第2章 Book Collector
昼夜訪れ智を探らん

 サムソンに迎えられて新緑の書庫へ進入したラディアムとリリカは、未だ進行方向を真っ直ぐ見ることが出来ずにいる。扉を入ってから絶えず左右に書棚が存在していることにより、彼らの興味がそちらへ向いてしまうためだった。
 エントランスホールしかり。廊下しかり。各部屋しかり。エントランスホール近辺は、農村という土地柄なのか農学書が揃っていた。そこを抜けると、神学書の区画、哲学書の区画、というように遷移していった。
「驚いたでしょう? 私も初めて見たときは、祖父の書痴ぶりにただただ唖然としましたよ」
 そう言って振り向いたサムソンが見たのは、瞳を輝かせている少年少女だった。
「……初見でその反応。祖父と同質の方々のようですね」
 苦笑し、彼は再び歩み始める。
 彼らが向かっている先は、幻想奇譚の書籍を集めた区画である。まずはその区画を閲覧したい、とリリカが要望したのだ。当然ながら、幻想奇譚の中へ入り込める書を探すためである。
 目的の場所は2階の西側奥にあり、書籍だらけの通路を今しばらく進まなければならない。うっかりすると本の山を倒してしまいそうな内装で、注意深く歩かねばならないせいか、ようやく階段にさしかかろうかという頃合いには、すっかり気疲れしてしまっていた。
 と、その時――
「あ、『ゴルバランタス国史』だ」
 本棚の1画に納まっている歴史書を見つけ、リリカが表情を輝かせた。
 ゴルバランタス国は500年前に滅亡した小国であり、自国の歴史を口伝で後世に残していた。ラトワイズ国のとある史学者が、その伝承を改めて書に記したというが、実物は写本を含めて5冊に満たないと言われる。
 リリカは現在、そのゴルバランタス国に興味を抱いている。しかし、数ある史学書の中から該当の国に関する少ない記述を見つけ出すことでしか、知的好奇心を満たせずにいた。今瞳に映っている書籍を手に取るだけで、これまでの何十倍の智が得られることか。
「ご覧になりますか?」
「むうううううぅううぅうううぅう…… いや、いいです! 今日は幻想奇譚の区画を調べないと!」
 長く、本当に長く呻って迷いながらも、目的を見失わずに歩みを進めるリリカ。しかし、チラチラと振り返ってゴルバランタス国史へ視線を送っているあたり、彼女の後ろ髪を引く力は相当に強そうだ。
 ラディアムは苦笑し、口を開く。
「リリカ。僕もこのあたりを見てみたいな。歴史書の区画みたいだし」
 彼は平素から歴史に興味を抱いている。目に入る大抵の書物は読んだことがあるものだが、ゴルバランタス国史のような希少本がちらほらと在るようだ。大いに興味を引かれていた。
「……そう? ま、まあ、なら仕方ないよね。あと2日滞在するんだし。午後に幻想奇譚区画へ移動してもいいんだし」
 懸命に言い訳めいたことを口にし、リリカはしきりに頷く。そして、明るい顔をサムソンへ向けた。
「サムソンさん。急に予定を変更してすみませんけど、ここら辺を見ててもいいですか?」
「ええ。構いませんよ。私はエントランスホールへ戻っていますから、何かご用がございましたらそちらまでいらしてください」
 にこりと微笑み、サムソンは一礼した。そうしてから、踵を返して来た道を戻っていく。
 その後ろ姿が見えなくなってから、小さな書痴たちは本棚へ突撃した。

