の齎すもの

「大変、大変、大変だよ〜〜〜!」
 特徴的な桃色の髪を有した少女が、叫びながら、物凄い勢いで魔法学園の研究開発室に飛び込んできた。コリンである。
 彼女は、この部屋にいるはずのシャロンを訪ねてきたのだ。
「どうしたんだ、コリン? 直帰しなかったのか?」
 しかし、息も絶え絶えで到着したコリンにまず声をかけたのは、鋭い目つきの青年。
「あれ、ラン先輩。珍しいねぇ、この部屋にいるなんて」
「今日の魔物の群れはいくらなんでも多すぎたからな。ここで何か掴んでないかと思ったんだ。それよりどうした? 何やら慌てていたみたいだが……」
 ランドはコリンの問いに答え、それから、先ほどまでの彼女の騒々しい様子に対する疑問の言葉を紡ぐ。
 それを聞いたコリンは、いつも緩みっぱなしの顔に緊張を携えて声を大にする。
「そうだったぁ! あのね、ラン先輩! リーンちゃんが消えちゃったの!」
「はぁ?」
「だからぁ! なんかふらふら〜ってなって! それでどがしゃ〜んってなって! 気付いたらいなくなってたんだってばぁ!」
 擬音や身振り手振りを交え興奮気味で為された説明。当然言うまでもなく、見ていた人々がその説明を理解することはできなかった。
「うるさいわね。もう少し落ち着いて、客観的に、静かに話しなさい」
 シャロンが自分の作業を続けながら、瞳だけコリンに向けて注意する。
「落ち着いてる場合じゃないんだってば! シャロンちゃん!」
「いや、コリン。お前の言ってること全然わからんし…… ここは一旦落ち着け」
 シャロンの方を向いて頬を膨らましたコリンに、ランドはシャロンよりもソフトに、そして丁寧に注意を促す。
 それを受けたコリンは一度深呼吸。加えて、室内においてある水瓶から水を一杯すくって一気に飲み干し、更に近くの机の上においてあったパンを2、3個頬張る。それを飲み込むのに手間どって軽く喉に詰まらせ、再び水を大急ぎで飲み干してから漸く口を開く。
「だからねぇ」
「パン代弁償しなさいよ」
「あっ、シャロンちゃんのだったの? ツケといて。でね――」
 コリンは適当に返してから話を続ける。
「南地区の方で魔物を倒した後、リーンちゃんがふらふらし出したの。何か魔法の使いすぎのせいだったみたいだけど、そしたらそのままばた〜んって倒れちゃって、路地裏につっこんだんだ。その時ちょっと見えなくなったんだけど、直ぐに奥をのぞいてみたらもういなかったの。わかった?」
 と、一息で一気にまくしたて、皆の反応を待つコリン。
 まず反応を示したのはランドだった。
「――っ! 探しにいくぞ!」
「あぁっ! 駄目だってばラン先輩っ! 探しに行く前にシャロンちゃんに探査術使って貰わないとっ! 見当もつけずにいったって絶対見つからないよっ!」
 顔面蒼白で慌てた様子のランドに、意外と冷静に判断しているコリン。先ほどまでのおかしな言動が嘘のようである。
「別にほっとけば? 明日にでもなればそこら辺から沸いてくるわよ」
 そこで、作業を進めながらそう言ったのは、当然シャロン。それに素早く返す者が二名。
「シャロンちゃんのばかぁ! そんなこと言ってると、その実験道具燃やしちゃうからぁ!」
「俺は実験データを書いたノートを洗い流すっ!」
 怒り心頭でそう叫んだのはコリン、ランド。
 実験道具やら実験データやら、あまり真剣に怒っているように聞こえないかもしれないが、実はこれらのものはシャロンが最も大切にしているものなのだ。誰かが捨てようとしたりぞんざいに扱ったりして電撃の魔法で感電させられたり、炎の魔法で軽く燻られたりすることは割と日常茶飯事である。
