そして世界始まった

「ですふれいむ〜」
 やる気のない声とは裏腹に、激しい炎がトカゲ男を襲う。そして、炎に飲まれたトカゲ男は骨も残さずに消え去った。
 ここはガイアシスタウン。そして、炎を生み出した少女の名はコリン。
「す、素晴らしい! 貴女様がいて下されば、このガイアシスは他の追随を許さぬ強国に、全国を支配する存在に――あ、いえ…… 強固な護りの在る街として名を轟かせることでしょうな。かかかかかかか!」
 脂ぎった顔を鬱陶しい程に輝かせ、露骨な問題発言をした中年男性。卑屈な様子でコリンに擦り寄る。
 コリンは露骨に厭な顔をしつつ、青髪の少女を見やる。
「シャロンちゃん〜。たすけて〜」
 声をかけられたシャロンはコリンを一瞥し、楽しそうに、本当に楽しそうに笑った。
「はっ。モテモテで羨ましいわ」
「……薄情者〜」
 恨みがましい視線を送りながら、コリンは弱弱しく言う。
 と、そこで初めて気付いたように、中年男性がシャロンに瞳を向けた。そして、命知らずにも言葉を紡ぐ。
「お、そういえばそちらの青い女はなんですかな? ああ、コリン様の従者で御座いましょうか? なるほど、なるほど、従者に相応しい貧相な顔立ちに御座いますなぁ。かかかかかか!」
 あちゃ〜、とコリンが苦笑を浮かべて呟いた。
 そのようなことには気付かず、中年男性は――ガイアシスタウン統制院上級職員は可笑しそうに笑い続ける。
 と、そこで異形が現れた。
 空より二つの影が降り立ち、場を混乱させる。有翼のヒトのようなモノは、奇天烈な声を響かせる。魔物だ。
「な、何と! こ、コリン様っ! お願いいた――」
 上級職員がコリンにすがるような瞳を向けた、その時……
「水よ、風よ、雷よ。我が呼び掛けに従い、解け合い、全てを奪う荒々しき力と成らん。ヘルストーム」
 シャロンが小さく呟くと空間が歪み、晴れやかだったガイアシスタウンの午後に翳りが齎される。そして……
 ザアアァアァアアァァア!
 ガラガラガラガラッ!
 ドンッッ!!
 その地を、激しい雨が打ち、鋭い光が貫いた。
 魔物は光を受けて消滅し、上級職員は濡れて吹っ飛んだ。そして光が追い討ちをかける。
 雨に打たれただけでなく、壁にも激しく体を打ちつけ、その上、小さな雷の一撃までその身に食らった上級職員。
「……す、素晴らしい……」
 それでも気を失う前に圧倒的な力に対する賞賛を口にしたのは、褒めるべきなのか、どうなのか。

 四方に散り、ガイアシスタウンに突如出現した魔物の群れを迎え撃つ騎士団員達。実戦経験のある者にしろ、ない者にしろ、良く頑張っている。しかし、その小さな賞与は彼らに自信を与えてはくれない。
「はっ! とりゃっ! いけっ!」
 気合と共に地にいる魔物を屠り、更に、氷の剣を自由自在に伸ばして空の魔物をも屠る青年。彼の存在こそが、騎士団員の自信を根こそぎ奪っていた。
 彼の強さは尋常ではなかった。数十匹ほどの魔物をものの数分で片付け、次の現場を目指す。騎士団員が苦戦していた魔物を、一瞬で亡き者とするのだ。
 同じく数分をかけて、漸く魔物一匹を相手する騎士団員達。そんな彼らが自信など持てようはずもなかった。
「ランド先輩、頑張れー!」
 圧倒的な力を持つ青年――ランドに声援を送る少女。名はリーンである。
 彼女もまた役に立っていないという事実が唯一の慰めではあった――が、そんな事実しか慰めと成らないこともまた、騎士団員を情けない心持にさせる要因であった。

「だああぁあ! うぜえぇえぇぇえなああっ!」
 叫びながらヴェイルが短剣を振り下ろす。犬のような魔物は頭部に致命傷を負い、地に転がった。そしてしばらくの後、動かなくなる。
 ヴェイルはそれを確認してから、走り出す。向かう先は先輩である騎士団員が逃げ惑っている現場。情けないかな、ヴェイルよりも四年先輩であるが実戦経験のない男は、悲鳴を上げながら黒々とした肌の巨人から逃げ惑っていた。
 パワー型の魔物の繰り出す拳から必死で逃げ回っているその男を瞳に入れ、ヴェイルは、役に立たねぇ、という感想を抱く。しかし、無理をして死なれるよりはマシか、と上から目線で考えを改める。
「……借りますよ!」
 頭部を有り得ない方向へ捻じ曲げ、地面で冷たくなっている他の先輩に一声かけ、大振りの剣を握るヴェイル。駆けていく先には、先輩騎士を追い詰め、今にも彼を亡き者にしようとする魔の物。
「はああああぁあぁああ!」
 得物を勢い良く振り下ろし、ヴェイルは巨体の右腕を切り落とす。
 があああぁあぁあぁあああ!
 魔物は咆哮を轟かせ、注意をヴェイルに向ける。
 強力な一撃がヴェイルを襲う。
 彼はそれを寸でのところで避け、先輩騎士に目配せをする。
 気弱そうな顔立ちの騎士は、逡巡することもなく一目散に逃げた。
 再度、役に立たない、と心うちで確認しながらも、ヴェイルはその勇気のなさに拍手を送る。何度も言おう。無駄に死ぬよりはマシなのだ。
「とっとと消えろやあぁあっ!」
 黒々とした腕を掻い潜り、ヴェイルは相手の懐に踏み込む。そして勢い良く剣を魔物の胸に打ちたて、それから気合と共に横に引いた。
 その傷口からは血液と思しき液体が噴出し、魔物は倒れ伏した。
「――ちっ! 随分と殺ってくれたみたいじゃねぇか……!」
 辺りを見回してから、ヴェイルは事切れたばかりの魔物に瞳を向けて呟く。
 倒れ伏している者が数名。いずれもぴくりとも動かない。息がないのは明白であった。
「……これが封魔石の力か」
 ヴェイルは唇をかみ締め、呟き、そして、討つべきものを求めて駆け出した。

