「ここで終わりか…… 随分と中途半端に終わるな」
「あ、読み終わっちゃいましたか…… ちぇ。あと二分だったのに……」
雅の言葉を聞き、幹也は安堵のため息をつく。
そうしてから、プリントの束をデスクに置き、伸びをした。椅子に深く座りなおし、眉根を押さえた。目が疲れていた。
「お疲れ様。それで?」
そんな幹也に一声かけ、雅は先を促す。勿論、彼の推理を聞きたがっているのだ。
しかし、幹也はそんな彼女を制す。
「まあまあ、先にも言いましたが、雅さんももう少し考えてみてはどうです? 西島さんとのお約束の時間までは丸一日ほどありますし、それまででも」
「……もったいぶりますね。まさか判らなかった訳じゃありませんよね?」
「さて、どうでしょう」
余裕の表情を浮かべ、幹也は応える。
雅はそんな彼を瞳に入れ、息をついた。これは判ってるな、と感嘆して。
「本当に一読で全て判ってしまったみたいですね。何というか……呆れるほど凄いわ」
「恐縮です。さて、少しだけ質問させていただいていいですか?」
「ああ。そういえばあたし、元々そういう用事で来たんでしたっけ。勿論、いいわよ」
「有難う御座います」
幹也は丁寧に礼をしてから、雅を真っ直ぐと見る。そして、柔らかな笑みを浮かべつつ言葉を紡ぐ。
「読書の合間の質問で、雅さんがお考えになられた第一の殺人のトリックについては予想がつきましたが…… 一応そちらもお聞かせ願えますか?」
「オッケー。えっとですね。犯人である香月は、マスターキーを使って荒斗の部屋に侵入。たぶんベッドで寝ていただろうと思われる荒斗を銃器で殺害。それで、誰かが来る前に部屋の鍵をかけて、それからクローゼットに隠れたのよ。で、扉を破って俊和達が入ってきたら、彼らの隙をついて外へ脱出。それで、密室トリックは解決と――相成らないわけだけど……」
幹也、雅は互いに苦笑する。
そして、幹也が明るい口調で話を再開した。
「それで、西島さんはそのトリックを聞いて、どういった点を気にされましたか?」
雅は気を取り直し、記憶の糸を手繰る。
「そうですねぇ…… まず何より、クローゼットに入ったままだった小物について言及しましたね。あとは、銃器を使用する点がおかしいと言ってたわ」
「ほぉ」
幹也は瞳を細め、相槌を打つ。
雅はそんな幹也を一度瞳に入れ、続ける。
「桐香が言うには、マスターキーを持ってる香月が犯人であるなら寝静まった頃合に音を立てずに殺すんじゃないか、とのことよ。まあ、確かにそれはそうだと思うけど、そこまで気にするっていうのはちょっと細かすぎないかと閉口したわ」
「ふむ。これは、西島さんは相当手ごわそうですね。ところで、雅さんはその時どのように答えられたのです?」
「ん? その時ですか?」
訊かれると、雅は幹也から視線をそらす。しかし、曖昧な口調ながら、答えた。
「えぇと、あんまり気にするな、とか言ったような気が……」
幹也は心うちで苦笑し、しかし、そのようなそぶりなど微塵も見せずに質問を続ける。
「なるほど。それで、続けて第二の殺人のトリックについてどう推理したかお聞かせ下さい」
「ええ」
話が替わったことを幸いと判じ、雅はほっと胸を撫で下ろして、応える。
「こっちも香月が犯人なら話は簡単です。マスターキーがあるんだから、部屋に忍び込んで窓から知恵を落とすことくらいできるわ。俊和と果歩は上に向かわなかったわけだから、逃げ道にも困らない。俊和達が鍵崎の部屋に向かう途中の三階で香月に会ってますけど、それも、俊和達が知恵の死体を建物内に運んでいる間に一階まで下りてきて、右の搭から左の搭へ移動すればいいだけだしね。ちなみにこの推理には、桐香もあんまり質問しなかったですよ」
「あんまりということは、やはり少しは質問されたわけですか」
