マグダリアとの密談ののち、ラディアムはこそこそとウィダミア棟へ帰り着いた。人目につかないように自室へ向かうが、まだ陽の沈まぬうちのことゆえどうしても見とがめられる。結果、ラディアムが帰ってきたことを知ったアルマリータに直ぐさま捕まり、噛みつかれた。
「何で一人で帰ったのよ、ラディ!」
腰に手をあて、ギロリと睨みつけてくるアルマリータ。
ラディアムは萎縮してすっかり小さくなった。
「そ、それは……その……えっと……」
「何!? 聞こえないわよ!」
びくっ。
目つき鋭い従妹の少女を目の前に、ラディアムは肩を跳ね上げる。どう言い訳したものか、頭の中はせわしく回転していた。しかし、残念ながら空転をひたすらに続ける。
と、その時、助け舟が入った。
がちゃ。
「まあまあ、アルマリータ。そんなに怖い顔をしていてはラディアムくんが萎縮してしまうわ。事情はわからないけれど、少し落ち着きなさいな」
「あ。シエスタ姉様」
唐突に廊下に出てきて二人に声をかけたのは、アルマリータの姉であるシエスタ=ブックマンであった。自室での執務中に廊下から妹の怒声が聞こえたため、出てきたらしい。
「ごめんなさい、シエスタさん。うるさくしてしまって」
「あら。ラディアムくんのせいじゃないわ。こちらこそごめんなさいね。うちのアルマリータが」
「ちょっと姉様。まるで私が何もかも悪いみたいじゃない」
口を尖らせた妹を瞳に映し、シエスタはおかしそうに微笑む。
「違うの? こういう場合、大抵は貴女が無茶を言ってラディアムくんを困らせているじゃない」
「……否定はしないけど。ただ今回は違うもん! ラディったら今日、私とラドを置いて一人で帰ったのよ。いつも待ち合わせて帰るのに! ひどいでしょ!?」
そう叫んで、再びキッとラディアムを睨むアルマリータ。
ラディアムはひっと息をのみ、一歩下がる。
「くすくす。貴方たちはいつまでも仲良しねぇ。けれどね、アルマリータ。どんなに仲良しな相手でも、言えないことというのはあるものよ。貴女にだって、ラディアムくんに言えないこと。わたくしに言えないこと。身に覚えがあるのでない?」
穏やかな表情と口調で、シエスタが尋ねた。
アルマリータは唇を尖らせたままうつむき、それから深い深いため息をついた。
「それは、まあ、そうだけど……」
その応えに頷き、それから、シエスタはラディアムに視線を移す。
「ラディアムくんは、この子やラドクリフくんが嫌いだから先に帰った、というわけではないわよね?」
ぎょっとラディアムは目をむく。そして、慌てて首を振った。
「も、勿論です。そんなことあるわけない!」
その答えに満足すると、シエスタは柔らかな笑みを浮かべる。
「よかった。ほら、アルマリータ。よかったわね」
「……まあ、ね」
姉にすっかり毒気をぬかれ、アルマリータは呟く。それでいながら、やはりまだ、ラディアムに疑惑の瞳を向けていた。早ければ明くる日の朝に、ラドクリフと共に再び問いを浴びせてくるだろう。
ラディアムは気付かれないよう、小さくため息をついた。
さわさわ。
静寂の支配する宵闇の中、夜風が木々を揺らし、葉の擦れる音が耳を刺激する。
深夜と呼ぶに遜色ない時間帯に、ラディアムはブックマン家の敷地内を忍び足で歩んでいた。向かう場所は本家筋の住まう建物――アデウス棟である。アデウス棟内でも、一部の者しか立ち入れないという部屋。その部屋が彼の目的地だった。
かちゃ。きぃ。
控えめな音を響かせ、アデウス棟の裏口が開く。
ウィダミア棟、アトルナ棟それぞれには、アデウス棟に入るための鍵が保管してある。ラディアムはその鍵をこっそり拝借し、裏口から侵入を試みているのだ。
「ラディ」
ぎくっ!
