第1章 Moon And Sun
詠む力

 翌日、ラディアムたちは徒歩で登校しながら、それぞれが得た情報を交換していた。もっとも、彼らが兄や姉から得た情報に、それほどの違いはなかった。
 牢獄には何もいないはずであり、本を持っていっていけない理由に関してはよく分からないとのことらしい。
「シエスタ姉様は、本のことに関してはラスター兄様がご存知の筈と仰っていたわよ」
「アルヴェルト兄さんもラスターさんに聞いたって言ってた」
 言って、アルマリータとラディアムは、ラドクリフに視線を向ける。
「残念ながら、ラスター兄さんも詳しくは知らないそうだ。兄さんは兄さんで、いとこのラケシス様に伺っただけらしい」
 肩を竦め、ラドクリフが言った。
 くだんのラケシス=ブックマンは、ラドクリフやラスター、そして当然、ラディアム、アルマリータ全員といとこ関係にある女性である。彼女の父を長兄とし、その後に数名の兄弟姉妹がいて、更にあとの末3名がラドクリフの母、アルマリータの父、ラディアムの父である。
 彼女はアデウス棟に住まう人間で、齢6の時にブックマン家史上最年少で本家筋となった。それから20年経っているため、現在の年齢は26である。
「ラケシス様に? でも、あの方はあたしたちといとこ関係にあるとはいっても、あまり親交がないじゃない」
「ああ。だから兄さんもびっくりしたってさ。休日の昼間に剣術の稽古が終わった頃、突然いらして、地下には本を持っていかないように、と忠告をしていったそうだよ。森の地下探検に関しては、アルヴェルトさんと秘密裏に計画していたらしいけど、なぜかばれていたって」
「……じゃ、じゃあ、今回の肝試しもばれてるのかな?」
 ラディアムは昨日の夜から、いないはずの男――マグダリア=ブックマンが何者であるのか考えて恐怖を募らせていたが、ここにきて新たなる恐怖の材料を得た。
 公式行事などで目にするラケシスは驚くほどに綺麗な女性ではあるが、彼女の無表情と抑揚のない声はどこか恐ろしいと、ラディアムは感じていた。そんな相手が、自分たちの行動を監視しているかもしれない。そう考えるだけで恐怖はどんどん大きくなっていく。
 しかし、アルマリータとラドクリフはからかうような笑みを浮かべ、怖がっているラディアムを見る。彼らは、ラケシスに関しては、別段恐怖している風ではない。
「ばれててもいいんじゃない? シエスタ姉様たちが向かわれた時にはお咎めもなかったみたいだし」
「そうだな。牢獄に本も持っていかなかったことだし、叱責されるいわれはない」
 そう言い切る。実際、その通りだろう。
 けれど、ラディアムはまだ怖かった。表面上はそうだねと頷いてみせたが、内心はいつ呼び出されて怒られるだろうかと不安で仕方がなかった。
 長い付き合いのアルマリータとラドクリフは、ラディアムのそういった思考を察したが、特に言及しない。彼らは、もっと気になっている話題にさっさと移りたかった。
「それよりも牢獄の男だろ。ラディはあれが、幽霊とかじゃなくてちゃんとした人間だって思ったんだろ?」
「う、うん。たぶん、きっと、そうだと思って……た」
 ラドクリフの問いに、ラディアムはどんどんと声を小さくしていき、しまいには自信皆無で俯きがちに応えた。その言葉尻からは、彼が既に自分の当時の感覚を信じていないことが伺えた。
 アルマリータはそんないとこの様子に苛立ち、目つきを鋭くする。
「ラディ! はっきりしなさいよ! 貴方が見たのは幽霊なの? 人間なの?」
「そ、そんなの……僕に分かるわけ……」
「でも近くでマグダリアっていう人を見たのはラディだけでしょ! それに昨日ははっきり『生きてる人だ』って言ってたじゃない!」
「だって、兄さんたちは『何もいないはず』って…… なら生きてる人間のはず……」
「そんなの分からないでしょ! あぁもお! イライラするぅ!」
「うぅ…… ご、ごめん」
 アルマリータに睨まれ、ラディアムは手にしていた鞄で顔を隠しながら歩みを遅くした。恐怖する相手がまた1人増えた。
 そんな2名を瞳に映し、ラドクリフは嘆息する。
「その辺にしとけよ、2人とも。そろそろ校門だぞ。特にアルマは猫をかぶり始めないと『ブックマン家のご令嬢ともあらせられるレディが何とはしたない』ってまぁた怒られるぞ。ただでさえお前は、シエスタさんっていう絶対に勝てない比較対象が――」
「絶対に勝てないは言い過ぎでしょ!」
 ばんっ!
 アルマリータがラドクリフを殴り倒した。
 その場面を、校門にて生徒たちの登校を見守っていたランドバーグ校長先生に見咎められ、結局アルマリータは小言を言われるはめになった。それもラドクリフが指摘したとおりに、寸分の狂いもなく。
 ラドクリフは小言を言っているランドバーク校長の背後に回りこみ、痛む頭を押さえながら得意げに笑んだ。
 粛々とした様子で怒られながらアルマリータは、あとでもう1回殴ってやる、と静かに怒りの炎を燃やした。