 シャロンはそこら中を跋扈している魔物を屠り、そうしながらも、直ぐ側で披露されている素晴らしき剣技に見ほれていた。彼女の視線の先には、本日正午過ぎに時計搭近辺で出現した魔物と同程度の大きさをしたモノがいた。しかし、そのモノは今にも息の根を止めそうだ。僅か二名の騎士団員の手によって。
 その二名というのは、騎士団団長アースと副団長ライル。
 彼らはまず、魔物の足元を重点的に攻め、魔物が体制を崩すと、続けて、急所である胸や頭を責めだした。それを目にも留まらぬ速さでやってのけるのであるから、比較的動きが緩慢である魔物に対処できるはずもない。
 どおおぉおぉおおんっ!
 遂に魔の物が倒れ伏す。とはいえ、直ぐには事切れず、しばらくは痙攣を続けていた。
 しかし、やがて動かなくなる。
 うおおおぉおぉぉおおおぉおぉお!
 辺りに歓声がほとばしり、騎士団員のみならず、避難を続ける一般人、彼らを誘導する統制院職員の瞳にも希望の灯が宿る。
 アースが剣を高く掲げ、言葉を紡ぐ。
「騎士よ! 我ら、か弱き人の身とて、強き力と成ることがここに証明された! 今こそ奮い立ち、民を護り、魔を滅する剣と成せ!!」
 うおおおぉおぉぉおおおおおぉおぉおおおぉぉおぉおおおおおぉお!
 堂に入った宣言を因とし、先程以上の歓声がガイアシスタウンを駆け抜ける。騎士達の士気は、これ以上ないという程に高まった。
 勿論、それはシャロンも例外ではない。槍を構える手に力を込め、駆けた。

 ぱああぁあぁああぁあ!
 ソレイユ教団教主ミーティアの生み出す光は、今にも事切れそうな男性を、腕の向きがおかしくなった女性を、太腿に穴の開いた子供を、救う。
 しかし、既に失われてしまった灯火を取り戻すことはできない。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 疲弊しながら、幾十、幾百の者を癒し、ミーティアは呟き続ける。
 彼女の側に居る者達は、心配そうに彼女を見やる。
「ミーティア姉ちゃん…… 姉ちゃんのせいじゃないだろ?」
「そうです、ミーティア様。誰も貴女を恨んだりなどしません。例え私のように腕を失おうとも、貴女に救われた命があります」
 そのような声をかけられようとも、ミーティアは瞳に哀しみばかりを携え、神聖なる癒しの力を行使し続ける。癒しが彼女自身に与えられることは、ない。
 口の動きは、ひたすらに聖句と謝罪のみを促す。

「皆さん、こちらです! 女性や子供を優先して、落ち着いて行動して下さい!」
 カシスは人々を先導して避難しながらも、いったい何処にいれば安全と言えるのだ、と歯噛みしていた。
 今や何処にいたとて魔物に襲われ兼ねない。それは、この街に住む全ての者の共通認識であろう。
 しかし、そうも言っていられない。兎に角、逃げねばならないのだ。生きるためには。
 先刻、時計搭の周辺にて魔物の群れを撃破した知り合い達を思い出し、カシスは考える。
 彼の妹は――いや、妹と同じ外見を持ち、異なる環境で育った少女は、彼女の仲間と共に、直ぐに終わらせると自信満々に言い切った。カシスが時計搭の騒ぎの確認に走らされ、それから突然、街全体に魔物が溢れた、その際のことである。そして、彼女達は圧倒的な力を見せた。
 特に少女は――コリンは派手に魔物の群れを屠った。
 そして、だからだろう。統制院上級職員達は彼女を自らの護衛として雇うと言い出した。
 その提案に青い髪の少女――シャロンが賛同し、金銭を要求しているのを目にした時は怒りを覚えたものだが、しかし、短い付き合いとはいえ、彼女の性格であれば当然の反応だっただろうと納得もした。何より、これからこちらでどの程度の期間過ごすことになるか不明瞭である以上、資金を欲するのも理解できる。
 ただ、統制院の――彼が属する組織の上層にいる者達のアレは如何なものかと、憤らずにはいられない。金銭で魔法学園の者達を雇い入れ、民を護るように依頼するのであれば、それはまさしく秩序を護る者として正しい判断だろう。しかし、彼らが欲したのは自身の安全だ。
 法を司るなどとどの面を下げて……
 カシスは顔を顰めつつ、先の広場を目指す。しかし――
「っ! ……止まって下さい」
 後続の者達に潜めた声をかける。
 目指していた広場を瞳に入れることができるようになった瞬間、彼の目には多数の巨大な獣が映った。そのような場所には、当然避難できない。
「引き返します。一つ前の通りを北上し、公園を目指しましょう。あちらは騎士団本部に近いですし、きっと――」
「お、女の人がっ!」
 カシスの希望的観測を遮って、男性が広場の方向を指差しながら叫ぶ。
 彼の指の先には黒い髪をたなびかせた女性が佇んでいた。そして、彼女の周りを魔物達が囲む。
 だっ!
 カシスは知らぬ間に駆け出していた。
 彼には力がない。魔法の力どころか、腕力さえも有しない。護ることができない。それでも……
「危ないッ!」
 小さき者を護れぬ自分を呪った。それは過去の想い。しかし、今だってそうなのだ。誰も護れず、誰の助けにもなれない。
 そうであったとしても、非力な凡夫にでも、出来ることがある。
 何かを得るために、何かを失えばいい。
 バンっッ!!
 音が、響いた。

