男は不機嫌な態度を隠すでもなく、顰めた顔を女性に向けていた。それというのも、彼の行動にいちいち口を出す目の前の女性が気に食わなかったからだ。
本来、彼の上司は彼女ではない。彼女は彼の上司の知り合いであるという。具体的にどういう知り合いであるのか、彼は知らない。しかし、そんなことはどうでもいいことである。大事なのは、女性が彼にとって苛立たしい存在であること。このひとつの事実につきる。
「貴方の行動は私と彼の願いを叶えるために必要な行為。多少の無茶であれば目を瞑りましょう」
女性は男を真っ直ぐに見返して言う。男の態度に臆している様子はない。
「しかしです。人を……などと、もう少し自重した行動を――」
「お言葉ではありますが」
男が部屋に入って初めて口を開く。視線は相変わらず鋭く、声は硬い。
「彼らは私の部下でありました。部下の扱いに対してまで口出しして頂きたくはありませんね。こちらで頼る者のいない我らをお世話いただいているとはいえ、それだけのこと。私は貴女の管理下に入った覚えもない。とやかく口を出すのは止めて頂きたい」
そのように言葉を紡ぎながら、彼は自分が為した所業を思い出す。
馬鹿な部下二人。以前から使えないと認識していたとはいえ、昨日の軽率な行動には随分と苛立たされた。あの方と直接血の繋がりがないとはいえ、かの娘の才能は誰もが認めるところ。ともすれば、余計な情報を与えてしまえば、彼女がこの度の計画を知り、その邪魔になるのは明白――いや、あるいは……
そこで男は軽く舌打ちする。
あるいは、彼女はもう気づき始めているのかも知れない。あの方が為そうとしていること。それを実現せしめんために、闇部隊がここで為していること。馬鹿を消すのが遅かったか……
男は踵を返し、女性に背を向ける。
「どこへ?」
黙りこんだ男を訝しげに見ていた女性は、訊いた。
応える必要などない、と男は返そうとし、しかし、気を取り直して背を向けたままで応える。倫理観の塊のような女性に、これから為すことを邪魔されないために……
「ご高説は一応心に留めておきます。ただ、それよりも今は与えられた労を為すことこそが優先されるべきでしょう。引き続き、我が上司と貴女が望む未来を目指すと致しましょう」
そして、その結果として一人の女を殺します。
続きであるその言葉を吐かずに、男は部屋の扉を開けた。体を部屋の外へ出し、扉を閉めずに去っていく。そんな彼の耳には、女性の発した声が微かに届いた。
「太陽の輝きが共にあらんことを……」
馬鹿らしい、と一蹴し、男は窓から差し込む輝きに顔を顰めた。こんなものに神性などない、そう毒づいた。
魔法学園組は元王城の近くにある『不味い蕎麦』で不味い蕎麦をすすっていた。ちなみに『不味い蕎麦』というのは店名であり、馴染みの客は『まずそば』と略す。
さて、なぜ彼らがこのような安いだけが取り柄の蕎麦屋に来ているかというと、それには水溜りよりも浅く、砂山よりも低い理由があった。騎士団組と待ち合わせしているのだ。そして、彼らが指定したのがこの場所。待っている間に一杯食べてみて、と言われていたため食してみたのだが、看板に掲げられている通りの味しかしなかった。
「くっ…… これは強烈な……」
「何でだしをとればここまで臭くなるのかしら……」
「麺もねちゃねちゃしてるし……」
ランド、リーン、コリンがそれぞれ感想を漏らす。いずれも批判的な内容であった。
しかし……
「そう? 私はそれ程不味いとも思わないけれど」
シャロンは平然とした顔で食し、そのように言った。その言葉を裏付けるかのように、彼女のどんぶりの中身は順調に減っていく。
「ちょっ! お前、本気か!?」
「風邪気味なんじゃない!?」
「性格だけじゃなくて、舌までおかしくなったとか〜?」
がたんっ!