「……まあ、言い換えるとそうなるわね。とはいえ、致命的なほど否定的な質問はされませんでした。で、その質問の内容ですけど、俊和達が下におりなかったら香月は窮地に立たされたんじゃないかっていう感じのもので、人を殺すという最終手段を採るにしては、随分と綱渡りじゃないかって」
そうかもしれませんね、と相槌を打つ幹也。そして、視線で雅に先を促す。
雅もそれを察し、幹也が欲するであろう話を始める。
「それで、あたしはそれに対しては、結果的に下におりたんだからいいじゃない、と答えました」
「それはまた、西島さんが納得されないのも納得してしまうというか……」
幹也が思わず呟くと、雅は眉を吊り上げた。
「そうはいいますけど! 俊和達が下におりてったんですから、これ幸いとばかりに香月もおりるのは当然じゃないですか! 結果論なのはあたしもわかってますけど、登場人物がこう動いたから犯人もこう動いたって、そういう流れにまで疑問を持ち出したら、疑問の生まれないお話なんてそうそうありませんよ!」
声を荒げた雅に、まあ落ち着いて、と声をかけ、幹也は笑む。そうして、朗らかな口調で声をかけた。
「それはそうだと僕も思います。ただ、今の場合は西島さんの疑問に答えることは可能ですよ」
疑わしげな視線を向け、雅は、本当に? と呟いた。
幹也は力強く肯く。
「ええ。この小説では、窓の外を落下していく何かの存在を果歩が目撃した、という状況から、俊和達が知恵のことを気にして階上へ向かう可能性というものが生まれています。しかし、香月はそもそも、俊和達が上にのぼってくることなどあり得ないと考えていたはずです。というのも、果歩が窓の外の落下物に気付かなかったならば、俊和達は階下で大きな音が聞こえたことだけを知覚したはずです。そんな時、俊和達がなぜ上に向かわなければいけないのですか?」
「あ」
「本来ならば、俊和達の選択肢としては二つしかなかった。下へ確認に向かうか、特に気にせずに部屋に留まるか。彼らが前者を選択したなら、香月は彼らの後をつけるように下へ向かえばよかったし、後者を選択したなら、特に警戒することもなく普通に下へ向かえた。ただ、この小説においては、書かれているように果歩が落下物を目撃したことで、上に向かうという選択肢も生まれ得た。今の問題はそこですが、それもまた特に問題ないことが証明できます」
「できてしまうんですか?」
「ええ。寧ろ、そういう展開であった方が、香月としては好都合だったでしょう。香月は次のようにするだけでよかった。即ち、荒斗の部屋がある階で俊和達をやり過ごすだけで」
幹也が人差し指を立てて言うと、雅は再度、あ、と声を上げる。
そんな彼女を瞳に入れ、幹也は続ける。
「そのあとは急いで下までおり、小説に出てきたように左の搭で適当に過ごしていればよかった。以上から考えると、香月はそれ程危険な状況ではなかったのですよ。どういう状況を迎えようと、彼は逃げる道があった。もっとも、俊和達がどう動くかを気にし、その動きに応じて適宜判断しなくてはいけないというギリギリの場面を迎える可能性はあったでしょうが、しっかりとした状況判断を下せる人物でしたら、そこは問題なく立ち回れることでしょうし、気にするほどの危険度とはいえないのです」
「確かに……そうですね。そっか、それは――うん。ん? というか、そんな風に深く考察できているってことは、もしかして幹也さんも――」
「ええ。第二の殺人に関しては雅さんが推理されたようなトリックであっただろうと考えています。勿論、犯人は香月です」
その言葉を耳にすると、雅は満面の笑みを浮かべて幹也を見た。そして、勢い込んで口を開く。
「マジで? 考察が圧倒的に足りなかったとはいえ、幹也さんと同じ推理とは…… だいぶイケてない? あたし」