「ここを拠点と致しましょうか。辺りを見渡せて、不意に襲われる心配もありますまい。もっとも、先生方にかかれば知恵のない魔物の不意打ちなど、どうということもないでしょうがなぁ。かかかかかかかか!」
「そんなおべっかはいいから、更に護衛続けろってんなら依頼料は上乗せよ」
「も、勿論ですとも。かかかかかかかかかかっ!」
 下品に笑う中年親父から早々に瞳を逸らし、シャロンはコリンを見やる。
 彼女は、南方を向いて、大きな瞳を瞬かせていた。
「どうかした? コリン」
 シャロンが何とはなしに訊く。
 訊かれたコリンは曖昧に笑い、右手で頭をかいた。
「え、あ、いや〜。その、お兄ちゃん、大丈夫かな〜って」
「別に本物の兄貴ってわけじゃないでしょう? 仮に死んでたって気にしなきゃいいだけのことじゃない」
「それは……そうかもしれないけど」
 遠慮なく言ったシャロンに、コリンは言い返さない。しかし、頬を膨らませて、少しばかり気分を害したようであった。
 ふぅ……
 そんな彼女の様子にシャロンは息を吐き――
「おっさん。これまでの護衛料。払ってくれる?」
 突然体の向きを変えて、統制院上級職員の一人に声をかける。
「は? しかし、今は金銭など……」
「あぁ?」
 訝しげに応えた職員であったが、シャロンが不機嫌に訊き返すと十数名いる腰抜けお偉方に声をかけて回り、資金繰りに奔走した。そして、数分の後――
「お待たせ致しました! ……こ、これ程で如何でしょうか?」
 恐々と両手を差し出し、深い深い礼をする職員。その手の中には、硬貨や紙幣が充分すぎる程あった。
 シャロンは徐にそれを受け取る。そして……
「どうも。で、突然で悪いのだけれど、この先の護衛に関する契約は棄却させて貰うわ。じゃ」
 言い切って、コリンの手を取った。
「え?」
「は? そ、そんな――」
 コリン、統制院上級職員がそれぞれ間の抜けた声を上げた時、シャロンの小さな呟きが風を呼んだ。
 風は、南を目指す。

 どんっという音が轟き、女性とカシスに向かって来ていた魔物の一匹が倒れ伏す。そして、それに続けて同じような音が響く。
 どん! どん! どん! どん!
 それぞれの音と共に、魔物が一匹ずつ倒れる。その胸には、大きく穿たれた穴が存在した。
「い、いったい……」
「突然魔物の群れの真ん中に飛び出すなど、愚行以外の何物でもありませんよ、カシスさん」
 女性の言葉に、カシスは驚愕と共に視線を移す。そして、彼の瞳に映るのは――
「レイラさん!」
「……私と知った上での無茶ではなかったのですか。お人好しにも程があります」
 カシスの反応に、女性――レイラは呆れたように瞳を細め、言った。
 レイラは、ヴェイル、カシスと同じアパートの住人である。統制院上級職員の娘の家庭教師を務めているのだが、数日前からその家族と共に旅行に出ていた。黒い長髪に黒い瞳。知性を感じさせる顔立ちに、落ち着いた物腰が特徴的だ。そして、そんな彼女の右手には、変わった形状の物体が握られていた。
 どんっ!
 と、突然レイラがその物体をカシスの後方へ向けて構えた。人差し指を軽く動かすと、その物質からは大きな音が響く。
 そして、どさりと、カシスが背にしている方向で何かの倒れる音がした。
 カシスが振り返ると、そこには鳥によく似た魔物が、魔物であった物体が在った。それを目にし彼は、レイラの手の中に在る物が武器であることに、漸く気付く。
「それは?」
 訊いた。
「これは、銃と呼ばれる武器です。魔なる世界、神聖なる世界、そのどちらとも異なる世界の技術を受け継ぐ最後の遺産です」
「? 何を言って……」
 レイラの言葉の意味を知れなかったカシスは、疑問のみを携えて声を発する。
 しかし――
「それよりも、ヴェイルさんとリーンさんは何処ですか? 至急、私と共にいらして頂きたいのですが」
 真剣な瞳で発せられたその言葉により、彼の疑問は霧散した。

「リーン! 次の現場は!?」
 視界の内に在る魔物を全て屠ったランドは、リーンを見やる。
 彼女は懸命に集中し、街の闇を探る。
「……大分減ったみたいですけど、まだ南の方に少し――」
「よし、行くぞ!」
「あ、待って下さい!」
 走り出したランドに、リーンが続く。
 そして、そんな彼らの頭上を風が駆ける。
「あ、コリンとシャロン」
 リーンが気付いて声を上げると、ランドもまたリーンの視線の先に瞳を向ける。そして、やはり南に向かう少女二人を映した。
「あの胡散臭いおっさんどもの護衛をシャロンが途中で止めるとは、予想外だったな。護衛料が少なくなりそうだが……」
「シャロンもついに、正義の心に目覚めたんでしょうか?」
 地を駆けながら紡がれた言葉たち。
 その後には、それはないな、という否定だけが続いた。
 そして、二人は駆ける。

