっともそれは、食事云々のことや、今現在直面している問題に関係する話ではなく、彼が以前から気になっていたことに関する話題。その話は、コリンだけでなくリーンにも当て嵌まる。
「俺のことは先輩って呼ぶくせに、何でシャロンはちゃん付けなんだ? リーンもシャロンのこと呼び捨てだし」
「なんかシャロンは尊敬できない感じ」
 身も蓋もなく言ったのはリーン。
 ランドは、それはあんまりじゃないか、と考えたが、先ほどの様子を考えると納得せざるを得なかった。一般的に言って、彼女が尊敬の対象からややずれているのは間違いない。
「わたしはねぇ、別に理由はないかな。ラン先輩もよければランちゃんって呼ぶよ」
 コリンがお金を貰っても遠慮したいような呼び方をランドに提案した時、三名は入り口を潜り、外へと飛び出した。この場所にいる分には、魔物の群れの存在など微塵も感じられない。
「……遠慮しておく。じゃ、俺は西門を目指すからここで別れよう。リーンはコリンから離れるなよ」
 ランドはコリンにげんなりした顔を向け、それから、リーンに注意を促す。
 そんな彼の注意に、リーンは疑問を禁じえない。
「それって私が弱いってことですか? そりゃあ、昼間は闇の術も効果が薄いですけど……」
「違う、違う。確かにそれもあ――じゃなくて……コリン一人だけじゃ魔物見つけるのも難しいだろうって意味だ。他意はない」
 言いかけて止めた言葉が、リーンの言葉の肯定だったことは間違いない。心配してのことだと分かってはいるからリーンも追求はしなかったが、少し落ち込んでいるようだ。
「……そういうことにしておきます。ランド先輩も気をつけて下さいね」
「ああ、ありがとう。全部倒し終えたら直帰していいからな」
「オッケー、ランちゃん!」
「その呼び方やめろ!」
 親指を立てて元気に返したコリンの聞き捨てならない呼び方に、ランドはすでに目的地に向けていた足を止めて律儀に突っ込む。
 今後その呼び方が定着するのは是が非でも避けたいだろうから、彼のその反応も当然であった。

 リーンとコリンがまず向ったのは、南地区。
 シャロンも言っていたが、リーンの探査術でも、魔物は西門方面に集中していることがわかった。そちらはランドが向かったのだからいく必要はない……とまでは言わないが、他の場所を優先させるべきだと判断し、次に急を要しそうな南地区に向ったのだ。
 そちらの方角には、いまだ王都内に侵攻していないもので数十体の魔物が確認でき、既に侵入してしまっているものは二十体ほど。
「リーンちゃん、疲れた〜。一体目のいる場所ってまだ〜?」
 コリンが早々に音を上げる。
 とはいえ、走り出してから十数分は経っているため、無理はないだろう。
「大体この辺りよ。夜じゃないからちゃんと位置を掴むことはできないけど――コリン!」
「っ!」
 コリンの方を向いて口を開いたリーンは、彼女の後ろにいるものを見つけて注意を呼びかけた。
 コリンも真剣な顔つきになって横に跳び、それから振り返る。
 その行動は功を奏した。
 コリンの立っていた場所を素早い動きの影が横切ったのは、彼女が横に跳んだまさにその時だった。
「速い! ――気をつけてコリン、獣型よ!」
 獣型というのは、スピード面に優れている犬のような姿の魔物だ。成長の度合いにもよるが、そのスピードは人間の全力疾走の三倍はくだらない。ただし、攻撃の種類が体当たりくらいゆえ、そう厄介な相手ではない。――ないのではあるが……
 二人はほんの少しだが、顔を顰めた。
 実はコリンはスピード重視型の魔物とは相性が悪いのである。火の術の性質上、素早いスピード型が相手の場合は、逃げられないように広範囲に効果を及ぼす炎を生み出す必要がある。しかし、ここは王都内ゆえ、不用意に巨大な炎を生み出すわけにはいかないのである。
「リーンちゃん、ダークアレスト使える?」
「たぶん拘束力期待薄っ!」
 体当たりを繰り返す魔物をほぼ勘と運でかわしながら、二人は会話を交わす。
 ダークアレストというのは闇の術の一つ。闇の領域にあるものをほぼ例外なく拘束する術である。
 しかし、天候不良によって薄暗い程度の今の状況では、その緊縛は人間でさえも押さえつけられないことが予想された。
 懸命に魔物の攻勢を避け、時だけが過ぎる。が、しばらくすると、リーンの頭にひらめきが齎された。
「っと、そうだ! コリン、今から魔物の動きが一瞬止まるだろうから見逃さないでよ!」
「オッケ!」
 相変わらず体当たりをかわしつつ、リーンは短い言葉を呟く。
「闇に包まれし全ての者を拘束せん……ダークアレスト!」
 彼女がそう言い放つと、大きな犬のような魔物が派手に転がった。
「デスフレイム!」
 そのタイミングを見逃さず、コリンは炎を解き放つ。