「僕の推理が絶対に合っているとは限りませんが」
「大丈夫よぉ。あたし的には、これっぽっちも突っ込むところがないわ。あ、これはちょっとだけ自画自賛?」
幹也は苦笑し、しかし、否定的なことは口にしない。
「まあ、自信を持つことは悪いことではありませんよ。実際、質問が多いことに定評がある西島さんが質問をあまりしなかったという時点で、それなりの説得力は有しているとみて間違いないでしょう」
それを耳にすると、雅は満足そうに笑み、そして、頷いた。
そしてそこで、すっかり機嫌をよくした雅に、幹也が再度訊く。
「ところで、第二のトリックに対して、西島さんは他に――」
「ああ。他の質問はありませんでしたよ。動機は何かって訊かれましたけど、それこそ、この課題に関係ないだろうと思ったのでそう答えときました。桐香はそれにも納得いかない様子でしたけど、そこは本当に割り切るところだと思うわ」
幹也は大きく肯く。
「それは間違いありませんね。僕も声を大にして賛同しますよ。課題で動機は訊かれていないのですから、そこは無視してもいいでしょう。どうしても答えたいというのなら、考えようはいくらでもあります」
「ですね。香月が殺人狂だったとか、道彦の命令だったとか、実は孫の敵だったとか」
指を折り、順調に動機をでっち上げる雅。
一方で、幹也は今手に入れた情報を元に考えを巡らす。そして、パソコンの電源を入れるためにデスクへ歩み寄る。
「あ、質問はこれで?」
幹也の様子に気付いた雅が訊く。
すると、幹也は立ち止まり、微笑んで応えた。
「ええ。非常に参考になりました。有難う御座います」
「いいえ、あたしも楽しかったですし。それより、幹也さんの第一の殺人に関する考察をお聴きしたいわ。どう考えているんです?」
「それは――明日、西島さんにお答えする時にでもご一緒にどうですか?」
「別に今でもいいじゃない」
不満げに雅が言う。
しかし、幹也は意に介さぬといた感じで、口を開く。
「これから西島さんに提出するデータ造りを始めるのですよ。そういうわけですから、お話しする時間が…… ああ、雅さんはそちらのソファでプリントを再読されてはどうです? 二度目の通読でよい考えが浮かぶかもしれませんし…… 勿論、お帰りでしたらお送りしますが」
「……あくまで話さない、と。ここで大人しく帰るってのも癪に障るわね。けど、独りで読み直してもいい考えが浮かぶとも思えないし――そうだ!」
ぶつぶつと呟いていた雅は突然叫び、鞄から携帯電話を取り出す。そして、二、三度ほど呼び出し音を響かせ、相手が出ると即座に命令口調で言った。
「もしもし? あたしよ。うん、そう。葦乃木探偵事務所まで至急来ること。十分以内よ」
それだけを告げると彼女は通話をやめる。そして、携帯電話も鞄にしまってしまった。
幹也はパソコンの電源を入れながら、そんな彼女に瞳を向ける。
「どなたにかけていたのです? 雄大ですか?」
「あら。そんなことまでお見通しなんですね。ええ、雄大です。経験から言って、あたしだけで読んでても今まで以上の考えが浮かぶとも思えないし、雄大に読ませて一緒に考えようかと。あの子は幹也さんみたいに読むの速くないから、時間かかるでしょうけど」
「なるほど。しかし、あのような呼び出し方で来るものですか? 雄大なら、へそを曲げて無視をするくらいのことはしそうですが……」
「そこは大丈夫です! これを無視したら、あとで散々な目にあうっていうのはあいつも学習しているはずです!」
それはまた嫌な学習だな、という感想を持ちながら、幹也は文章編集ソフトを立ち上げる。文章を打つ作業は読む作業に比べ時間がかかるだろうことを思い、少しだけうんざりし、そして、キーボードを打ち始めた。まずは題名を『課題解答』とし、続けて本文に入る。