読書の前に

「へぇ、意外と綺麗にしてるのね。雄大のはずないし、幹也さんって掃除好き?」
 事務所に到着すると、何よりもまず雅はそう口にした。それだけで、家での雄大の部屋の様子が思い描ける。
「いえ、僕は掃除をあまりしないのですが、雄大がバイトで来るたびにしてくれまして。しかし、その口ぶりですと家ではそれほど掃除はしない?」
「部屋は足の踏み場がないですよ。たまに母さんに掃除してもらってるわ」
 雅は事務所のあちこちを見て回って、どうして家でこうできないのかしら、としきりに首を傾げた。
 その様子を見ながら、幹也は苦笑する。こころうちでは、よっぽど暇なのだろうな、と考えつつ。
 雄大は週に三度、ここでアルバイトをしているが、実のところやることはあまりない。依頼が――さちの猫探しの依頼がある時は足を棒にして探し回るのだが、それ以外のときはまずやることなどない。そういう時、雄大は率先して掃除を始めるのだ。ゆえに、掃除に情熱を燃やす雄大はおそらく、暇なのだろう。
 しかし、幹也はそういった考察を雅に開示しない。理由は明白である。みっともないからだ。勿論、それよりも優先すべき事項があることも理由のひとつではあるが……
「では、僕はこれから例の小説を読みますが、雅さんはお好きに事務所内を歩き回って下さい。飽きましたら、そちらのソファに座ってテレビでも…… それ以外の暇つぶしとなると――ああ、パソコンでネットサーフィンしていても構いませんよ」
「判ったわ。けれど、それ、結構なボリュームでしたよ。この暇つぶしが少ない環境で何時間も待つ自信はないけど……」
「その心配は無用です。このくらいでしたら三十分もあれば読めますよ」
 昨日桐香から受け取ったプリントの束を片手に幹也が言うと、雅は口元を歪める。
「あら、余裕の発言ね。じゃ、お手並み拝見といきましょうか。ちなみに、三十分以上かかったら――襲うわよ」
「僕が襲われるのですか……」
「幹也さん、見た目からしてひょろいし、このあたしにかかれば一分三十秒でひん剥けるわ」
 楽しげな口調の雅に、幹也は苦笑する。
「その具体的な数字が怖いですね。これは頑張りませんと」
「無駄な努力をどうぞ、お重ね下さいな。あたしは事務所探索を続けつつ、襲う前の準備運動としゃれ込みます。よっし、やるぞぉ!」
 雅の態度を冗談として受け取りながらも、幹也は背中に冷たいものを感じ、高速で文字の並びを追う。

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