 そんな部分に触れるくらいなのだから、二人の怒りは相当なものだということが窺える。そしてそれは、リーンが好かれている証拠とも言えるだろう。
 もっとも、それは――
 ふぅ。
 シャロンが一度ため息をついてから言葉を続ける。
「だから少し落ち着きなさい。闇の術使いの気配は、闇が支配している夜の間は散漫となって感知しづらいわ。どう考えても朝まで待った方が得策なのよ。私が言っているのはそういうこと」
 やはり作業を続けたまま、言葉に棘を含んだままでそう言う。しかしそこからは、シャロンもまたリーンのことを好いているという事実をうかがい知ることができる。
「それに」
 シャロンは、彼女の言葉に納得して黙ってしまったコリン、ランドを一度見回してから、視線を部屋の奥へと向けて再び言葉を発した。
「学園長の指示も仰いだ方がいいでしょうね」
 そう言ったシャロンの視線の先には、白に近い灰色の髪と、青い瞳の男性。実年齢は40に差し掛かったところなのだが、その見た目は20代で充分に通る。魔法学園の創設者であり、現学園長のシン。
 シンは何名かとともに行っていた作業の手を止めてコリン達の方を向き、口を開く。
「捜索はシャロンの言うとおり明朝より…… メンバーはそこにいる3名だ」
 そう簡単に言ってから他の者に作業に戻るように指示し、さらに言葉を続ける。
「人員不足を考慮すると、これ以上の人数の登用はできない。しかし、リーンはこの学園の大事な一員だ。全力で捜索にあたってくれ」
「はい!」
「は〜い!」
 シンの言葉にきっちりと返事をしたのはランド、間延びした返事をしたのはコリン、全く返事をしなかったのがシャロン。三者三様の中々に面白いパーティが生まれたといえるだろう。
 しかし、その戦闘力は面白いでは済まされないようなものになっている。
 シンは割いた人数が少ないかのように言ったが、実質この3人は学園内でトップクラスの戦闘力保持者。どちらかといえば充分すぎるくらいの構成員だろう。というか実際、まわりにいた他の者達は、そのような事実を考え少し呆れ気味だったりもする。
 シンが相当リーンを重要だと考えているのか、はたまた面倒だったからまとまっていた3人を指名したのか。
 何にしても、リーンの捜索は明朝より開始されることが決定した。

 昨日に引き続き二人で掃除をしながら、ヴェイルとシャロンは会話を展開させていた。
「……それじゃあ、ヴェイルさんの家に女の子がいるんですか?」
 普段穏やかな顔つきを心もち厳しくし、掃除の手を止めてシャロンが言った。
「ああ。まあ放り出してもよかったんだけど、さすがに気の毒だからな」
 シャロンの方を見ずに、掃除を続けたまま応えたヴェイル。
 昨日の帰りに怪我人に出くわしたこと、部屋に突然女の子が入ってきたこと、そして結局その女の子を泊めたことなどを話した結果、このような会話が為されたのだ。
 ちなみに、ここでヴェイルが魔物のことやリーンの魔法のことを話さなかったのは、実際に見た者でないと信じない可能性が高いと踏んだからである。ヴェイル自身リーンの魔法や魔物がいるという発言を信じなかったのだからそれも無理はない。
 もっとも、そのことがシャロンに色々と複雑な気持ちを持たせる原因となっているのだが……
「……ふ、不潔です! ヴェイルさん!」
「はぁ?」
 シャロンの突然の叫びにヴェイルは、思わず手を止めて彼女の方を向く。
 すると、彼女の顔は紅潮し、その瞳には軽く涙が浮かんでいた。