 すっかり日も傾き、夕刻となった。
 結局、ラディアムとリリカは歴史書区画から動かなかった。リリカはひたすらにゴルバランタス国史を読みふけり、ラディアムは読んだことのない書籍を片っ端から積み上げ、新たな知識を得ることに躍起になった。さらには、1日中読みふけっても飽き足らなかったようで……
「ゴルバランタス国史が貸し出しオッケーだとは思わなかったなぁ」
 ホクホク顔で厚い書籍を胸に抱き、歩みを進めるリリカ。今にも踊り出しそうな足取りである。
 隣を歩くラディアムも、腕に3冊の書物を抱いている。いずれも厚い本ばかりであるためズシリと重いが、特に苦にはしていない。しかし――
「……この森、日が暮れると怖いね」
 手の中の重さを苦にするよりも、薄暗い通路に恐怖して表情を曇らせた。道の脇の木陰から、恐ろしい何かが飛び出してきそうだと夢想する。
 彼のそのような様子に、リリカは苦笑した。
「恐がりだねー。そーいえば、ランドルって何歳?」
 今さらながら、2人は互いに名前以外何も知らないことに気づいた。
「13歳だよ。リリカは?」
「あ、じゃあ一緒だ。何となく年下かと思ってた」
 言って、ケタケタと笑うリリカ。
 正直なところ、彼女の認識は仕方がない節があると思いながらも、ラディアムは少々落ち込んだ。肩を落として力なく笑う。
 その様子を目にし、リリカは慌てて手を振った。
「特に他意はないよ! ほら、若く見えるのはいいことだよ!」
 ラディアムの歳で若く見られても喜べないのが通例だろう。
「そ、それよりさ。ランドルは学校どこ? 私はマグナカルタ女学院」
 誤魔化すように話題を変えつつ、学校名を口にして少々胸を張るリリカ。
 マグナカルタ女学院といえば、首都マグナカルタの中心部に在る有名校だ。一般家庭の子供が通う学校でありながらも、王宮に士官する卒業生が多く、入試の倍率は100倍に達すると言われる。
 ラディアムなどは、上流階級の子供が高い入学金を払って通う学校にいっているため、入試とは無縁だった。加えて、歴史学以外の成績が芳しくないため、まず間違いなく倍率100倍の学校になど通えない。
「カル女だなんて凄いや! 僕は、えっと、ゴードン学園」
 実際はラトワイズ王立ハイドロウ学院という、初代ライトワイズ国王ハイドロウ一世が設立した学校に通っているのだが、そのような学校に通える子供は限られている。偽名を使ってトゥーダ村に逗留している今、疑念を抱かせるであろう情報は伏せることにしていた。
「ゴー学かぁ。うちとは完全に区域が分かれてるね」
 マグナカルタ女学院がマグナカルタの中心部に位置しているのに対して、ゴードン学園は北西部に位置している。首都マグナカルタはラトワイズ王国を代表する都市であるだけあって、大層広い。中心部と北西部ではトゥーダ村を端から端まで歩くよりも離れている。
「ゴー学の図書館ってどんな感じ?」
「え、えっと、結構広いよ。ここよりは狭いけど、専門的な本が主だって揃えられてるかな? 授業レベルの知識は教科書で、更に踏み込みたい生徒は図書館で、っていうスタンスだから」
 少し迷ったが、ラディアムはハイドロウ学院の図書館事情をそのまま話すことにした。ゴードン学園の図書館事情を下手に想像で語るよりも、ボロは出ないだろう。どうせゴードン学園の事情などリリカもわかりはしないのだ。
「へぇ、意外。ゴー学ってそんな感じなんだ。うちは学問書の入門から専門まで、手広く揃えてる感じかなぁ。幻想奇譚もたくさんあるし、昼休みなんかは結構ワイワイ楽しそうな声が響いてるんだよねぇ。図書館のマナーってやつをしっかり考えて貰いたいくらい」
 案の定、リリカは意外そうにしながらも、すんなり信じた。肩をすくめつつ、自分の学校の図書館事情にため息をつく。
 ラディアムは嘘をついたことに罪悪感を覚えながらも、ほっと息をついた。

 とりとめのない会話をお供に、ラディアムたちは薄暗い森を抜け、トゥーダ村の歩道を進んだ。ようよう宿へと至り、扉を開ける。
「お。うちのお姫さんのお帰りだ。ひっく」
 酒場兼食堂の1席にリリカの父がいた。
 彼を見て、リリカは目をつり上げる。
「ちょっと、お父さん! お酒を飲むにはちょっと時間が早いんじゃない?」
「休みの日くらいいいだろぉ。と、ランドルくんもお帰り」
「た、ただいま、です……」
 オドオドと返答したラディアムを目にし、リリカの父は娘とラディアムを交互に見やる。そして、ぷっと小さく吹き出して苦笑いした。
「リリカ。ランドルくんの爪の垢貰え」
 ぼきぃ!
 酔っ払いが吹っ飛んだ。
 ギャーギャーと騒ぐカルデシア親子。その様子を遠巻きに見つめつつ、ラディアムは肩を落として落ち込んだ。寧ろ僕がリリカの爪の垢を貰うべきかな、と。