 ヴェイルは駆けていた。
 そんな彼の瞳に映るのは、骸となった魔物のみ。未だに血を求めて彷徨っている魔は、彼が探る限り見当たらない。
 しかし、だからといって安心することもできなかった。ここではないどこかで、誰かが襲われているかも知れないのだ。
 注意深く視線を巡らしながら駆けていると――
「ヴェイルさん!」
 横手から声がかかった。
 ヴェイルが視線を送ると、そちらにいたのはシャロンだ。
「シャロン! どうだ、魔物は?」
「ここしばらくは遭遇していません。もういないと楽観視するわけにもいきませんが、それでも数が格段に減ったのは間違いないかと……」
「そうか…… 俺も五分くらい前に虫みたいなのを殺った後は見かけてない。一旦、本部に戻ってみるか」
 騎士団の本部がある方向を見やり、ヴェイルが言う。有事の際には、本部に情報を集めるように取り決められている。それが機能しているかは怪しいが、当てもなく彷徨うよりはマシだろう。
 しかし、シャロンは首を振る。
「騎士団本部にも魔物が出現して、皆避難しました。今、本部は公園に移ってます……けど、突然のことでしたから、そちらへ情報の収集が為されているかは疑問です」
「そうか…… すると、魔法学園の奴らを探した方がいいか。あいつらなら魔物の居場所が判るみたいだし…… 統制院の上層部も公園か? なら、シャロンとコリンちゃんは――」
「いえ、それが、彼女達は突然護衛任務を放棄して南に向かったと、そういうことらしいです。それで、私もヴェイルさんと同じように考えて、彼女達を探していたところで……」
 確かに、ヴェイルとシャロンがいる箇所は、公園よりも南方にある地区である。しかし、今のところそれらしい人影を見つけるには至っていない。
 ヴェイルがその場で軽く視線を巡らしてみても、やはり目的の者達は見当たらない。
 と、そこで、魔法学園の者ではないが、見知った顔を見つける。
「ミーティアさん!」
 ヴェイルは声をかけつつ、近寄る。
「よかった! 無事だったんですね!」
 シャロンもまた話しかける。
 しかし、当のミーティアはどこか様子がおかしかった。激しく疲弊していた。
「ヴェイル……さん…… それに、シャロンさん…… お二人共……お怪我は?」
「俺達は大丈夫ですけど…… ミーティアさんこそ大丈夫なんですか?」
 ヴェイルはミーティアを支えながら、問う。
「大丈夫……です。それよりも……負傷されている方は……?」
 途切れ途切れに紡がれる言葉。彼女の言うように、『大丈夫』だとは思えなかった。
「もしかして、ずっと怪我人の手当てを? 少しくらい休まれた方が…… 治療は教団の他の方に任されて――」
 シャロンが心配そうに声をかけると、ミーティアは力なく首を振る。
 そして、ゆっくりと口を開いた。
「神聖なる力を……引き出せるのは私だけ……なのです。教団に……属している方であっても……治療を行える者は……いません。だから――」
 私が何とかしないと、と続けながら、ミーティアは歩を進める。
 勿論、ヴェイルやシャロンは止めようとした。それに対し、彼女は無理やり笑みを浮かべて礼を言いはするのだが、頑とした態度で先を急ぐ。
 そして、街路を進んで行き、そのまま見えなくなった。
「……取り敢えず、コリンちゃん達を見つけよう」
「……はい」
 複雑な心持でミーティアを見送りつつ、二人は再び南方を目指した。

 すたっ。
「お兄ちゃん、無事だったんだ〜」
 目的の場所に降り立ち、目的の人物の姿を視認すると、コリンは嬉しそうに駆け寄った。この時点で、彼の隣に佇む女性には気が回っていない。
 兄妹は一度手をぽんと合わせてから、いえーい、と微妙な掛け声を上げた。兄は少し照れたように、妹は非常に楽しそうに。
 そんな様子を瞳に映しつつ、シャロンが口を開く。存在を無視されている女性について言及するために。
「で、そっちは…… コリン。あんたの隣人じゃなかったかしら?」
 コリンは瞳を瞬かせ、そうしてから漸く気付く。
「え? あ〜、レイちゃんだ〜。って、あ、『こっち』のレイちゃんってことになるのかな。とすると、お兄ちゃんとは知り合い?」
「ええ。ただし、私は『こちら』と『あちら』、両方のカシスさんと知り合いですけれど」
 レイラが何気なく言う。
 ぴく。
 コリン、カシスが揃って首を傾げている中で、シャロンのみが小さく肩を揺らし、反応する。そして、レイラに詰め寄った。
「ということは、『こちら』と『あちら』の私とも知り合いであり、コリンとも知り合いであり、リーンとも知り合いであるわけね」
「そういうことになります。もっとも、『こちら』の貴女とはこれまで接点がありませんでしたけれど」
 レイラの答えに、シャロンは笑む。普段の行いの賜物か、その笑みは幾分邪悪に映った。
 と、そのようなことはともかくとして――シャロンは問う。
「なら知っているわね。『あちら』に戻る方法を」
「ええ。知っています」
『!』
 あっさりと答えたレイラを見やり、カシスとコリンが瞳を見開く。一方、シャロンは相変わらずの邪悪な笑み。
 そして、そこに――
「あれ? レイラさんがいる」
「ん、本当だ。ていうか、お前らのとこにもやっぱレイラさんがいるのか」
「レイラさんって…… ヴェイルさんと同じアパートに住んでいる方でしたっけ?」
「それより、魔物はどこだ? リーン、探査術」
「あ、はい。えーと…… あれ、消えてますね。シャロンとコリンがそこにいるし、もう倒したとか」
 更に四人が加わった。ヴェイル、シャロン、リーン、ランドである。
 ヴェイル達とリーン達は、数メートル前の曲がり角で偶然にも出くわしていた。
「あら。ちょうど良いですね。これもカミサマのお導きかしら」
 レイラは無表情に言い、それでも口元だけは弱冠歪んでいた。
「ああ、ヴェイルにリーンちゃん。レイラさん、君らを探していたみたいだよ」
 カシスはヴェイル達を見やり、丁度良かったとばかりに言った。
 しかし、声をかけられた方は戸惑った様子。
「俺『ら』を? は? だって、リーンのこと――」
「何で知ってるんです?」
 二人が訝しげに訊くと、シャロンが口を挟んだ。
「レイラは私達の世界とこっちの世界にそれぞれいるわけじゃないみたいね。この女は二つの世界を行き来している。詳しいことは私もまだ聞いていないけれど、それだけは間違いがないようよ」
「そういうことです」
 レイラは相槌を打つ。そして、続ける。
「私は生まれたばかりの世界が安定を保つように、世界間を行き来して見守ってきました。ここ二十年はそれなりに安定していたのですが、しかし、それがここ数日で…… くだらない息抜きとやらにつき合わされている間に、これです。まったく」
 彼女は呆れたように息を吐いた。
 一方、他の者達は疑問ばかりが頭に浮かぶ。くだらない息抜きとやらは、家庭教師先の家族旅行のことだろうが、言葉の前半はどういうことなのか。
「あの…… レイラさん。いったいどういうことなんですか?」
 リーンが代表して口を開いた。
 レイラは彼女を一瞥して少し考え込み、そして言葉を紡ぐ。しかし、まだ答えは開示されない。
「詳しいことは場所を改めてから、としましょう。一緒に来て下さい」
 状況をよく飲み込めないながらも、一行は頷く。そうすることしかできなかった。
 しかし――
「それは諒解するけれど、ただ、一つだけ訊かせて」
 シャロンのみが諾と頷かず、目つき鋭く問うた。
「なんでしょう」
「二つの世界が近づく時、何が起こるの?」
 訊かれたレイラは、彼女を真っ直ぐと見つめ、答える。
「全ての終わりが」
 シャロンは憮然とした表情になり、他の者達は疑問符のみをひたすらに浮かべた。