 しばらくは、顔にはてなマークを携えてシャロンを見ていた彼だったが、彼女が大きな誤解をしていることに漸く気付き慌てて弁明をする。
「お、お前、勘違いしてるぞ。その女の子は確かに俺の部屋に泊まったけど、俺はカシスの部屋に泊まったんだからな?」
 そう。リーンが、102号室は自分の部屋だと譲らなく、更に言うと彼女はそこに泊まらないと野宿になってしまうというので、ヴェイルは彼女が泊ることを渋々承知。一緒に泊るのはヴェイル、リーン双方が拒否したため男二人で101号室にお泊りと相成ったのだ。
「えっ! あ、あはは。そうだったんですか…… すみません、早とちりしちゃって」
「別にいいけどな…… つーか、そいつまだ16だって言ってたし、ガキだよ、ガキ。仮に一緒の部屋に泊まったって問題なんか起きねぇって」
 と言って大きく笑うヴェイル。
 しかし、シャロンは笑わずに、寧ろ下を向いて軽く落ち込んでいるように見える。ちなみに彼女の歳は18。
「ヴェイルさん…… その…… 私は……?」
「? 何だ?」
「あっ、いえ、何でもないです! あっ、そろそろこの部屋終わりにして、次いきましょうか?」
 疑問たっぷりに返したヴェイルに、シャロンは大慌てで手を振り、その手を掃除道具に向け元気一杯に移動させ始める。
 ヴェイルはしばらく首を傾げていたが、今いる部屋の掃除を切り上げることは賛成だったようで直ぐに移動の準備を始める。そして、手を動かしながら口を開く。
「あと3部屋ってとこか。昨日より大分早く終わっちまうな。昨日まとめてやりすぎたか? 1日に掃除する部屋数もう少し減らしてもいいみたいだな」
「そうですね。と言っても、その後はみっちりと訓練になりますし、疲れるのは変わりませんけど」
 と、苦笑しつつシャロン。
「ひらすら掃除よりマシだよ。さて、それじゃあ次の部屋に――」
「ヴェイル、シャロン」
 同じく苦笑気味で返したヴェイルのその後の言葉を遮って声をかけてきたのは――
『お疲れ様です。ライル副団長』
「うむ。君達もご苦労」
 綺麗に揃って挨拶した二人に、ライルは片手を軽く上げて応え先を続ける。
「掃除はもう終わるか?」
「ええ、後3部屋ほどで」
 と、ヴェイルが答えると――
「そうか。ならば、その後任務についてくれぬか?」
 ……………
 突然の言葉に沈黙する二人。
 というのも、彼らは見習い一年目という立場ゆえ任務についたことがなかったのだ。
「どうした? 止めておくか?」
 そんな彼らを眺め、ライルは軽く笑みを浮かべながらからかうように言った。
「い、いえ!」
「謹んでお受けいたします!」
 二人は慌てて答える。せっかくの初任務のチャンスを棒に振るうわけにはいかないと必死だった。
「そうか。ならば掃除が終わり次第ソレイユ教団の本部に向ってくれ」
「ソレイユ……教団ですか?」
 ヴェイルはライルの言葉に、というかその中に含まれた単語にほんの少しだけ顔を歪めて聞き返した。他の見習い騎士達が辞めた原因、そして昨日の夜に瀕死の女性を救った教主が創設した団体。彼にとってはその二つの要素が絡み合っていて、複雑な心境を持たざるを得ないといった感じだった。
「ああ。アース団長があそこの手伝いをする依頼を受けていたのだが、団長は急な魔物討伐の依頼で留守であるし、他の者達は手が空いておらん」
「具体的に何をやるかというのは?」
 シャロンが訊く。
「それはわからん。依頼書には手伝いとしか書いてなくてな。とっ…… 俺はこれから別の仕事があって出ねばならんのだ。まあ、何かとしがらみはあるだろうが…… 頼むぞ」
 そう言って去っていくライル。