前半のランド、リーンの驚きの声は兎も角として、コリンのゆったりとした疑問に、シャロンは椅子を倒して立ち上がる。鋭い目つきをコリンへと向け、
「下界を貫く神の槌、激しき轟きと共に――」
早口で何やら口にしだした。
「待てぇーーーっ!」
しかし、途中でランドが止めに入る。彼の右手がシャロンの口元を押さえたため、それ以上彼女の口から言葉が漏れることはなくなった。代わりに、むーむーとくぐもった呻きが響く。
直ぐにシャロンは、口を塞ぐ邪魔な腕を取って無理やり払った。
「何するのよ……」
軽く睨みつつ言う彼女に、ランドは疲れた口調。
「こんなところで魔法なぞ使うなよ。それに今使おうとしたの、雷の上級魔法だろ? コリンを殺す気か?」
「別に直撃させようとは思ってないわ。それに、こっちでは多少威力が落ちているから、ぶつけても運さえ良ければ死なないわよ」
そう口にしてから、シャロンは心の中で、たぶん、と付け加える。
ランドはそんな彼女を疑わしげに見つつ、兎に角魔法はなしだ、と再度注意してから席に着いた。
「というか、コリンも命知らずな」
リーンが言う。
「良くも悪くも正直なのが取り柄で〜。メンゴメンゴ、シャロンちゃん」
当のコリンは、散々文句を言った割に蕎麦を順調に口に運びつつ、シャロンに向けて謝罪らしき言葉を放った。そこに気持ちがこもっているかどうかは、本人のみぞ知るというやつだ。ちなみに、客観的な意見を述べれば、否である。
やはり、シャロンもまたそのように判断したようで、魔法を使おうとはしないまでも目つきが鋭い。
「月のない晩に気をつけなさいよ」
こめかみをひくつかせながらそう声をかけ、彼女は不味い――彼女にとっては普通の――蕎麦に再び口をつけた。そして、その中身が一気になくなり、全てが胃の腑に納まった頃に……
「悪いな、待たせた」
「遅くなって申し訳ありません」
騎士団組――ヴェイルとシャロンが到着した。
さて、今更であるとは思うが、少し説明を加えるとしよう。今到着したシャロンが『こちら側』のシャロンであり、今まで不味い蕎麦を食していたシャロンが『あちら側』のシャロンである。なお、以下では特に区別なくどちらもシャロンと称する。
「遅いわよ。まったく…… 掃除くらいサボればいいだろうに」
シャロンは不機嫌な顔を向けて言った。
対するシャロンは曖昧な笑みを浮かべて、そういう訳にも……、と呟く。
「掃除も一応仕事なもんでな。サボるなんて訳にはいかないんだ。お前らだって、魔法学園とやらの仕事をサボったりはしないだろ?」
ヴェイルがそう声をかけると、ランド、リーンは口々に真面目な答えを返すのだが……
「わたしは偶にさぼってケーキとか食べてるけど」
「私も面倒臭いときはサボるわ」
……………
沈黙が落ちた。
コリンの蕎麦を啜る音と、シャロンの蕎麦湯を飲む音だけが響く。
と、そんな中、何とか言葉という意思疎通のための媒体を思い出したランドが口を開く。
「あー、こいつらは特殊なんで気にしないでくれ」
「……そうさせてもらう。ところで、これはどういう集まりだ? ちょっと話があるとかなんとか……」
ヴェイルもまた口を開き、訊いた。その向かう先はシャロン。
瞳を向けられたシャロンは、蕎麦湯の入った茶碗を置き、真っ直ぐとヴェイルを見返す。
「まあ、あんたら――こっちの奴らには別に話さなくてもいいといえばいいのだけれど…… 一応、知り合った以上は忠告をしておこうかと思ってね。ところでコリン」
歯切れの悪い言葉だけを口にし、シャロンは蕎麦を食している少女に声をかける。
コリンは、彼女曰くねちょねちょである麺を頬張り、行儀悪く返事をした。もっとも、返事とはいえないような雑音らしきものになっていたが……
「あんたの兄貴もどきは――?」
「おひいひゃんは……もぐもぐ……来ないよ。仕事休めないって言ってた」
「統制院は昼飯も院内の食堂でとることが義務付けられてるからな。まあ来れないだろ」
コリンの言葉にヴェイルが補足した。
シャロンは然程気にした風もなく、そう、とだけ返事をする。そして、直ぐさま先を続ける。
「じゃあ、始めましょう。まず――」
「あ、あの……」
しかし、それをシャロンが遮る。
「何よ?」
「ヴェイルさんと私はまだ昼食がまだなんだけど……」
「蕎麦頼めばいいでしょ。蕎麦屋なんだから」
「そうなんだけど、午後に仕事ない日くらいはもっと美味しいお店がいいなぁなんて――」
ごすっ。
