第3章 School Wars
青空市場

 ラトワイズ王国の首都マグナカルタ。平素から賑々しい市街の商店通りは、王国祭初日ということで増々の賑わいを見せていた。販売している物品に変わりはなく、そのため、王都民の姿はまばらである。しかし、王国祭には近在の町村や他国からも人がやって来る。その観光客が、食材店や武具店、魔法具店など、あらゆる商店を賑わしていた。
 リリカ=カルデシアは、友人ラディアム=ブックマンを伴って、市街商店通りを避けるように、裏路地に入って行った。彼らの目的はそこに無く、市街中央の大広場にあるためだ。王都民たる彼らの目的は、大広場で大規模に催されている青空市場にあった。観光客が商店通りに集うのと同様に、地方や他国の商人が青空市場に集い、物珍しい品物を出しているのだ。平時であれば仕入れられない食物や小物類、値段の高い宝石類や書籍なども売り買いされる。
「むぅ。こっちも混んでるね」
 皆考えることは一緒なのか、通常であれば閑散としている裏路地は、前例になく人通りが多かった。それでも、表通りの辟易するような混雑には程遠く、余裕をもって歩くことができたが、裏路地だけあって横幅が狭く、横に並んで歩みを進めることは出来ない。
 それ故に、リリカ、ラディアムの順で縦列に移動し、リリカは首だけで振り返りつつ、友に話しかける。
「ねぇねぇ、ランドルは何見たい?」
 リリカは未だラディアムのことをランドルと呼ぶ。急に変えるのが難しいという理由らしい。ランドルという綽名だと思うことで、リリカ、ラディアム間で合意は取れている。
「えっと、リリカが見たいのでいいよ……」
 張り合いの無い返事をして、ラディアムは小さくため息を吐いた。
 そのような態度は、リリカに対して不満があるためでなく、明日以降に催されるラトワイズ王国祭のイベント、学園対抗戦を控えているが故である。王国祭が始まる前までに、ラディアムとリリカは何度か顔を合わせていたが、そのいずれの場合においても、ラディアムは終始同じように塞ぎこんでいた。
 リリカとしてもすっかり慣れたものである。
「気分転換で来てるんだから、元気出して行こ! やっぱり、まずは本を見ようよ。他の国の歴史書とかあるんじゃない?」
 ラディアムとリリカの共通の趣味は読書である。彼らが知り合ったのも、トゥーダ村の『新緑の書庫』にそれぞれ赴いたのがきっかけであった。
 リリカの言葉に、気持ちの沈んでいるラディアムも少なからず興味を覚えた。確かに、例年の王国祭においても、他国の珍しい書物が青空市場に出品されていた。値段が高く手が出ないため、店頭を冷やかすことしか出来ないが、眺めているだけでも楽しめる。
 加えて、いつまでもため息ばかりついていては付き合ってくれているリリカに悪い、とも思い始めたようだ。
「うん。ありがとう、リリカ」
 そう口にしたラディアムの表情は、未だに不安げであった。それでも、多少は緊張が緩和されたように見えた。
 リリカはその様子を瞳に映し、元気に笑った。そして、ラディアムの手を取って、人の波の隙間を縫うように先を急いだ。

 ようやく大広場に辿り着くと、そこここに活気が満ち溢れていた。人の数は、当然ながら裏路地のそれなどとは比べ物にならず、一度はぐれてしまえば二度と再会できないことが容易に予想できた。故に、ラディアムとリリカはがっちり手を繋いで見て回ることに決めた。
「例年通り、流れに逆らっても無駄って感じだし、順々に見てこっか」
「うん。そうだね」
 ある程度の区画整理はされているようであるが、基本的には自由に出店しているようで、バラバラなジャンルの店が順不同で並んでいた。南国の果物を売る店の隣に、武具を扱う店があり、その隣には辻占い師が店を構えていた。まったく統一性がない。しかし、そのような混沌とした様を楽しむのが正しい姿なのだろう。皆、何の疑問も抱かず、笑顔で行き交っている。
「あ。ラドが好きそう」
 ラディアムが武具の露店を横目に呟いた。
