双搭の凶事(四)

 ぼくらは事件の話をするのは止めて、とりとめもないことを話し続けた。ぼくらの引率の先生が今頃あたふたしている様子を思い描いて笑ったり、来週あるテストの心配をしたり、どうでもいいと言えばどうでもいい、けど、大事な日常の話をした。そうして、この双搭の建物で起きている非日常を追いやろうとした。
 だけど、見回すとそこは見知らぬ部屋で、この部屋の上には荒斗さんの遺体がある。それは曲げられない事実で、決して忘れることの出来ない悲劇だった。
 いつしか日常を謳う気分も消え去り、ぼくらは何とはなしに窓の外に瞳を向けた。
「向こうの一番上、電気ついてるね」
「うん。鍵崎、大人しくしてるのかな?」
 部屋が遠くたって、鍵崎も知恵さんの部屋の場所は判ってる。だったら…… 知恵さんの部屋の鍵はかけてるけど、もしかしたらマスターキーを奪って侵入するなんてことをするかもしれない。
「ちょっと心配ね…… 一応知恵さんの部屋の前で見張るとかしてみる?」
「部屋の前じゃなくても、普通に中で一緒にいればいいんじゃない?」
「けど、荒斗さんのことを独りで考えたいとか思ってるかもしれないし」
 それはそうかもしれない。あまり独りで考え込むのもよくない、という意見もあるだろうけど、荒斗さんが亡くなってから間もない今は、独りでいた方がいいかもしれない。
 まあ、鍵崎対策を部屋の中でするにしても、外でするにしても、まずは上に向かうべきだろう。ぼくは、行こう、と声をかけて立ち上がる。が、果歩がトイレを借りたいと言い出したので、しばらく出発は遅れた。
 数分ほど経って、果歩がトイレから出てくる。おまたせぇ、と言いながらこちらへやって来た。その際彼女は、あれ、と声を上げて窓に瞳を向けた。
「どうしたの?」
「いや、今――」
 どんっッ!
 緊張が走った。
 今の音はなんだろう? たぶん下から聞こえたと思うけど…… また銃? けど、それなら知恵さんの部屋から聞こえそうなものだ。荒斗さんに続いて殺されるのは知恵さんの気がする。突然香月さんが殺されるというのは納得が出来ない。勿論、ぼくが納得できなかろうがどうしようが、事件がおきてしまう場合もあるだろうけど。
 だっ!
 果歩が駆け出した。部屋の入り口に向かうかと思いきや、彼女は窓に駆け寄る。
「果歩?」
「さっき窓の外を何かが横切るのが見えたの。上から何かが落ちたのかもしれない」
 とすると、さっきの音は銃声とかそういうものではなくて、地面に物が落ちた音ってことか。ひとまず安心して、いいのかな?
 さて、ぼくも果歩にならって下を見てみよう。
「どう? 何か見える?」
 果歩と一緒に出窓の奥へ乗り出し、訊く。
 残念ながら、ぼくの目では下に落ちたものの正体を判別することはできなかった。すっかり暗くなってる上に雨も降っている。それでいて、ここは七階だ。とても、下の様子なんてわからない。
「見えない……けど…… 下に見に行こう!」
 出窓を閉め、ぼくの手を取って部屋を飛び出す果歩。それほど急ぐ必要があるとも思えない状況である。ぼくはゆっくり向かうことを提案した。けど……
「嫌な予感がするの! 杞憂に終わってくれればいいけど、でも……」
 暗い表情の果歩を前にして、それ以上反論をする気はおきなかった。

 地面で雨に打たれていたのは、知恵さんだった。

 ぼくらは知恵さんを建物内まで運び、それから左の搭の最上階へと向かった。階段を上がる途中、三階で香月さんにも会ったので、彼にもついて来てもらった。急いでいたので、事情は説明しないままで。
 そして、最上階にある部屋の扉を乱暴に叩くと、鍵崎が頭から湯気を立ち昇らせながら出てきた。
「何だよ、うるせぇなぁ。せっかく風呂入ってさっぱりしたとこだったってのに」
 彼が毒づくのを無視してぼくは口を開く。
「知恵さんが死んだ」
 香月さんは瞠目し、鍵崎は笑った。
「へぇ…… 神様も随分サービスがいいな。オレがむかいついてる相手はどんどん死んじまうらしい。今度はどうやって死んだ? 毒か? 縊られたか?」
 鍵崎の反応は、犯人だとしてもそうでないとしても、やはり腹の立つものだった。
「九階から落ちたみたいだ。あんたは今までどこにいた?」
「おっと。アリバイ探しか? 部屋にずっといたぜ? つか、自殺じゃねぇの。荒斗が死んだらわたしも生きていけないわん、みたいな」
 それはぼくも考えていたことだけど、でも、鍵崎のふざけた口調には腹が立った。
 ぱしっ!
 拳を握り締めて、それを鍵崎の頬めがけて打ち出した――けど、その一撃は容易に受け止められてしまった。
「さっきそっちのお嬢ちゃんに叩かれてやったし、悪いが今回は防がせてもらったよ。そう何回も叩かれてやる趣味はない」
「くっ」
「落ち着こう、俊和。そんな奴を叩いても手が痛くなるだけよ」
 拳を引いて鍵崎を睨んでいると、果歩がぼくの肩を叩いて言った。
「おっと。さっき叩いたとき痛かったのかい? そいつは悪いことをしたなぁ」
「お気遣いなく。それよりも、首を洗って待ってることね」
「あん?」
 鍵崎が訝しげに果歩を見る。
 その果歩は、ぼくを自分の前に押し出して自信満々に言った。
「あんたの悪事はこの名探偵俊和が暴いてあげるわ。喧嘩はからきしでも、考える力は意外と人並み以上なのよ」
 生まれてこの方、名探偵でいた覚えがないんだけど…… それに意外って…… ぼくが頭良かったりしたら意外なの?
 いやまあ、それはともかくとして、勿論ぼくだってこの事件を放っておこうというつもりはない。可能なら解決し、その犯人が鍵崎であるのならその首根っこを掴まえてみせる。
 ぼくは鍵崎を思い切り睨みつけた。
 彼はそんなぼくを楽しそうに見つめ、そしてやはりおどけた声を出す。
「はっ。そいつは楽しみだ。期待せずに待ってるとすっぜ。じゃ、また後でな」
 鍵崎は部屋に引っ込んだ。
 閉じられた鍵崎の部屋をしばらく睨みつけ、ぼくらは下を目指す。