照れたように笑いながら言ったシャロンの頭を、シャロンの手刀が襲撃した。
「あんた…… 人にこの店と蕎麦を勧めといて、自分はまともな食事に洒落込もうと?」
「だ、だって、騎士団本部――元王城から近いし、こっちに不慣れでも判りやすいと思ったから。お店の名前もインパクトあるし。ほらあと、ここの蕎麦って一応名物だし」
「ならあんたも食べなさい」
「で、でも、私達はほぼ毎日食べてるわけだし、偶に違うの食べられるチャンスなんだからできれば――」
「食べなさい」
言い合うシャロン達。
自分のよく知る側のシャロンが劣勢である様子を見たヴェイルは苦笑し、口を開く。
「いいじゃないか、シャロン。別にまずそばでも。まずそば初心者どもに熟練の食べっぷりを見せてやろうぜ」
「……ヴェイルさんがそう言うなら」
ヴェイルの言葉に従って引き下がり、シャロンは蕎麦を二人前頼む。ちなみに、蕎麦以外のメニューはない。
そして、漸うシャロンの話が始まる。
ずるずるずるずるずるずる。
蕎麦の啜る音が響く。順調にその量を減らしていくのは騎士団組。魔法学園組は、シャロン、コリンが既に完食。リーンがリタイアし、ランドは未だ挑戦中だ。
「……というわけね。まあ、あちらさんもそう思い切った行動には出ないと思うけど、一応注意しときなさい」
昨日に遭った出来事を一通り話し終え、シャロンはそのように結論付けた。しかし――
「気をつけるってどうやって? その……魔生産型闇の術だっけ? それを防ぐ方法とかあるの?」
リーンが訊いた。
まあ、もっともな疑問であろう。一般に知られないタイプの魔法へ対処する方法を一年目の若輩であるリーン、コリンが知るはずもなく、やはりランドもまた、三年目とはいえ知らなかった。騎士団組が知らないのは言わずもがなだ。
真っ直ぐにリーンを見返したシャロンは口を開く。誰もが良い情報を期待した。
「目下研究中……らしいわね」
期待を裏切る情報が開示された。
「……あー、正直今までの話についていけている訳じゃないんだが、それはその、注意していても防ぎようがないんじゃないか?」
ヴェイルが蕎麦を啜りながら訊く。
「そういうことね」
シャロンは躊躇なく頷いた。
……………
シャロンが何杯目になるか判らない蕎麦湯を啜る、その音だけが響く。食事時を過ぎた『まずそば』は閑散としており、他の物音は聞こえない。
「そう不安そうにしなくてもいいわよ。向こうさんも別に人間を魔物にすることが目的ではなく、こっちに闇の力を満たすことが目的だもの。そんなことをする真意が何なのか。正確には知れないけど、もしかしたら……」
何やら言いよどむシャロン。一同は、更に何かあるのかと耳を傾けるが――
「いや、今はそれはいいわね」
シャロンはそう言って言葉を止めた。
しかし、更に違う言葉を突然に紡ぐ。
「それよりもあんたら、その闇部隊の最後の一人を探すわよ」
「……は?」
ランドが蕎麦を食すのを中断し、声を漏らす。
「探すって言ったのよ」
シャロンが更に言った。
「いや、それは聞こえてたんだが、何でだ?」
「昨日死んだ奴らは何も知らない馬鹿だったけれど、恐らく、あいつはもっと詳しいことを知っているわ」
だんっ!
茶碗を卓にたたきつけるシャロン。そして不敵に笑う。
「探し出して、向こうに帰る方法を吐かせる」
「は〜い、シャロンちゃん」
そこでコリンが、びっと右手を高く上げる。続けて質問を口にする。
「その場合、向こうが『思い切った行動』に出てくる可能性が高くなるんじゃ?」
誰もが、それはそうだ、と頷いた。
そしてシャロンは、気にするな、と言い切った。
「個別に別れて探しても見つけた時に確保できなければ意味がないし、ここは二手に別れるくらいが効率的かしらね。というわけで、リーンとヴェイル、一緒に来なさい」
「なら、わたしはラン先輩と良いシャロンちゃんが同じ組だね」
まずそばを出て直ぐの通路での会話である。
コリンの発言にシャロンが鋭い視線を向け、なら私は悪い方とでも、とドスの利いた声で語りかける。
それに対するコリンは、口笛を吹きながらとぼけた。
また、そんな様子のシャロンに臆するでもなく、シャロンが詰め寄った。
「わ、私はヴェイルさんと一緒の方が……」
「我侭言うな。こっちとあっちがほぼ同じ地理なのは間違いないけれど、微妙な差異はあるわ。それぞれの組に一人ずつ案内役が必要よ。こっちの人間がヴェイルとあんたしかいないんだから、あんたらが別れるのは当然」