「ラドって、ラドクリフくん? 武器が好きなの?」
「うん。ラドは珍しい武器とかが好きなんだ。好きなだけじゃなくて、どんな武器でも扱えてすごく強いんだよ」
 闘いの女神の名を冠するアトルナ棟で幼い頃から武人達に育てられたラドクリフは、自然と強靭に、そして、武器マニアに育っていった。
「へえ。アルちゃんは?」
「アルマは武器自体は別に好きじゃないかな。でも、レイピアで戦うのが得意で、ラドに負けないくらい強いよ。魔法も凄く上手だし」
 智慧の女神の名を冠するウィダミア棟で育った筈のアルマリータは、何故か強靭に育った。しかし、それだけでなく、魔法学や他の学問の知識も潤沢で、智慧の女神の名に恥じることのない成長を遂げていた。
「へえ。2人とも、流石ブックマンって感じだね。あんまりそんな印象ないけど、ランドルも実は剣とか魔法、結構使えるの?」
 リリカが無邪気に尋ねた。
 ラディアムは肩を落として、小さくため息を吐いた。しばしば受ける質問ではあるが、だからといって心安らかに応えられるわけではなかった。
 そのような友の様子に、リリカは小首を傾げて眉を潜めた。
「どうかした?」
「う、ううん。僕はその、あんまり強くなくて、っていうか弱くて…… 対抗戦のために数日間訓練したけど、あんまり成果もでないし…… 教えてくれたシエスタさんやラスターさんにも悪くって…… うぅ」
 涙ぐんで俯くラディアムを瞳に映し、リリカは苦笑いと共に嘆息した。
「私は、ランドルは強いと思うけどな」
「え?」
 突然の言葉に、ラディアムは涙を引込めて顔を上げた。彼の視線の先では、リリカが元気に歩みを進め、ラディアムの腕を引いていた。
「それより、アルちゃんとラドクリフくんと言えば、2人ともランドルにべったりだね。昔からああなの?」
「ふえ? あ、えっと、そうかな。でも、ずっと昔は2人に苛められてた、かな」
「え、ホントに?」
 リリカが思わず立ち止まり、振り返った。すると、周りの人間とぶつかり、迷惑そうな視線を向けられた。
 2人で全方位に頭を下げて、一度、人の流れから外れることにする。
 いつの間に手に入れていたのか、リリカの手の中には露店販売されていた軽食が納まっていた。東国の草原にて育てられた家畜の肉をひと口大に切って焼いたもの。南国の果実をやはりひと口大に切って容器に入れたもの。数点を抱え、満足そうにしている。
 この青空市場では、ラトワイズ王国の公用語を話せない者も出店している。そのため、軽食類は銅貨1枚の値段設定が基本となっており、店先に銅貨を置いて並んでいる品物を自由に取る形になっていることが多い。コミュニケーションを最小限にしつつ、商売を何とか成り立たせるために考えられたが、時たまトラブルになるというから世知辛い。
 幸い哉、リリカの場合は、特に問題なく休憩のお供を手にすることが出来た。
 本日は市街のあちこちに簡易休憩所が設けられており、簡素な卓と椅子が点在している。その内の1つ、親子連れが席を立って青空市場へと向かっていったことで空いた席を確保し、ラディアムたちはひと息ついた。
 彼らが落ち着いた席は、平素であれば馬車が通る大通りのど真ん中にあった。そのような場所に椅子を置いて座り、マグナカルタ市街をゆっくりと眺めることなど、そうそうあることではない。
 石造りの建物や樹木が左右に並び、その間を石畳が敷かれた通りが突き抜けていく。通りの先には先頃まで歩いていた大広場があり、行き交う人々には笑顔や戸惑いなど、様々な感情が窺い知れ、耳朶に届く喧騒は適度な環境音として周りを包んだ。
 ラディアムは卓に置かれた軽食を数え、懐から銅貨を数枚取り出す。
「えっと、全部で銅貨6枚? じゃあ、はい、3枚」
「ありがと。で、アルちゃんとラドクリフくんが苛めっ子だったってホント?」
 早速、肉と果実を頬張り、同じく確保していた飲物を口に含み、リリカが尋ねた。
 ラディアムもまた肉を口にして、頷いた。