突然の呼びかけに、ラディアムは息をのみ固まる。喉は乾き、冷や汗がひっきりなしに流れ落ちる。頭の天辺から足の先まで、がたがたと震えが止まらなかった。
「そんなに緊張するな。俺らだよ」
「ら、ラド。それにアルマも」
ラディアムの背後にいたのは、ラドクリフとアルマリータであった。黒っぽい服装に身を包み、不機嫌そうに佇んでいる。
特にアルマリータは、鋭い眼光でラディアムを睨みつけている。
「ひとりで面白そうなことしてるじゃない」
「あ、アルマ……」
「なぁに? ラディはやっぱりあたしたちのこと嫌いになっちゃったんだ。こんな楽しそうなことに誘ってくれないなんて」
「ち、違うよ。ただ、その……」
口ごもるラディアム。
そんな彼を目にし、ラドクリフはおかしそうに肩を揺らす。
「ラディをそう困らせるなよ、アルマ。ラディの性格なら、俺らを巻き込まないようにするのは当然だろう?」
「わかってるわよ。……そこがムカつくんでしょ」
やはり不機嫌なまま言ったアルマリータに、ラドクリフは苦笑してみせる。そうしてから、彼はラディアムに瞳を向けた。
「俺も少しは腹が立ってるんだぞ。すべてを話せとは言わないけど――」
ざっ。ざっ。ざっ。
その時、足音が聞こえてきた。ブックマン家の敷地内では、定期巡回が深夜でも為される。
魔法で作られた携帯用常夜灯の生み出す明かりが、曲がり角の向こう側から漏れてくる。彼らの姿が見とがめられるまでに、時間はそうかからない。
「話は中でしよう。こんな時間だし、小声で話せばそうそう気付かれないだろ」
「そうね。行きましょう」
「う、うん」
たたたっ。
小走りでアデウス棟内へ侵入する3人。
すぅ。……かちゃ。
静かに、静かに閉められた扉。錠もまた極力静かにおろされ、巡回者はそれらの物音に気付くこともなく、眠い目をこすりながら裏口の前を素通りしていった。
「ふうぅぅぅん。あのマグダリアに独りで会いに、ねぇ。ふうぅぅぅぅぅぅぅん」
アルマリータは、談話室と思しき部屋のテーブルに腰掛け、不機嫌さを隠すこともなく口を尖らせて言った。ラディアムから、事情を簡単に聞いた直後のことだった。
対するラディアムはびくびくと体を縮めている。
そのような友人たちの様子に、ラドクリフは何度目になるのかわからないが、苦笑する。
「アルマ。自分も行きたかったのは分かるが、今さら言っても仕方ないだろ。いい加減、機嫌を直せよ。それからラディアム」
「……な、何?」
「俺はマグダリアと直接話したわけじゃないが、お前の話を聞いている限り得体の知れない奴だ。あまり無茶はするな。お前は俺たちを巻き込まないようにしてくれたのだろうけれど、巻き込んでいいんだ。俺らは友人であり、血を分けた家族でもあるんだから」
ラディアムはそれを聞くと二の句が続かない。彼はいつも思う。
そうだからこそ、大切な友人であり、家族だから、だから巻き込みたくないと考えるのではないか、と。
「……僕は。僕は強くなりたいな。ラドも、アルマも、僕を心配しなくて済むように」
その独白を耳にすると、ラドクリフとアルマリータは顔を見合わせる。そして同時に、はあぁあと息をついた。
ばちんっ。
「いたっ」
アルマリータがラディアムの頭をはたいた。少しばかり勢いが強かったのだろう。ラディアムは思わず声を上げる。
「ばかラディ。あんたが強いとか弱いとか関係ないの。なら聞くけど、あたしは剣が得意。魔法も得意。どちらかと言えば強い部類に入ると思うけど、ラディはあたしが何か無茶しても『強いから』ってことで心配してくれないの?」
「す、するよ! ……あ、あれ?」
慌てて言ってから、ラディアムは眉根を寄せて考え込む。
ラドクリフはおかしそうに含み笑いをした。
「わかっただろ? 俺らはお前が弱いから心配なわけじゃない。好きだから心配なんだ。勿論、お前の事情もあるだろう。だから、ずっと行動を共にしろとも、全てを話せとも言わないさ。ただ、困った時は言ってくれ。力になりたいんだから」
…………………………………
沈黙が落ちた。
ラディアム、アルマリータ共に、呆れた表情だ。
「……なあ。ここは感動とかする場面じゃないのか。何故俺は呆れられてるんだ?」
「いや、あの、ごめん、ラド。何というか、さすがだなーって」
「ラド。あんたよく学校の女の子に告白されて困ってるって言ってるよね」
アルマリータの言葉通り、ラドクリフはしばしば愛の告白を受ける。ブックマン家というブランド力もさることながら、頭脳明晰であり運動神経も抜群であるのだからして、当然の結果といえば結果だろう。その上、先ほどのような発言が自然と飛び出るのだ。
「ああ。実際困る。よく知らない相手ばかりだし」
「なら発言には気をつけなさいよ。それに、他人なら感動してコロリと落ちるとこでも、親類のあたしたちからしたらきもいのよ」
「いやアルマ。きもいは言い過ぎ……」