 残された二人は――
「ソレイユ教団か……」
 ヴェイルは昨日会ったミーティアのことを思い出していた。その手から生まれ出た柔らかな光、そして同じく顔に浮かんでいた柔らかな笑み、それでいて瞳に浮かんでいたのは強い悲しみの色。不思議な雰囲気を持った女性だった。
「初任務なんてわくわくしますね、ヴェイルさん! 何のお手伝いなんでしょうか?」
 そこで横から上がったシャロンの楽しそうな声に、彼は気を取り直し答える。
「たしかに、初任務なんて響きだけでわくわくするよな。だけどまあゴミ拾いの手伝いとか、最近増えた何でも屋的な仕事だろうけどさ」
 とはいいながらも彼の顔にも笑みが浮かんでいた。何だかんだでやはり嬉しいようだ。
 そのことは、この後彼らが掃除した3部屋が、それ以前に掃除した部屋よりも大分綺麗だったことからもわかるというものだ。

 日が昇り朝霧が立ち込める中、シャロンはひとり魔法学園の前にいた。外を歩く者はおらず、まさに早朝と呼ぶのが相応しい、そんな時間帯。
 前日にコリン、ランドと話し合い朝早く捜索を開始しようと決めたゆえなのだが……
「……遅い」
 シャロンはイラついた様子で呟く。
 他の二人はまだ来ていなかった。ランドは朝に弱い傾向があり、コリンは遅刻魔という属性があるものの今回は大丈夫かと思われたのだが……
 しかし、ぼーっとしていても仕方がないので、シャロンは探査術でリーンの居場所を探ってみる。仮に見つけることができれば、あとは二人が来た後に行動に移るだけだ。
 そこで、相当魔力を練りこみ気合を入れて探査術を使ったシャロンは眉を顰める。
 リーンを見つけることはできた。それはいいのだが――どうやら王都内にいるらしい。しかも彼女の部屋近辺のようなのだ。
「……散々騒がしといて、悪戯だったってオチじゃないでしょうね」
 鋭い目つきを更に鋭くしてシャロンが呟いたその時――
「ごめ〜ん、シャロンちゃん。遅れちゃったぁ」
「すまん。ついうとうとと……」
 小走りでコリンとランドがやってきた。シャロンはそちらを一瞥し――
「フライトデスト」
 問答無用で二人の手を掴み、移動のための風の術を使うシャロン。
 一瞬で景色が変わり、三人は並木林が美しい広間に佇んでいた。ここは――
「ここ…… 北地区の公園だね。ここにリーンちゃんがいるの?」
「なんでまたこんなとこに」
 そんな二人の呟きを聞き流しつつシャロンは戸惑っていた。
 彼女は当然の如くリーンのアパートがある南地区を目的地として術を使った。にもかかわらず、そことは正反対の北地区に来てしまうとはどういうことだろうか。
 とはいえ、それを気にしていても仕方がない。
「コリン。出てくる時にリーンの部屋は確認した?」
「うん。何回かチャイム鳴らしたけど、やっぱりいなかったよ」
 リーンは眠りが浅い。チャイムを鳴らせば大抵は起きるから、本当にいないか、居留守を使っているか。
 何にしても、やはり一度彼女の部屋に行ってみた方がいいだろう。
 シャロンはそう考えて、先ほどのように魔力を集めて術の準備に入る。しかし――
 ……? 魔力が……集まらない?
 フライトデストは風の術の中でもそれなりに難しい部類に入る術。魔力もある程度は集める必要があるのだが、彼女の実力なら一瞬と言ってもいいくらいの間で集まるはずの魔力は数十秒を経ても集まらない。
「どうした? シャロン」
「魔力が集まらなくてフライトデストが使えないわ。リーンはアパート付近にいるみたいなんだけど……」
「えっ! じゃあ、南地区?」
 ダッ!