 視界に入る魔物を全て倒しきったアースは、一度視線を巡らしてから、手近な隊員に指示を出す。
「リギル小隊長。伝令を頼む」
「は! いかように伝えましょう」
「引き続いて警邏活動を行い、要救助者を発見次第その救助活動へ移行…… また、随時各自で判断し、民衆がためとなる活動を心がけよ。そのように」
「諒解しました!」
 小隊長は慇懃に礼をして駆けて行く。
 彼が幾名かの隊員に声をかけると、その隊員達もまた、街の方々へと向けて駆け出す。
 アースはそれを確認してから、自身も活動を再開するためにその足を動かす。
 例え、終わりが訪れるやも知れなくとも、最期の時まで、贖罪のために…… 大切な者の罪が許されるように……

 一行の前には一本の木が聳えていた。
 ここは北地区にある公園。騎士団の連絡本部やら、統制院上層部の避難所やらが出来ているため、何かと目立つ魔法学園組が呼び止められる可能性があった。そうならないように、一同は連れて来た一般人だけを正面から避難させ、自分達は目立たぬように、レイラに先導されながらこっそりとここまでやって来た。
 聳えている木に見覚えがあるのはシャロンくらいだった。それは、昨日彼女が、『向こう側』から『こちら側』へ来る入り口であっただろう、と結論付けた木だった。その木のうろからは、やはり『向こう側』にいるはずの人物の魔力を微かに感じることが出来る。
「ここに来てどうするってわけ? 私達が通ってきたのは確かにここみたいだけれど、一方通行なのか何なのか、ここから戻れる気配はないでしょう?」
 シャロンがそのように口にすると、何名かは驚嘆の色を顔に浮かべ、何名かはよく判らないというように眉を顰めた。そして、そのどちらにも属さないのはレイラだ。
 レイラは無表情でシャロンを見やり、口を開く。
「通常ここの扉はこちらから開くことはありません。それは『向こうの世界』であっても同じです。まあ、貴女方は魔法でこちら側に到達してしまったとのことですが……」
 レイラは、シャロンからこれまでの事情をいくらか説明されていた。それは大雑把に為されたが、彼女は十分な理解を得ているらしい。
 そして、言葉は更に続く。
「大方、カミサマが『うっかりしていた』というところでしょう」
 あの方ならば充分にあり得ることです、とレイラは結ぶ。その表情は苦笑と呼ぶのが相応しい様相を呈していた。
 今度ばかりは、誰もが、シャロンであっても疑問符を顔に浮かべた。
 しかし、それには取り合わず、レイラは木に歩み寄る。うろに手を差し入れ、何やら呟く。そして――
「では、皆さん、私に続いて下さい」
 一同を見回し声をかけてから、彼女はうろに飛び込んだ。
『は?』
 何名かが間の抜けた声を上げる。
 それも仕方がないだろう。なぜなら、それ程深くもないはずのうろに飛び込んだレイラの姿が、消えてしまったのだから。
 しかし、それに動じない者がいた。
「じゃ、お先に」
 まず、シャロンが素早く後を追った。
「なんか面白そ〜」
「よし。私も」
 続けてコリン、リーンが飛び込んだ。
「これも魔法みたいなもんか?」
「あ、ヴェイルさん、待って下さい」
 更には、ここ数日で非常識な展開に慣れた騎士団組が身を投じた。
 そして最後に残ったのは、非常識に慣れていない統制院の一職員と、意外と常識に縛られる魔法学園三年目の男性だった。
「あいつら…… よくすんなり飛び込めるよな……」
「……そうですね」
 二名はため息を吐いてから、意を決してうろに足を踏み入れる。

