第3章 School Wars
日進月歩の情報収集

 ブックマン家の正門前に馬車が止まった。同時に正門が開く。内から姿を見せたのは、当主ティアーガン=ブックマンと、その孫娘であるラケシス=ブックマンであった。彼らはこれから王城へと向かい、ハイドロウ=ラトワイズ国王陛下に謁見するのだ。その目的は、ラトワイズ王国祭における学園対抗戦の賞品について探ることである。
 両名を乗せた馬車が石畳の街道を行く。道の両端は商店が軒を連ね、店主と客の値引き交渉が車内にも聞こえてくる。のみならず、ご婦人がたの声高な世間話や、子供たちが遊びに興じる嬌声など、マグナカルタ市街は平素の通り賑々しい。
 そういった適度な喧噪が話し声をかき消してくれることを見込み、祖父と孫娘が会話を始めた。
「ザッファードは?」
「手はず通りに。ゲートスキルの魔書を持たせておりますので、捕まるようなことはないでしょう。勿論、万が一の場合には――」
「そうか」
 ティアーガンは端的に応じて、次の話題に移る。
「ラディアムたちはどうだ?」
「アルマリータとラドクリフは元から能力が高いですので、よほどの相手でもない限りは安心してよいかと存じますわ。ラディアムは――短縮魔法をいくつか修めたようですから、多少はマシになったことでしょう」
「そうか」
 先ほどと同じ応えを口にして、ティアーガンが瞑目する。
 しばらくは、喧騒が車外を満たしていたが、ほどなくして、高級住宅が軒を連ねる区画に入り、人声も物音も聞こえなくなった。時折、喧騒の残滓が遠くから流れて来るのみで、他にラケシス達の耳朶を刺激するのは、車輪が石畳の上を転がる規則的な音くらいのものだった。
 御者はブックマン家ゆかりの者でありはするが、かように静寂が周囲を満たすなかでは、内密な話を続けるわけにもいかない。そのため、ティアーガンとラケシスは口を噤むこととなり、その沈黙は目的地まで続くことになる。
 そして数刻、黙して語らぬ2者を載せた馬車は、ようよう、目的の場所に到着した。
 彼らが馬車を降りると、城門を守る兵士がはっと表情を硬くした。彼は鎧甲をガチャガチャとならしつつ、最敬礼をした。
「ティアーガン殿。ラケシス殿。ようこそお越し下さいました。ただいま門を開きます」
 兵士は、すうっと大きく息を吸って、胴間声をはりあげる。
「ブックマン家当主殿のおなりだ! 開門っ!」
 その呼びかけに応じて、高質な金属音を響かせながら門が開いていく。別の兵士が内側にあるレバーを操作したことで、開門の運びとなったのだ。このように外側から開けられない造りになっているのは、敵国や賊軍が攻めて来た時に、容易に進入を許さないためなのだという。
(まあ、このような仕掛け、例の抜け道を知っていれば関係ないわけですが……)
 ラケシスはゆっくりと押し上げられていく鉄扉を無表情に眺めつつ、王族の逃走経路である抜け道について思いを巡らす。かの昏く長い細道は、今まさに、彼女の親族が侵入経路として使用している真っ最中である。
「それでは、ご案内いたします」
 城内に足を踏み入れると、黒地のスラックスとジャケット、純白のシャツを着こみ、赤色の紐タイを締めた青年が、恭しく一礼して迎えた。
 ティアーガンとラケシスは青年に導かれ、周囲の様子が映り込む程に磨かれた大理石の床を踏みしめて進む。そこここに直立不動の姿勢で居る警備兵が最敬礼をする度に重々しい鎧兜が物音を立てる以外、聞こえるのは彼らの足音のみである。
 ようやく、謁見の間へと続く階段へ至り、先導していた青年はその脇に寄り、低頭して先を促す。ここからは、ティアーガンとラケシスのみで進めとのことだろう。