 シャロンの言葉を聞き、それに対し叫んでから駆け出すコリン。目指すは当然南地区。
 そしてやはり、ランドもまた彼女の後に続く。
「……そうね。術が使えないのなら足を使って向うしかないわね」
 独り残されたシャロンは、そう呟いてからゆっくりと歩を進めた。

 リーンは朝早くからあてもなく街中を見て回っていた。
 もっとも、はじめは魔法学園に向かうという目的があったのだが、それがあるはずの場所に行くとごく普通の家屋が建っていて、さらには王城の前に『何でも引き受けます! ご依頼はお気軽に騎士団まで!』という旗が立っていたりして、彼女が知るのとは似ても似つかない光景が広がっていた。
 そして今こうして歩き回っていても、基本的な建物の配置などにそれほど差異はないのだが細かいところ――建物の配色や住んでいる人、店で売っている物などに違いが見受けられた。
 また、何度か知った顔に会ったのだが、その人たちもカシス同様彼女のことをわからなかった。
「ふぅ、どうなってるのかしら……?」
 すっかり街中を回り南地区に戻ってきて、リーンは独りそう呟く。
 時刻はもう10時を回ろうというところ。朝の6時から歩き回っていたリーンはすっかり疲れ果て、立ち止まって壁にもたれかかる。
 その時――
「こら、待ちなさい! 誰かその子を捕まえて下さい!」
 そう叫びながら走る女性の前方には、髪を短く刈った10歳前後の少年。イタズラ坊主とその母親といったところか。もっとも女性は20代前半か、もしくは10代後半ぐらいにしか見えないから、母親代理かもしれないが……
 そんな考察はともかくとして、リーンは子供の腕を取り捕まえる。
「離せよっ! ブス!」
「ぶ…… 坊や、お母さんを困らせちゃ駄目でしょ?」
 子供の暴言にこめかみをぴくつかせながらも、笑顔を浮かべて優しくそう言う。
「すみません、助かりました」
 女性は息を切らしながら丁寧に礼を言う。
 長く伸ばした赤毛と赤い瞳が印象的な女性。その格好からはどこか宗教的な感じを受ける。
「いえ。大変ですよね、子供の相手って」
 リーンは王都に来る前――魔法学園に入る前、地方の孤児院で自分より年下の孤児の世話をしていた。その時の体験からきた言葉だった。
「ええ、まあ。ですが楽しいですよ、賑やかで。そうだ、お礼にお茶でもどうですか?」
「えっ、いえ。そんな、ご迷惑だし」
「どうせこれからおやつの時間ですから。あなたお一人が増えてもそう変わりません」
 女性が微笑んでそう言うと――
「おやつ! 何だよ。それを早く言ってよ、ミーティア姉ちゃん。それならさっさと帰るのに」
 子供が大きな声で反応し、リーンの腕を振り払って来た道を駆け足で戻っていった。
「あっ! 気をつけて戻るのよ! もぅ」
 ミーティアは子供に注意を呼びかけてから、軽く微笑む。
「あの子はあなたのお子さんじゃないんですか?」
 リーンが聞いた。
 彼女も元々違うだろうと考えていたが、子供の言ったことを考えるとまず間違いなさそうである。
「ええ。託児所のようなことをしていまして。両親の仕事が忙しくて預けられる子とか、親御さんが買い物をしている間預けられる子とか、色々ですね。中には孤児の子も……」
 言葉の後半は微笑みながらも悲しみを携えて話すミーティア。
 しかし直ぐにそれを吹き飛ばし――
「そんなわけで、元々人数は多いですから遠慮せずにいらして下さい」
 と、先ほどのお茶のお誘いの続き。
「それなら、お言葉に甘えることにします。歩き回って疲れてたところだし」
 そう言ってにこりと笑うリーン。
 どうせ今の状況がよくわからないのだし、子供の世話を手伝うのも悪くないと考えたようだ。もっとも、言葉どおりの理由もあるのだろうが……
「あ、私リーンっていいます」
「私はミーティアです。よろしくお願いしますね、リーンさん」
「はい」
 そう言ってにこりと笑い合う二人。
「ところで、ミーティアさんご結婚は?」
 と、突然リーンが訊いた。彼女がいた孤児院の院長が、結婚してるけど子供ができないから孤児の世話を始めました、という人であったゆえの質問だった。