「う」
それはそうか、と納得するシャロン。
「あはは、こっちのシャロンちゃんは可愛いな〜」
「まあ、うちのと比べたら大概は可愛げがあるように見えるだろ」
「確かに」
シャロン二名の遣り取りを目にし、口々に言う魔法学園組。
「お前、人見知りするのか? 安心しろ。ランドは目つきが悪いだけで割と良い奴だぞ?」
頓珍漢なアドバイスをシャロンにするヴェイル。
「そう……ですか」
微妙な表情で返すシャロン。
「リーン並の鈍さね」
よく分からない感想を口にするシャロン。
「? 私、別に鈍くないし」
訝しげに言ったリーンに、コリンが声をかける。
「ん〜、実はラン先輩も組み分けにちょっち不満だったりするっていう事実に気付いてる? リーンちゃん」
「え? なんで?」
ヴェイルとリーン以外が、確かに鈍い、と認識した。
「つまり、ラン先輩は――痛い」
ばしっと、ランドの平手がコリンの頭を襲う。
彼女が振り返ると、平常で目つきの鋭いランドが、一層細めた瞳を向けていた。コリンが、えへへ、と笑うと、彼は一度ため息を吐いてから、表情を引き締めて口を開く。
「それじゃ、さっさと探索開始といこうか。ちょっと変わった闇の魔力を保持している奴がそうなんだな?」
「そうね。人を魔物に変えるくらいだから、闇の素質は充分高いはずよ。こっちでそれほど魔力の高い奴もいないだろうから、まあ判るでしょ」
実際のところ、シャロンも相手の顔すら知らないのであるが、その問題の解決にはただ今の言を採用することになっていた。即ち、魔力の質や強さを頼りにしよう、と。
封魔石が存在しない影響か、こちら側では魔力を持った人間がまずいない。そういった状況であれば、向こうから来た人間は目立つ――魔力を感知できる魔法学園組にとってしてみれば、目立つだろう。
しかし、広い街中で人ひとり。それでも見つけるのは困難であろうが……
「さて、出発しましょう。目標の確保、もしくは戦闘突入時には、空に向けて目立つ魔法を放つこと」
シャロンはそう言って歩き出す。他もそれに倣い、無謀とも思える探索が始まった。
男は訝しげに下方を見ていた。
その視線の先には、青い長髪を揺らして歩いている少女がいる。しかし、彼女が目標の人物なのか、彼にはそれが判別できない。
容姿は確かに目標の人物のそれであった。服装が魔法学園の制服ではないが、そこは着替えたのだろう。そこまではいい。彼を惑わせているのは、彼女が纏う魔力であった。
彼の目標は類稀なる魔力の持ち主。遠く離れている現在の状態であっても、集中すれば魔力を感知することが出来るはずなのだ。しかし、それを実現できない。
少し仕掛けてみるか……
男は呪を紡いだ。
「こちらが生活雑貨のお店で、こちらは文具屋さんですね。道の向こうに見えるお店は本屋さんです」
「へ〜。やっぱり向こうとは少し違うかな。ここら辺は確か、魔物の襲撃で潰れちゃった辺りだし、潰れる前も八百屋さんだったような気が…… でしたよね〜、ラン先輩」
観光客とガイドのようになっている少女二人を、ランドは苦笑いを浮かべて見つめる。
彼も、どこにいるとも知れない者を足を棒にして探し回るほど酔狂ではない。しかし、ここまで探す気がないのもどうなのか。
「それより、少しくらい探そうや」
提案してみる。
それに対し、シャロンは素直に、あ、そうですね、と返して表情を引き締め、コリンは、めんどくさ〜い、と笑いながら言って雑貨屋の物色を始めた。
ランドは、これまた極端な、と苦笑。そして、一応説得を試みようと、コリンへ歩み寄る。
と、そこで――
ばさばさばさっ! がっ!
「なっ!」
天より翼ある者が襲い来る。鋭い爪を有した足が地面を踏みしめた。
あるいは鳥のようであり、あるいは虫のようでもある。
「魔物――ていうか、多っ!」
降下してきた二、三匹の魔物を瞳に入れたランドは、上空で何かが蠢く気配に気付いて天を仰ぎ見、そこに数十の魔物が飛び回っているのを見た。
「うわ〜。これはまた」
コリンも彼に倣って視線を上に向け、嫌そうな表情を浮かべた。
そして、シャロンは――
「闇部隊の方の仕業……といったところですか」
真剣な瞳で呟き、背に抱えていた槍を構えた。
「しっかし、探すっつってもガイアシスは広いし、見当くらいついていないときついと思うんだが……」
「私も変態に同感」
それぞれ、ヴェイル、リーンが言った。その言葉の向かう先は、シャロン。