 デスフレイムは対象が尽きるまで燃え続ける激しい炎を生み出す術。その威力は、スピードだけが特化している魔物を葬るには充分すぎるものだった。
 魔物は断末魔の叫びを上げる間もなく、燃え盛る炎に飲まれ――消えた。
「ナーイス! コリン!」
「リーンちゃんこそ! っていうか、何したの?」
 拘束するための術を使ったらば、なぜか魔物が派手にスッ転んだのだ。コリンが疑問を抱くのも当然だった。しかし、その答えは呆気ないほどに単純。
「拘束するのはたぶん無理だと思ったから、ダークアレストで魔物の足だけを絡め取ったの。それで、派手に転んだわけよ」
「あー、なるほどぉ! 頭いいね、リーンちゃん」
「いやぁ、照れるー、ってそんな場合じゃないから! 次、行くよ!」
 コリンの賛美にリーンは頬に手を当てて照れるが、直ぐに現在の状況を思い出す。そして、コリンを先導して次の魔物を目指そうとする。
「少し休もうよぉ」
 コリンは一応不満の声を上げているが、いい答えが期待できないことはわかっているらしい。すでに軽く走り出している。
「駄目に決まってるでしょ? まだまだ、魔物は多いんだからね」
 そう言って路地裏に入り込み、走り出すリーン。
 ただし、先を急ぎながらもそのスピードが先程よりも落とされている辺り、彼女の人の好さが窺える。
「はぁ…… せめてパワー型とか倒しやすいのだといいなぁ」
 コリンは呟いてから、リーンの後に続いて本格的に走り出す。
 パワー型というのは文字通り力の強い魔物のこと。スピードは平均的な人間よりも劣るから、コリンの術があれば問答無用で殲滅することが可能だ。
 とはいえ、その後に出現する魔物がどんなタイプかは完全に運任せゆえ、コリンの憂鬱が解消されるには、まだまだ時間が掛かることだろう。

「……今ので何体目だっけぇ?」
「……三十くらいかな? あれ、四十?」
 筋骨隆々とした上半身と蛇のような下半身を有した魔物を炎で焼いたあと、コリンは疲れた声でリーンに問う。
 それに返すリーンの声にもまた、濃い疲労の色がみえた。
「ねぇ、リーンちゃん……まだいるのぉ?」
「大分減ってきたみたいよ。この地区だけじゃなくて、王都全体で見ても後……五体ね。私達が処理するのがいいと思うのは――二体よ。他は西地区だから遠すぎるし、あっちは他に向かった人も多いだろうしね」
「ほんと! ……や、やっと終わりが見えて来た感じだねぇ。ていうか今何時かなぁ」
 希望を感じることができるリーンの言葉に、疲労で崩れ落ちそうになりながらも、目を輝かせて喜ぶコリン。
 そして、そんなコリンの問いに答えたのはリーンではなく――
「午後六時くらいだと思うよ。僕が城を出たのが午後五時半だったからね」
「あ、お兄ちゃん」
「カシスさん、どうも」
 カシスはコリンの兄だ。目の色や頭のくるりとしたクセ毛が彼らの見た目の共通点である。ただし、彼はコリンと違い髪の色は灰色で、視力矯正のための眼鏡をかけているのが特徴的だ。二十歳の、城で書庫の整理や管理を任されている学者の卵。帰り道にて妹とその友人を見かけ、声をかけたようだ。
「雰囲気から察するに、まだ仕事中なのかい? コリン」
「うん、ま〜ね」
「というかカシスさん、六時って本当ですか? そこまで暗いようにも感じませんけど……」
「今日は昼くらいから天気が悪くなってずっと薄暗かったからね。それでそう感じるんじゃないかな? でも、少なくとも五時半は回っているよ」
 カシスの返事を受けてリーンはため息と共にうな垂れる。
「はぁ、久々に夕方には帰って、アクセサリーとか服とか見て回れると思ったのに、魔物をあと二体倒さなきゃいけないことを考えると、店が開いてるうちに帰れるかどうか……」
「ご愁傷様、リーンちゃん」
「よく分からないけど……ご愁傷様。邪魔しちゃ悪いから僕は行くよ、仕事頑張ってね」
 そう言って軽く手を振って帰路に着くカシス。
「……ありがとうございます」
「直ぐ帰れると思うから、ご飯用意しといてねぇ〜」
 相変わらず疲労感を漂わせて礼を述べるリーンと、幾分元気を取り戻した調子で頼みごとをするコリン。
 カシスはもう一度振り向いて手を振り、突き当りの角を曲がって見えなくなった。
「さてと。さっさと最後の二体を倒して帰ろっかぁ。てか、うっかりしてたけど、お兄ちゃんの帰り道に魔物いないよね?」
「んん、それは大丈夫みたい。にしても、言われるまで気付かなかったけど……結構暗いね。今使った探査術も精度よかったし、漸く闇の術の本領場ってとこね。というわけで、今度の相手は私が倒すわ。溜まった嫌な気分も発散したいし」
 リーンは右手に力を込め、小さな闇色の刃を生み出してみせた。それを地面に投げつけて突き刺し、得意げに笑う。