「でもラディだってさっきみたいな直球のくどき文句みたいなのは困るでしょ」
「ま、まあ、確かにきもいというより照れるし…… あ! ご、ごめん、ラド……」
軽く沈んでいるラドクリフに気付き、ラディアムは慌てて口をつぐむ。
一方で、アルマリータは悪戯っぽく笑んでいる。
「いいのよ。多少ヘコんで発言を見直してもらわなくちゃ。あたしなんて、ラドクリフ=ブックマンが誰とも付き合わないのはアルマリータ=ブックマンが彼女だからだ、なんてふざけた陰口言われてるのよ。いい迷惑だわ」
そのひと言でラドクリフは項垂れていた頭を上げ、目つき鋭く奮起する。
「それが陰口だってのは俺にひどすぎだろ!」
「あんたみたいないい子ちゃんの優等生、きもくて彼氏なんて冗談じゃないのよ!」
「何を!」
「何よ!」
声は抑えているものの、アデウス棟に忍び込んでいる現状を鑑みるに、言い争いをしているのはまずかろう。
ラディアムは慌てて仲介に入る。
「お、落ち着いて2人とも…… 見つかっちゃうよ」
「……まあそれもそうだな。休戦だ、アルマ」
「……不本意だけど、仕方ないわね。それでラディ。さっきの話の続きだけど、マグダリアに何を言われてこの棟に忍び込むことにしたの? あんたがこんなことするなんて、よっぽどでしょ」
尋ねられるとラディアムは狼狽する。
これまでの説明において、ラディアムは詠み人に関することを口にしていない。少々現実離れしているし、何よりマグダリアに口止めされていた。不用意に口外してはいけない、と。
「あっと、えと。アデウス棟には珍しい本があるって聞いたんだ。真実の歴史書ともいうべき本が。ひと目でいいから見てみたいなって、それで……」
この説明は嘘ではない。マグダリアから聞いたことは確かにそれであったのだから。しかし、なぜ彼がそれをラディアムに教えるのか。なぜ探させるのか。その理由までは、ラディアムは従妹たちに語っていない。
当然、アルマリータとラドクリフは何かおかしいと眉根を寄せる。ラディアムが何かを隠しているのは明白だった。
しかし、気付かないふりをしようと決めた。言えないことはあるだろう。それでもいつか話してくれるだろう。そう信じて。
「珍しい歴史書を見たいってわけね。ラディらしいといえばらしいわ」
「歴史の成績だけはいいからな、ラディは」
「う、うん。だから気になるんだ。すっごく」
真剣な面持ちで言ったラディアムに、アルマリータとラドクリフは苦笑する。気負い方が普通ではなく、ただ見たいだけでないのはバレバレだった。気付かないふりをするのもひと苦労である。
「了解。なら行こう。いつまでもここでコソコソしてても仕方ない」
「そうね。行くわよ、ラディ」
そう言ってラドクリフとアルマリータは素早く部屋を出ていく。足音を一切立てず、速やかな身のこなしだった。
「ま、待ってよ。2人とも」
ラディアムはひと呼吸もふた呼吸も遅れて1歩を踏み出し、彼らのあとへ続いた。
「ば、ばれないかな?」
「だいじょぶだいじょぶ。さっきの見張りは帰り際に、眠りの魔法解いてちゃんと起こすし、勝手にただの居眠りだったと思ってくれるでしょ。鍵はちゃんと懐に戻すしさ。ばれないばれない」
破顔一笑してアルマリータは自信満々に言う。そして、警備の人間が持っていた鍵の束をチャリチャリとならしながら、ずんずんと洞穴内を突き進む。
現在、ラディアムたちはアデウス棟2階の書庫に隠されていた扉より、地下へ地下へと潜っている。はじめのうちは整備された階段であったが、じきに今通っているような自然の洞穴になった。
「しっかし、こんな場所よく知ってたな、アルマ」
そう。この場所まで皆を案内したのはラディアムではなく、アルマリータであった。
マグダリアはラディアムに、ブックマン本家秘蔵の書物を隠している場所について間違った情報を伝えていた。彼の指定場所には壁しかなく、書物を隠す隙間も、侵入を試みる余地もなかったのだ。おそらくは、彼が知っていた頃とではアデウス棟の内部構造が違うのだろう。
そこで困り果てたラディアムとラドクリフを横目に得意げにしていたのはアルマリータだった。彼女はとある筋から、ラディアムの目的地とおぼしき場所についての情報を仕入れていた。
「ミラ姉様にお聞きしたのよ。本家入りされてからあまりお会いしてないけど、会った時には気合を入れて本家の面白そうな情報を尋ねていたの」
「……ミランダさん、気の毒だな。本家の情報って本来は他言無用だろ。あの人、結構うっかりしてるから情報を引き出しやすいだろうが、間違いなく迷惑かかるぞ」
「あたしが他言しなきゃいいのよ。というわけで、あんたたちもここだけの話よ」
悪戯っぽく笑い、アルマはしーっと人差し指を唇の前に立てる。
男性陣は苦笑し、首を小さくふるう。仕方のない従妹だ、という反応のよう。
と、その時――
がああぁああぁあ!
