ラトワイズ王国祭2日目。青空市場は未だに多くの人で賑わっていたが、初日と比べると客足は減少傾向にあった。それというのも、皆、2日目の午後から始まる学園対抗戦を観覧しようと、王城に併設された闘技場に集っているためだった。
闘技場は遠い昔、獣と奴隷をどちらかが命を落とすまで戦わせて見世物にする、残虐趣味の極みとして在ったが、奴隷制の廃止された今となっては、王城勤めの兵士や警邏隊員の訓練場として使用されているに過ぎない。そして、年に一度、こうして学園対抗戦のために用いられ、観覧席は市民と観光客に開放される。
リリカ=カルデシアは、警邏隊長である父のつてで、最前列の観覧席に陣取っていた。
彼女の視線の先では、友人ラディアム=ブックマンが、青い顔で俯き、緊張に耐えていた。ハイドロウ学院の代表であるラディアムと、彼の従妹のアルマリータ=ブックマン、ラドクリフ=ブックマンは、緑地の制服に身を包んで、開会の儀に出席していた。
開会の儀は厳かに進み、愈々、闘技場全体に威風堂々たる声音が響いた。ラディアムらの遙か高み、闘技場全体を見下ろす位置にあるバルコニーには、時の王ハイドロウ3世が厳めしい顔で佇み、学生たちを激励していた。
しばらくして、ハイドロウ3世陛下の激励の言葉が終わりを迎え、続いて、勝利した学園への贈与品についての説明が始まった。
「勝ち抜いた者達には、多大なる名誉と共に、国章を配した金の盾、そして、国庫より稀少な書物を贈与する」
説明の言葉に伴って、複数人が巨大な盾と書物を収めた豪奢な装飾の台座をバルコニーに運び入れた。
終始、俯いていたラディアムも、その時ばかりはバルコニーを見上げ、書物の姿を瞳に入れた。ブックマン本家の者として、かの書物が魔書であるか否か、見極めなければならないと、なけなしの根性を絞り出して視線を上げたのだ。
(……駄目だ。分からないや。もうちょっと近づければなぁ)
しかし、絞り出した根性は直ぐに萎んでしまった。自分自身の無能さにラディアムは落ち込み、再び視線を落として涙ぐんだ。
そのようなラディアムの心持ちとは無関係に、贈与品の説明はいつの間にか終わり、観覧者たちの間には歓喜雀躍とした空気が伝播していった。
「我、ラトワイズ国王ハイドロウ3世の名の下に、王国祭学園対抗戦の開催を宣言する」
開会の儀の締めとして、ハイドロウ3世国王陛下が御声を張り上げ、続いて、割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。それらは、闘技場内に留まらず、マグナカルタ市街全体を満たした。
1回戦第1試合は、マグナカルタ女学院とノルマンディー男子校の対戦である。それぞれ、高等部から3名の代表が出場している。
マグナカルタ女学院は生徒会のメンバーで揃えていた。生徒会長のアリア=スフィーリア、副会長のマール=ディアラヴ、書記のボタン=ユリカワの三名である。
対して、ノルマンディー校は高等部3年の実力者で固めていた。マシュー=ピープス、オーギュスト=フェルー、アドルフ=ハウザーの三名だ。皆、先んじて行われた、ノルマンディー校内の模擬試合で上位三名の席を得ていた。
「マグナカルタ女学院ボタン=ユリカワ。ノルマンディー校アドルフ=ハウザー。両者前へ」
王城の兵士が大音声で各校の先鋒の名を呼んだ。
マグナカルタ女学院からは、伏し目がちの少女が滑るような足取りで開始位置へついた。肩口まで伸びる黒髪は、歩みを進めるだけで後ろに流れる。細くやわらかな髪質なのだろう。大きな瞳は茶の混じった黒で、観客の視線を避けるように伏せられている。左側頭部を飾る髪飾りはシャクヤクという薄桃色の多弁花のようで、よく目立っている。