しかし、リーンの発言のある部分が引っかかり、ヴェイルは視線を彼女へと移す。
「って、変態言うな!」
「へ? あ、あー。ごめん。つい癖になった」
リーンは一瞬きょとんとした表情になり、しかし直ぐに了解して言葉を返す。悪気はないようだ。
ヴェイルは憮然とした表情になりながらも、癖なら仕方ないか、と呟く。ただ、それでも鋭い目つきで、早めに直せよ、とリーンに向け、声をかけた。
「善処するわ。で、シャロン? へ――ヴェイルの言うような、見当はついてないわけ?」
再び癖を出しそうになったリーンはなんとか軌道修正を成功させ、シャロンへ訊ねる。
ヴェイルが後ろで小さく、よし、と頷いていたりするが、それはどうでもいいことか。
シャロンが口を開く。
「アレがいる場所の見当はついてないわ、残念ながら」
その口から漏れたのは、あまり嬉しくない情報であった。ヴェイル、リーンは小さく息を漏らす。しかし――
「ただ、向こうに見つけて貰える可能性は高いと予想しているわ」
「? どういうこと?」
「向こうさんは一応秘密裏に動く部隊よ。だから、ぺらぺらお喋りしてくれた馬鹿な部下は処分するし、あちらの任務内容が知れてしまったかもしれない相手も、当然処分する。つまり、私を処分にかかる可能性は高い。そして、私は『二人』いる。向こうさんが見つけてくれる可能性は単純計算で二倍よ」
なるほど、と納得しているリーン。
しかし、ヴェイルは焦った様子で抗議の声を上げる。
「ちょっと待て! じゃあ、何か? シャロンも囮にしたわけか?」
「そういうことね」
「そういうことって…… お前っ!」
「ちょっ! ヴェイル!」
シャロンに掴みかからんばかりのヴェイルを、リーンが寸でのところで止める。
「落ち着いてよ!」
「落ち着いてられるかよ! 何だよ、こいつ! シャロンと違って性格悪いぞ!」
リーンが声をかけると、ヴェイルはシャロンを指差して叫ぶ。
その言葉を受けるとリーンは、それは間違いないけど、と呟き、その上で続ける。
「ただ、今回はシャロンも結構気を遣ってるんだってば。向こうのグループにランド先輩とコリンを入れたでしょ? あの二人は魔法学園でも指折りの実力者で、戦闘面だけを見れば他から抜きん出てるのよ。例の闇部隊とやらが何かしてきても、間違いなく良いシャロンは安全よ」
自信たっぷりに保障された安全。釈然とはしないが、ヴェイルは一応の安心を得る。
「そういうことなら、まあいいが…… しかし、戦力を向こうに集中してくれたとなると、逆にこっちが――お前がやばいんじゃないのか? 俺も全力を尽くすけど、魔物を二、三匹相手にするくらいが精一杯だぞ」
こいつはこいつで昼間は役立たずって話だし、と呟きつつ、ヴェイルはリーンに瞳を向ける。
リーンは眉を吊り上げてヴェイルに視線を送りながらも、事実であるために強く反発はしない。
一方、シャロンは気にした風もなく答える。
「別にあんたらに期待はしてないわ。仕掛けてきたら自分でぶっ飛ばす。それだけ――」
どんっ!!
突然、腹に響く大音量が鼓膜を揺らした。
三名が慌てて音のした方向に瞳を向けると――
「どうやら、向こうが当りを引いたらしいわね」
蒼天を色とりどりの火花が彩っていた。
「水の力よ、強き結を得て魔を滅する刃と成せ、アイシクルソード!」
力強い言葉に呼応して、ランドの手に氷の刃が生まれ出る。そして、彼は地に降り立った魔物の群れに突っ込んで行った。手にした刃は彼の意思に応じて形状や長さを変え、魔物の悉くを屠っていく。
「炎よ、天を彩る火花と成らん、ファイアワークス!」
そして、コリンが空に手を掲げて呪を紡ぐと――
ひゅううぅぅううぅ…… どんっ!!
花が青空を飾った。
しかし、それのみに留まらず、コリンが生み出した火は更に上空の魔物達を追い回し、十数匹のそれを墜とす。
「よっし! 良い感じ〜。何かこの間よりも魔法の効きがいいみたい」
コリンは機嫌良く言ってから、更に炎を放つ。
炎は空に残っている虫のような魔物を数匹墜とし、更に、地を駆けてきた獣系の魔物を灰にした。
「う〜ん。魔法が調子良いのはいいんだけど、魔物多すぎ。空のは大体いなくなったけど……」
何処から湧いて出たのか、新たに獣型とパワー型の魔物が集っていた。
ランドはパワー型の魔物を五匹ほど纏めて相手にし、シャロンは獣型二匹に悪戦苦闘している。
「魔生産型の術って、結構厄介だな〜。キリがないって言うか〜」
しゅっ!
