双搭の凶事(二)

 階段を上りながら途中の階をのぞいてみた。各階でそれほどの違いはない――というよりも、まったく同じのようだ。部屋があって、その部屋の扉の前が少しだけひらけている。とはいえ、その部屋の前の空間が何のためのものなのかは謎だ。狭くはないけど広くもない――というか、細長いから、中途半端で何もできそうにない。設計ミスの結果とかだろうか。
 ――それにしても……
「はぁ、はぁ、はぁ…… つ、疲れた」
「……ふぅ。私も疲れてきたけど、それにしても俊和の疲れっぷりはすごいわね。ちょっと体力なさすぎじゃない?」
「はぁ、けど、んっ。何階分も一気に、はぁ、上るとか、普段しないし……」
「予定を変更されて、この階の部屋になさいますか?」
 立ち止まって肩で息をしていると、香月さんがこちらを見下ろして言ってくれた。ここは四階だし、ぼくの部屋となる七階まではここからまだ結構ある。このままでは部屋に辿り着く前に生ける屍になってしまうかもしれないし、是非、彼の言葉に甘えることに――
「甘やかしちゃ駄目だよ。苦しい時に諦めずにやるからこそ、成長を望めるんです。頑張って、俊和! 私はあんたを信じてるわ!」
 大げさな身振り手振りと共に、果歩が言った。
 にやにやと笑いながら紡がれた言葉を、信用できるはずがない……

「では、こちらが――」
「私の部屋ね。天蓋つきのベッドとかあるといいなぁ」
 それは無理だろう、とは思ったけど、疲れて声をかける気も起きない。まあ、疲れていなくたって、普段から余計な突っ込みは控えているけど。
「天蓋つきではありませんが、ベッドは御座います。浴室も御座いますので、汗や泥を落とされるといいでしょう」
「わ! 部屋にお風呂あるんだ! リッチ!」
 へぇ、それはぼくも嬉しいなぁ。死ぬ気であと一階上がったら、まずはお湯を張ろう。それで、ゆったりと暖まってからしばらく惰眠を貪ろう。雨の中の行軍にくわえて、普段お付き合いのない上方向への運動のおかげで疲労が半端ない。
 がちゃ。
「あれ?」
 さっそく部屋の前に小走りで向かって扉に手をかけた果歩が、訝しげにこちらを見る。
「開かないよ? どうするの?」
「いや…… はぁ、ぼくに、はぁ、言われても……」
 息も絶え絶えに言葉を返すと、果歩は、それもそうか、と呟いて香月さんを見る。
「各部屋には全て鍵をかけています。鍵は部屋の中、ベッドの脇の引き出しの中にありますので、出入りする際は必ず施錠をお願いいたします」
「いや、だから――」
 全く果歩の疑問に答えていない内容の発言をした香月さんに、果歩が言葉を返そうとした。
 しかし、それよりも先に香月さんが歩み出る。そして、ポケットから鍵を取り出すと、すっとドアノブの下にある鍵穴へ差し入れた。
「マスターキーです。道彦様よりお借りしてまいりました。では、どうぞお入り下さい」
 ぎぃ。
 香月さんがゆっくりと扉を開けた。そして、果歩に入室を促す。
「どうも。それにしても、各部屋に鍵がかかるなんて凄いですねぇ。それを言ったら部屋の数とか、この搭からして凄いけど」
「恐れ入ります」
 丁寧に礼をする香月さん。細かい動きが実に礼儀正しい。
「では、ごゆるりとお休み下さい。宜しければお食事もお持ちしますが――」
「んん…… それはあとでいいや。取り敢えず今はお風呂。あ、俊和は覗かないように。いやぁ、実は俊和って覗き魔でぇ、私も一週間に一回は被害を受けてるんです」
「うそ、はぁ、つかな、はぁ、いで、んっ、よ」
 しばらく立ち止まっていても回復しなかった体力では、まともに訂正をすることもできなかった。他の三人が果歩の言葉を信じていないことを祈ろう。

「それじゃ、ゆっくり休むといいよ。またあとで」
