第1章 双生の鬼子
宿りた鬼子

 時は平成。世は平穏。とりわけ、ここ日本では、平和ボケした者達が能天気に過ごしている。しかし、それは悪いことでは決してない。寧ろ歓迎すべきであろう。平穏を求めぬのは愚者の極みだ。
 さて、日本のとある地方にある片田舎、龍ヶ崎町(りゅうがさきちょう)では、そのように平和ボケした者達が、平和ボケした慣習に従って、雨の滴るなか集っている。
 ジューンブライド。六月の花嫁。ロマンチックな夢に酔いしれる乙女ならばともかく、普通の感性をした者であるならば、足元の悪いなか集まることに苛立ちを募らせずにはいられまい。
 とはいえ、誰もがいい大人であるからして、文句の言葉は飲み込むのが慣わしである。紋切り型の祝言が飛び交い、とある平凡なカップルの平凡きわまりない結婚式は、滞りなく進行していた――のだが……
 新郎である山田太郎(やまだたろう)氏の平凡ならざる行動のおかげで、幸福に満ちたイベントは急展開を迎える。

 ばあんっ!
 教会の扉が乱暴に開け放たれた。そして、一人の女が中に転がり込んでくる。
 皆、その様子をあっけに取られつつ、眺めていた。
「太郎さん! 私、やっぱり諦められない! 愛しているわ!」
「は?」
 乱入した女の大音声を受け、新婦である天笠柚紀(あまがさゆずき)は、間の抜けた声を漏らす。
 さらに――
「僕もだ、花子(はなこ)ちゃん! 一緒に逃げよう!」
「へ?」
 新郎、山田太郎のまさかの言葉が教会内に響き渡った。
 だっ!
 山田太郎と花子は、手と手を取り合って駆け出す。瞬く間に二人の背中が小さくなっていく。
「……え?」
 柚紀(ゆずき)はみたび、間の抜けた声を出し、立ち尽くした。ただただ、立ち尽くした。
 親族一同が怒りをあらわに叫んだり、太郎と花子を追いかけたりしているなか、独りで空しく立ち尽くした。

 その日の夜。実家に戻り、部屋でゴロリと横になっていた柚紀(ゆずき)は、無意味に部屋の天井を眺めていた。
 その天井の中央右手には、あたかも人の顔であるかのように見える木目がある。そして、部屋に充満するのは、この時期にはもはや風物詩ともいえる、雨に濡れた木材の匂いだ。加えて、天井裏をトコトコと駆けるねずみの足音がうるさい。どれをとっても、慣れ親しんだ生家の自室だ。
 この自室とは、長らくおさらばするはずだった。そうであったのに――
 新郎が逃げ出したという事実が突然現実味を帯び、柚紀(ゆずき)は顔を真赤にして怒りをあらわにした。そして、手の中でもてあそんでいた二箇の指輪を力いっぱい投げる。
 ひゅっっ!!
 指輪は一直線に窓ガラスへと向かい、一瞬ののちにはけたたましい音を響かせる――はずだった。
 しかし、窓ガラスが割れることはなかった。
 かっ!
 代わりに、まばゆい光が柚紀の部屋を照らした。映画などに見る、閃光弾が投げ込まれたかの如きであった。
「…今のは…何だったの?」
『クスクス』
 どこからともなく、笑い声が響いた。