 彼女がここに出入りすることがなくなってどれくらい経ったのだろうか?
 少女はそのようなことを考えつつ、紅茶を啜る。
 普段自分で淹れることがあまりないため道具の使い方などに苦労したのだが、それなりに上手く淹れられたなと感心した。ただ、それでも彼女に淹れて貰った方が明らかに美味しいことを認識したため、流石にそろそろ帰って来て欲しいと感じた。彼女が言っていた旅行とやらは五日程の時を要するとのことだった。その五日も、おそらくそろそろ終わるはずなのだが……
 先日、とある世界から入手したクッキーという菓子を口に運びながら、少女は考えを巡らした。
 五日――大抵の世界において、これは百二十時間という単位で置き換えられる。そして、百二十時間は七千二百分、七千二百分は四十三万二千秒で置き換えられる。
 ここには時を刻む道具は存在しないが、世界を回り、時間という概念を識っている少女にとって、それを計る行為はそれ程難しいことではない。そろそろ四十万秒の経過を迎えるため、女性がここに戻ってきてもおかしくはないのである。
 そして、だからこそ少女は、大人しくここに座しているのだ。そうでなければ――
 がちゃ。
 幾千、幾万とある扉のひとつが開く。そこから現れたのは少女が待っていた人物だ。
「遅――」
 早速少女の文句が紡がれようとしたその時、扉からは更に予想外の者達が雪崩れ込む。
「わわ!」
「うお!」
「きゃっ!」
 何名かが倒れこみ、扉の前には人体で作られた小丘が生まれる。
 ちなみに、少女が見知っている黒髪の女性と、その女性に続けて入ってきた青髪の女性は要領よく避けている。
 黒髪の女性が少女に向かう。
「ただ今戻りました、ソレイユ様」
「うん、おっかえり〜。それで? あちらのお客さんたちは?」
 ソレイユと呼ばれた少女は、嬉しそうに言葉を紡ぐ。さて、なぜ嬉しそうなのかというと、黒髪の女性――レイラが連れて来た人物達が、彼女の嗜好に合う者達であったからだった。
 それはさて置き、レイラが無感動に言葉を紡ぐ。
「神聖なる世界、魔なる世界、それぞれの世界の住人達です。世界の近接率の上昇を考えますと、ソレイユ様も新たなる管理者を立てることを見込まれると、そう思い、管理者候補とその周りにいた人物数名を連れて来たのですが……」
「へ? 近接率上昇……? あ、本当だ」
 レイラの言葉を受け、間の抜けた声を上げたソレイユ。彼女は意識を二つの世界に向け、確かにレイラの言うとおりであることを識る。
 そんなソレイユの様子を目にしたレイラは、目つきを鋭くして口を開く。声質は硬い。
「ソレイユ様がいながら、たったの五日でここまでの近接率上昇が起こることに疑問がありましたが、その疑問も随分と容易に氷解致しました。私がいない間、さぼっておいでだったようですね?」
「あはは〜。だって、二十年も大して変化なかったのに、たった五日で……なんて思わないでしょ〜?」
「それで各世界を巡り、いつも通り美少年探索ツアーですか? それとも美少女探索ツアーの方ですか?」
 訊いたレイラに、ソレイユは片目を瞑って楽しげに応える。
「惜しいっ! 今回は美中年探索ツアーでしたぁ! 中々に眼福だったわよ〜」
「まったく……」
 軽くため息を吐いて、レイラが呟く。
 と、そこで小丘を作っていた者達が、漸く立ち上がる。そして、それに合わせたように青髪の女性――シャロンが言葉を紡ぐ。
「さっきから話を聞いていた限り、世界って奴は随分と沢山在るっていう認識でいいのかしら。差し詰め、ここに在る山ほどの扉は、数ある並行世界達への入り口ってところなの?」
 ソレイユは両手でぱちぱちと音を鳴らし、シャロンに賞賛を送る。
 そうしてから、応える。
「ま、そんなところかな。流石、魔法学園きっての天才ちゃん。鋭いね〜」
「褒めても何もでないわよ。それより、色々と詳しく教えて貰いたいものね。世界の近接というのは、双方の世界の類似によって引き起こされるのかしら? そして、近接は世界の終わりを齎すというわけ? なぜシンはそんなことを――」
「すと〜っぷ!」
 矢継ぎ早に問うシャロンを、ソレイユは制す。そして、ここに到達したばかりの他の面々を指差す。
「あっちの子達が全くついてこれてないみたいだし、順番に説明といこ〜よ。正直、あそこまで接近してるなら選択する道はそれ程ないし、お茶を飲みながらゆっくりしても結果は変わらない。あ、レイラ。お茶淹れて。あと、そうだな〜…… あ、アレ出そう。黒くて甘いやつを挟んでるお菓子! どら猫とかって名前の――」
「どら焼きですね。かしこまりました。用意致します」
 ソレイユの呼び掛けに応え、レイラは扉の一つを潜る。その扉は、他の扉が扉単体で存在するのとは対照的に、しっかりと壁に埋め込まれて存在していた。おそらくは、キッチンのような場所に通じているのだろう。
「さっ。それじゃ〜、ティータイムだよ〜」
 嬉しそうにソレイユが言うと、何もない空間に、突然十人がけのテーブルと椅子が出現した。
 そしてしばらくすると、レイラの手により茶と菓子の用意が済む。
 話が、始まる。

 魔法学園学園長であるシンは、思い出す。二十年前のあの日を。
 魔神が騎士の一人によって打ち滅ぼされ、世界が分かれたあの日のことを。
 ソレイユと名乗った少女は言った。世界の管理者に成れと。言われた当時、それが何を意味するのかなど判りはしなかった。説明は為されていたが、あの状況で正確に把握することなど出来る訳がなかった。
 そして、シンは成った。封魔石によって成り立っているこの世界の管理者に。
 そうすることで何が起こるのか知らずに……
 いや…… 本当にそうだったのだろうか。
 シンは自問する。
 彼は恐らく気付いていた。それは彼女も同じこと。彼らは気付いていた。
 選択の先に永遠の別れがあることを。
 それでも、その道を選ばざるを得なかったことを。
 そして、彼女達は――ソレイユとレイラは、多少なりとも彼らに同情を感じていた。そう、今では思う。
 だから、教えたのだろう。彼らに方法を……
 しかし、それは実現などできぬと高をくくっていたからなのやも知れない。一度彼らが救った世界――それを危険にさらすなど、気持ちの上で考えても、実際的に可能かどうか考えてみても。
 だが……
「もう直ぐだ。ミーティア」
 彼の呟きを、聞く者は居なかった。

「もう直ぐなのね、シン」
 赤みの差した空を仰ぎ、ソレイユ教団教祖ミーティアは呟いた。
 正確には、どの程度闇の力が満ちることで世界が併さるのかなど判らない。しかし、ここ数日の――闇の力を有するというリーンがこちらに来てからの、闇の増殖度はめざましいものがあった。
 そして、闇の増殖に伴って、シンの部下がこちらの世界への侵入に成功した。彼らは更に闇の力を増殖し、現在では自然に魔物が大量発生する程に闇は蔓延している。
 まるで世界の終わりね……
 ミーティアは考える。しかし、直ぐに首を横に振り、否定する。
 これは、始まり。彼女達にとって、始まりなのだ。
 恐らく、融合するに当たり神聖なる力が淘汰され、新たなる世界の管理者はシンとなるだろう。再び、封魔石が支配する世界が生まれるだろう。神聖石の支配のときは終わり、ミーティアは管理者ではなくなり、老いという自然現象を享受することとなるはずだ。ミーティアは老い、皺を刻み、何時までも若々しいシンに結局は見限られてしまうかも知れない。
 しかし、彼女はそれでも良かった。会えさえすればいいのだ。
 再びまみえることさえできればいいのだ……
 そう決意し、ここまで来たはずなのに――
 彼女は、傷ついた者達を瞳に入れ、唇をかみ締めた。