暗闇から突進してくる影があった。
その先にいたラドクリフは身軽に左に跳び、なんなく謎の生物の突進をよける。
「ラディ! ラド! 目つむって!」
突然のアルマリータの言葉。しかし、ラディアムとラドクリフはすんなり彼女を信用し、きつく目を閉じる。
次の瞬間、漆黒が広がる洞穴内に明かりが満ちた。
ぎゃああぁああぁあ!
苦しそうに叫ぶ何がしか。
一方で、ラディアムとラドクリフはゆっくりと瞼を押し開ける。すると、洞穴内は昼間の屋外のように明るくなっていた。
そして、床には目を押さえてもがき苦しむ、大柄の生物がいた。
「オーク!? 本家筋は敷地内で何を飼ってるんだよ!」
があぁあ……!
「おっと。さっさと片付けちゃいますか。――ラド!」
ひゅっ。
叫ぶと、アルマリータは大きく後ろに跳んでオークから距離を取った。
そしてラドクリフは、腰に差していたレイピアを素早く抜き、鋭い突きをオークに向ける。
未だ視界のはっきりしていないオークは、その一閃を避けることも能わず受ける。しかし、オークとは体躯のしっかりしたタフネスのある種族だ。レイピアの一撃程度で致命傷とはならない。
があああぁああぁああっ!
かえって逆上させてしまったようで、動きが活発になる。化け物はラドクリフに向け、鋭い爪の生えた大きな腕を振るう。
「よっ。危ない危ないっと。――アルマ!」
「ル・トネール・グランドゥ!!」
びりっ!
閃光が翔けた。一直線に、オークの胸に突き刺さったレイピアへ向けて。
ばたんっ。
巨躯が沈む。
「ふぅ。こんなのが沢山いるんじゃないでしょうね。寝る前の運動にしちゃ重いわよ」
「まったくだ」
ぴっ。
オークの体からレイピアを抜き取り、ラドクリフは持っていた布で化け物の体液を拭う。そうしてから、腰に収めた。
「そ、そんな風に言いながら、2人とも簡単に倒した……! 凄いよ、やっぱりラドとアルマは!」
興奮した様子でラディアムが言った。
その言葉を受け、従妹2名はきょとんと呆ける。そうしてから苦笑した。
「俺らは、お前のことこそ凄いと、そう思ってるんだぞ。ずっとずっと昔からな」
「……え?」
ラドクリフの言葉にラディアムは呆ける。
しかし、従妹2名は彼の様子に目もくれず、洞穴の先へと足を向ける。
「やっぱり明るい方が歩きやすいな。最初からアルマの魔法で明るくすればよかったじゃないか」
「あのね。明かりつけるだけでも魔法っていうのはすっごく疲れるの。さっきは危ないからとっさに使ったけど、そうじゃなきゃぽんぽん使わないのが、魔法を使う者の常識よ。そのくらい実地訓練がなくたって机上理論で習うでしょ」
「アルマこそ知ってるか? 俺は魔法学だけは成績が芳しくない。理論もな」
そんな彼らの後ろ姿を見送りながら、ラディアムは彼らの言葉の真意を図りかねていた。
はぁはぁ。
肩で息をしながら、ラディアムは大きめの岩に座り込んでいた。先ほど、ゴブリン1匹と追いかけっこをしたためだ。
「まったく。無茶しないでよね、ラディ」
「……はぁ。ご、ごめん」
先ほどラディアムはゴブリン5匹との戦闘中、ゴブリンの1匹がアルマリータの後方で武器を構えているのを目にし、とっさに下に落ちていた石を投げつけたのだ。結果、そのゴブリンの注意はラディアムに向けられ、追いかけっこが始まった。
すぐさま、アルマリータとラドクリフが他のゴブリンをレイピアで倒し、ラディアムを追っている1匹に関しても退治したのではあるが、全力疾走での追いかけっこが2分間も続いたのは、ラディアムにとっては充分すぎる程の運動であった。
「ま、でも助かったわ。ゴブリンなんて腕力ないから、1撃くらったところでそれほどの怪我もしないけど、痛いのはやだもん」
「不注意だな、アルマ」