「あら。おかえりなさい、ラディくん」
「ただいま、ミラさん」
 部屋へ戻ると、ミランダはベッドに腰掛け、自分の鞄から書籍を取り出しているところだった。片や、世界の武具が載った辞典、片や、日用雑貨品のカタログである。
 ブックマン家を出立する時点でも疑問を覚えたものだが、ラディアムは改めてそのラインナップを不思議に思う。
「それ、見て楽しいの?」
 尋ねられると、ミランダはしばしきょとんとしてから、くすくすと可笑しそうに表情を崩した。ベッドから立ち上がって、辞典とカタログを机に置く。
「楽しくはないかな。ボクは本なら、恋愛小説の方が好きだもの」
 ならどうして、とラディアムが続けざまに尋ねる前に、ミランダは扉へ向かう。
「夕ご飯にしましょう? ボク、お腹空いちゃった」
 先だって部屋の外へ向かうミランダ。
 ラディアムは借りてきた3冊の本をベッドの上に丁寧に置いて、彼女のあとを追う。階下からは、トゥーダ村の住民の喧噪に加え、カルデシア親子の口げんかの声があいもかわらず聞こえてきた。

 夕食後、リリカは昨日に引き続き、ラディアムたちの部屋に押しかけた。が、直ぐに出て行った。借りてきたゴルバランタス国史を熟読したいから、とのことである。
「リリカちゃんはホントに本が好きなのね」
 台風のようにやってきて、同じく台風のように去って行ったリリカを見送り、ミランダが言った。
 彼女の言葉を受け、ラディアムが頷く。
「うん。普段はアルマそっくりで元気いっぱいだったけど、書庫ではすっごい集中してて、アルマとは全然違った」
 ラディアムのいとこ、アルマリータ=ブックマンは、本を読み出して1分と経たずに飽きたと騒ぎ出す。
 くすくす。
 ミランダはおかしそうに口元を隠して笑う。
「リタちゃんが聞いたら怒りそう。誰がお転婆だ、って」
「う、うぅ。あの、ミラさん……」
 怒られる様をまざまざと思い浮かべ、ラディアムは萎縮した。
 その様子に、ミランダは再びおかしそうに笑う。
「大丈夫。黙っとくから。それよりも、魔書らしきものはあった?」
 彼女はそこで、トゥーダ村へやってきた本来の目的を思い出し、話を替える。新緑の書庫にあるという魔書。それを手に入れるか、もしくは焼失させることが彼女たちの目的だった。
 もとより、夜中に忍び込んで探すのがメインの探索ではあったが、昼間に見つかったならそれに越したことはない。しかし、そう甘くはない。
「ご、ごめんなさい。結局今日は、幻想奇譚の区画は見なくって……」
「そうなんだ。別に気にしなくていいよ。リリカちゃんと一緒に見つけちゃっても、それはそれで困るし」
 リリカならば、おもしろがって魔書を用いて遊ぶだろうことは想像に難くない。魔書の力を乱用されないように保護しなければいけないというのに、見つけて乱用してしまっては本末転倒だ。
 となれば、やはり夜中の探索に力を入れなければなるまい。
 ミランダが昼間に村人へ聞き回った限りでは、現在、新緑の書庫にはクレバー氏とその孫がおり、寝泊まりしているのもその2名のはず、とのことであった。腰を痛めたというクレバー氏の孫を名乗るサムソンがやってきたのが2日前。クレバー氏はそれから一切外出していないが、サムソンが食料を複数人分買い込んでいることを鑑みるに、クレバー氏は書庫内で療養しているのだろう。
「運がないわね。クレバーさんだけならともかく、もう1人居るなんて」
 そのような予想外の障害があることに加え、忍び込むことに慣れていない自分たちが、気づかれずに忍び込めるだろうか、という不安もまた、ラディアムは覚える。
 ミランダは、そのようなラディアムの不安を感じ取ったのだろう。安心させるように微笑んだ。
「まぁ、とにかく早めに眠りましょうか。夜中に起きて出かけなきゃいけないのだから。寝不足じゃ、成功するものも成功しないわ。ね?」
 本日は潜入1日目となる。まずは小手調べということで、場合によっては書庫の周りを確認するだけで済ませるという話を、元からしていた。
 その元からの話通りに書庫の周りの確認だけで済めばいいなぁ、とラディアムは胃がキリキリと痛むのを感じながら思った。深い深いため息が漏れた。