第2章 Book Collector
新緑の村トゥーダ

 ラトワイズ王国の街道を馬車が行く。外れの村、トゥーダへと向かう定期乗り合い馬車である。乗客は老夫婦と姉弟、親子がそれぞれ居た。
 老夫婦はトゥーダ村の住人で、首都マグナカルタを観光した帰りだという。一方、姉弟と親子は逆に、マグナカルタからトゥーダ村へ観光に向かうところであった。
 トゥーダ村は寂れた片田舎でありながら、時に、特定の人物の興味を引く。
「お前さんがたはアレかい? クレバーさんの書庫を見学に行くのかい?」
 老人が尋ねた。
 クレバーというのは、トゥーダ村に住む初老の男性である。かつては王城に勤める学者であったと噂されるが、その真偽の程は定かではない。彼は、類い希な蔵書家であり、所有する書物を一般に公開しているのだ。
「ええ。娘が本好きですので」
 苦笑している父親の隣で、十代前半から半ばくらいの少女がニコニコしている。
「ねぇ。もしかして、貴方も本が好きなの?」
「え?」
 上機嫌な娘は、姉弟と思しき2人組の弟の方に声をかけた。同年代くらいの相手という気安さもさることながら、纏う空気が本好きのそれに思えたゆえだ。
 声をかけられた少年は、おどおどと視線を落とし、しかし、コクリと小さく頷いた。
「やっぱり! じゃあ『新緑の書庫』に行くんだよね! うちのお父さんってね、本を全く読まないの。だから、書庫にはわたしだけ行けって言うんだよ。酷いと思わない? 酷いよね?」
 畳みかけて尋ねる少女の勢いに、少年は気圧されして縮こまる。
 彼のその様子に、姉は苦笑して肩をすくめる。
(リタちゃんといい、ラディくんって気の強い女の子に縁があるのね)
 姉は――ミランダはそのように考え、それから、老夫婦と父親に視線を向けた。
「時に皆さん。クレバーさんは最近珍しい書物を手に入れたとお聞きしたのですが、何かご存じでしょうか?」
 彼女がラケシスから聞いてきた情報は、トゥーダ村の新緑の書庫に不思議な書物が保管されている、というものであった。今回、ミランダとラディアムが任されたのは、その書物の入手、もしくは、焼失である。
 世にはごく稀に魔書と呼ばれる書物が姿を見せる。それは例えば、人々を吸い込む人食いの書であったり、黄金を永遠に産み続ける富の書であったり、創世の御代から現代までの叡智を惜しみなく与える智の書であったりする。
 ブックマン家は詠み人の力にも通じる当該書物たちを集め、人の目に触れぬように隔離することも生業としている。仮にインサイドスキルと同等の力を与える魔書が存在すれば、幼児の悪戯で歴史が大きく変わることもあり得るためだ。
「珍しい書物、ねぇ…… 知っとるかい、婆さんや」
 尋ねられると老婦人は瞑目した。考え込んでいるのであろうが、ともすると、眠ってしまっているようにも見える。しばしの時が経ち、彼女は瞳を開けた。
「あれかのぅ。クレバーさんが吹聴しとった、幻想奇譚の世界に入り込めるのだとかいう……」
 ぞわっ。
 ラディアムとミランダの体を悪寒が駆け抜ける。老婦人の言を信じるならば、クレバーが手にした魔書の力はまさにインサイドスキルそのものである。唯一、『幻想奇譚』という点が救いと言えば救いか。これが歴史書であったならば、最早手遅れであったに違いない。
 しかし、幻想奇譚とはいえ現実との繋がりがないとは言えない。突拍子もない幻想物語の中にも、現実は微かに存在し得る。気は抜けない。
「どうしたの? 黙っちゃって。あ、幻想奇譚の世界に入り込める、っていう本の話、信じちゃったの? あはは、子っ供ー。お婆さんも言ったじゃない、『吹聴』って。クレバーさんの嘘なんだよ。ねー、お婆さん」
 けらけらと笑う少女に、老婦人が柔和な笑みを浮かべる。
「そうじゃろうのぅ。けどまあ、真実というものは意外なところに潜んでおるものじゃ。そちらの子のように夢を持つのはいいことじゃよ。ほっほっほっ」
「むぅ。子供扱いして。……でも、確かに幻想奇譚の世界に入り込めるなんて素敵よね。ねぇ! 君はどのくらいトゥーダに滞在するの?」
 元気な笑みを向けられ、ラディアムはいとこの1人、アルマリータを思い出した。それゆえか、普段は人見知りの激しい彼だが、少女には知らずに心を許し始めていた。
「え、えっと。3日を予定してるけど……」
「私たちとおんなじだ! じゃあさ、明日からさっそく、一緒にその不思議な本を探してみようよ!」
 突然の提案。ラディアムは思わず黙り込んでしまった。魔書を探すのであれば、一般人の少女を伴う訳にはいかない。
 すると、少女は寂しそうに瞳を伏せる。
「……駄目?」
 彼女の父親は書庫へ行かないという。となれば、彼女は独りで書庫を訪れなければならない。元気印が特徴のような少女だが、実際のところ寂しく感じているのかもしれない。