「うん。本当にずっと前のことだけどね。何も出来ない弱々ラディアムって呼ばれて、小突かれたり、おやつ取られたり、色々あったなぁ。当時から僕は、2人と比べて何も出来なかったから…… 周りの人達が何かにつけて2人の方を優先してたんだ。だからこそ、2人が僕よりも凄いんだって思いやすかったのかなって」
「ふーん。今の2人からじゃ想像できないなぁ」
 アルマリータとラドクリフの性格からは元より、2人がラディアムを溺愛している様からも全く想像が出来ない。リリカは強くそう思った。
「いつから今みたいになったの?」
「えっと、よく覚えてないけど、子供の頃の或る日を境に突然変わったかな? 前の日には木剣の訓練ってことで沢山叩かれたんだけど、次の日には大好きって言われたような気が…… 呼び方もその時に突然『ラディ』になったよ」
「えっと、突然なの? 何かあったわけじゃなくて?」
 当然の疑問をリリカが投げかけた。
 しかし、ラディアムは首を傾げるばかりだ。
「何もなかったと思うけど……」
 そう言われてしまうと、他に追及のしようが無い。その謎は是非とも解いてみたいと、リリカは考えたが、せっかくの王国祭であり青空市場である。座して話してばかりというのも勿体ない。休憩を終えて、再び人の波にもまれるとしよう。
「そっか。まあ、今度2人にも聞いてみるよ。さてと。じゃあ行こ、ランドル」
 ちょうどラディアムもリリカも、軽食を平らげたところだった。出たゴミを、各所に設置されているゴミ入れに放り込み、彼らは腰を上げた。早速、席を探していた男女のカップルが入れ替わりに座った。
 通りを行きかう人々は、皆この祭りを楽しんでいる。活気横溢する中、そうそうゆっくりとしてはいられない。
「よし! 本のお店があったら取り敢えず飛び込むからね!」
「お小遣い、そんなにないけど……」
 不安げに言ったラディアムに、リリカは口の端を持ち上げ、得意げに笑む。
「そんなの毎年気にしないもん! 買えなくても珍しい本が見つかれば嬉しいでしょ?」
 彼女の言葉に、ラディアムは無意識に首肯した。
 彼の性格上、買わないのに店頭で立ち止まり、あまつさえ、書籍を手に取るなど、所謂冷やかし行為など、とてもではないが出来ない。例年であれば、そういった理由で、青空市場で本の店を見つけても大概は素通りして来た。しかし、リリカが共に居るならば、乗り越えられるやもしれない。
 その時、天上で派手な物音が響き渡り、青空を七色の光が彩った。
 そこここで歓声が上がり、2人の顔にも笑みが充ちた。
「ほら、行くよ!」
「う、うん」
 伸ばされた手を取り、ラディアムはリリカの背中を追って、再び青空市場へと飛び込んでいった。

 ブックマン家領内では、兄や姉の指導の元、訓練に励む少年少女が居た。彼らは真剣な瞳で剣を振るい、魔法を行使した。しかし、直ぐにそれらを放棄した。
『もういやだー!』
 剣を地面にたたきつけてラドクリフが、腕の中に生み出していた炎を天上へ向けて放ちアルマリータが、叫んだ。天上に放たれた炎は四方へ飛び散り、七色に輝いて市街を賑わせたが、それはまた別のお話だ。
 荒ぶる彼らを、兄ラスターと、姉シエスタが、嘆息と共になだめた。
「落ち着け、ラド。ラディを護るんだろう?」
「アルマリータ。王国祭1日目も訓練すると決めたのは、貴女たちでしょう?」
 確かに、今日この時の訓練の場を望んだのは、他でもないアルマリータとラドクリフだった。
 学園対抗戦での彼らの相手は、他校の上級生であり、なおかつ、代表に選ばれるまでの実力者だ。とてもではないが、油断の出来る相手ではない。その相手から、ラディアムをしっかりと護りぬかなければならない。
 そのような確固たる意志の元で、この場の訓練は為されているのだ。今さら弱音を吐くというのも、おかしな話である。
 しかし、人の心は簡単ではないのだ。
『ラディと遊びたい!』
 弟妹は仲良く叫んだ。
 その叫びは、兄姉に本日何度目になるか分からないため息を吐かせたのだった。