「なら、術者を叩けばいいだけのことでしょう? 何をくそ真面目に相手しているのよ」
「あ、シャロンちゃん達。花火見えたんだ」
シャロンの移動魔法、フライトデストでやって来た三名。
コリンは彼らを横目で見つつ、新たなる呪を紡ぐ。
「フレイムブレッド!」
炎の弾丸がパワー型六体の体をまとめて突き破った。
シャロンはそんな魔物の末路に興味などないようで、視線を向けることもなくコリンに言葉を返す。
「あんだけ派手なの上げれば、そりゃ見えるわよ。で? 魔物が出始めてどれくらい経った?」
「えっとねぇ…… 二、三分ってとこかな〜? ね、ラン先輩!」
シャロンの問い掛けにコリンは自信なさげに答え、ランドに確認を取るために声を張り上げた。
「全てを押し流す荒々しき力よ、ウォーターフラッド!」
ランドは大質量の水を生み出し、魔物の動きを封じて氷の刃で切り伏せる。そうして、彼の周りにいた魔物全てを屠ってから、コリン達に応える。
「ああ。高々三分ってところだろうな。んで、三分間休みなく魔物のお相手、だ!」
新たに現れたゲル上の魔物を切り伏せつつ、声を張り上げる。
「三分…… 急いだ方がいいわね。それと保険も連れて行って……」
答えを聞いたシャロンは呟き、視線を上げる。素早く瞳を巡らすと、一際高い建物――時を知らせる存在を視認できた。
と、彼女がそうしている間に、ヴェイルはもう一人のシャロンの元へ向かう。シャロンは大きな鼠らしき魔物を相手に槍を振るっていた。
「はっ!」
気合と共にヴェイルはナイフを振り下ろし、鼠の脳天をかち割る。
こおおぉおぉおおぉお!
鼠は奇妙な叫びを上げつつ、絶命した。
「ヴェイルさん!」
ヴェイルを視界に入れ、喜色を携えた表情でシャロンが叫ぶ。
「よ、お疲れさん! こんだけ魔物を相手にすりゃ、しばらく仕事は掃除だけかもな」
「それはそれで腕がなまりそうですけど……」
苦笑するシャロン。
しかし、直ぐに新たな魔物が出現し、そのように喋っている暇もなくなる。
「魔法学園の連中が大部分を相手にしてくれちゃあいるが、こっちだって騎士団員の意地を見せてやるとしようぜ!」
「はい!」
二名とも、それぞれ獣型とパワー型に対する。地味ながらも、着実に魔物の数を減らしていく。
一方、魔法学園組はというと、ランド、コリンは相変わらず派手に十数匹の魔物を相手にしていた。ランドの剣が蟻に似た魔物を次々と斬り伏せ、コリンの魔法が空を翔る鳥のような魔物を撃ち墜とす。
そんな中で、シャロン、リーンがどうしているかというと――
「リーン、こっち来なさい」
「え? 何?」
シャロンに招かれ、訝しげにそちらへ寄るリーン。
すると、シャロンはさっと彼女の手を取り、
「フライトデスト」
突然に移動魔法を行使した。
そして、一瞬で数メートル上昇し、時計搭内部に至る。
「ビンゴ、ね」
「!」
時計搭の内部には男が一人いた。一見するとごく普通の一般人ではあったが、実際そうでないことは、魔法の道に明るい者には明らかであった。特殊な質の魔法力。魔生産型闇の術を行使する者――闇部隊。
「ここなら、この辺り一帯を監視し易いものね」
驚きの瞳を向ける男に、シャロンが表情を変えずに言った。そして、声をかけつつ、近寄っていく。
「さて、戦闘では役に立たない術しか持たないのでしょう? 大人しく降参したらどう?」
そのように言い、彼女は左手に雷光を携える。疑いようもなく、脅している。いや、恐らくは脅しに留まらず、その雷光は男に向けて放られることとなるのだろう。
哀れ男はそのまま地に沈む……かと思われたのだが――
「……クリーチャライズ」
口元を歪めた男が存外余裕な様子で、ごく短い言葉を口にする。
そして――
「うきゃっ!」
何故か、シャロンがリーンの背に隠れた。突然のことに、リーンは戸惑いの悲鳴を上げる。
「なっ!」
そこで、男が驚愕に声を詰まらせる。
シャロンはほくそ笑み、リーンは意味が判らない、という風にシャロンと男を交互に見る。
「どうやら仮説は正しかったようね」
「どういうことだ……!」
もはや余裕など皆無の男が問う。
「あんたらは魔を、闇の力を生み出す、ただそれだけ。そして、リーンのような本当の意味での闇術者は、闇を行使する。ここであんたらを仮に闇の力そのもの、リーンを闇の行使者として位置づければ、あんたらの力は行使者たるリーンに効かないのではないか、と考えたわけ。確証はなかったけれど、リーンが魔物に変化しないところを見ると、正しかったようね」
「そのよう……だな」
後ずさりしながら言った男。しかし、それ以上動くことは能わない。
「リーン! ダークアレスト!」
「え? あ、うん」
シャロンに言われ、リーンは急ぎ詠唱を始める。
しゅっ!