 声をかけてくれた荒斗さんと、彼の後ろで手を振っている知恵さんに、同じく手を振って応え、僕は部屋に入る。
 まずは、何よりも最初にベッドに座り込み、休む。ベッドは部屋に入って左側の空間に置いてあった。中々の大きさをしている。ぼくが二、三人は眠れるだけのスペースはありそうだ。
 しばらくベッドに注意を向けていると――というよりも、俯いていると、その間に呼吸は整った。そこで、更に詳しく部屋を見回してみることにする。
 まず、扉から入って直ぐ脇のところにクローゼットのようなものがある。中を見てみないとなんとも言えないけど、きっと洋服をかけるためのものじゃないかな。もしくは靴箱か。それとも、そのどちらとしても使えるとか。
 扉から入った右側、つまりベッドがあるのと逆側は、扉に近い三分の一ほどの空間が壁に囲まれている。恐らくはお風呂とトイレがあるんじゃないかな。それで、他の三分の二は食器棚や台所がある。ただし、食器棚を満たしているのはコップやコーヒーカップなど――飲み物を入れるためのものであり、台所も、水道や電気ポットはあっても火を使う機器はないようだ。まあ、火事にでもなったら大変だから当然かもしれない。食事はやはり、香月さんに頼むしかないらしい。
 続けて、ベッドがある側の空間を見回す。さっきはベッドしか目に入っていなかったけど、よく見ると立派な装飾を施された柱時計が壁際にあった。それから、すわり心地のよさそうなソファや、木目がそのまま残してあるお洒落なテーブルが置いてある。
 うぅん…… これらが各階全ての部屋にあるとしたら、道彦さんというここのご主人はどれだけお金持ちなんだろう。
 と、そうだ。バスタブにお湯を張らないと。
 思い立って、ぼくはお風呂があると思しき場所を目指す。部屋の入り口から数歩進んだ辺りに、お風呂場かもしれない空間に入るための扉がある。そこのドアノブを回すと、こちらは鍵がかかっているということもないようで、すんなり開いた。そこには確かに、お風呂場があった。こちらも驚くほど広い。足を伸ばして入るくらいは、余裕で出来そうだ。それに、体を洗う所まであったから驚いた。ホテルによくあるユニットバスじゃなく、小さめの共同浴場といった風体だ。
 あれ。ていうか、トイレがないな……
 じゃああぁあ!
 ぼくは蛇口を捻ってから、お風呂場を出る。そして、壁にそって他にトイレがありそうな場所がないか調べてみた。そして、台所側に回り込むと、奥の方に扉がもう一つあることに気付く。そちらの扉を開けてみると――トイレだった。こちらはこちらで大きい、もとい、広い。トイレのある空間が広いだけで、トイレ自体は普通サイズだ。トイレが大きくても使いづらいだけだろう。もっとも、トイレがある空間が広くてもどうかな、とは正直思うけど……
 さて、これで部屋がどうなっているかの確認は済んだし、あとはベッドでゆったりしながらお湯が溜まるのを――
 トイレから出て、ベッドに向かおうと視線をそちらへ送る。そして、何度目になるかわからないけど、驚いた。
「……ちょっと、厳重すぎないかな」
 思わず呟いた。
 ぼくの視線の先――ベッドの上の方には、鎖でがんじがらめにされた窓があった。窓は出窓で、奥行きが大分深い。人ひとりくらいなら入れるだろう。そして、出窓の入り口部分に鎖が張り巡らされていて、その上で、南京錠で閉じられていた。物々しいというより、滑稽さすら覚える。ここが七階なことを考えると、ここまで窓を警戒する必要もない気がするんだけど……
 というか、まあ、インテリアの一部と考えるべきなのかな? 道彦さんの趣味なんだよ、うん。