対するノルマンディー校からは、巨躯の少年が荒々しい歩を進め、陣取った。鮮やかな赤毛は短く刈り込まれ、顔立ちを鋭角に際立たせている。口元はきつく結ばれ、目元は鋭く、眉はきりりと流れている。精悍な顔立ちに加え、身長は際立って高く、四肢には隙の無い筋肉がついている。
対極の両者が闘技場の中央で一礼し、兵士の号令に伴って第一試合が開始された。
先に動いたのはノルマンディー校のアドルフだった。彼は、ボタンの様子を見て、魔法を主とした戦いをするに違いないと判断した。アドルフは魔法を扱えず、大剣を操る。なれば、接近戦に持ち込まなければ分が悪い。
猛獣のように荒々しく迫ってくるアドルフを目にして、ボタンは顔色を青くした。まごまごと視線を泳がせて、生徒会長のアリアに視線を向ける。しかし、アリアは微笑しているだけである。
アドルフは大剣を上段に構え、一気に振り下ろす。ボタンに当てる気はない。少し脅かして棄権を促す心積もりだ。
大剣が闘技場の土を穿つ――ことはなく、少し離れたところでカランと乾いた物音がした。それと同時に、アドルフの背中が土で汚れた。
「なっ!?」
驚愕の声を上げ、アドルフは天上を見た。そこには、ボタン=ユリカワの申し訳なさそうな顔があった。
アドルフは瞬時に、飛びこんだ勢いを利用して投げられたことを知る。しかも、それだけではない。アドルフの右腕が痛みで痺れていた。ボタンの左腕で弾かれたことで、彼の右腕は力を失い、結果として、手にしていた大剣を放り投げてしまったのだ。
そのようにして、アドルフが状況を把握した時には、既に勝負がつこうとしていた。アドルフの視線の先にて、ボタンが無駄のない動きで左腕を突き出した。その腕はアドルフの鳩尾に吸い込まれ、彼の意識を奪った。
「勝者、ボタン=ユリカワ」
「ご、ごめんなさい」
まなじりを下げて深く頭を下げた少女は、巨躯の少年を軽々と持ち上げ、ノルマンディー校の陣営へと連れていった。驚異の膂力である。加えて、試合運びからすると、体術も会得しているらしい。
「では、ノルマンディー校オーギュスト=フェルー、前へ」
兵士の言葉を受け、オーギュストがゆっくりと開始位置へ向かう。青色の髪に銀の瞳、表情は和らいでおり、余裕が見える。腰にはレイピアを差し、体躯はアドルフと比べるまでもなく小さく、少女のようにほっそりとしている。彼はボタンに視線を向け、アドルフを運んでくれた礼と共に笑顔で頭を下げた。
「続いて、私のお相手をお願いいたします。レディ」
「え、えっと…… その……」
ボタンは黒目を伏せて、もごもごと何かつぶやいていた。しかし、開始位置へ移動しようとはしない。対抗戦は勝ち抜き戦となるため、ボタンは続投となる筈だった。
そこで、マグナカルタ女学院アリア=スフィーリアが前に出た。
「誠に勝手ながら、ボタンは不戦敗とさせていただきます。貴方のお相手はこちらのマールが」
伴って、マールが深く礼をした後、すっすと歩を進めた。陽光を反射する鮮やかな金髪を頭頂部で一つに結び、垂れ下げている。碧の瞳は伏せられ、しかし、ボタンのように怯えた様子は微塵もない。真一文字に結ばれた薄い唇は、どこか冷たい印象を他人に与える。
少女は、開始位置に至ると、黙したまま佇んだ。
「ボタン=ユリカワは不戦敗ということで、オーギュスト==フェルーとマール=ディアラヴの試合を始める」
進行役の兵士は、特に戸惑うこともなく宣言した。対抗戦に出てくる学生達は我が強いのが通例ゆえ、変則な進行も珍しくはないのだ。