 それ以来、柚紀(ゆずき)の手元に残った2つの結婚指輪には、双子の邪鬼が宿っている。
 柚紀(ゆずき)の怒りが呼び込んだ邪悪なモノが。

「おーい。柚紀(ゆずき)ぃ。山田柚紀(やまだゆずき)かっこ旧姓天笠柚紀(あまがさゆずき)かっこ閉じ、になる予定だった天笠柚紀(あまがさゆずき)ぃ」
「山田柚紀(やまだゆずき)かっこ旧姓天笠柚紀(あまがさゆずき)かっこ閉じ、になる予定だった天笠柚紀(あまがさゆずき)ぃ」
 ベッドにならんで寝転んだ子供二人が、足をパタパタさせながら言った。男の子と女の子で、よく似た顔立ちをしている。
 ここは柚紀(ゆずき)が先月から借りているアパートの一室である。1LDKという、独りで暮らすならばともかく、子どもが二人もいるのでは少々手狭な間取りをしている。怒りの婚礼未遂からひと月、彼女はなんとか日常に戻っていた。
 ……日常と自信を持って言い張るには、少しばかりの異分子が混ざっていたけれども。
「…………………」
 カチカチカチカチカチカチ。
 柚紀(ゆずき)は窓際の机に座り、軽量型ノートパソコンに向かって黙々と作業を続ける。大学の授業で提出する課題に取り込んでいるのだ。
 どうやら、子供たちの呼び掛けに応える気は、全くないらしい。
 しかし――
『山田柚紀(やまだゆずき)かっこ旧姓天笠(あまがさ)ゆ――』
「うるさあぁあいっ!」
 ついに、堪えきれず、叫んだ。
「何よ、その呼び方! 甚だ不愉快なのよ! しかも、呼びにくいこと極まりないでしょ!」
 怒声を上げる柚紀(ゆずき)の目つきは尋常ではなく悪く、子どもを怯えさせるには十分だった。
 けれども、当の子ども達はどこ吹く風であっけらかんとしている。
「えー。そんなことないけど? なあ、鬼沙羅(きさら)」
「そうよね、阿鬼都(あきと)お兄ちゃん。親しみ易くて素晴らしい呼称よね」
 にこにこと笑いながら、男の子の鬼――阿鬼都(あきと)と、女の子の鬼――鬼沙羅(きさら)が言った。共に艶やかな黒髪が印象的だ。
 阿鬼都(あきと)はその髪を、伸ばしすぎない程度に短くまとめている。一方で鬼沙羅(きさら)は、腰の辺りまで流線型の美しい髪を垂らしている。
 一般的な意見を口にするならば、共に十分すぎるほどの愛らしい外見をしている。
 けれども一方で――
「あんたら性格悪すぎ!」
 と、柚紀(ゆずき)の評価がくだされた。ごもっともである。
 そんな柚紀(ゆずき)のお言葉もどこ吹く風で、双子は楽しそうに顔を見合わせる。
「そりゃ鬼だし」
「ねー」
 コロコロと可愛らしい声を転がせ、阿鬼都(あきと)と鬼沙羅(きさら)が笑う。
 そして、駄菓子をボリボリとこぼしながら食べ始めた。
「あぁ、こら! 誰が掃除すると思ってるのよ!」
 お行儀の悪い子ども達に対して柚紀(ゆずき)が怒鳴ると、鬼二人はふたたび顔を見合わせた。
 それから、柚紀(ゆずき)に視線を移す。
 そして――
「柚紀(ゆずき)だろ?」
「柚紀(ゆずき)でしょ?」
 言い切った。
「他に誰がやるんだよ」
「ねー」
 お菓子を頬張りながら、そのまま笑顔でお喋りに花を咲かせる双子。
 彼らとは対照的に、柚紀(ゆずき)は怒りでプルプルと震えている。
「あんたらさっさと出てけええぇえ!」
 そう力いっぱい叫んで、鬼兄妹にタックルをかます。
 しかし――
 ふわっ。
「無駄むーだ。人間が僕ら鬼を掴まえようなんてね」
「そーそー。身体能力の違いってやつだよねー」
 鬼は宙にふわりと浮かび、憐れベッドに倒れ込んでいる人を見下ろしながら言った。
 そして、更に続ける。
「ちなみに僕らが出ていくっていうのも当分無理だね」
 がばっ!
「な、なんでよ!?」
 起き上がり、柚紀(ゆずき)が尋ねた。
 妹の鬼沙羅(きさら)がにっこりと笑って、応える。
「え〜。だって柚紀(ゆずき)の怒りがわたしたちを召び寄せたんだもん。柚紀(ゆずき)がおこりんぼのあいだは離れらんないよ」
「は?」
 戸惑い顔の柚紀(ゆずき)に対して、兄の阿鬼都(あきと)が補足説明を入れる。
「僕らは召び出された時に得た力に縛られるんだ。今回でいえば柚紀(ゆずき)の怒りだね。だから、柚紀(ゆずき)が何らかの理由で怒っている間は、僕と鬼沙羅(きさら)は望まなくても人間界に縛られちゃうんだよ」
「………………」
 柚紀(ゆずき)が絶句して座り込む。
 そうしてしばし放心してから、弾かれたように顔をあげた。
「てかあんたらが怒らせてるんじゃない!」
 その怒鳴り声を受け、阿鬼都(あきと)と鬼沙羅(きさら)がクスクスと笑い出す。
 そして――
「だってここ気に入ったしさ」
「末長くよろしくー。柚紀(ゆずき)」
 楽しそうに言った。
 一方で、柚紀(ゆずき)は頭を抱えてしゃがみこみ、ひと言だけこぼす。
「……うぅ。短気は損気、だわ」

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