 それにしても、他に窓は――ないみたいだね…… って、他に窓がないというのも酷いなぁ。この建物、色々と凄いけどちょっとおかしくないかな。これだけ高い建物なんだから、窓を増やして景色を楽しむくらいしてもいい気が……
 いや、まあいいか。今はゆっくり休むことを優先しよう。この建物がおかしくても、正直どうでもいいし。お湯溜まるまで、ベッドで――いや、ソファも柔らかくて座り心地がよさそうだし、そっちで休もうっと。
 ばふっ。
 重力に任せてソファに身を沈めると、いい感じの音がした。そして、心地よい感触がぼくを襲う。
 ああ、気持ちいい…… ちょっと目を閉じて……

「俊和うぅ!」
「うわっ!」
 耳元で叫ばれ、僕は驚いて飛び跳ねる。
 果歩がいた。
「やっと起きた。まったく…… 疲れてるのはわかるけど、普通に声をかけられて起きないとか、知らない間に殺されてても文句言えないよ」
「ふあぁあ…… そもそも殺されたら文句言えないけどね」
「屁理屈言わないの。ていうか、ちゃんと鍵かけなよ。開きっぱだったよ」
 ああ、そういえばかけた覚えがないなぁ。
「いつの間にか眠っちゃったから…… ん?」
 そういえば、ぼく、お風呂入ってないよね。いや、それどころか――
「ああ!」
「な、何? どうしたの?」
「お湯出しっ放しだ! 大変!」
 慌ててお風呂場に向かう。しかし――
「あれ?」
 お湯が溢れ出ているんだろうと思ったんだけど…… そんなことはなかった。まあ、ちょっとお湯が多すぎではあるけど。
 蛇口を捻り、お湯を止める。
 あんまり寝てなかったのかな。けど、果歩がここに来たってことは、彼女はお風呂に入り終えたってことだし、それには一時間くらいかかりそうだ。そうすると、一時間以上出しっぱなしだったことになるはずだけど……
「不思議そうにしてるけど、たぶん俊和、そんなに寝てなかったと思うよ。私はシャワー浴びただけで済ましたから、お風呂の時間二十分くらいだったし、そのあと直ぐこっちに来たから、まあ、そのお湯の量も当然じゃない?」
 あ、そうなんだ。ていうか、シャワーだけにすればぼくも直ぐ入れたんだ。これはうっかり。けどまあ、せっかくお湯を張ったわけだし……
「ところで、果歩はどうしてこっちに来たの。用がないなら、ぼくこれからお風呂入りたいんだけど」
「ん? 用はあるよ。暇つぶしに付き合って欲しいの。超ひま」
「話聞いてた? お風呂入りたいんだけど」
「大丈夫だよ。泥とかついてた方がかっこいいって。それより、上の階に行ってみようよ」
「かっこよくなくていいから、ぼくは泥落としたい」
「俊和の部屋見て、私の部屋とまったく同じだからびっくりしちゃったよ。あの鎖とか凄いよねぇ。で、そうなると荒斗さんと知恵さんの部屋も気になるのが人情ってもんじゃない? というわけで、行こ」
 さっきまで一応成立していた会話が、ついに成立しなくなった。果歩は完全に自分の都合でしか発言しなくなっている。こうなってしまった果歩は、今までの経験からいって引くことはない。ぼくが妥協するしかなかった。
「取り敢えず、眠気を覚ますために顔くらい洗わせてください」
 幸い、その申し出だけは受け入れられた。

「やあ、いらっしゃい、と言うのも変かな。まあいいか。どうぞ上がって」
 突然の訪問にもかかわらず、荒斗さんは快く招き入れてくれた。遠慮がちに見回してみると、部屋の様子は家具の配置から何から、ぼくの部屋と全く同じようである。
「ふぅん。やっぱり部屋は全部同じ内装みたいね」
「そうだね。あ、そういえば、自分の部屋でここ開けてみた覚えがないや。どうなってるか、開けてみてもいいですか?」
「あ、そこは開けないでくれるかい?」
 クローゼットを指して訊くと、荒斗さんは慌てた様子で言った。
 どうしたのかな?