オーギュストとマールが開始位置で深く礼をする。そして、開始の合図と共に動き出す。
まずはオーギュストが力強い言葉を放った。
「カ・リ・ザフラ・アルア」
マールが素早く右へと移動した。
その後を、オーギュストの放った炎の矢が追い縋った。矢はマールへと迫り、彼女の身体を焼くかと思われた。
「ウォツァ」
短縮詠唱と共に、マールは右の拳を炎の矢に叩きつけた。すると、炎は四散し、消え去った。
オーギュストは動じることなく、新たに雷の矢を生み出す。
「トネール・カルラ・アルア」
その言葉に伴って、バチバチと物音を立てながら、矢が先ほど同様、マールへと迫る。
マールもまた、先ほど同様、その軌跡から逃れようと移動を開始するが、やはり矢は追い縋ってくる。逃れられないと分かると、彼女は立ち止り、雷に向けて蹴りを繰りだした。その際、短縮詠唱が紡がれることはなかった。
雷の矢はマールの右脚に突き刺さり、彼女の身体を伝搬した。
闘技場中に動揺が走った。雷を生身で受けるどころか、蹴りを入れるなど、正気の沙汰ではない。
オーギュストもまた動揺していた。そのままマールが倒れるのなら、彼の勝利となる。しかし、どうにも気持ちが悪い。そのように考えた彼の首筋を、冷たい感覚が襲った。
「まだ続けますか?」
低く抑えられた声は、少女のそれであった。
オーギュストの背後には、いつの間にかマールが立っていた。彼女は小剣を握り、オーギュストの首に押し付けていた。
「……なるほど。君が噂の魔吸姫ですか。雷の速度的性質を吸収した――といったところですか?」
「答える義務はありません。棄権は体裁が悪いというなら、腱くらいは切りましょうか?」
抑揚のないその言葉に、オーギュストは冷や汗をかいて嘆息し、降伏を宣言した。
そして、彼の宣言を受け、マールもまた、棄権を口にした。
残るはマシューとアリアだ。彼らは兵士の言葉を受けて、開始位置に陣取る。
「あんたら、こっちを舐めすぎじゃないか? ここで俺が勝ったら、実質そちらが2勝だろうが、こちらの勝ちになるんだぜ?」
「それはそれで宜しいでしょう。わたくし共に実力が無かったというだけのことです」
少ない言葉の応酬に続いて、激しい視線のぶつかり合いが数秒なされる。
マシューは、眉にかかる程度の長さで切り揃えられた銀髪を揺らして、口の端を持ち上げた。紅い瞳の奥にはギラギラと輝く光が乱射し、状況を楽しんでいるのが見て取れる。筋肉質の両腕に短刀を構えて、腰を落とした。
一方でアリアは、艶やかな口元に右手をあてがい、緩やかに微笑んでいた。微風が吹く度に揺れる桃色の長髪が、彼女にふんわりとした印象を与えていた。しかし、笑みの形に細められた碧眼は、どこか厳しさを備えており、他者を圧倒した。
「最終戦、マシュー=ピープスとアリア=スフィーリアの試合を開始する」
兵士の言葉に続いて、両者が一礼。直後に、動き始めた。双方が前に出て、短刀とレイピアを突き出した。
アリアのレイピアを、腰を落として低く構えたマシューの短刀が受ける。マシューは低い姿勢のまま前進し、もう一方の手に握った短刀でアリアの足元を襲う。
短刀の一撃を飛び退って避けたアリアは、追撃をかけてくるマシューへと向けて、再度飛び込む。
虚を突かれた形のマシューであったが、アリアの動きは想定の範囲内だった。突き出されたレイピアを横に跳んで躱し、短刀を投げる。
アリアは、身体の中心へと向かってくる短刀を、横に跳んで難なく避け、マシューへ向き直った。相手が武器を1つ手放した今が好機である。しかし、彼女は何を思ったのか再び大きく横に跳んで、受け身を取ったあとに小さく数語を呟いた。