 そこでソレイユは、どら焼きの一つに手を伸ばした。小さな口で少しだけ頬張り、続けて湯飲みに手を伸ばす。
「分かれた世界…… 世界を司る石…… 世界の管理者…… そして、それぞれの世界の管理者、シンとミーティア……」
 リーンが呟いた。
 そして、ランドとカシスが続く。
「管理者とやらは不老……ね。どおりで学園長の見た目、何時までも二十代なわけだぜ」
「それを言ったらミーティアさんもか…… あ、そういえば、『ソレイユ』教団って!」
 カシスが今更のように訊くと、ソレイユは苦笑いする。
「あれはちょっち当てつけかもね〜。あの子がわたしをカミサマだと思うはずもないし」
「けど、今のわたし達もそうだけど、結構不思議な体験したんだよね〜? だったら……」
「それはそうなのですが、状況を鑑みますと、我々は敵視されていたとしても何らおかしくないのでして――」
「なあ」
 数名が議論している中、会話の腰を折ってヴェイルが口を開く。その瞳は真剣そのもの。
 一同は、何か重大な発言が先に続くのかと、一様に口を噤んだ。そして――
「よく判らねぇんだけど。全体的に」
 馬鹿がはっきりと言った。
 ふぅ……
 ため息が揃った。
 ヴェイルは焦ったように口を開く。
「お、おいおい。何だよ、そのため息は! つか、お前ら本当に判ってるのか? よく判らないけど話を合わせてます、とかって奴、絶対いるだろ!」
 見事に全員首を横に振った。
「今くらいの話なら別に難しくもなかったし」
「そだよね〜」
 リーン、コリンが湯飲みを口に運びながら言う。
 ヴェイルは、ぐっと言葉に詰まりつつも、リーンを指差し、
「な、なら今までの話を噛み砕いてみろ! 出来なかったら、お前も俺と同じ組だぜ」
 と、得意げに言うが……
「世界は力ある石の支配を受けます。魔の力を有す封魔石の支配していた世界が、二十年前に私達とあんた達の世界に分かれました。私達の世界は継続して封魔石の支配を、あんた達の世界は神聖石という聖なる力を司る石の支配を受けました。それぞれの世界には管理者と呼ばれる人がいて、私達の世界の管理者は魔法学園のシン学園長、あんた達の世界の管理者はソレイユ教団の教主でミーティアさんです。今までの話をまとめると、こんな感じ?」
 リーンがソレイユに向けて訊くと、ソレイユは、そうだね〜、と相槌を打って茶を啜った。
 ヴェイルは今のリーンの言葉を何度か反芻し――
「な、成る程! そういうことなのか! それならそうと、最初からそうやって簡潔にまとめればいいじゃないか。お前ら、簡単な話を難しくするのが好きだなぁ」
「自分の理解力の無さを他人のせいにしている阿呆は放って置きましょう。それよりも、いくつか質問を挟むわよ」
 にべも無く言い放ち、シャロンがソレイユに声をかける。
 大事なお話が始まるため、もう一人のシャロンがヴェイルを懸命に宥めているという事実は、この際無視する。
「少し予想が入るけれど、分かれたばかりの世界というのは再び融合する可能性があるのね。そして、ヴェイル達がいる世界に闇の力――封魔石の力が満ちた時、二つの世界は類似する点が多くなり、世界が近接し、融合をし始める。ただ、レイラの言を信じるなら、このままいくと世界は双方滅びてしまうという。なぜそんなことに? 融合して、それで終わりではないわけ? そもそも、シンは滅びることを望んでいるの? 融け合うことを望んでいるの?」
 ソレイユは、ずずっと茶を啜り、一呼吸置いてから答える。
「天才ちゃんの予想は正しいよ。世界は再び融合する可能性がある。分かれたばかりの世界には特にその傾向がある。違う点がそれ程ないから。けどね。全く同じじゃない以上、分かれてしまった世界が再び一つに戻ることなんて九十九パーセント以上の確率で、ない。分かれたのには理由がある。確かに違う道を歩むはずだという理由が…… だから、同じ道を歩むこと能わぬのだから、分かれた世界が同じ道に戻ることなんて、絶対と言い切ってしまっていいほどにない」
 そこで一呼吸。
 だれも口を挟まないため、ソレイユは続ける。
「それでも、今回のようなことがある。一度離れて、また歩み寄ることが。今までもあった。今回みたいに分かれたばかりの世界だったね。偶然、同じような道に戻り来て、世界が近づいて、けれどもやはり似ているだけの違う道だから、適合して融け合うことなんて出来ないの。双方消滅。世界が二つ、どかん。ま、よくあることってね」
 あはは〜、と笑うソレイユ。他には誰も笑わない。
「……ノリ悪。ま〜いいけど。で、天才ちゃんのもう一つの疑問に答えるね。あのシンって子がどういうつもりなのかだけど、勿論、融合を望んではいると思うな〜。けど――」
「恐らくは、世界が消滅してしまっても構わない、とも思っているはずです」
「そんな!」
 ソレイユに続いたレイラの言葉に、リーンが悲痛な面持ちで叫ぶ。
 しかし、それをシャロンが手で制した。
「別に、あの男ならそれくらい思っていても不思議ではないでしょう? 何か根本的に暗いし」
 散々に言ってから続ける。
「それよりも、更に質問をするわよ。貴女は今、世界が分かれるには理由があると言った。なら今回、世界はなぜ分かれたの?」
 訊かれたソレイユは、再度どら焼きを頬張り、飲み下してから口を開く。
「それは、魔神を倒した騎士が原因ね。彼が、迷ったから」
「迷った?」
 ソレイユの言葉を受け、カシスが疑問を口にする。
 彼の方を見やり、ソレイユは頷く。
「そ。彼は迷った。封魔石の強大な力を人のために使うべきか。それとも、さっさと壊してしまうべきか。その迷いが、世界を分けた」
「そして、封魔石を持ち帰ることを選んだ騎士が迎えた未来は、リーンさん達の世界。その世界では、魔神に代わりシンさんが管理者になった。封魔石を壊すことを騎士が選んだ未来は、ヴェイルさん達の世界。その世界では、新たな石――神聖石が生まれ、管理者はミーティアさんになった。世界は、そうして分かれた」
 レイラが言葉を結び、茶に口をつける。
 そこで、頭を抱えていたヴェイルが歯切れ悪く言葉を紡ぐ。