「ほぉ…… これはエロスの香りが…… というわけで、ばあぁん!」
 どさああぁあぁあ!
 果歩が躊躇なく開けてしまうと、クローゼットの中からは小物類がたくさん飛び出してきた。
 これは…… まるで、片付けられない主婦が、突然の訪問を受けて無理やり片付けたかのような……
「荒斗さん…… 人様のおうちでこれはどうかと」
「いや、違うからね。俺、こんなに荷物持ってなかったでしょ? 君達といる時」
 そういえばそうか。けど、ならどうして。
「じゃ、どうしたんですか、これ?」
 果歩が訊いた。
「いやね。俺もここに案内されて、まずは靴を入れようとそこを開けたわけだよ。そしたらそれらの小物が飛び出してきて…… こちらのご主人が入れて、うっかり忘れているのか。それとも、俺達みたいにここに泊めてもらった人が前に置いていったのか。まあ何にしても、そうして飛び出したらしまうのが大変なんだ。ここに来て十分くらいはそいつらをクローゼットに詰める作業に専念してたね」
 そうすると、これらをしまうのに今から十分くらいかかるのか。まあ、クローゼットを開けたのは果歩なわけだし、僕は部屋に戻って――
「なにぼうっとしてるの! ほら、俊和! 手伝って!」
 ……まあ、そうだとは思ったけどね。正直、これを放って戻る気は起きないし――
「ふぅ。手伝いますか」
「そんなの当然でしょ! なに、仕方ないなぁ、みたいな空気出してるのよ! ほら、早く!」
「はいはい」
 荒斗さんも手伝ってくれたので、小物は四分ほどでクローゼットに詰め終えた――けどね…… ふぅ。

 こんこんこん。
「知恵さぁん! ちょっと宜しいですかぁ?」
 結局ぼくは、荒斗さんの部屋を出たあとも解放されなかった。
 まあ、わかってたけどさ。この流れで知恵さんの部屋を見ずに終わるわけがないことくらい。
「……何かしら?」
 知恵さんはドア越しに訊いてきた。
「ちょっとお部屋を見せていただけないかと思って。ちょっとした好奇心です」
 果歩が言葉を返すと、知恵さんは沈黙した。
 彼女が鍵崎芳樹という人を警戒しているのは間違いないし、こうしてドア越しに会話をするのも理解はできる。けど、明らかに相手が果歩のこの状況でも、ドアを開けないままでずっといるのは少し不思議だ。
 そもそも、そんなに怖がらなくても、この建物の正面の扉は鍵がかかっている――はずだし、窓はぼくらの部屋と同じなら侵入経路にはならない。いや、そもそも九階なんだから侵入は無理だろう。それに、この搭を上る時、階段の踊り場に窓があったけど、そっちも鍵はかかってるみたいだった。なら、芳樹さんが仮にここに辿り着いたとしても、やっぱり心配はいらないように思える。
「駄目ですかぁ?」
 果歩が残念そうに声を上げる。ぼくならここで開けてしまうだろう。……あとが怖いから。
「……その、果歩ちゃん以外に誰もいないの?」
「いえ、ぼくもいます」
「俊和くんだけ? 他には絶対に誰もいない?」
 周りに誰もいないことは明らかだったけど、知恵さんがあまりに怯えているのでつい見回して確認する。けど、やっぱり誰もいない。
「誰もいませんよ。けど、具合が悪いようでしたらこれで――」
「大丈夫だよ! だから安心して! 知恵さん!」
 誰もが――というより、果歩以外が幸せになれる言葉を紡ごうとしたら、当の果歩に遮られた。
 そこまでして部屋を見比べたいのかな……
 すぅ。
「入って」
 ようやくドアが開き、女神様が顔を出した。そして、ぼくらは素早く侵入を試みる。
 かちゃ。