黒き腕が男を絡めた。
「加えて、人を魔物にする程の術の詠唱には時間がかかると聞くし、普通に動物を魔物にする術だって、こうなれば使わせないことは可能。チェックメイト、ね」
どうやら、一件落着のようであった。
そしてまた、シャロンが相当危険な賭けをリーンに無断で行ったという事実は、この騒ぎで有耶無耶になったようであった。シャロンが、微かに笑った。
「さて、あんたの部下は知らなかったようだけれど、シンはどういう方法であんた達をこちらへ送り込んだのかしら?」
問うたシャロンを無視し、男は微動だにしない。
「口を噤むのは自由だけれど、そういうつもりならちょっと乱暴にならざるを得ないわよ? そうねぇ…… まずはコリンに火炙りにして貰って――」
「えと、シャロンちゃん? わたし、そういうのはちょっと……」
「俺も水責めとかしたくないからな」
「私は――まあそもそも、拷問に使えそうな術なんて持ってないけど……」
魔法学園組が口々に言う。その様子を、騎士団組は苦々しい笑いを浮かべて見ていた。
ここは時計搭の内部。シャロンとリーンが男を確保した場所である。
魔物が大量発生したという事実から、現場には統制院と騎士団が集っていた。その場にいたのでは、厄介なことになるのが目に見えていたので、彼らは男と共に搭内部に落ち着き、こうして話をしているのだ。
「だらしないわね、あんたら…… 仕方ない。それならヴェイル。そのナイフで皮膚を少しずつ剥がしてやりなさい」
「はあ!?」
「聞こえなかったの? だから――」
「いや、待て! 聞こえたから、気色悪いことを二度続けて口にするな!」
叫んでからヴェイルは、絶対拒否、と力強く主張した。
誰もが、そりゃそうだ、と頷いた。
「なら――」
そこでシャロンが瞳を向けるのは、残りの一人であるシャロン。しかし、やはりシャロンも慌てたように首を振って拒絶した。
「まったく…… どいつもこいつも」
シャロンは肩をすくめて呟く。そして、
「そうなると私ね…… 正直、私だって趣味ではないけれど…… ふふふふふふ」
何故か含み笑いをするシャロン。弱冠楽しそうに見える。
弱い電気を手に纏わせ、男に一度ショックを与える。
「さあ、段々電圧を上げていくわよ。どこまで耐えられるかしら?」
非常に楽しそうに見える。
「……趣味じゃないとか、嘘だろ」
ヴェイルの呟きに、誰もが同意した。
男は何も喋る気はなかった。
彼にとって大事なのは与えられた任務であり、命などというくだらないものなど考慮の対象ではあり得ない。それが他者のものであっても、自己のものであっても。
そもそも、命が大事であるのなら、この任務を受けた時点で矛盾を生じる。
この任務は、全ての者が死に得るのだ。全てが無に帰す可能性がある。学園長――シンの言に依れば……
そのような任を諾と受けたのは、ひとえに、任務だったから。それに尽きる。彼にとって任務こそ、もっとも優先されるべきことなのだ。
そして、闇部隊の任務には必ず秘匿性が付きまとう。ならば、彼は何も喋らない。それが今回の任務に支障をきたすことだろうと、そうでなかろうと。
しかし、このままこうして捕まっているのもまた、馬鹿らしい。ならば――
男は、闇を生み出し、食らう。
「がが駕雅画蛾賀我ががあ阿亜ぁあぁあ唖あぁぁあ吾あぁあぁ!!!!!」
誰もが呆けた。
目の前で、男が変化した。体のあちこちが隆起し、全体は元の十倍にはなろう。
どがっ! がらがらがらがらがらっ!
時計搭の天井を突き破り、男は立ち上がった。瓦礫が搭内部に降り注ぎ、床にもどんどん亀裂が入っていく。搭全体が倒壊するのも、そう遠い未来ではなさそうだ。
「ちっ! まさか、もう最終手段に出るなんて―― せっかちな野郎ね」
そんな中、シャロンは毒づく。
それを耳にしたランドが問う。
「どういうことだ?」
「魔生産型闇使いは、自分を魔物に変えることが出来るらしいのよ。それには詠唱も何もいらず、ただ強く願うだけでいいと、盗み見た論文には書いてあったわ。これは、それでしょうね。けれど、まさかこの程度で、捕まったくらいで、人としての自分を捨てるなんて――さすがに予想外だったわ」
臍をかむ思いでそう口にしてから、シャロンは全員を集めてフライトデストを行使する。一瞬で搭の外へ飛び出し、それから、脱出したばかりの時を刻む建物を見る。するとそこには、巨大なパワー型の魔物が在った。
ヴェイル、シャロンなどは、どうやって戦ったものか見当もつかないようであった、が――
「仕方ないか。さっさと片付けましょう。帰る方法は自分達で何とかするしかないわね」