 2人は軽く目礼し、一段目に足をかける。ティアーガンが確りとした足取りで先を進み、その半歩後ろをラケシスが歩む。数十段を昇りきると、果たして、広い空間に辿り着いた。
 100名が蟄居しても余裕があるような大きな部屋であった。階段を上がった正面の壁には、巨大なラトワイズ王国の国章が描かれたタペストリーがかけられていた。それを追って見上げた遥か高みの天井は、色とりどりのステンドグラスで飾られ、陽の光を七色に変じていた。虹彩に照らされた白亜の壁には、数十か数百かとも思える最新式の魔力灯が等間隔にかけられ、真の闇が支配する時間帯であっても、不夜城のように輝くことだろう。床には鮮やかな真紅のカーペットが敷かれており、最高級のレッドウルフの毛皮を用いて製造されていると予想された。極め付きは、荘厳な玉座である。細かな意匠の金細工、銀細工で彩られ、基礎材には遙か北方に聳えると名高い世界樹の枝が使用されている。背板や座を包むのはキングフェニックスの羽毛であり、伝説の不死鳥のように美しい見た目の大型鳥獣の羽毛は、夏は涼やかに、冬は暖かく、身に着けた者の身体を護ると言われ、素材としては最高級品だ。
 広大な謁見の間の中央、豪奢な玉座には当然、ラトワイズ王国国王陛下ハイドロウ3世が座していた。彼は豊かに蓄えた白髭を撫で、柔和な笑みを浮かべて手を振った。
「久しいのぉ、ティアーガン。そして、ラケシス」
 友好的な国王陛下とは対照的に、ティアーガンもラケシスも跪いて低頭した。
「お久しぶりでございます、陛下」
「なんじゃ。お堅いのぉ。同じ学び舎で青春を共にした仲ではないか」
「お戯れを」
 慇懃な態度を崩さないティアーガンを玉座から見下ろし、ハイドロウは呆れたように嘆息する。
「お主は年々詰まらなくなりおる」
「恐悦至極にございます」
 ブックマン家の老獪は、いっそ無礼な程に慇懃だった。
「ふん。まあよい。して、何用じゃ?」
「ラトワイズ王国祭の学園対抗戦にて、我が親族がハイドロウ学院の代表として出場いたします。そのご挨拶を」
「今さらじゃな。ひと月も前に決定していた筈じゃが?」
「ご挨拶が遅れ、申し訳ございません」
 ティアーガンが床に額をつけんばかりに深々と頭を下げる。ラケシスもそれに続く。
 ハイドロウは面倒そうに手を振った。
「やめい。謝罪など不要じゃ。しかし、お主のところから出場となるのは何年ぶりか。ラスターとシエスタが出場して以来ではないか?」
「左様でございます」
「あれは楽しかったのぉ」
 ラスターがハイドロウ学院代表として、シエスタがマグナカルタ女学院代表として出場したのは、9年前から3年前までの6年間だった。それぞれの年度で、めざましい活躍をしてみせていた。特にシエスタの魔法は当時の最先端であり、彼女が年若い身でありながら独学で短縮詠唱学を確立し始めた頃だった。
 観客は大いに沸き、ハイドロウ自身も感心と共に胸をときめかせたものである。
 しばらくは、当時のことを思い起こして懐かしんでいた老王であったが、突然に話題をかえる。
「ティアーガンよ。賞品は曰くつきの書物じゃ。一説には、魔物を生むという。国庫に眠っておったのを探させた。国書指定されている以上、理由も無く下賜できん」
「陛下の意の沿うよう、当家の全力をもって当たらせて頂く所存でございます」
「うむ。それでよい。アレの所持はブックマンが最良じゃ。そうそう。クレイムには気をつけよ。あいつも狙っておるでな。まったく。最近火遊びが過ぎていかん」
「御意に」
 そこで会話は途切れ、ハイドロウの表情が心持ち和らぐ。
「では、このくらいにするか。偶にはこういう雑談もよいな。日参しろ、ティアーガン」
「陛下も下命も、お互いに多忙の身の上。そうは参りますまい」