 ラディアムはついつい断りの言葉を発することが出来ずに、アワアワと視線を泳がせた。
 すると――
「ランドル。その子と一緒に探してみたら、不思議な本」
 助け船を出したのはミランダだった。ちなみに、ランドルとはラディアムの偽名である。フルネームをランドル=アンダーソンという。ファーストネームはともかく、ファミリーネームたるブックマン家の高名は調査に邪魔だった。それゆえに、彼らは偽名を使うことにした。ミランダはミラージュ=アンダーソンという名を騙ることにしている。
「ミラ姉さん。でも、いいの?」
 新緑の書庫は相当な広さだという。ラディアムが少女の相手をしてしまったら、ミランダは独りで探索をしなければならなくなる。
 すすすっ。
 ミランダが中腰で移動し、ラディアムの隣に来た。そして、耳打ちをする。
「昼間は当たり障りのない場所しか探せないわ。本格的な探索は夜中に忍び込んでになる。だから大丈夫よ」
 そう言って、彼女はにこりと微笑んだ。
「というわけでランドル。せっかくだからご一緒させて貰えば? 楽しそうじゃない」
 ミランダの優しい声音を耳にし、少女は嬉しそうに笑う。期待を込めた瞳をラディアムへ向けた。
 そしてそうなれば、ラディアムに断る理由などない。それどころか、同年代の本好きな子供と共に、名高い新緑の書庫を見て回れるというのは、とても楽しいイベントに思えてきた。
 ゆえに、彼はおどおどと小さく頷く。
「う、うん。あの、よろしくね」
 ぱあぁあ!
 返答を受け、表情を輝かせる少女。にっこりと元気よく笑い、手を差し伸べた。
「私、リリカ=カルデシア。よろしく!」

 村には宿が1軒しかない。当然ながら、カルデシア親子と同じ宿となる。
 娘のリリカは先程までラディアムたちの部屋に押しかけ、現在好んで読んでいる幻想奇譚や、最近調べていることなどについて熱心に語っていった。そして、先程ようやく帰って行ったところだ。
「元気な子ねぇ。リタちゃんみたい」
 ラディアムは苦笑する。確かに、騒ぐだけ騒いで去って行くところがそっくりである。ウィダミア棟に居た頃は、よく寝る前に部屋を襲撃されていたものだ。
 そこまで考え、ラディアムは少し寂しくなった。彼がアデウス棟に移り住んだ今、あの頃のように過ごすことは二度とないのだ、と。
 ぐすっ。
 涙ぐんだラディアムを瞳に映し、ミランダは小さく微笑んだ。
「……ボクもアデウス棟に移り住んだばかりの時は寂しかったわ」
「ミラさんも?」
「ええ。ラディくんよりも大きいのに、変よね。でも、生まれてからずっとウィダミア棟に住んでいたんだもの。やっぱり哀しかったわ」
 だから、寂しいことも、哀しいことも、少しも恥ずかしいことではないし、泣きたいのであれば泣けばいい。彼女の優しい微笑みは、そう言っていた。
 ゆえに、ラディアムは少し落ち着いた。心を同じくする者が居るというのは、勇気を与えてくれる。
 外はすっかり暗くなっていた。田舎の夜ともなれば娯楽は少なく、宿の1階にある食堂兼酒場から喧噪が聞こえてくるくらいのものである。
「今日は新緑の書庫に忍び込まないの?」
 ラディアムが尋ねた。
 ミランダは苦笑し、首を振る。
「今日は止めときましょう。疲れてしまったし。ラディくんも眠いんじゃない?」
 実のところ、その通りだった。先のように言ってはみたが、外に出る元気はない。丸1日近く馬車に揺られていたのだ。疲れない方がおかしい。
「うん。実は。でも、いいのかな?」
「急いては事をし損じる、でしょ。そもそもボク、泥棒の真似事なんてしたことないんだもの。せめて体調が万全でないと、失敗するのがオチよ」
 それはラディアムも一緒だった。この間、アデウス棟に忍び込みはしたが、あの時はアルマリータやラドクリフの助力があった。
 今回は、頼れるいとこたちは居ないのだ。
「うぅ。何か緊張してきた。そもそも何で、本家入りしたばかりの僕が……」
 それはラケシスの手引きであった。本家の人間にラディアムを認めさせ、最終的には学校へ通うことを認めさせるため。しかし、それだけではない。
「クレバー氏は書籍に異常なまでの愛着をお持ちだそうよ。それゆえに、これまで魔書を保護しようとした本家の人間の中には、彼と顔を合わせた方も多い。知った顔が訪問することで警戒心を持たれては困る、ということで、クレバー氏と間違いなく面識のない、新人のボクたちが選ばれたの」
 ごもっともな理由。そんなものを開示されたらば、文句を紡ぐ隙もない。逃げ帰って、別の人に来て貰うことも難しそうだ。
 明日の朝はリリカと待ち合わせて新緑の書庫へ行く。そして夜は、月明かりだけを頼りに、同じく新緑の書庫へ向かう。
 朝夕どちらも目的地は同じだ。しかし、緊張感は全く違う。
 はぁ。
 翌晩のことを想い、ラディアムは胃を痛めた。