「本当に速いわねぇ」
「うわっ!」
突然後方から聞こえた声に、幹也は大げさに反応して振り返る。
「幹也さん、驚きすぎですよ。あたしが後ろに回ってるの、気付いてなかったの?」
「いや、申し訳ない。集中していたものですから」
声の主――雅の呆れた視線を受け、幹也は苦笑する。しかし、直ぐに表情を硬くし、彼は身構えた。
「……まさかもう三十分経ちましたか?」
「いやあねぇ。そんなに警戒しないでよ。それに、まだ六分しか経ってないですよ。だから感心してたの。読むスピード速いなぁって」
雅は感心したが、幹也がここまでに読んだ枚数は全体の四分の一ほどである。ペース的には二十四分で読みきれる計算だが、一枚に詰まっている文字数がずっと同じということもないであろうから、まだまだ油断はできない。
「それで、どこら辺まで読んだ? 一人目死んだ?」
「いえ。まだ誰も。今は、俊和達が搭を上るところですね。人が死ぬのならこのあとでしょう。一人目は――まあ、荒斗ですかね」
幹也が予想を口にすると、雅が口笛を吹いて感心した。
「ご名答。何でそう思ったんです? 名探偵の推理をお伺いしたいわ」
「推理というか、ただの予想ですよ。双搭に着いたあとの会話で、荒斗は俊和と楽しげに話していましたから、読者に対して一番効果的に衝撃を与えられるのは、まあ、荒斗でしょう? 知恵は存在感が薄い印象がありますし、最初に死ぬ人物としては少し弱いでしょう。かといって、俊和や果歩は主役側と見て取れますし、殺すとも思えない」
幹也が笑みを浮かべて予想を開示すると、雅はやはり感心したように、なるほど、と呟いた。そして笑う。
「これは期待できそうね。けど、桐香は結構頑固ですよ。納得できなければどんどんと突っ込んで質問してくる。大丈夫?」
「さて、どうでしょうね。ここまでで既に、ミステリ小説としての解答の予想は大方つけられたのですが、課題の解答となると…… こればかりは読み進めてみないと判りかねます」
「え?」
何気なく紡がれた幹也の言葉に、雅は瞠目した。
「ちょ、ちょっと待って! 今の段階でもう――」
「ある一つの予想が確信に変わっただけです。とはいえ、その確信した部分はこの小説の根幹でしょう。とすれば、恐らくそこを諒解しているだけで―― ただし、それと課題は別物です。そちらを解けるかどうかは、ここからです」
「……よく判らないけれど、その言葉がはったりでないのなら、本当に期待できそうね。ちなみに――ひとつ目の問いに対する答えは、どう考えてます?」
「鍵崎がどうやってあの峡谷を越えたか、ですか? まあ、実際はまだ越えてきたという記述に出会ってすらいないわけですが、それは置いておくとして…… 順当に考えれば上流、もしくは下流に、峡谷の間が狭くなっている箇所があるのでしょう。鍵崎と荒斗、それに知恵も地元民のようですからね。それを知っている。だからこそ、知恵は鍵崎が追って来るのではないかと怯えるのではありませんか?」
雅が満足そうに笑んだ。
「うん。その推理はあたしと同じだわ。ちなみに、桐香も異論はないみたいでした」
「それは幸先がいい。さて、ではまた課題に集中させていただきますよ。後ろでのぞいていても構いませんが、できるだけ声はかけないようにお願いします」
「オッケー! じゃ、今から時間計測再開ね。今の中断してた時間まで加えたら、さすがに三十分でっていうは無理だろうし。そこはフェアにいきましょう」
雅の言葉を聞き、忘れていなかったのか、と幹也は苦笑した。そして、彼女に襲われることのないよう、先程以上に集中をする。彼の頁を捲るスピードに雅が感心して口笛を吹く音ですら、もはや幹也には聞こえないようであった。