にやりと意地悪な笑みを浮かべるのはラドクリフだ。
アルマリータは目つきを鋭くして睨みつける。
そんな彼らを見つめ、ラディアムは先ほど浮かべた考えを再び抱く。自分が、彼らに凄いと思われるところなんて皆無じゃないか、と。
「さて。何はともあれ、そろそろみたいだな。あそこに見るからに人工の扉が見える。たぶん、ゴールだろ」
「あ、ホントだ。思ったより短かったわね、この洞穴。オークは魔法使わないと倒すの難しいからやだけど、ゴブリンならもう少し出てくれてもよかったのに。レイピアで戦うの楽しいわ」
不吉なことを言うなぁと苦笑し、ラディアムは従妹たちの隣に並ぶ。
ラドクリフの言うとおり、彼らの行く先には扉らしきものが見えた。マグダリアの言う『真実の歴史書』がある部屋だ。いや、あるかもしれない部屋、といった方が正しいか。
「これでここは全くの見当違い、とかだったら笑えるな」
当たって欲しくない予想をラドクリフが口にする。本当に不吉なことを言うなぁと、ラディアムは再度苦笑した。
がちゃ。
アルマリータが警備の者から奪った鍵で扉を開き、3名は洞穴奥の部屋に入り込んだ。内部には書棚が大量にあった。そのどれにも、ぎっしりと書物、というより、ノートが収まっている。
「なんだ。本というより、授業ノートみたいだな。まさか本当に見当違いの部屋か?」
ラドクリフの独白を耳に入れつつ、ラディアムは前に出る。書棚の1つに歩み寄り、ノートを1冊手に取った。
ぱら。
表紙をめくり、中を見る。そこに書かれていたのは――
「日記?」
ラディアムの横から覗き込み、アルマリータが言った。
そう。彼女の言葉通り、ノートの中身は日記のような体裁であった。年号と日付が書かれ、日常の諸事が記述されている。
「歴史書、ではないな。どう見ても。本当の本当に見当違いのとこに来てしまったのか?」
落胆した様子のラドクリフ。
アルマリータもまた落ち込んでいるようだ。自信満々にここへ誘ったのは彼女であるため、多少なりとも責任を感じているのかもしれない。
しかし、ラディアムはまだ諦めていなかった。
マグダリアはずばり真実の歴史書と言ったわけではない。真実の歴史書『ともいうべき』本があると言ったのだ。そして、彼が手にしているノートは、相当古いものであることが窺える。
つまり――
ぱらぱらぱら。
ラディアムは書棚のノートを数冊抜き取り、慎重にページをめくる。どれか1冊でもいい。知っている名前を見つけたかった。
「ラディ? どうしたの?」
「あった!」
アルマリータが声をかけたその時、ラディアムはついに目的のものを見つけた。彼がよく知っている者の名前を。
「あったって何がだ?」
「ラド。このサインを読んで」
そう言って、ラディアムはノートの先頭ページにあったサインを指差した。
そこに書かれているのは――
「カテリーナ……ルーン……?」
カテリーナ=ルーン。シエル内乱の敗者、ルーン家最後の当主。悲劇の当主。
「カテリーナ!? ちょっとホントに……ホントだ。じゃあこれは、悲劇の当主の日記?」
「それだけじゃないよ。こちらにはギエルトリコ=ウィル=ランタスの日記……いや、これは本人の筆じゃないかな。ゴルバランタス国は文字を使わなかったはずだし。あ、マイナー=カルラスの日記もある」
ギエルトリコは500年前にこの地方にあったと言い伝えられる文明国家、ゴルバランタス国の最後の王の名だ。そして、マイナーはつい20年前に絞首刑になった殺人鬼である。
書棚にはそういった有名人の私生活が収まっていた。
客観的な目から記述された国や犯罪、世界の記録。それは確かに歴史書と呼ぶに相応しいだろう。しかし、それは人自身の歴史とはいえない。
ここにあるのは確かに、人の生きた歴史の記録だ。
「これが――真実の歴史書」