 知恵さんは直ぐに鍵を閉め、クローゼットに背中を預けてぼくらの後ろに立った。
 ぼくらもやはり立ったままで部屋を見回す。
「ふんふん。やっぱりここも同じかぁ。あ、でも――」
 果歩は不満そうに言ったけど、直ぐに表情を輝かせてぱっと天井を仰ぐ。
 たぶん、一番上の階だからってことで、天井くらいはちょっとした違いがあるかも知れない、とか考えたんだろう。けど、生憎そんなことはないみたいだった。
 残念そうに、果歩は俯く。
「うぅん。ここまでそっくりな部屋ばっかりって…… なんかここのご主人とやら、気持ち悪っ」
「いや、泊めてもらっといてそれ? ていうか、会ってもいないのに」
「会ってないからこそ好き勝手言えるのよ。下手に会えば、言いづらいでしょ」
 ま、一理ある。けど、賛同はしないな。ぼくはそもそも、人の悪口を言うのが苦手だ。
 と、そこで果歩が再び瞳を輝かせた。
「ん、あぁ、そうだわ。知恵さん、ちょっといいですか?」
「え?」
 知恵さんがクローゼットを背にしていたことを考えると、果歩の目的はそこかな? きっと荒斗さんの部屋と似たことになってるかどうか、気になったんだろう。
「そこのクローゼット開けてみたいんです?」
 やっぱ――
「あ、ちょっとそこは遠慮してくれる?」
 知恵さんが即座に止めた。やんわりと、それでいて頑とした態度で果歩の手がクローゼットに迫るのを遮る。
 果歩は、彼女の反応だけで下の階での惨事を思い出したのだろう。納得顔で手を引っ込めた。
 きっと知恵さんのとこのクローゼットも色々詰まってるんだね。
 ていうか、もしかしてぼくの部屋もそうなのかな? 一度も開けてないから判らないけど、部屋に帰っても試す気はしないなぁ。片付けるのやだし。けどきっと――
「じゃあ、お風呂とかは見てみていいですか?」
 クローゼットを開けるのを諦めた果歩は、知恵さんが諒解するのを待ってお風呂やトイレを見に行った。ぼくはそんな果歩を見つめる。
 きっと…… 下に戻ったら果歩は、ぼくの部屋のクローゼットを勢いよく開け放つんだろうなぁ。それでいて、荒斗さんの部屋みたいな惨事になったら、片付けるのを手伝わないでさっさと自分の部屋に帰るんだろうなぁ。
 そんな風に予想して、ぼくは深い深いため息をついた。

 予想は少し外れた。
 果歩は確かにぼくの部屋のクローゼットを開けたけど、そこからは何も飛び出してこなかった。何かが入っているのは上の階二つだけだったらしい。まあ、その状況は状況で意味が判らないけれど、家主の勝手と言ってしまえばそれまでだ。それに、ぼくに被害がなかったことは喜ばしいことなわけだし、素直に喜んでおこう。
 果歩も部屋に帰ったし、これでやっとお風呂に入れるってものだよ。バスタブのお湯は少し温くなってるけど、そこは我慢しよう。いざとなればシャワーだけでもいいわけだし。
 というわけで――
 だあぁんっッ!
「うわっ!」
 突然大きな音が響いたので、ぼくは思わず声を上げる。そして、脱ぎかけていたズボンに足を引っ掛けて転んだ。
「いたたた」
 立ち上がり、ズボンを履き直す。
 さっきの凄い音は上から聞こえた。上は荒斗さんの部屋だけど…… 何か落としたのかな? うぅん…… けど、そういう音とも少し違った感じだったような……
 って、行ってみれば手っ取り早いか。それに、どうせ果歩が興味を示して、ぼくを巻き込んで上へ向かうに決まってる。ここは自主的に向かうとしよう。
 部屋から出て鍵を閉めていると、果歩が階段を上がってきた。随分と素早い。これは、音が響いた直後に部屋を飛び出したってところかな?