すると、『彼女を追ってきた』短刀に雷が突き刺さった。短刀は金属質な物音を立て、地面に転がった。
「ちっ。初見で対処した奴は初めてだぜ」
「風魔法を込めた短刀ですか…… 自由に操るには緻密な魔力操作を要するはず。粗雑な言葉遣いに似合わず、中々楽しませてくださいますわね」
くすりと笑みを零したあと、アリアは再び数語を口にした。伴って、何かしらの魔法が発動するかと思いきや、何も起こらず、彼女は駆けだす。
マシューはそんな彼女を追い、拾った短刀を再度投げた。短刀は鋭い音を立ててアリアへと追いつき、足元を襲った。
今度はレイピアで短刀を防ぎ、アリアは更に駆ける。その際にも数語を呟き、しかし、何も起こらない。そして、駆ける。マシューから遠ざかろうとする様子は、逃げているように見える。
「魔力切れか? マグ女の会長さんも大したことねえな」
マシューの挑発に、アリアは何も応えず、やはり駆けつづける。襲い来る短刀を防ごうとしたのか、数語を呟き、やはり何も起きず、レイピアで短刀を弾き、駆ける。もう1度、同様のことが起こり、マシューはいら立ちを覚え始めた。
「ちっ。面倒だ」
毒づき、マシューは短刀を2本共放つ。そして、短刀がアリアへ迫ると、アリアに防がれる前にマシューがごく短い一語を呟く。
「アンフ」
伴って、短刀を中心に竜巻が立ち上った。短刀に込めていた風の魔法を解除し、一帯を巻き込む暴風を生んだのだ。
風に浚われてアリアの身体が吹き飛ぶ――その直前に、彼女もまた一語を呟いた。
「ゴットゥ」
すると、3つの事象が生じた。
爆発が生じ、暴風が相殺された。一帯は凪状態と成った。
続いて、アリアを中心として広範囲に雷の雨が降った。咄嗟のことに、マシューは避ける術も無く、降り来る雷の槍を受けて倒れ伏した。
そこに追い打ちをかけるように、吹雪が襲った。凍える風雪により、マシューの身体は大地に縫い付けられたように動かなくなった。
先程の一語によって、アリアが3度組み立てていた遅延詠唱が全て発動したのだ。失敗したように見えていたアリアの魔法は、実際は成功していた。遅延詠唱で発動をとどめていただけだった。その結果、爆発と落雷と風雪を生じる魔法が連続で発動するに至ったのだ。
大地に伏したままで、マシューは恨めしそうにアリアを睨みつける。
しかし、アリアは楽しそうに微笑んで見返した。
「さて。どうなさいますか?」
「嫌味かよ。負けも負け。大負けだ。あんたらの勝ちだよ」
マシューの言葉を兵士が聞き入れ、マグナカルタ女学院とノルマンディー校の試合は、マグナカルタ女学院の勝利で幕を下ろした。
先の試合を間近で観戦していたラディアムは、帰りたくなっていた。このままでは死んでしまうと、本気で悩んでいた。
一方で、アルマリータとラドクリフは落ち着いたものだった。
「ラド。明日のマグ女との試合、あたしが先鋒でいい? あの人たち3人抜きしたい」
「んじゃあ、今日は俺が先鋒な。事前申請だとアルマを先鋒にしてたよな。直前でも変更できるのか?」
「ダメならあたし棄権するよ」
「頼む」
発言からは大いに余裕が感じられた。
余裕など一切ない少年は、目の前が真っ暗になって倒れてしまいそうだった。けれど、何とか堪える。
詠み人として、魔書が他者の手に渡るのを看過できない。彼はその責任感のみで、立っていた。
しかし――
「ラディ。座ったら?」
「顔色、青いの通り越してどす黒いぞ」
「……あう……」
従姉妹2人に本気で心配されてしまう程の、今にも吹き飛びそうな、不安定な精神状態だった。