「あ〜、やっぱよく判ってないんだが、話を腰を折るのもなんなので再度要約を求めたりはしねぇ。ただ、一つ気になったことがある。今話していたことを考えると、世界ってのは随分と沢山生まれたりしているんじゃないのか? 誰かが迷ったりしたら分かれるんだろう?」
 彼の言葉に、ソレイユが驚いたように瞳を見開く。
「よく判ってないっていう割に、結構いいこと訊くね〜。運がいいのかな。勘がいいのかな。ま、どうでもいいけど」
 幾分酷いことを口にしてから、続ける。
「まあ、確かに世界の数は多いんだけど、そんなにしょっちゅう分かれたりはしないよ。君達の世界が分かれたのも、世界の根幹たる石の存亡に関わる程の迷いだったからだもの。実際は、君が朝食を食べようかどうしようか迷っただけで世界が分かれはしないし、仮に、君の世界にある統制院のお偉いさんが重要な決定をしようとしている時であっても、恐らく世界は分かれない。結構、分かれる条件はシビアだよ〜」
「私も質問、いいですか?」
 今度は、シャロンが右手を軽く上げつつ、言った。
 ソレイユは彼女を手で示して、どうぞ、と一言。
「シンという方は――ミーティアさんもかも知れませんけど、彼らはなぜ世界が再び出会うことを望むのでしょう? あと、ここ最近になって世界が近接しだした――私達の世界に封魔石の力があふれ出した理由というのは何なのですか?」
「うん。いい質問。流石、天才ちゃんは世界が変わっても天才ちゃんだね」
 からかうようにソレイユが言うと、シャロンは照れた。
 それはともかく、答えが紡がれる。
「まず、最初の質問だけど、答えは単純明快。二人は元々恋人同士だったんだよ。シンは志願兵として魔物との戦いに赴いていて、無事帰ったらミーティアと一緒になるつもりだった。それくらいの仲だったの。これで納得――してくれる人ばかりじゃないみたいね〜」
 ソレイユは苦笑する。
 彼女の視線の先で、幾名かは心の底から納得した風に頷いており、幾名かは、それくらいで、と首を捻っていた。
 さてどうしたものか、とソレイユが首を捻る。が――
「恋愛に限らず、人の情愛の念とはそういうものでしょう。二度と会えぬとなれば、なおさら会いたくもなりましょう。ましてや、確率が小さいとはいえ、再びまみえる機会を得られるのであれば、何を犠牲にしてでも…… そう思うのではありませんか?」
 言ったのはレイラだった。無表情ながら、瞳は微かに揺れていた。
 一同は、今度は異性に限らず近しい者達を思い浮かべ、想像を巡らす。
 ほぼ全ての者が納得した。しかし――
「つか、正直どうでもいいわ。それより、もう一人の私が訊いた、もう一つの疑問にも答えて欲しいわね。予想の裏づけが欲しいわ」
「う〜ん。空気ブレイカーだね〜、天才ちゃん。わたし、君みたいな子好きだな〜」
 にこやかに言ったソレイユを、シャロンは鬱陶しげに見返す。
 二人が視線をぶつけている間に、レイラが口を開く。
「世界が近接しだした理由でしたね。それは恐らくですが、リーンさんがヴェイルさんの世界へ行ってしまったためです」
「え? 私……?」
 当のリーンが声を上げる。
「ていうか、それも元を辿れば学園長のせいって訳じゃ――」
「ん〜にゃ」
 ランドの言葉をソレイユが遮る。
「シンにそんなことはできないよ。勿論、ミーティアにも。彼らにそんなことできっこないから、わたし達は教えた。双方の世界に固有の力を送り込み、近接させ、世界を融合させれば再開が可能になるという夢物語を、あの日彼らに教えたの。絶対にアプローチ能わないからこそ、慰みのためだけに教えた。ただ、それが実現可能になってしまった。それは、闇の力が神聖なる力の支配する世界に大量に流入してしまったから。リーンが――闇の力を保持する彼女が侵入してしまったから」
「それは偶然でした。分かれたばかりの世界にはよくあること。ごく稀に、世界と世界を渡ってしまう者がいるのです。皆さんの間では、神隠しと呼ばれる現象です。闇の力を保持したリーンが『神隠し』に会ったことで、世界は近接したのです」
「私の……せい……?」
 青い顔で呟いたリーン。
 しかし、ソレイユは笑顔で口を開く。否定する。
「君のせいじゃないよ〜。これは偶然のせい。誰のせいでもないの」
「ソレイユ様のせいですよ」
 にべもなくレイラが言った。
 ソレイユは頬に汗を伝わせ、動きを止める。湯飲みの中のお茶が、波打った。
「リーンさんが世界を渡ったとしても、その直後にソレイユ様が元に戻してあげればよかったのです。そうすれば、シンさんがリーンさんの魔力を頼りにして更に闇の力を送り込むことを阻止できたはずです。まったく……」
「そ、そんなこと言ったって〜、私だってこの子達の世界にかかりきりってわけにもいかないんだからね。他にも世界はいっぱいあるし――」
「それで、他の世界の美中年を探して回っていたわけですか…… それは大変で御座いましたね」
「くっ…… 痛いところを……」
 しばし睨み合う二人。
 リーンは呆気に取られたように、彼女達を見やる。血の気の引いていた顔には赤みが戻っていた。
 ぽん。
 そんな彼女の肩を、誰かの手が叩く。
「ランド先輩」
「あまり気にするな。どうも、あちらの不手際みたいだし、何より神隠しなんて注意していて避けられるもんじゃない。お前のせいじゃない」
「……はい。有難う御座います」
 彼らの間に穏やかな空気が流れ、彼らを見守る者達の間にも暖かい空気が流れ出したその時――
 ぱんっ!
 空気ブレイカーが手を強く叩く。
 全員が彼女に注目する。
「誰が悪かろうとどうでもいいわ。下らない話は終わりよ。それよりも――」
 遠慮ない物言いに、皆が苦笑を浮かべる。
 そんな中で、空気ブレイカーが――シャロンが言った。
「ここからがもっとも重要な話になるんじゃない? 神――ソレイユは、迷える子羊たる我ら人に、どのように救いの御手を差し伸べて下さるのかしら?」
 はっと、全員がソレイユとレイラに注目する。
 二人は寸の間瞑目し、それからソレイユが代表して言葉を紡いだ。
「一応、差し向けるべき手はあるわ。その手を取るかどうか、それはそちら次第」
 ソレイユがすっと手を差し出す。
 一同に向けられた神の御手は、細く小さかった。

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