 1時間目が文学、2時間目が魔法学、3時間目が薬草学、4時間目が剣術と続き、昼休みを挟む。その後、5時間目の経済学、6時間目の歴史学にて本日の授業は終了となる。現在は歴史学の授業中で、ラディアムが1番好きな学科である。
 しかし、ラディアムは集中できなかった。今日はずっとそんな調子だった。
 特に昼休みからあとは酷い。アルマリータ、ラドクリフと昼休み中に相談した結果、近いうちにまたあの地下へ行こう、という運びになったからだ。居ない筈の男が潜む秘密の地下牢という稀有な存在は、ラディアムのいとこ2人の心を奮わせてしまったらしい。
 はぁ。
 嘆息し、ラディアムは歴史学の教科書に視線を落とす。
 当然、彼は行きたくなかった。けれど、2人に仲間はずれにされるのはもっと嫌だった。1度誘いを断ったからといって、アルマリータもラドクリフも、ラディアムを遠ざけたりしないのは分かっている。それでも、彼の性格上、そのまま仲間はずれにされ続けるのでは、という疑念ははらえなかった。
(あのマグダリアって人、次は寝ててくれればいいなぁ。そうしたら、2人とも気のせいだったって思ってくれるかも……)
 そう考えるが、直ぐにラディアムは首を左右に振る。
 彼のいとこたちは既にマグダリアの存在を知っている。そうである以上、彼らはいい意味でも悪い意味でも勇敢に、あの地下の静謐を吹き飛ばさんばかりに騒ぎ立てるだろう。マグダリアの注意をひかないわけがない。
 はぁ。
 ラディアムは再度嘆息する。
 そしてふいに、何気なく視線を向けている教科書に書かれた文字の連なりに気をとられる。
 ちょうど開いているページは、数百年前にあった内乱について書かれていた。それほど詳しく書かれているわけではない。概要がつらつらと小難しい表現で記されているのみだ。
 ――本に全意識を向けろ!
 あの恐ろしいマグダリアが、ラディアムが必死で逃げている最中に叫んでいた言葉。それを思い出し、ラディアムは何気なく実行に移してみた。
 全意識を向けるというのが具体的にどうすればいいのか、それは分からない。けれど、彼なりにこうだろうかというように集中を始め、そして――

 矢と魔法が飛び交う中空を、ラディアムは漂っていた。彼にその攻撃があたることは少なくないのだが、いずれも痛みを与えることなくすり抜けていく。
 太陽の紋章を描いた盾を構える男たち。月の紋章を描いた盾を構える男たち。それぞれが、相手の放つ矢に魔法に、幾名も倒れていった。太陽の紋章を冠するのは、数百年前の内乱の勝者ソレイユ家だろう。そして、月の紋章を冠するのはルーン家と推測できる。
 しかし、ラディアムの鼻腔を紅い鉄の濃い臭いがつくことはない。目の前の光景は現実ではないらしい。
 それでも、ラディアムは恐ろしかった。恐ろしくて恐ろしくて仕方がなかった。
 ばっ。
 そこで唐突に場面は変わり、ラディアムは街中の広間の一角に佇んでいた。
 試しに路肩に転がる石ころを拾ってみる。ひんやりとした感触に驚きながら、ラディアムは戸惑った。これが現実の出来事なのか、夢なのか、分からなくなった。
 ざわざわざわざわ。
 その時、どよめきが生じた。
 ラディアムが視線を巡らすと、広間の中央へ女性が連れて行かれていた。白銀の長髪。紅い瞳。白く染まった肌。美しい女性だった。
「! ……あ……あぁ!」
 女性は広間の中央にある断頭台にその首を入れられた。
 ラディアムは足が竦み、体全体が恐怖で震えた。
 そして――
 ざんっ!
 勢いよく刃が落ちたあと、無機質なゴロンという音が聞こえた。
 ラディアムは叫びだしそうだった。
 そんな中、野次馬の声が聞こえた。
「ルーン家女当主、か。綺麗な方なのにあんな最期とは、気の毒さねぇ」
(……悲劇の当主、カテリーナ=ルーン……)

「ラディアム=ブックマン!」
 歴史学の教師の注意を耳にし、ラディアムは飛び上がった。顔色は悪く、瞳には涙が溜まっていた。
 それでも彼は、努めて平静を装い、問い返す。
「な、何ですか? 先生」
「ぼーっとするんじゃない。授業中だぞ。……さて、ついでだ。シエル内乱の勝者は?」
 シエル内乱とは、数百年前にラトワイズ王国内で起きた争いのことだ。偉大なる空、シエルを彩る太陽と月の名を冠する2家、ソレイユ家とルーン家が総力を決して争った。その原因は、領地争いでもあったし、派閥争いでもあったし、1説には、2家間の恋愛沙汰の果ての争いでもあったという。
 そして、勝者は――
「ソレイユ家です、先生。負けたルーン家の当主、カテリーナ=ルーンは断頭台にかけられて首を……」
 そこまで口にして、ラディアムは一気に顔を青くした。先ほど目にした光景を思い出したのだ。
 一方、歴史学の教師はそんなラディアムの様子には気づくことなく、満足そうに頷く。
「さすがだな。君の歴史学の成績には期待している。だが、授業には集中するように。いいかね?」
「……はい。ごめんなさい」
 萎縮して素直に謝ったラディアムに教師は小さく頷き、授業を再開した。
 ラディアムは一所懸命に授業を聞いているふりをしながら、懸命に恐怖に耐えていた。何が起こったのか、さっぱり分からない。
 ――それで何かが起きたら、また来い!
 頭に響くのは、マグダリアの言葉だった。
 ――分かったな、若い詠み人!
 若い詠み人。それはラディアムのことだろう。けれど――
(詠み人って何? 彼は――マグダリアは、それを知ってるの?)
 教室の窓の外に瞳をやり、例の地下へと意識を向けたラディアム。彼の右手には、小さな小さな石ころが握られていた。