「いえ、恥ずかしながら…… もうすぐ40なのですけどね」
 照れくさそうに笑って、ミーティアがそう答える。
「し、40!」
 リーンはそう叫んでからしばらく固まり――
「お勧めの化粧品はなんですか?」
 真剣な顔で問う彼女に、ミーティアは曖昧に笑って困った表情を浮かべた。

「すみませーん! 騎士団の者ですけどー!」
 ソレイユ教団本部の玄関口でヴェイルが叫んだ。
「はい、お待ちして―― あら、貴方は」
 奥から出てきたミーティアが、ヴェイルを見て微笑む。
「昨日はどうも。実は俺、騎士団の見習いで、今回アース団長の代わりに手伝いに来ました」
「そうですか。確かヴェイルさんでしたね。本日はよろしくお願いいたします。それで、そちらの方は?」
 ヴェイルに向けて軽く微笑んでから、今度はその瞳をシャロンに向ける。
「同じく騎士団見習いのシャロンです。初めまして、ミーティアさん」
「初めまして。シャロンさんも、よろしくお願いいたします。では、さっそくこちらへいらしていただけますか、お二人とも」
 そう言って、奥へと進んでいくミーティア。
 ヴェイルとシャロンはそれに続きながら、彼女に声をかける。
「それで何の手伝いなんですか? 依頼書には詳しいことが書いていなかったのですが……」
「あら、ごめんなさい。団長さんがそれほど詳しく書かなくてもいいと仰ったのでそれに甘えてしまって…… 本日手伝っていただきたいのは――」
 そう言いながら扉のひとつを開くミーティア。その扉の先には――
「おい、それ俺んだぞ!」
「違うもん! わたしのだもん!」
 大声で言い合い、オモチャやおやつの取り合いをするたくさんの子供達。
「子供達のお世話です」
『……………』
 二人は思わず沈黙する。予想通りといえばそうなのだが、やはり少しは期待していたようだ。
「あれ、変態じゃない。何してんの、こんなとこで?」
 そこで上がった声の主は――
「いい加減変態っつうの止めろ! リーン」
「あ〜、悪かったわよ。ついね。で、ヴェイル、何してんの?」
 うるさそうに手を振ってから言い直し、リーンは再び訊く。
「俺は仕事だよ。つーか、お前こそ何でここにいんだよ?」
「私はお茶を貰いつつ子供の世話を――」
「あの! この子が掃除の時に話してた子ですか?」
 そこでリーンの言葉を遮って、シャロンがヴェイルににこやかに声をかける。
 突然の割り込みに驚きながらもヴェイルが答えようとすると――
「シャロン? シャロンじゃない! って、もしかして……」
 リーンがシャロンの肩を抱きながら叫び、しかし直ぐに言葉尻を濁してシャロンの顔を恐る恐る見る。
「えっと…… どちら様でしたっけ」
「やっぱりかぁ〜」
 本日何度目かになる失意のため息をつきつつ呟く。
「なんのコントだ?」
「あ〜、別に。簡単に言うとカシスさんの時と同じパターンってことよ」
 ヴェイルの軽い疑問に適当に答えるリーン。
 と、その時――
「あ! こら、待ちなさい!」
「やだよ〜だっ!」
 短髪の少年が、捕まえようとするミーティアの手をすり抜けて外へと駆け出していった。
「まったく、あのイタズラ坊主は……」
 リーンはため息をついてからそうごちる。腰を上げて追いかけようとすると――
「俺行ってきますよ、ミーティアさん」
「いいんですか?」
「仕事で来てるんだから当然ですって。それに体力には自信あるし」
 ヴェイルはそう言って扉から出て行く。
「それじゃ、私は他の子の世話を…… というか何をすれば?」
 と、シャロン。
「あぁ、別に何をするということもないのですけど…… リーンさんと一緒に遊び相手をしてもらえますか?」
「はい、わかりました。頑張りましょうね、リーンさん」
 子供を追いかけようと腰を上げた状態、つまり中腰のままで止まっていたリーンは、シャロンの丁寧でにこやかな様子に鳥肌を立て――
「やめてよ――じゃなくてやめてくださいよ。リーンでいいですから」
「そう、じゃあ……」
 どがああぁぁああぁあ!!