 その様子を瞳に入れたコリンは、黒い大きな瞳を見開き、満面の笑みを浮かべた。そして言う。
「じゃ、わたし帰っていい?」
「帰ったら、明日ひどいからね!」
 この状況で帰られると精神的にダメージが大きいのだろう。リーンは本当に恨めしそうな瞳でコリンを睨む。
 それを受け、コリンはばつが悪そうにぺろりと舌を出し、あさっての方向を見やる。
 仲がいいのか、悪いのか、よくわからない二名だ。
 その二名は気を取り直し、リーン先導によって次の魔物の元へ向う。そして、闇が深くなり探査術の精度が上がったためだろう。実際に目で確認できる前に角の先に魔物がいることを察知する。
 リーンはそこで足を止め、瞳を閉じて力を解放するための言葉を口にする。
「闇は全てを貫く刃となる……シャドウエッジ!」
 コリンが角から顔を出して魔物の様子を窺う。すると、真っ黒な錐のようなものが対象を貫いているのが見えた。パワー型の魔物であるようだが、あのように胸全体を錐で貫かれたのではひとたまりもない。
「ひゅ〜、やっぱり闇の術はすごいねぇ。タフなパワー型を一発!」
「そんなこと言ったら、火の術の方が威力あるでしょ?」
「火の術は攻撃タイプばっかりだもん。そっちは探査術もあるし、補助術とかもあって使いどころが多いじゃない」
「その代わり夜勤ばかりだけどね……」
 褒めたコリンに対し、リーンは暗い顔で後ろ向きの発言をする。
 疲れているためなのか、それとも、通常勤務にもかかわらず遅くまで働くことになったためなのか、ややネガティブになっている。
「よっ、夜の女王!」
「変なあだ名つけないで!」
 コリンは励ますつもりで言ったが、リーンは気に入らなかったようだ。夜の女王などという呼称を気に入る人間の方が珍しいという意見もあるが……
 機嫌を悪くしたリーンに戸惑うコリン。彼女にしてみれば善意のつもりだったゆえ、なぜ機嫌が悪くなったのか分からないのだろう。
 とはいえそのままにしておくわけにもいかないと考え、彼女は話を変える。
「ねぇ、リーンちゃん。もう一体いるんだよね。どこら辺?」
「あ、そうか。えーと……あれ? いなくなってるみたい。他の人が倒したのかも…… 西地区にはまだ最後の一体がいるみたいだけど」
 そこでコリンは、我が意を得たり、とばかりに言葉を続ける。
「じゃあ、これで帰れるね! よかったね〜、リーンちゃん。まだ六時二十分くらいだろうし、少しならお店見て回れるよ。わたしも付き合うからさ」
 普段は自分本位の発言が多い彼女だが、気を使うことも知っているらしい。
「本当なら定時五時には帰れるはずだったのに…… 通常勤務の日に限って魔物の群れがくるなんて、もしかして呪われてるのかも…… お祓い行こうかしら」
「も〜、リーンちゃん。呪われてるなんて非常識だよ〜。ほら、ほらぁ。気を取り直して買い物行こっ! 一つだけなら何でも奢っちゃうよ」
 どうやら元気付けてくれているらしいコリンに愚痴を言ってばかりいては悪いと考えたのか、リーンは、幾分表情を柔らかくし口を開く――が……
「ありが――とっとっとぉ」
「だ、大丈夫?」
 彼女は言葉を言い切る前に、ふらふらとよろける。何とか踏みとどまったが、なおも頭が左右に揺れている。
「ストレスが脳にもキたとか?」
「そんなわけないでしょ!」
 疲れていてもきっちりコリンの天然ボケに突っ込み、リーンは更に後を続ける。
「たぶん、魔法を使い過ぎたんじゃないかな…… 探査術はずっとだったし、ダークアレストも十数回、最後にシャドウエッジも……」
 指を折りつつ数えるリーン。
 コリンは心配そうに見詰め、声をかける。
「大丈夫?」
「あー、大丈夫、大丈夫。早くお店行こ」
「帰った方がよくない?」
「意地でも行くわ! 楽しみにしてたんだか……らっ」
 ドガシャンッ!
「リーンちゃん!」
 今度は完全に倒れるリーン。ふらふらっと路地裏に入り込み、脇に積まれていた段ボールに突っ込む。大層派手な音が響いた。
「もぉ、大丈夫? 無理しちゃダメだっ……て……?」
 しょうがないなぁ、という様子でリーンが倒れた込んだところに近寄り、声をかけたコリン。しかし、明らかにおかしな点に気付き言葉の最後は小さくなった。
 というのも――
「えっ、リーンちゃん、どこ? リーンちゃん! リーンちゃん!!」
 そう、リーンの姿はどこにも見当たらなかった。コリンの目の前でその場所に倒れこんだにも拘らず……
「リーンちゃんが――消えちゃった……」
 コリンは、呆けてそこに佇むこと以外、何もできない。
 夜の帳が落ち始めた王都ガイアシス。彼の地では、闇に抱かれ不安そうに佇む少女を、月明かりだけが照らし出していた。

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