 ぼくらは右の搭に戻ってきた。今は最上階――知恵さんの部屋の前にいる。
 がちゃがちゃ。
「鍵は閉まってるみたいね」
 果歩はドアノブを数回まわし引いてから、そう呟く。そして、ポケットから鍵を取り出した。
 その様子を見ながら、ぼくは香月さんに質問を投げかける。
「マスターキーは今は?」
「私がもっております。道彦様にお返しするのを忘れておりました」
「まさか、鍵崎に貸したりとかはしてませんよね?」
「そのようなことは決して」
 なるほど…… すると、鍵崎が知恵さんを突き落とすか何かするには、知恵さんに鍵を開けてもらって中に入るしかないってことになるかな……
 そのように考えながら、ぼくは部屋に入る。
 部屋は以前訪れた時とさほど違いはなかった。唯一違うところは、鎖が解かれて窓が開け放たれているところだろう。
「……あそこから落ちたのでしょうね」
 香月さんが言った。
 他に外との繋がりがない以上、そうなのだろう。ぼくは思わず俯く。
 ぱんっ!
 その時、暗い空気を一掃するかのように、果歩が手を叩いた。
「さて、ドア以外からこの部屋に入ることが出来ないか、じっくり調べてみよ。そういう抜け道ちっくなものを見つけられたら、荒斗さんの事件だって解けるかも」
 そんな都合のいいものがあるとも思えなかったけど、そういう予断は捨てるのが肝要だろう。ぼくらは部屋中をあらためることにした。
 ぼくはまずトイレから調べる。そうした理由は特にないけど、あの無駄に広い様子が気になったのかもしれない。無駄なスペースのどこかに、遊び心によって作られた抜け穴があってもいいだろう、とそう考えたのかも。
 けど、残念ながら、それらしいものを見つけることはできなかった。
 ため息をついて上を見上げる――と。
「……あれは?」
 自分の部屋にはなかっただろうものを見つけ、ぼくは果歩と香月さんを呼んでみる。
「香月さん。あれは?」
 天井にある正方形の扉みたいなものを指して、訊く。天井裏に出るためのものにも見えるけど…… ぼくの部屋にはたぶんなかったし、この部屋だけにあるというのは妙だった。
「ああ。あれは屋上へ出るためのものです。屋上を掃除をする際に使用致します」
 なるほど――ん? 待てよ。ぼくが覚えていないだけで……
「まさかとは思いますけど、あれと同じものが各階にあったりはしませんよね? つまり、下の階からトイレを通して上の階へ行けるような――」
「それはございません。こういった出入り口があるのは、この部屋と、あとはもう一方の搭の最上階の部屋だけです」
 ふぅん、そうか…… まあ、いくらなんでも上の階のトイレに自由に行き来できるわけはないよね。それじゃプライバシーも何もない。
「あれ? トイレットペーパー減りまくってる。ほとんどないよ」
 果歩が言った。
 よくそんなことに気付くもんだなぁと思いながら、ぼくも見てみる。確かに、一ロール分使い終わりそうなくらいの減り具合だった。
 ぼくは香月さんに瞳を向け、訊く。
「あの、この部屋のトイレットペーパーは元々減ってたとかですか?」
「いいえ。各部屋において新品を備えておりました。ですので、茅様がお使いになったとしか思えませんが……」
 お腹を下していたとしてもこんなに使わないと思う。そもそも、ここのトイレはウォシュレットがついているようだし、トイレットペーパーはそれ程使わないはずだ。これは、事件に関係あるのかな? それとも、思いもよらない理由があって、知恵さんが使っただけなのかな?
「まあ、他も探してみよ」
 果歩が言ったので、ぼくらはトイレを出て他の場所も入念に調べる。しかし、どこにも抜け穴らしいものはないし、怪しむべきものもなかった。
 さて、どうしたものかな……
 いよいよ行き詰まり、ぼくらはそこで一様に沈黙してしまった。

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