 シャロンが言い直そうとした時、外の方から派手な音が響いてきた。
 それにまず反応したのはシャロン。
 一応持ってきていた槍を手に取り、素早く扉から出て行く。その際――
「皆さんは建物から出ないようにして下さい! 私が様子を見てきますから」
 と注意をしていった。
 ミーティアや子供達はもとより、リーンもその忠告に大人しく従う。彼女も様子を見に行きたいとは思うが、夜でないと術を使えない身としてはあまり不注意な行動にも出られないと考えたようだ。
 彼女達は部屋の中で不安だけが募る時を過す。

 シャロンが外に飛び出すと、ヴェイルは妙な生き物を相手に奮闘していた。
 犬――というには少しばかり大きすぎる四足歩行の生き物。そして、羽と立派なクチバシ、たてがみを携えた人型の生き物。どちらも普通とはいえない奇妙な外見をしていた。
 おそらくは、かつての大戦でその数を著しく減らした――魔物。
 辺りを見回すと、建物の一部が破壊されていた。何があったかは知らないが、先ほどの破壊音の正体はこれだろう。
「シャロン! ガキを頼む! そこの木の陰にいる!」
 シャロンに気付いたヴェイルがそう声をかけた。
 魔物がいる。その事実に足を竦めていたシャロンは、その言葉を聞いて何とか足を動かす。ヴェイルが示した場所まで行き、
「だ、大丈夫よ。私と一緒に建物の中に戻りましょうね」
「え〜、俺もっと見てたいよ。あんなすげぇ〜の初めて見た!」
 震える声で言ったシャロンに、子供は無邪気に瞳を輝かせてそう言った。しかし、その通りにするわけにはいかない。
「駄目よ! ほら、行くの!」
 今度は少し強い口調でそういい、シャロンは子供の手を取って魔物の近くを避けるようにして建物に向う。
 その時――
 がっ!
「ぐっ!」
 ヴェイルに向って犬みたいな魔物が突っ込み、彼はその勢いで魔物と共に派手に転がる。
「ヴェイルさんっ!」
「だ、大丈夫だ。シャロン」
 少し咳き込みながらもヴェイルは直ぐに言葉を返す。その手にはしっかりと魔物の足が握られていた。
 犬のような魔物の一撃がそれほど強くないことに気付いた彼は、わざと体当たりを受けることで魔物を捕まえることに成功したようだ。後は――
「もう一匹いるからな、ぐずぐずしてらんねぇんだよ!」
 そう叫んで、思い切り魔物を殴りつけるヴェイル。魔物がその痛みに悶えている間にナイフを取り出し、止めを刺す。
「よっしゃ、次は!」
 そう叫んで彼は上を見上げる。
 翼を持った魔物は彼のナイフが届かない辺りを悠々と漂っていた。
「……どうしようか」
「はああぁぁ!」
 情けない呟きをヴェイルが漏らした時、シャロンが魔物の死角から走りこんでいってその翼と体を連続で突く。
 その連撃はしっかりとは入らなかったが、浅い傷をつけることには成功した。そしてそれにより、魔物はバランスを崩し地に落ちる。
「シャロン、子供は――!」
「大丈夫です! 建物の中に連れて行って出てこないように言ってきましたから! ヴェイルさんだけを危険な目に合わせるわけにはいきません!」
 二人は魔物から瞳を逸らさずに話す。
 魔物はそんな風に二人が話をしている間に態勢を立て直し、クチバシを大きく開いた。
 ぶわあああぁぁああ!
 そこからは激しい炎が吐き出され、二人はそれをかろうじて避ける。
「うわっ! なんで鳥が火ぃ吐くんだよ!」
 ヴェイルはそう文句をいいながらも、鳥の左側目がけて走りこむ。シャロンもまた右側に向けて走りこみ槍の一撃を繰り出す。
 ヴェイルのナイフは鳥の左腕に深く入り、シャロンの槍は鳥の右目を突き刺した。
 くぎゃあぁぁぁぁあぁあ!
 魔物は甲高い声で泣き叫ぶ。
 二人は間髪入れず二撃目を入れようと構え――
「いいぞ〜! やれぇ〜!」
 突然上がった叫び。目を向けると建物から出てきた子供の姿。
 ヴェイル達は一瞬動きを止める。そして魔物は本能に従って声の主に向って飛び立った。
 翼を有する者の素早い動きは一瞬で距離の差を詰め、そして――
 がっ!!