「ちょっと! 俊和、大丈夫なの?」
「へ? 何で――」
 ぼくに訊くのか、と続けようと思ったけど、途中で止めた。彼女からすれば上の階、つまりぼくの部屋から音が響いたように感じたのだろう。それでぼくに訊いたんだ。
「さっきの音はぼくじゃないよ。荒斗さん――か、そうじゃなかったら知恵さんの部屋で鳴ったんじゃないかな?」
「あ、そなの? ……じゃあ、さっさと階段上るよ!」
 果歩は踵を返し、階段の方へ舞い戻る。そして、勢いよく上がっていった。
 ぼくも続き、上に行く。すると、果歩と知恵さんが顔をつき合わせていた。知恵さんも音に驚いて降りて来たと言う。
 すると、音が響いたのは荒斗さんの部屋ということで決まりか。
「何の音だったのかしら?」
「さぁ……? 取り敢えず、荒斗さんの部屋に行ってみましょうか」
「そうね」
 三人で連れ立って荒斗さんの部屋の前へ向かう。そして、知恵さんが代表して声をかけた。
「荒斗! わたしよ! 何かあったの?」
 返事はなかった。
 ぼくはドアノブに手をかけ、回して引く。しかし、ドアは開かない。鍵がかかっているようだ。
「荒斗! ねぇ、荒斗ってば!」
 知恵さんは勢いよくドアを叩く。けどそれでも、荒斗さんは返事もしなければ、鍵を開けるわけでもない。
 熟睡してたとしても、これだけ五月蝿くすれば気付くはずだ。いやそもそも、さっきの音で目を覚ます。それなのに、何も反応がないというのは……妙だった。
「ぼく、香月さんにマスターキー借りてきます」
「待って! 何だか嫌な予感がするの! もしかしたら一分一秒を争う事態かも知れない…… 皆で扉を破りましょう!」
 駆け出そうとしたぼくを止めて言ったのは知恵さんだった。ぼくと果歩の返事を待たずに、既に自分だけでドアに体当たりを始めている。
 ……確かに、少し妙な雰囲気はある。もしかしたら荒斗さんが中で倒れているかも知れない。
「知恵さん。ぼくらとタイミングを合わせて。それぞれでぶつかるよりも――」
「ぶっ壊せる可能性が高いよ」
「ええ……」
 ぼくと果歩を見て、知恵さんは険しい顔で頷く。
 芳樹さんとやらに対する心労に加え、さらにこれだもの。まったく、大変だ。この一連の騒ぎで、更に心労を増すことにならないといいけど…… 荒斗さんの看病までプラスとか、そういうことになったらことだよね、ほんと。
「よぉし、行くよぉ!」
 おっと、ぼーっと考えてる場合じゃなかった。よし!
 だあんっ!
 一発ではドアは壊れない。
 続けて二回目!
 だああんっッ!
「荒斗!」
 上手い具合にドアが開いたので、知恵さんは、ドアにぶち当たったままの勢いで部屋になだれ込み、声を張り上げる。
 ぼくと果歩も中に入った。
 入って直ぐは何も気付かなかった。ドアから真っ直ぐのところには壁しかない。荒斗さんはそこにいないし、直ぐに視線を移す。
 左に視線を移す途中で、佇んでいる知恵さんが視界に入った。そして、気付く。
「知恵さん?」
 彼女はベッドがある方に視線を向け、瞠目していた。
 ぼくもそちらに目をやり――言葉を失った。
「いやああぁあぁあああぁああぁあ!」
 知恵さんが叫んだ。
 その視線の先には、頭から大量の血を流している荒斗さんがいた。

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