「成程、違いない」
 短い謁見は、そうして終わった。
 ラケシスは恭しく一礼してから、ティアーガンに続いて階段を降りていく。そうしながら、シエスタの研究の有用性を再認識していた。
 先の会話には、暗号化魔法が用いられていた。ハイドロウ3世の言葉の一部は、ティアーガンにしか届いていなかったに違いない。ラケシスに聞こえたのは、冒頭の挨拶と数年前の対抗戦に関する雑談、そして、昨今の天気についての会話のみだった。しかし、彼らの会話がそれだけだった筈はない。ティアーガンもハイドロウも、そのような無益な時間の使い方をする御仁ではない。
 考えられるのが、前述の暗号化魔法だ。ティアーガンとハイドロウの間で事前に魔法の取り決めがなされていれば、彼らの会話は魔法によって隠蔽される。他の者が耳にすれば、全く異なる会話に聞こえてしまう。それが、暗号化魔法の応用である、会話隠蔽魔法だ。
(暗号化されていた内容についても、必要な情報であればお爺様が教えてくださるでしょう。さて、ザッファードの調査はどうなっているか。首尾よく忍び込んでいるでしょうか)

 ところ変わって、ラトワイズ城の地下を這う通路である。かの通路は、敵が攻め入った際の逃走経路として数百年前に造られた。存在を知るのは、数名の王族とブックマンの当主や側近のみである。
 闇に包まれた通路を、今、微かな明かりが照らしている。黒ずくめの男が、携帯用の魔力灯を手に、歩みを進めている。
「今のところ、見張りはいねぇか。不用心だな。まあ、そもそも存在を知っている奴がほとんど居ないんだろうが」
 黒く染まった衣服が全身を覆い、頭部も、瞳以外は黒頭巾で覆われている。そのような不審者が、独りごちた。
 彼はザッファード=ブックマン。ブックマン本家に籍を置いている。ラケシスの命を受け、学園対抗戦の賞品となっている、魔書らしき書物を目視、可能であれば奪還するために先を急いでいる。
(さて。そろそろ城内に侵入できる筈だが、首尾よく行くかね。まあ、お姫さんもさほど期待してないだろうけどよ)
 王城内の警備が厳重なのは火を見るよりも明らかである。当然ながら、目的の書物に辿り着けるとは限らない。しかし、可能性があるのであれば試みよう、というのが、ラケシスとザッファードの出した結論だった。
「どうぞ。お引き取り下さい」
「!」
 突然の声に、ザッファードが身構える。魔力灯を声が聞こえた方向へ向けると、そこには青年がひとり、佇んでいた。
「どなたか存知ない、ということにしておきましょうか。とにかく、お引き取りを。どうせ、アレには近づけませんよ。貴方だけでなく、私もね。最新の空間歪曲魔法がかけられているようでして、いやはや、技術の発展はめざましい」
(こいつは――クレイム=ギル=ダ=ラトワイズか。こちらのことはある程度察しがついているようだな。少なからず情報をくれる辺り、ある意味、今は味方か)
 警戒は怠らないままで、ザッファードは小さく首肯する。クレイムの言葉は想定の範囲内であり、反駁する意味は全く無い。
「ご承知いただけて何よりです。お互い、正々堂々とアレを手に入れるとしましょう」
 その言葉を耳に入れつつ、ザッファードは隠し持っていた書物を、後ろ手に開いた。書物――魔書の力が働き、ザッファードの身体がかき消えた。
「……なるほど、転移を可能にする魔書ですか。所謂『ゲート』。流石、ブックマンですね。ふふふ」
 継承権39位のクレイム王子殿下は、暗闇の中で笑みをこぼし、漸う、離れたところに控えていた仲間に合図を送った。
 すると、転移の魔方陣が青白く発光し、彼らは王城内の自室へと瞬時に移動し、その場から消えた。