 魔物のかぎ爪が子供の右肩に深く食い込む。そこからは勢いよく血が噴出し――
「てめぇ!」
 そこで漸く我に返ったヴェイルが駆けつけ、魔物の体を掴んで子供から引き離す。
 シャロンは子供の様子を看に駆け寄り、ヴェイルは魔物の注意を向けるために相対す。
 しかし、魔物はそこで最良の攻撃を、そしてヴェイルたちにとっては最悪の攻撃を選んだ。すなわちブレス攻撃。
 ヴェイルの直ぐ後ろにはシャロンと傷ついた子供。彼が盾になったからといって彼女達を守れるわけではないのだが、彼はやはり避けようとしない。
 愈々ヴェイルの肌を焼くまでに炎が迫った、その時――
「アクアウォール!」
 突然上がった叫びと共にヴェイルの目の前に水の壁が出来上がる。暑さを多少は感じるものの、その水の壁は魔物が吐き出した炎を完全に止めていた。
「おかしいな…… この程度の炎なら暑さも遮断できるはずなんだが…… 魔力が少なくないか、なんか」
 いつの間にかヴェイルの後ろに来ていた青年がそう呟く。
「デスフレイム!」
 続けて女の子の声が響き渡った。それと同時に魔物を中心に炎が逆巻き――
「ほんとだ〜。今ので焦げるだけっておかし〜な〜」
 体のあちこちに炎を燻らせながらも生きている魔物を見詰めつつ、桃色の髪をした少女が間延びした声で言った。
「ウォーターフォール」
 続けて上がった低い呟きに反応して、魔物の頭上からは水が大量に流れ落ちる。そして――
「神の槌にて魔を滅さん…… サンダーボルト」
 続けざまに浴びせられた雷鳴によって魔物は胸の鼓動を止めた。
「威力が出ないのなら工夫すればいいのよ」
 青い髪の少女が他の2人に向けてそう言った。
 大量の水をかけてびしょ濡れにすることで電撃の通りをよくしたのだろう。
 しかし、ヴェイルにとって一番気になることはそこではなかった。見たことのない3人――いや、正確にいうとどの人物も格好だけは見たことがあった。要するにリーンと同じ赤い服。加えて、その内の1人は見たことがあるなどという次元ではなかった。
 そのことについて声を上げようとヴェイルが口を開いた時――
「ヴェイルさん! 早くこの子を病院にっ!」
 そこで上がったのはシャロンの悲痛な叫び。見ると子供の肩の出血は勢いよく続いていた。シャロンが傷口を押さえてはいるが、それで止まるものでもない。
 直ぐに子供を抱えて病院を目指そうとしたヴェイルは、昨日見た光景――傷つきし者を優しく包む光の存在を思い出し、
「ちょっと待ってろ!」
 そう叫んで、建物の中へと駆け込む。
 そんな中、魔物を倒した3人組はある事実に気付いて、戸惑った様子でシャロンに瞳を向けていた。
 シャロンは子供に目を向けたままで、そんな彼らに声をかける。
「あなたたち、さっきの不思議な力でこの子の傷を治せないんですか?」
「俺達の力に癒しをもたらすものはないんだ…… すまない」
「そう……ですか」
 その時、建物の中からミーティアが飛び出してきて、直ぐに子供の元へと駆け寄った。そして、ごくごく簡単な言葉を呟く。すると――
 ぱああぁぁぁああ……
 柔らかな優しい光が立ちこめ、それが消えた時に皆の視界に入ってきたのは傷などまったく見当たらない子供の姿。
「よかった……」
 ミーティアは涙目になって子供を抱き締め、そう呟く。
 その光景を見ていた他の4名は、驚きとそして安堵を顔に浮かべ佇んでいた。
 そしてその直後、建物からはヴェイル、リーンが現れ…… まあ、色々と騒がしくなった。

 神が齎す癒しの力、魔が齎す破壊の力、そして魔によって産み落とされた生物の出現。世界に不思議が満ちた時、それによって齎されるものがなんなのか…… それを知る者はまだ少ない。

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