「そうだな。さて、誰がいく?」
「わたしがまず炙って、それからラン先輩が消火もかねた水魔法ってのでいいんじゃないかな〜」
「そんで、シャロンの雷でとどめってとこ? ランド先輩の水で、雷の通りがよくなるし」
「ま、無難なところね。にしても、リーンの役に立たないことと言ったら……」
「うっ…… 仕方ないじゃない、昼間だし」
「それでもダークアレストくらいは使えるでしょう? アレは闇の力が満ちた存在だし、絡め取り易いと思うわよ」
「そっかな…… けど、別に捕まえる必要が――」
「あれですばしっこいかもしれないし、一応捕まえといた方が安心かもよ。っていうか、リーンちゃんだけ楽するのずる〜い」
「はいはい。わかったわよ。では……」
魔法学園組は随分と楽観的な様子である。
ヴェイルは、詠唱を始めたリーンは避け、他三名に問う。
「な、なあ、もしかして、あれくらいなら楽勝で倒せる、とか?」
魔法を行使する面々は、それぞれ頷いた。
「わたしたちのいたとこじゃ、ああいうのも偶に出るからね〜。わたしとラン先輩はよく駆り出されるよ」
「ちなみに、本当はシャロンも召集されているはずなんだが、こいつは大抵面倒臭がってサボる」
「いいじゃない。別にあんたらだけでどうにかできるんだから」
と、やはり軽い遣り取り。
ヴェイル、シャロンは、あれが偶に出るって、と呟きつつ、巨体を瞳に入れる。巨体はこちらへ歩を進めようとし、しかし、闇の手によって進行を妨げられた。
「あ、いけた……けど、ちょ、やっぱ夜じゃないときっついって! コリン! 早く、早く!」
「おけおけ〜」
力を込めて巨体に腕を翳しているリーンは、慌てた様子でコリンを呼んだ。ああして腕に力を込めることで、巨体を絡めとっている闇の力も増すのかどうか、知らないが、事情を知らない者が目にすれば、小児が遊びでジェスチャーゲームをしているようにしか映らないことだろう。
コリンが朗々と呪を紡ぐ。
「猛々しき神の御心を敬い、尊び、我ここに汝が力の一部を召喚せしめん。荒々しき裁きの炎、聖なる意思を強固にし、邪なる意思を打ち砕く力。来よ、インフェルノフレイム!」
ごおおおおおぉおおぉおぉおうぅうっ!
炎が逆巻き、巨体を翻弄する。その全身は一瞬で覆い尽くされ、赤き触手によって嘗め尽くされた。
そして、続き――
「全ての命の源、与える力、優しき流れよ。我に一時、全てを奪う力を与えん。ハイドローリックプレッシャー!」
ランドの力強い言葉に伴って、燻っていた巨体と元時計搭の四方を水が覆い尽くす。見上げると、水は天高くまで続き、先は見えない。
巨体は炎による被害は免れたが、あれでは息もできぬであろうし、何より水圧で圧死し兼ねない。実際、水の中の巨体はところどころひしゃげている。
そのまま最期を迎えると思いきや――
「ふぅ…… ま、こんなとこか。あとは、シャロン、頼むぞ」
ランドは術を解き、青い髪の少女に声をかける。
シャロンは、そのまま殺ればいいいだろうに、と呟きつつ、口を開く。
「下界を貫く神の槌、激しき轟きと共に魔へ滅びの道を示さん。ゴッズハンマー!」
どおおおおおぉぉおおぉおぉおおおおぉおぉおぉおおぉおおぉおおおおんっ!!
神鳴りが落ち、残響がガイアシスの街を駆け巡る。
直撃を受けた巨体は――その胸の鼓動を当然のごとく止めた。
「終了――ね。ふぅ、無駄に疲れたわ」
「お風呂入りた〜い」
「俺は飯が――美味い飯が食いたいな」
「あー、私も『まずそば』以外の何かを食べたいです」
圧倒的な力を見せた集団は、まるで非日常を圧倒するように日常を口にした。
一方、ヴェイル、シャロンは、駆けつけた統制院職員、騎士団員への説明に四苦八苦していた。あまりに非日常過ぎて、日常に還元できやしなかった。
時はちょうど午後五時を刻んだ節。ガイアシスタウンに響く五つの鐘の音は、本日よりしばらくは、聞こえない。
「かの男は命を落としたようです」
男性の報告を聞いて、女性は悲しそうに瞳を伏せる。そして、両手を組んで主への祈りを結んだ。
しばしの静寂が訪れる。
そうしてから、女性は顔を上げる。
「……それで、闇は満ちているのですか?」
「それは、充分と思われます。魔法を行使する者達は、その威力が増しているようでありました。かの技術は闇の力が根幹であるとか。ならば、そういうことなのでしょう」
「そう」
そこで初めて、女性は笑みを浮かべる。
念願が叶う。彼と会える――やも知れぬのだ。
「あとは、時が来るのを待つだけ……」
喜色の目立つその顔は、しかし、少しばかりの悲しみを携えていた。